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正月の番組には現代色が余りにも濃厚過ぎて敬遠気味でいた。
ところが3日のNHK・BSで、偶然「劇団四季」のオリジナル番組「異国の丘」を観て気分一新した。 私にはこの番組に特別の思いがあり、いつか劇場でも観るつもりでいたが、チャンを失い幸いテレビで観ることができた。まず厳しいを鍛錬を経た、主演の石丸幹二氏のインタービュー挨拶の言葉から、その実情実態を拝聴して、さらに人に感動を与える出演者全員のダンス、歌唱力、確実なセリフ、その全てが世界的にも立派に通用する評価があると受けとめ私も感動の余り思わず声をあげて絶唱した。
現在では既に縁遠い古典に属するこの話題を、劇作家浅利慶太氏がいかなる理由でこの話題を劇作化したのか、その真意の程は分らないが、当時の事情を知る者には、良くぞやってくれたという感激と感謝の一言に尽きる思いがした。
古典という言葉を私が先ず敢えて用いた説明をする要があると思う。当時の日本に大きな影響力をもつ軍閥が、近衛文麿総理の戦争不拡大方針を無視し、逆行して拡大の一途に走り始め、結果として近衛公の退陣を迫り、軍人が軍務はおろか国政をも支配する時代となり、最後は太平洋戦争まで進展し、そして1945年の惨めな敗戦国となった。近衛総理の秘書官にその長男文隆氏が勤めていたという。彼はアメリカの大学に留学し自由と民主主義を徹底的に学び、それを十分に身につけた人物であった。総理大臣近衛文麿は密かに当時の中華民国の総帥蒋介石と連絡をとり、戦争を避けた和平の途を探る為に長男の秘書官を上海の隠れ家(重慶にいた蒋介石との連絡先の隠れ家)に派遣、その目的実現の直前に、日本の憲兵に見つかり、売国奴扱いを受け、あげく軍隊に徴兵召置され、その派遣先が、当時の満州国とソ連国境地帯だったという。そして日本国の敗戦を迎え、ジュネーブ条約を無視したスターリンは、六十五万人の日本兵を拉致し、シベリヤ送り、そのためソ連邦の奴隷に近い強制労働をさせ、約六万人の日本兵は命を失ったのである。秘書官の息子文隆氏も捕虜となり収容されていた。ソ連邦側は、彼の身分や立場を知りなんとかソ連側の利用をねらった。 しかし彼は最後まで不服従の節度を貫き、自己の信念を変えようとせず、ソ連側もその頑固不屈さに手こずり、密かに毒殺を図りついにそれを実行に移し、彼は日本への帰還はできなかったのである。これはいささかのフィクションもない事実である。
父親の近衛文麻氏も敗戦の責任をとり、我が子の後を追うかのように敗戦後服毒自殺した。現在は共産主義国が消え、真の民主的平和が訪れようとしているが、真の平和の到来までほど遠いようである。
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