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その晩は東京の下町いったいは特に火の海で約10万人の焼死者が出たと言われている。墨田川の土手一帯には多数の死者が多く浮いていた。私が下宿していた若松町の一帯はもちろん焼けていたが、子供を背負うたお母さんが焼け死んでいた姿はまことに哀れなものだった。焼ける前に友人の許英沢がトランクを提げて出てくるところに偶然会った。彼はこれから故郷の朝鮮に帰るときだった。彼はその時、石井君この戦争日本は絶対に負けるぞーと言っていた。当時私は陸軍少尉の軍服を着用しているので、まさか同調するわけにいかなかった。お互い戦争が終わったら、是非また会おうと約束して別れたのである。彼とは国際問題その他をテーマにして議論したものである
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