新しい日本語論

 文芸春秋社から発行された季刊秋号の「素晴らしき日本語の世界」の記事の中では、現代の日本の小説家、エッセーシスト、作家、評論家を網羅したもので、その編集には大いに感動させられているが、今回取り上げて見るのは、三人の外国人が、見事な日本語の素晴らしさを、立派な日本語で書いている。

 三人の中で、私が知っている人、その他東京大学学院教授のロバート・キャンベルさん、青山学院大学教授のフランス・ドルヌさんが書いておられるが、三人とも見事な日本語で、現在の若い人や私にも大変参考になる文章だった。その中で私が知っている人の文章を取り上げてみようと思った。

三人とも長年日本に滞在され、心から日本を愛している人ばかりで、全部の人を紹介したいと思ったが、代表的に一人の紹介をしたいと思った。お名前はピ^-ター・フ
ランクルさんで、彼の肩書きは(富蘭平太・数学者・大道芸人)
ロバート・キャンベルさん、フランス・ドルヌさんのお二方も見事な日本語で、嬉しいことに日本を心底から理解し、題名はフランス・ドルヌさんは「さすが!日本語の魅力」。
ロバート・キャンベルさんの題名は[日本
語に流される心地よさ
ピーター・フラ
ンクルさんは(1)世界一美しいか?
本語と出会って四半世紀が過ぎた。
にもかかわらず毎日のように知らない単語や表現に遭遇したり、面白い慣用句に遭遇したり面白い慣用句に驚嘆したり、美しい言い回しに感動し続けている。

 

 母国語とはほぼ同じ水準で習得した言語以外は詩歌を翻訳でしか玩味できないからだ。
ポードレールの「悪の華」原本と堀口大學の訳で較べてみた。それぞれ素晴らしい詩であったが、韻を踏む習慣のない日本語で音読すると、調べも印象も全く違う。

 言うまでもなく、芭蕉の俳句をはじめ、日本の詩歌を外国語に訳す時にも失われる部分が大きい。だから、日本語はとても美しい言葉であるという事実に満足し他言語との無駄な比較はやめてほしい。

(2)世界一難しいか?
 一週間程度の短い期間の学習を含むと、三十カ国語以上の言語に挑戦したことがある。
その中で最も難しいと感じたのは日本語だ。日本語以外にもアラビア語、ヘブライ語、タイ語、ヒンデイー語等、文字を覚えるだけでも苦労する言語があったけど、どれも日本語の平仮名と片仮名を習得する程度だ。

 しかし、日本語には漢字もある。そしてその数は夥しい。尤も(もっとも)、数だけを考えると中国人が使っている漢字の方がずっと多い。但し、漢字の原点である中国では、一つの漢字で基本的に一種類の読み方しかなく、それを音読み、つまりその漢字自体を知らなくても偏か旁(つくり)で推測ができる。

 一方、日本語はそう甘くない。ひとつの漢字に複数の音読みと訓読みが付くことは決して珍しくない。特に訓読みは手掛かりがなく、只管(ひたすら)覚えるしかない。地名が人名になると更に大変である。例えば、美しい港街、神戸と書いて同じ字で群馬県や岐阜県の神戸(ごうど)町、島根県の神戸川(カンド)三重県の(伊賀)神戸(カンベ)がある。

 これだけ複雑な言語を学ばねばならない日本の子供達は可衰そう。という観点から、学校などで使われている漢字や読み方はかなり限定されてきた。僕に言わせるとこの考え方は誤りである。例えば、鰯(いわし)鮃(ひらめ)鯖(さば)などの多くの魚の名前は所謂「国字」であり、日本人が自らよく観察して付けた名前である。

 片仮名にしてしまうと情報量が減ってしまうのだ。もっと大切な事に、言語が難しければ難しいほど、それを学ぶ子ども達の脳は刺激される。たとえば試験に出す漢字としてその読みを限定したしても、教科書などの文章できちんと漢字を使用してその読みをルビで示せばよい。兎にも角にも好奇心旺盛な子ども達から学ぶ機会を奪ってはいけない。

 
 
 

(3)日本語と西洋の言語どの言語にも諺や慣用句などの独特な表現がある。外国人にとっ てそれらを正しく理解し、且つ使いこなす為には相当の時間と努力が必要となる。
子どもの頃から学んできた独語や露語、また大学生の頃に習得した英語や仏語でも、母国ハンガリー語と全く違う諺や、びっくりするような慣用句が数多くあった。しかし日本語とは較べものにならない。

 その原因を探ってみると、やはり歴史的・地理的要素が強いと思われる。欧米人にとって古代ギリシャとローマ文明は原点となる。それは古代中国の日本への影響と類似している。更に対照的な事を挙げると、日本人と日本語は仏教の影響を受けたのに対して、欧米人の思想は聖書の教えを反映している。

 前者の言葉でも中国からの転用でも、仏教を元にした表現でも)は扨置き、欧米人にとって非常に新鮮で興味深いことには変わりはない。

(4)日本語は面白い
 僕が日本の諺と出会ったのは、回転鮨の湯呑みだった。表面にはいろは歌留多の諺が並んでいた。『犬も歩けば棒にあたる』『論より証拠』『花より団子』など。店の人から貰い、全部憶えた。そして度々使うようになった。

 相反するものが多いことも面白い。例えば、僕の大好きな『旅は道連れ、世は情け』に対して、『人を見たら泥棒と思え』という言葉もある。どちらを取るのかにその人の人生観が表れるのだ。

 登場する具体的な表現が欧米とは異なるとはいえ、根本は皆同じ人間なので世の東西を問わず伝えたい内容は似ていることも多い。『一石二鳥』や『一挙両得』に対してハンガリー語で「」一発で二匹の蠅を打つ』とう諺がある。『五十歩百歩』や『目糞鼻糞を笑う』に対してハンガリー語で『一方は十九、もう一方は二十引く一』と言うものがある。

 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』に対してはラテン語の『幸運の神は勇者の肩を持つ』もある。この『肩を持つ』を始め、日本の慣用句には体のあらゆる部分を使った独特の表現も多い。ある小説で『握り睾丸で・・・』という表現を見て驚嘆したことを鮮明に憶えている『屁の河童』や『尻餅を搗く』も面白い。気に入った表現を挙げると一冊の本が書けてしまいそうなので、この辺にしておこう。

 
 
 

(5)これからの日本語は?
 『惚れた目には痘痕(あばた)も靨(えくぼ)』と言うけれど、昔は日本語が非常に単調で『デス・マス』だけがはっきり聴こえた。今ではその響きは耳を擽る(クスグル)麗しい
(ウルワシイ)音になっている。

 僕は「嫋やか(たおやか)」穏やか」などの大和言葉の柔らかさを格別に気に入っているところが最近になって、英単語による汚染が加速している。例えば「ありがとう」を“Thank you”と言ったり、「了解」を[OK]と言ったり、「グローバリゼーション」のような、響きが悪くやたらと長い片仮名用語を乱用するなどの傾向にある。日本と日本語の美を護るのは日本の人の最大の務めではないだろうか?

 以上の文章は外国人の書いた文章である。実のところ、ただ驚きの感想だけだ。現在の日本人でさえ、これだけの文章を書くとすれば、容易なことではない。恐れ入ったとしか、感想はない。尚、彼は日本語の著述を8冊も書いている。

 
      平成25年2月9日           石 井 立 夫