家族の在り方

 最近の天気予報の報道の在り方から観てみよう。
予報を聞く人は千差万別だろうが、それらを対象にした予報の在り方は、現在のような報道の仕方が当然の方法であろうと思われる。

 老人には現在の報道は余計なものと思われるが、現在世界を飛び回っている人々には、必要なものだろう。
モスクワ―に現在出張している人が、明日ワシントンに飛ぶ人もいるだろう。

 まさに現在はグローバルな姿なのだ。
通信は英語で連絡されているだろうが、考えてみると時代の格差は想像以上にひろがっているのだろう。
否・・・むしろ狭まっていると言えるのではないか。
私は現在老夫婦二人の生活をしているが、長女は現在アメリカに住み、日系三世と結婚している。
仕事はYAHOOを通じて日本との通信販売をしている。
これが日常生活なのだ。一秒・二秒の差を争う問題らしい。
昔は生き馬の目を抜く・・・・・とまで言われていた言葉だった。アメリカに住んでいて、せっかく日本の親元に帰って来たからには息抜きの為だろうと思うが、現在はそうはいかないらしい。
常に何かに追われているような生活が現在の通信制度であり、それが何とも思わないという習慣があり、また・・・そう有らねばならない生活があるらしい。

 ノンビリと生活している我々には理解できないのだ。例えば米国との時差が八時間ぐらい有るらしい。それを計算して電話をするのだが、さすがに相手側も夜の時間はさけて、昼間の時間に連絡をしている。

 言葉は当然の如く英語だが、こちらは何を話しているか、理解できないが、世界での言葉は殆ど英語の時代になっている。昔の英語教育では通用しないが、日本で生活している人は当然しぜんに日本語を話すようになるが、これが英語の生活にも通用するのだから、その点では心配する事は無い時代になっている。

        平成24年2月16日             石井 立夫