齢(ヨワイ)91を数ふ
私は2010年の誕生日に90歳を数えた。2011年2月9日には91歳になる。子供のころ自分の年齢は何歳までかを数えたことはなかった。よくぞ生き残ったものだと自分を褒めてやりたい。日本が戦争を起こした大正12年の3年前の9年生まれだから、爾来戦争に関係ある時代を実に50年過ごし、平和の時代ともに本日まで生き残ったことになる。
戦争に参加した経験もあり、戦争の退廃した日本から復興を徐々に成し遂げた時代にも参加した。その間人間的に成長したかは別として、結婚もした、子供も生まれた、今日に至っている。
今さら自分を振り返って過ぎた日を後追いすることはないが、残された人生を100歳まで繋ぎたい。それが為ひたすら健康に留意し、神のみぞ知る後半に託したいのだ。名もいらぬ、名誉もいらぬ、ひたすら残りの人生に賭けたいのだ。
例えばまず頭を坊主にするとか、かなり冒険的な話だが、ジープに乗って九州地区までドライブして大分県までやってみる。一先ずお墓参りをする。引き続き東北地方へドライブを試みる。北は北海道まで延ばしてみる。
これはまず健康状態であるべきだが、一人旅をしてみたい。勝手な願いだが・・・・。 現在の冒険を試みる心境だ。これくらいで冒険だというのは、やはり年齢のせいか。 (何事も拙速を求むなかれ)が現在私に求められていることだ。
拙速とは(仕上りが下手でも、やり方が早いこと)とある。出来る限り拙速を避けるべきだと考えている。何も死に急ぐことはないではないかと思うのだ。残された人生は例え10年であっても、まだまだやることはいっぱい残っている。宿命例えば学ぶべきことは十分あるのだ。例えばコンピュータ関係でも終わりはない状態だ。
過日もiPadなるものを習った。無限に問い能力を持ったもので、おそらく切りがないもので、ますます勉強しなければならないと感じたものだ。この中に含まれている種類は、9種類の要素が含まれている。或いはそれ以上?
インターネット・メール・電子ブック・ミュージック・ムービー・写真・新聞・などなどを活用することが出来る。これからこれらの技術を学び、無限に近いものをどのように学んで行くか、これからが正念場となるだろう。年齢を問わず精進してゆくのが、私に与えられた宿命だと思っている。