戦後六十年を迎えて
 ことしは戦後六十年。人生でいえば『耳順』(じじゅん)。歴史の運命に耳傾けるにふさわし
い年まわりである。耳順とは広辞林によれば、『論語によれば、品性の修養がますます進み、心
がいっさいの外物と融合して、聞くことが直ちに理解でき、なんらのさしさしさわりも起こらな
いこと。六十歳の別称とある』

  @日本の現状は果たして上述のような状態にあるのか、どうか甚だ疑問の点は多いが、とにも
かくにも六十年が経てしまったのである。

その間長い間平和を過ごし、いささか平和ボケしているのではないかとの反省の声すら聞くよう
になった。
しかし世界の情勢を見ると,暢気なことばかりを言っててよいのか、戦争の体験者か
ら、いささか心配の様相が出てきたようで、無関心ではおれない。

戦争の終わりの事情をNHKなどは、盛んに回顧集の形で放送している。先ず昭和二十年三月十
日の東京のB29による大空襲の記録、広島、長崎の原子爆弾、横浜、名古屋、大阪、神戸市な
どの相次ぐ焼夷弾による無差別爆撃。その他都市、郡部の見境なき爆撃など大打撃を受け、多く
の無辜の民の犠牲者。
海外ではソ連邦のポツダム条件の無視のため、北方領土の占領、満州地方
の日本人への暴虐を尽くした侵略による一般人の多くの犠牲者、シベリヤへの日本兵の収容六十
万人、事故その他の犠牲者六万人、総計六十万人の戦わざる一般人の犠牲者が出ているのだ。 
この多くの犠牲者は全く戦争に関係ない人だけの人数である。

  戦後東京裁判という勝者が敗者を裁くという世にも珍しい裁判が行われ、A級、B級、C級裁
判も行われた。
日本人の心理としては、裁判にかけられ、死刑に処せられたものは、仏となり、
そのいっさいの罪は免れるという心情がある。自分の先祖を一年に一度迎え、成仏した人々への
供養をする誠に美しい習慣がある。
これらは仏教から伝えられた日本人の伝統的な慣例である。
現在靖国神社に祀られている戦死者の多くは、各家庭に一年に一度は念仏を唱えられ、自分の家
庭に帰ってきているはずである。

  この美しい伝統があり、その習慣が継続している日本の習慣が理解されなくて、むしろ打ち出
の小鎚の如く、日本の首相が靖国神社へお参りに行くと、因縁めいた苦情を振り回し、クレーム
をつけられている。

  A戦前のわが国の罪状に対して例えば、中国に対して実に三兆三千億円のODA資金の形で融
資を行い、現在の中国の繁栄に協力してきたのは、お詫びの意味も十分に含めて援助金として来
ているのである。それが理解されず、首相がお参りするたびに、文句を言われている。毅然たる
態度で、説明をして理解を示してくれており、靖国神社へのお参りは、対日条件に入れていない
と称しながら、いざお参りを実現すると必ず文句をつけてくるのが続いているのだ。

  おまけに最近中国の全人代という日本の国会に当たる会が開かれ、反国家分裂法なる新しい法
律が出来た。これは台湾を念頭に置いた法律であり、表現はいかにも優しいが、将来台湾を独立
国と見なさず、中国と一体となるべき法律である。日米両国に対する牽制であるが、香港の例を
見ても、明らかに中国の在り方に嫌気を示し、そのコントロールに難色を示している。

国民は社会主義体制の不自由さに対してはっきりとした反対の姿勢を示している。言論の自由、
人権の自由を味わい過ごしてきた人々には、いくら口で尤もらしい表現をしても、社会主義の制
度に対して反対するのは当然のことのように思えるのだ。 

  韓国の場合も、五億円を支払い、戦前の日本の謝りをして、いっさいの処理を済ませている。
ところが、最近の韓国の大統領は再び日本国に対し、戦前の罪状を述べ、戦後処理は終わってい
ないとの、演説をしていた。国内事情もあり、自分の立場が多少弱いのを回復の意味もあるらし
いが、戦後六十年も立ったいま、この種意趣返しみたいなことを言われると、折角一般市民とし
ては、何時になったら、清算できるのか、苛立ちすら覚えるのである。

  領土問題で日本が主張している竹島を、戦後の大統領が自国のラインと称して占領し、人の住
めない島に「独島」と名称をつけて軍備までして占領をしている。これに対して、島根県が、こ
のたび、日本独自の島であるとの決議をした。これに対し、当然のことながら、韓国は猛烈な反
対運動が起こしている。

