上海へ行きたし

このエッセイは現在の中国ではなく、革命以前のエッセイである。つまり現在から約80年前の時代の話である。上海への旅行は現在は簡単な審査で旅行ができるらしい。
私は上海生まれで、小学校・商業学校を卒業し、その後日本へ渡り、東京の私立大学へ入学し、そのまま東京で生活することになった。

まさに上海は故郷にふさわしい都市で、幼い時代の思い出は、いまだに消せないのだ。
小学校は東部小学校卒業で終わり、卒業式は陸軍病院になって負傷兵が満員の状態の中で、7名だけの卒業式を挙げた思い出がある。妹もこの学校で終わった。
弟は別の学校で終わった。
早くに亡くなった姉もこの東部小学校の大先輩になるのだ。

当時の門番はインド人で名前はバサンドンという名前で、日本語はベラベラで、忠実な人だった。通学は自動車で送り迎えだった。当時は中国人との間では多少の危険が有ったようだ。別に問題はなかったのだがその理由は覚えていない。卒業後は日本商業学校へ進み、自転車で通学していた。通学の途中で、ツーウェイと言う名の餅米にタ―ピンと言う名のものを包んだ物を良く買い食いしたものだ。何しろ食い盛りの少年時代だから・・・・・・・・。

上 海 日 本 商 業 学 校    

長命の有難さ
現在92歳で健康に恵まれ生きている。同級生の現況は調べようがないが、太平洋戦争後の自分の運命的な生様から想像するだけの話だが、全部が生きているとは言えないだけの話だが・・・・・・・。誠に無責任な想像だが・・・・・・・・。
自分の健康のため、長年自動車を利用して、生きてきたが、昨日突然車を廃止し、歩くことにした。大体自分のやることは、従来気まぐれの事が多いが、今回も本日から歩いてみた。学生時代、戦争時代、戦後の歩みから、なんとか健康で過ごしてきた経験から、誠に安易な考え方で、試してみたのである。

上 海 の バ ン ド 風 景 上 海 の ガ ー デ ン ブ リ ッ ジ

医者のアドバイス
本日の診断では、余り自己診断はやめて、まず現在心配なのは、貴方の健康状態は万全とは言えないことを承知すべきだと言われた。
これ以上の有難い忠告はないので、有難くお受けするつもりで、自己管理することに専念することにした。
何事も事の成り行きで過ごしてきた人生だから、これからもこの姿で過ごすことになるだろう。

人間万事 塞翁が馬
世の吉凶禍福は転変常なく、何が幸で何が不幸か予測しがたいことをいう。
人間長生きしてその間をふりかって見ても、予測できないことが多いことばかりだった。
今後長生きできる限り長生きしたいのは、私も願うことだろうが、果たして願いごとがいつまで保てるか、神のぞ、知ることだろう。

      平成24年6月21日             石井 立夫