隠し剣鬼の爪

 藤沢周平原作の隠し剣シリーズの中に題名の短編の物語がある。その短編を映画監督の山田洋次氏が映画化している。私は両氏のフアンであり、映画化されていたのを知っていたが観る機会を失った。貸しビデオ店で早くから予約をしていたが、人気が有るものだから簡単に観る機会が無かった。止むを得ずDVDのあることを知ったので、思い切って購入した。先ず藤沢周平の小説は、毎回感動を覚えるのだが、その表現がまことに読む人に、なんとも言えない文章力が伝わるのである。

 例えば「藍を溶いたような空がひろがっている。その空にわずかな風が動いて、塀のうちをゆするのがみえた。若葉の梢は、風が吹き過ぎるたびに、いたずらを仕かけられた小娘のように、大げさにさわいで日の光をはじく」という書き出しから始まる。
また睦言を交わす場面が良く出てくるが、上品でしかも情熱あふれる表現でも、今時のそれとは異なり、むしろ男女の密やかな会話でその艶めかしさの場面が理解できるのだ

 また彼の小説には何気ない草花、季節の移り変わりが必ずと言ってよいほど書かれている描かれていると言ったほうが正しいのかも知れない。惜しい人を失った。
この短編小説を山田洋次監督がどのような脚本をかき、映画化したか、早くから興味を持っていた。山田洋次監督のプロファイルをインターネットで調べて見た。代表されるのは、何と言っても「寅さんシリーズ」に代表されるが、彼の才能は「天賦の才能が無ければ映画監督にはなれない」と言ったことがある。

 余程の自信があり、その実績が今日の山田洋次を築き上げたのだろう。脚本と映画化と両方を実現したものだけでも、20本以上を数え、私の数少ない映画の本数のなかで幸福の黄色いハンカチ、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪くらいのものである。「男はつらいよ」シリーズが30作目を越えた時点で史上最長映画としてギネス・ブックに認定されその後も記録を伸ばして通算48作・27年間も続いた

「わたし、生まれも育ちも東京は葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します・・・・・この台詞から始まる寅さんシリーズは、胸をわくわくさせながら、テレビ時代から楽しんだものだ。

 これら全ては山田監督の脚本だと思われるが、山田監督は寅さんを通じて、男の侘しさ、寂しさを表現している。ならぬ恋をしては、男の哀れを教えていた。
つまり世の中の男を代表してくれた映画だと私は解釈している。さて前書きが長くなったが題名の「隠し剣鬼の爪」はどうやら短編を二つ合わせて脚本を書いたのではないかと思う。その二つとは「隠し剣鬼の爪」と「雪明かり」の二作で映画化されたようだ
従って原作とは多少の違いはあったが、山田洋次監督の独特のシナリオで映画が作られていた。

  監督のシナリオにも大いに興味を持っていたが、映画化されると、細かいシナリオの経過は追いかけようがない。しかし作品は誠に印象深く創られており、独自の味のある作品であった。山田監督は作品を作成する動機を次の言葉にしている。『藤沢周平の豊かな鉱脈を掘り当てたという手応えを感じていた。このままでは惜しい、もう一度あの世界を雪深い北国で、ひたすら、つつましく大声を出すこともせず、身のたけにあった人生を静かに生きることをした侍達を、敬意を込めて描きたいと願った』

 幕末の、東北の小藩である海坂藩の平侍、片桐宗蔵は、母の生前に奉公に来ていた百姓の娘きえと、三年ぶりに町で偶然再会する。
宗蔵は、伊勢屋という大きな油問屋に嫁いで幸せに暮らしているとばかり思っていたきえの、痩せて寂しげな姿に胸を痛める。それから数ケ月後、きえが病で臥せっていると聞いた宗蔵は伊勢屋に乗り込み、強引にきえを負ぶって連れ帰る。

 平侍である宗蔵の貧しい暮らしが、回復したきえの 笑い顔で明るい毎日に戻った時藩を揺るがす大事件が起きる。海坂藩の江戸屋敷で謀反が発覚したのだ。首謀者の一人である狭間弥一郎と宗蔵は、寡っては藩の剣術指南役だった戸田寛斎の門下生だった。戸田はなぜか、一番腕の立つ弥一郎ではなく、宗蔵に秘剣“鬼の爪”を伝授していた。まもなく弥一郎は脱走、宗蔵は家老から弥一郎を斬るよう命じられる。

宗蔵は下命にしたがって脱獄した弥一郎を討つことに意を決した。明日出発する前夜、弥一郎の妻が訪れる彼女は必死になって夫の命乞いを頼みに来た。宗蔵は下命であるからには、妻の気持ちは理解できても,下侍には頼みごとに耳を貸すことは許されないことを説明し、痛む心を鬼にして弥一郎の元へでかけた。

  一人で自分で会得した秘を使うことを考え、いざと言う時に備え、奥深い牢獄へ行く。江戸幕府は当時既にフランス式の兵隊の導入を図り、訓練を続けていた。
密かに、ご家老は宗蔵の支援のため、鉄砲隊を派遣し、回り道をして、宗蔵の支援をする計画を立てていた。それを知らずに宗蔵は二人の対決を覚悟し、弥一郎との決闘を覚悟の上山奥へ入る。
いざ二人の決闘の場面になった時、突然鉄砲隊の支援があり、弥一郎は、あっけなく倒れてしまった。その結果をご家老に無事お役目を果たした旨報告に行った。ご家老はその労をねぎらうお言葉を賜った。

 その時旨蔵は弥一郎の妻が、自分の夫の命乞いをするため、操を捧げてまで、お願いに参上したが、ご家老は、いただくものは、いただいて、そのままにしておいたことを得意げに宗蔵に話をしたのである。なんと言う無礼なことを平気でするのだ、と思った

 ご家老は酒宴をはりながら、むしろ得意げに話をしたのである。 憚り(現在のトイレ)に行くシーンがあったが、前立腺の症状で部下に袴(はかま)を上に上げさせ、小便をするシーンまで、芸の細やかな仕草で描いていた。下侍と謂えども、余りのご家老の仕草は許すわけには行かないと意を決した。城内では厳しいご法度である剣を使用してはならない事は、重々承知の上での宗蔵の心境であったと思うのである。

小柄(こづか)の見事な早業
 脇差のさやに添え差した小刀、つまり子柄の眼にも留まらぬ早業で、ご法度のお屋敷の廊下で、ご家老の心の蔵を差した早業は、正に隠し剣鬼の爪の秘伝であった。
直ちに医者を呼び、調べたところ、血の気すら発見することのない秘伝であった。
宗蔵は自分のとった行動と、身分の上下の差が、幕末には尚生きていた。
彼は武士の仕草を隠し続け、侍の身分から、潔く去ってゆく事になる。

 蝦夷の国を自分の人生二度目の新しい出発点と決め、旅立っていく。 途中かって女中のきえの里を訪ね、縁を結ぶ言葉を伝えるのだが、きえは田舎の百姓の身分を弁え宗蔵の申し込みに対し、ご命令でごわすか?と恥らいながら返事をするシーンで結ばれていた。

 たそがれ清兵衛と同じスタッフでの豪華な集結だったが、男女の清らかな結びで、結ばれた、予想通りの、深い印象に残る物語を演出していた。
山田洋次監督独特の人間味のある映画を見て、わたしは心が洗われる思いがした。

                                            石 井 立 夫