  毎回気になるのは、反対のために運動をするのは、国民感情として理解は出来るが、他国の国
旗に必ず火をつけて焼く習慣がある。これは大変失礼な行動であり、いやしくも他国の国旗には
火などつけて焼くべきものではないと思う。民度の低ささえ疑われても致し方がないのではない
か。 
B今年六月、新聞報道によれば、天皇陛下御夫妻が、日本の戦争の最後のけじめをつけ、
多くの島に残した兵隊の霊に最後の慰霊の旅をされると出ていた。行程の都合のため、サイパン
島だけに絞るようだが、この行幸は誠に意義あるものだ。サイパン島はB29の非道な日本国へ
の無差別爆撃の基地として、いまだに日本人の多くの老人には忘れることのない島であり、ここ
への慰霊の旅で、始末をつけていただくことは、大いに臨むところである。

私の軍隊時代の教官(陸軍士官学校55期生)が突然サイパン島に転属になった。時期はアメリ
カ海軍がサイパン島を占領する三ケ月前である。圧倒的なアメリカ海軍の艦砲射撃には、日本軍
の抵抗もあっただろうが、多くの日本軍の犠牲と多くの一般人が犠牲になった、おそらく最後の
戦場になった場所である。

今や多くの若人が、無邪気に遊び、レジャーの島として、その設備は立派なもので、戦争のあっ
た事実さえも知らないが、それはそれでよいことで、平和が続くことに意義があると思えばよい
のだ。現実には厳しいものがあるが、最後のけじめとして、新しい時代への変化の切り替え時に
なればと思うのだ。
一般市民(特に婦人)までが、バンザイ岬(バンザイクリフ)から、身投げ
をした。屈辱からの死を選んだのだろう。今日では考えられないことだが、アメリカ兵にも理解
できない行動であった

  C日本人の中にも、所謂進歩派と称する人がいる。例えば、朝日新聞が古い戦前の記事をだし
それを若い、戦争の経験もない政治家が、記事掲載へ圧力をNHKへかけたという記事を出した

政治家はその事実を否定し、その証拠を示すよう要請しているのにもかかわらず、未だに説明す
ら出来ていない。明らかに世間では捏造記事であると認めているのに、訂正記事すら出していな
い事実がある。
ある私立大学の女性江戸文学者教授のごときは、靖国神社への首相の参拝問題を
問われ、今頃まであのような建物があるのは不思議です・・・・とまで言われた。この種人種は
進歩派と称する輩で、いまだに進歩的な存在としている。誠になにを言っても言論の自由が保障
されている国として実にありがたい国であることの、ありがたさを認識してもらいたいものであ
る。
大学生は批判精神を学び、世の中の矛盾を同時に学ぶのだから、別に心配はしていないが、
世界の情勢から見ると、日本ほど自由で美しい国はないのことを勉強して欲しい。

イラクでは一応戦争状態が終結し、民主主義選挙が曲がりにも成功した。時間はかかるだろうが
テロの無駄な抵抗はあっても、一般人民は、五十年ぶりの民主主義の選挙があり、一応成功した
一般市民は、やはり民主主義のありがたさを知ったのである。

 これに対して殆どのジャーナリストは選挙の失敗の確率が高いと位置付けていた。
アメリカの有力なニューヨークタイムスだけが、自社の反対の失敗に対して誤りの記事を出した

日本のジャーナリストの殆どが失敗の予想をしていたが、誰も謝った記事を見ることはなかった
今や、中近東、ロシヤ、でさえ民主主義への途を選びはじめてきつつある。
ロシヤではウクライナの大統領でさえプーチンが尋ねて、ロシヤへの配慮をお願いへ行っている
また新しくキリギス大統領の追放があり、アメリカは民主国家への途を開くために、応援の態度
を新たにしているロシヤは次々と国内の民主化が起こり、往年の共産主義への清算を余儀なくさ
れている。
時代は大きく変化をしつつある。戦後の六十年は矢張り大きな変化を齎しているよう
だ。
北朝鮮、中国などの社会主義国の今後はどうなるのだろうか。甚だ興味ある点であり、恐ら
く内部崩壊が始まるのではないかと期待しているのだが、私のごとき老人の目が黒いうちに実現
して欲しいのだ。
D先日の新聞記事によれば、東ドイツが瓦解し、十年になるが、何れのオリン
ピックの試合でも、必ず金メダルの獲得数が多く、不思議な現象と思われていた。その理由は1
60人に及び、筋肉強化剤(ステロイド剤)を使用していた事実が発表された。しかも恐ろしい
ことに、今頃になって、肝臓その他に肉体的な障害が出始め、むしろ苦しみ始めたと言う記事が
出ていた。フエアープレイが当然のことであるはずのプレイにアンフヘヤーなプレイをしていた
のである。尚、東ドイツが解放された当時の記事は、いまだに愉快な記事が出ていた。若い国民
がバナナを初めて食べた、という記事を覚えている。 

