僚 友 去 り ぬ

 軍隊時代の親友がまた一人去ってしまった。戦後十七名のうち、一人去り、二人去って行ったが、最後には四名が生き残っていた。
其の内の一人が去ってしまったのである。

 十月二十九日、鈴木良之介君が去ってしまったのである。
彼は立教大学予科卒業後学部へは一日だけ受講したが、後は軍隊へ入り終戦まで伊豆半島の先端部へ守備隊長として赴任し、その間結婚し、戦争終了まで結構な暮らしをしていたらしい。

 戦後暫くして偶然にも私の結婚の荷物を
運ぶために彼が運輸業を始めていたのを知らずに依頼したことがあった。

その後同期会で何回か会う機会があったのである。
彼は粋な男で、そのたびに座を愉快にした男であった。軍隊時代の中隊長の真似をしたり、唄を歌わせると一流の声で唄い、愉快な座を保った男であった。
其の彼の逝去の通知を受けたときは、さすがショックを受けたのである。
奥様からの通知だったが、老衰のためと書いてあった。彼の老衰の姿には想像が出来ないが、お互い九十歳を超すと老衰の扱いを受けるのだろうか。私は断固として衰えを知らずに自分の最後をまっとうしたいものだ。残りの友人とも偶には連絡を取っているが、幸いにもお互いに衰えを感じる人はなく、お互いの健康を確かめあうことが出来る間柄になっている。

 残りの友人とも偶には連絡を取っているが、幸いにもお互いに衰えを感じる人はなく、
お互いの健康を確かめあうことが出来る間柄になっている。

 最近の趣味としては、自分の声を出し、大声で歌って見たり、軍隊肥大の体操を試みたりして体力の維持に努めている。
軍隊時代は成績は良くなかったが、現在では考えられない生活を強いられたものである。

  若い時代には、その様な経験も要ではないかと思うのである。
敢えて言いたいこととは、現在の若ものには団体生活が必要な気がする。
自己の形成をするためには、あるときは自己を無視してまでも溶け込む機会が必要な場合があるのである。

 若い時代には、その様な経験も要ではないかと思うのである。敢えて言いたいこととは、現在の若ものには団体生活が必要な気がする。
自己の形成をするためには、あるときは自己を無視してまでも溶け込む機会が必要な場合があるのである。

 人権云々と貴重な重圧はあるが、社会に貢献するという場合があることを日本人はより多く認識をする必要があると思うこと頻りである。

      平成23年12月22日             石井 立夫