私 と 汲 泉 会 の メ ン バ ー
北茨城の文学散歩

 第二回汲泉会 秋の旅行 2002・10.1~2日に参加しての感想を書いてみたい。
幹事役の綿密な計画が早くから立案され、準備万端整えられた。しかし天気予報によれば、台風21号が
接近しつつある、との情報が次々と流され、幹事役、及び全員の案ずるまま、今更キャンセルもできない
状況の中で、予定通り実行された。

 現在の天気予報は、昔と異なり、信ずるに足る正確なもので、その情報を最大限に、優先させ、一抹の
不安感を抱きながらも、なんとなく、このまま無事に済むのではないかという、不安と安心の両面心理も
働きともかく時間通り出発した。
会員の楽しみは石井先生の車中講義であり、今回のテーマは「野口雨情
」「岡倉天心」の二人の著名人物についての解説であった。

 両者間には直接関係のないものであったが、場
所が北茨城海岸の磯原・五浦歴史めぐりの観光コ
ースに組み込まれ、その双方の歴史的、運命的、
情緒的、革新的、の全てを含む、誠に珍しい講義
を受けるチャンスに恵まれたのである。
このコー
ス選定は石井先生の発案で、おそらくこの二つの
組み合わせは、容易なものでなく、深い歴史感覚
の教養があってこそのものであろう。
“野口雨情
のふるさとを訪ねて”
さて、最初の車中の講義内
容は「野口雨情」から始められた。
現代子供界の
不幸の一つは、子供のための童謡が創作されない
ことによるといっても過言ではあるまい。その昔
世代の差は若干あっても、必ず歌い継がれた子供
の歌があったのである。
人は誰しも、その時代の
傾向が何であれ、純朴な歌が必ず生活の傍にあり
その多くは母親によって、直接歌って聞かされ、
覚えたものである。

 自分たちの育った環境は各人多少異なっていても、母親が唄って聞かせたという思い出、は誰にでもあ
ったと断定できるほど、楽しい思いやりのある歌が、必ずそこにあった。

野 口 雨 情 の 童 話 野 口 雨 情 の 生 家

 雨情は童謡詩人ばかりでなく、民謡,歌謡歌人としても著名で、後者の出発点は、没落と絶望の中で歌
われた中年期の「枯れすすき」「船頭小唄」だったという。世界的不況に影響され、日本も経済変動、新
しい労働運動の始まりの頃で、日本の黎明期の苦しさからともすれば退廃的な時代でもあり、その雰囲気
の中で産み出されたのが、この歌詞であった。当時の著名な作曲家の中山晋平によって、その色調がさら
に深められ、まさに詩・曲一如の作がこれである。

 私はまだ幼い頃の歌で、子供心にも何となく、時代背景の暗さを感じさせるものだった、という印象が
ある。独立人生のスタート、人間の苦しい門出には、誰しもこの様な姿があり、やがて成功へ導かれる運
命的な物語が、先生の口から語られると、誰しも自分の人生を何となく振返り、納得できるのが不思議な
くらいだ。バスの中で、全員が童心に返り、自分の子供時代と重ね合わせ、無邪気に雨情童謡の歌合戦が
始まったのは、全くの自然の成り行きだった。

 (窓の外には台風の直接の影響は多少感じられたが、この天気、台風21号の実態は特別のものだった
らしいので、新聞記事などを引用して後述してみたい。)
昼頃には五浦観光旅館に到着、部屋割りが行わ
れ楽しい食事が始まった。
私ども男性四名は同室で、入室後すぐ風呂に入ったが、その頃から雨はいよい
よ本降りになったらしいぐらいの認識しかなく、テレビを付けても、映りが悪く(台風の所為ではなく)
台風情報に寄せる関心も薄らぐような気がした。ともかく今夜中に台風が過ぎ去ることは確実だから、と
早めに床に入った。

 (窓の外には台風の直接の影響は多少感じられたが、この天気、台風21号の実態は特別のものだった
らしいので、新聞記事などを引用して後述してみたい。)
昼頃には五浦観光旅館に到着、部屋割りが行わ
れ、楽しい食事が始まった。
私ども男性四名は同室で、入室後すぐ風呂に入ったが、その頃から雨はいよ
いよ本降りになったらしいぐらいの認識しかなく、テレビを付けても、映りが悪く(台風の所為ではなく
)台風情報に寄せる関心も薄らぐような気がした。ともかく今夜中に台風が過ぎ去ることは確実だから、
と早めに床に入った。

 早朝五時に被害はいかにと外に出て、その酷い台風一過の爪あとの大きさに驚嘆し、台風の絶大さを改
めて認識した。
今日の見学の主題である岡倉天心の、有名な六角堂の見学をしようと思ったが、開館の時
間が早すぎたため、折れたり倒れたりの木陰に門構えだけを確認して過ぎた。天心の分骨を納めた、何の
飾りもない質素なお墓をも、木の枝や落ち葉の間にやっと見つけてお参りして、宿に戻った。

      平成24年5月24日             石井 立夫