  EIT 産業とテレビとのソフト・ハードの面で、いささかIT 産業側に対して、一般的に
反対の空気が強い面がある。果たしてどういう形でインターネットとの結びつきがあるのか、十
分な理解力と説明が足りないのが、現在の状況だが、私にも納得がいかないのが本音である。

ライブドアーの堀江貴文氏の独壇場に見えたテレビ会社の株の強引な買い付け騒ぎは、このまま
では修了しなかった。ホワイト・ナイトが現れた。孫氏グループが現れたのである。インベスト
メントを経営する代表者北尾氏が突然現れたのである。ライブドアーの堀江氏との交渉案が交渉
されることになった。どのような結論がでるか、甚だ興味があるが、いずれにしても、日本の放
送業界の体質の変化は、避けられない状態にならざるを得ない事になりそうだ。

  誠にくだらない番組が時々提供され、タレントと称する人物が次々と現れ、名前も覚えられな
い、安っぽいエンタテイナーの番組で、時間をごまかしていたテレビ局側も、今になって緊張状
態で対応策を立てている。長年の緊張状態から、いささか鑑賞に堪えない番組を、IT産業がど
ういう風に変えられるのか、その辺にも興味が大いにあるところである。

  タレントという本当の意味は(特殊な)才能、手腕、知識、を持ち合わせる人のことである。
簡単にタレントとは言えない人々がいるが、これはエンタテイナーと言うべきかも知れない。
  さもなくば、ネット産業に支配される心配があるのは、テレビの番組が衆愚化され、その欠点
を狙われたのかもしれない。

F戦後の最大の誤りというか、見透しが間違っていたのは、GHQと共産党ではなかったかと思
われる。
アメリカは日本兵の命知らずの戦いぶりに、閉口して、徹底的に日本の骨抜きを図るた
めに、憲法に二度と軍隊を持たせないと決め付けた。ところが26年に、北朝鮮が越境して南朝
鮮の占領を試みた。慌てたアメリカは急遽、警察予備隊と言う名の国内警備の組織を作った。
 これが今の自衛隊の元である。つまり軍隊組織を造成したのである。

一方日本共産党は隠忍自重の苦しい弾圧に耐え、十八年の及ぶ抵抗の結果、無事解放され、まる
で党の再生を全面的に認められたと錯覚を犯したのである。

その後の党の進み方は歴史が証明しているが、誰が今日の党の状態を予想できたか、一時は飛ぶ
鳥を落とすほどの勢いを見せ、勤め先では毎日昼間に、労働運動のあり方を強制された思い出も
ある。
ソ連邦の優等生的で存在した東ドイツが崩壊し、1996年西独との交流が自由になった
日本共産党はいささか慌てて、日本共産党は30年前からソ連邦との縁を切っていたと本を出し
たのを覚えている。つまり、1945年世界大戦が修了し、以来実に51年の間、ソ連の暗黙の
指導化にあったと告白した様なものではないか。終戦時はGHQの前を、むしろ旗で、天皇だけ
が、白い米を食べている。米寄越せ運動を広げ、幹部が先頭に立って、練り歩いた姿があった。
 あたかも共産党政権が認められた趣だった。翌年ゼネラルストライキを計画し、2月1日GH
Qにストップをかけられ、一斉に地下にもぐったのである。

 この党の宿命として、毎度のように権力闘争を繰り返し、噂によれば、殺人も恐れなかったと
いう風評も存在し、凱旋将軍で迎えられた人が、二重スパイをやっていたと言うことまで事実が
あった。最近では天皇制を認め、革命という言葉まで遠慮するような、極めておとなしい党に切
り替えて行くような様相を呈している。しかし、この党はあくまでまじめな人が多いのは事実だ

その後新しい形での共産党が生まれ変わったが、その影響はいまだに残っているようだ。20歳
までに資本論を読み、秀才が多かったのは事実だが、往年の青年の勢いは今は、その情熱が感じ
られないのは、時代の変遷が読みきれないからではないか。

香港の例を見るまでもなく、中国が社会主義国として、実行支配しているが、一旦自由と人権の
主義を味わった人には、この種社会主義の趣旨にはついてゆけないものがある。

  かくのごとく、世界のあらゆる面で激しい変化の時代が進みつつある。戦後六十年も立てば、
論語にある耳順という言葉が生きているのかどうか、少しでも長生きして、見届けたい気がする
のである。何に対しても興味を失わないのも長生きの一つと言うから、大いに興味を持って注目
してゆきたいと思っている。       

                                           石 井 立 夫