ウ ン ソ ー ン ロ ー

戦前上海在留邦人の偉業

 私は1920年生まれで、18歳まで上海で育った。その後日本を訪問したという個人的な奇妙な体験を持っている。しかし食事・勉強はそれなりに日本語で勉強したが、東京に初めて来た時、親戚の伯父が東京駅に迎えてくれたので、特別不安は無かった。

 しかし細かいしつけは友人に指摘された経験はあった。例えばお箸の持ち方が可笑しいと言われたり、服装が可笑しいと指摘されたりした経験はあった。現在は英語が世界語になりつつあるが、当時上海には英国系のパプリックスクールがあったが、当時は落第生が潜りこんでいた。彼らは当然の如く英語はマスターしていた。
その後の彼らの活躍は知らないが、生きて行くためには上海では不自由はしなかったはずだ。イメージとしてはあまり良くなかったが、今思えばむしろ何故その学校へ敢えて進まなかったのか残念で仕方がない。厳格な父親はむしろ外国語への習得を薦めたくらいだった。

 厳格な父親はむしろ外国語への習得を薦めたくらいだった。既に上海は英国系で共同租界という形で、統治されていたので、当然と言えば・・・・・・・。
ここに昭和17年の日本人商店・会社・工場の復元地図及び懐かしいアルバム集というものを入手したので、私の思い出を込めて書いてみたい。

 一部だけでも可なりの量があるが、私人に関する部分だけをピックアップしても、かなりの量になるのだ。

上 海 の 日 本 住 宅 街 ジェスフィールド公園【上海】

 1843年南京条約により通商港として開放。ジャーデイン・マセソン商会上海支店開設
イギリス租界の始まり。
1849年フランス租界成立。1853年アメリカ租界成立 租界工部局成立1856年ガーデン・ブリッジかかる。1863年英米租界が合併して共同租界となる1866年パプリック・ガーデン完成

 1899年租界の区域ほぼ確定・1906年西本願寺別院開設・1922年上海大学創立・孫文上海に来る1923年長崎丸・上海丸・神戸長崎上海航路に就航1928年「中国人と犬入るべからず」の看板撤去・1923年上海事変起こる1941年太平洋戦争開戦日本軍租界進駐・1966年{文化大革命}開始以上が私の印象に残った事変だが、自転車に乗りながら学校へ通った当時まで思い出したのだ。

 父親は楊樹浦路にあった鐘紡の工場勤務で社宅から歩いて通っていた。現在ではかなりの変化があっただろう。朝早く自転車で学校へ行くのだが、途中でッーウェイという名の握り飯を買い食いしたものである。中学生時代はとにかく良く買い食いしたものである。ワンポウツオウという名の人力車だが、よく利用したものである。当時は最低の人々がこの車を引いていたが、当時は貧乏時代の人が多かった。

 現在の中国では考えられない住宅事情だったのである。現在の上海ではどのように変化しているか、その事情は知らない。偉大なる中国開発は徐々に行われているらしいが、その昔とは大きな変化をしていることは想像出来るが、残念ながら昔日の上海しか知らない私には語る資格がないだろう。

 それらの資産は現在でも残されているのか知らないが、時々ニュースに見る上海の姿にははっきり見ることは出来ない。恐らく昔日本人が残した大なる資産は多少の変化はあるにせよ残っているだろうと想像しているのだが・・・・・・・・。再び訪れるチャンスは無いだろうが、当時としては親近感を持っていた私たちには、勝手な願いだが、残っていることを願うしかないのだが・・・・。

  平成23年1月20日             石井 立夫