馬齢を重ねる

平成2529日で93歳を数える。
徒に年齢を重ねるだけの感はするが、従来の軍隊時代・上海時代の友を数えると、かなりの友人を失っているのが分かる。

 これを幸と言うのか、どうかわからないが、ともかく生き延びているのは、それだけ歴史的に色々な事実にめぐり合っていることになる。それを一々覚えているのではないが、それだけ我が人生の色添えに加えることになる。早くに人生を終えた友人が多いが、それは運命と言うことになるのだろう。
馬齢と言う言葉を使ってみたが、現在に至ってみると・かなり、運命に支配されたもので、その途中で、病を得たり、人生の事業に失敗したり、しかし途中で消えてしまった友人を見るとき、それだけ自分は人生を多く経てきたのだから、それなりの運命を感じるのは、当然と言えるのではないか

 平凡な人生を送ることが、いかに難しいか、過去をみると容易に理解できるのだ。
過ぎし日を徒に振り返るだけではなく、そこに必ず反省をするのが、人生を問うものだろうが、言うだけに終わりそうなのが、大部分の人生を経た人の経験なのだろう。

 徴兵検査しかり、炭鉱生活しかり、かなりの大病を経てきたたりしているが、人並みの経験は済ませているが、それを人生の糧(カテ)にするか、しないかが、人生に花を飾ることになるのだろう。

 名誉もない、金も溜まらない、それが、大部分の人の姿だろうが、長生きできただけが、立派なものだと、大部分の人の姿だろうと思うのだ。

 

 自分の脚で大地を踏むことが、いかに幸せなことか、今更自覚できることを、この際幸と言うべきだと、今更ながら思いしらされているのが、この平凡な姿だろう。
今後幾歳まで、生き残れるか分からないが、平凡に暮らし、健康で生き残れるかが、結局最高の幸せと思うのだ。

        平成25年1月31日           石井 立夫