井の中の蛙大海を知らず

 私の常識は世間で通用するものかどうか甚だ怪しいものだと知っている。
本来自分の常識はだいたいこの辺だろうくらいの判断は心得ているつもりだが、この辺が甚だあやういのだ。
戦時中のことだったが、絶対勝利を信じていた戦争が敗れてしまった。
この時期の軍隊解散の事は大変な始末だった。

 乗馬部隊だったので、およそ100頭の馬をどう処理するかが大問題になった。
連隊本部の経理課長は幾らで処分するか考えた結果、一頭当たり800円で処理することにした。結果兵隊たちの評判は納得できる価格として、実にあっさりと全部売れてしまったのである。中には3頭も購入して、営問を出ていったが、果たして岐阜まだ帰ると言っていたが、果たして帰れたかどうか心配だ。

 ある将校だった人は3頭も購入して、自
分の部下だった農村に預けたが、果たしてその後はどうなったか聞いていない。

その年の4月に特別に特殊戦車隊が編成さ
れた。関口と言う同期の者がいたが、亡くなったので現在は確かめようがないが、特別戦車で天皇陛下、皇后陛下が特別の緊急の避難をする場合をするときに備えて準備をしていた戦車だった。
一度その戦車を見せろと言ったが見せて呉れなかった。
とにかく行き渡りばっかりの狼狽ぶりだった。
私は母の住む九州へ帰る準備をしていたので、本部の窓から眺めていたのだが、誠にあの軍律厳しい軍隊の最後は誠に哀れな姿だった。

恐らくB29の捕虜で、終戦になって解放された兵隊だったらしいが,故郷へ帰る途中豊橋の駅で米軍の兵隊がピストルを構え、乗車している日本軍の将校から軍刀、その他の武器などを略奪している姿を見ていて、実に情けない風景を見た。

 私はあらかじめ軍用の柳行李に入れて、九州に送っていたので、幸いその点は助かった。
戦後の情けない風景をまともに見てしまった感じがした。途中大坂で途中下車したが、その時は一応婚約した人がいたので、今後の生活の先が見えないので、一応婚約を破棄したい旨申し入れた。

 故郷へ帰った後は、誠に哀れな復員軍人の生活を続けたが、本来母の故郷で、私はそこで育ったのではなく、知り合いの人も無く、ひたすら図書館で暇つぶしの時間を経ていた。
そうしたある日復員軍人に町役場に集まってほしいとの連絡があった。その時の風景は別便で書いたが、ともかく戦後の生活は現在では信じられないものだった。

      平成23年11月10日             石井 立夫