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上海の日本人居留地区の中に、“ユダヤ難民ゲットー”が置かれていた事情もありゆかりのある日本人も訪れるという。産経新聞の記事から・・・・・。
私は1920年生まれで、上海で生まれた18歳の年齢まで育った。
この思いもよらぬ新聞の写真を見て、同級生の仲間と語りたかったが、現在は殆どいない。写真は1943年ごろの上海市内のユダヤ難民ゲットーの街並みの写真だ。その頃は、米英の共同租界が上海の良い場所を共同租界と称して、勝手な地域を実質的に仕切り、日本人の多くはこの地域に住居を決め、所謂日本人の多くは虹口地区に住んでいる人が多かった。下記の中国語は上海語なのだ。中国は戦前は極端に言えば、広い国の中で、それぞれお国言葉があり、統一されていなかった。
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