軍 隊 の 同 期 生

10月1日と言う日

 この日は生涯忘れられない月日になるだろう。東部第四部隊へ入隊を命ずという名の葉書を貰った日であり、当時の我が国の状態では戦争状態の中であり、上海に住んでいた父親がこの晴れがましい日に私の為に上京し入隊の前日に渋谷の飲屋で久しぶりに話し込んだ。

 話題の中味は忘れたが、軍隊へ入隊するという為に只ならぬ思いを込めて二人で話し込んだ思い出の日であった。翌日入営の為、渋谷駅では後輩たちの見送りの為の応援歌を聞き、その後直ちに入営するために現在の高田の馬場駅から、歩いて入営した思い出がある。父親は勿論同行した。当時はタクシーなど無い時代であった。

 門衛に勤務していた兵隊へ先ず挨拶をして、(地獄門)と言われた坂道を上り、集会場へ集まったのである。既に何人か集まっていたが、合計34名が整った段階で、連隊長の訓示が始まった。
この連隊は全国から選ばれた者が招集されここに選ばれたお前たちは誠に悦ばしい日である。今日より、選ばれた誇りを胸にしっかりとどめ、一丸となって、今後の軍隊生活に勤務してもらいたい。
というような訓示があり、続いて兵器の手渡しが行われた。
それぞれ名前を呼ばれ、引き渡しが行われた。
その時初めて九九式銃が厳粛な雰囲気の
渡された。その後各中隊別に分けられ、私は第一中隊所属になった。

 その後乗馬部隊だから、馬の所有者別に伝えられ、その時初めて自分の馬が決まったのである。馬の名前は(谷風)と言われた。鼻白の鹿毛だった。早速厩舎につれて行かれて、自分の馬と対面したのである。翌朝から自分の馬を水飲み場へ連れ出し、飲み水の回数を首の頬へ手を当て、回数を数えることを教わった。その後自分の馬に与えられたハケで馬の手入れを行い、脚から腹回りまで、丁寧に拭き掃除を行い、元の厩舎へ連れていく。

昭  和  天  皇 槍  騎  兵

 その順序を間違いなく行い、元の鎖に繋いで、後は飼いば(えさ)を与え、やっと自分のあさの食事を取る段階になる。この間緊張の連続で、次は朝飯の食事当番が飯をついでゆくのだが、10日もたてば猛烈に腹が減ってくる。食事当番になると、出来るだけ自分の茶碗に多めに注ぐことになり、まるで今思い出せば、やるせない思い出ばかりだ。

 食事の時間はほとんどなく、流し込むように食べ、そのまま訓練の為の集合があり、初めは武器を持たなかった。毎朝寝小便を垂れて、毎朝そのままで集まる同級生がいた。その日から激しい訓練が始まった。点呼の後、準備体操・続いて乗馬訓練・中には痔を患った者がいて、血を出しながら乗馬訓練を受けていた兵隊もいた。

 連日乗馬訓練が続き、どうやら全員が乗りこなせるようになり、年末を迎えた。初めての年末を迎えたが、初年兵には盆も正月の区別がなく、正月を迎えた思い出がある。やがて第一期の試験を迎えることになる。甲種幹部候補生の末端にどうやら合格した。
とにかく自分という存在を無視した生活が始まったのである。

 今から思い出せば、今更激しい幹部候補生の試験のため競争したか不明だが、やはり試験に合格しなければ恥ずかしいという競争意識が働いたのだろう。本心はどうでも良かったのだが、落ちたら恥ずかしいという心理が働いたのは自然の心理だった。

 結局競争意識が働いて何となく合格したという話になり、国家意識が欠如した軍隊生活を送ったことになった。表向きは甲種候補生として、なんとなく軍隊生活を送ったが、その後騎兵学校へ進み、騎兵少尉となって原隊へ戻ったが、終戦までなんとか軍隊生活を務め、母の住む故郷へ帰ったのである。軍隊生活は果たして自分の生涯に役に立ったのだろうか、決して無駄ではなかったと現在は思っている。

      平成23年10月6日             石井 立夫