ノーブレス・オブリージユ

 高い身分にある人または経済的に恵まれている人が、その引き換えに身分の低い人や貧しい人のために尽くすという義務のことである。スペルはnoblesse ob・ligeとあり、高い身分に伴う(徳義上の)義務と辞書に出ている。戦前は日本にも貴族階級と称されるものがあったが、今はなくなった。英国にはまだ残っている。 

 第一次世界大戦における英国貴族の戦場での死亡率は実に18.95%。ところが、同大戦の全将兵の平均死亡率は8.9%であったという。最前線で戦うことを強いられていたのである。

 産経新聞の17年5月5日、「子孫の繁栄あっての優者の責務」という面白く、納得させる記事を見た。動物行動学研究家竹内久美子さんが書いていた。先ずその大きなタイトルを見て思い出した戦争があった。

 タイトルは『貴族はなぜ先頭の最前線に立つか』1982年フォークランド紛争の際に、当時23歳のアンドリュー王子が最前線に赴いている。彼はアルゼンチン軍のミサイル、エグゾセのおとりとなるヘリコプターに乗り込むという任務についていた。一歩間違えれば戦死の可能性もあったのである。

 現在の日本では考えられないことである。「危険引き受け能力を誇示」ノーブレス・オブリージユなどということは、いくらなんでも人間以外の動物にはありえないだろうと思っていた。ところがあったのである。 

私はNHKの「不思議大自然」という番組が好きで、良く見ることがある。いろいろの自然界に属する動物が出てくるが、ライオンの生態について大変感動したことがある。
ライオンのオスの首まわりには雄を象徴する毛皮が必ずある。中には無いのものもあるらしいが、大体あるようだ。

 雄は普段は雌のグループにいないで孤独な生活をしている。エサは雌が調達し、子育ても雌の役目である。しかしグループの全責任は雄が持っており、若し他の雄が自分達のテリトリーに入ってきた場合は、全力を発揮して排除する責任をもっている。その目的は繁殖のためであり、いかに強い子孫を残していくかがノーブレス・オブリージュなのである。

「本人死すとも血縁を残す」実際、雄の順位と、いかに多く雌と交尾できるかはきれいに対応していると竹内久美子さんはいう。この議論を人間に対してそっくりそのまま当てはめるわけにはいかない。けれど人間も動物の一種である以上、究極の目的はやはり繁殖にある。

 さらに人間では言語による名誉や評判という。他の動物ではありえない形で本人の資質がアピールされる。立派で徳の高い人などと。そして極端な話、本人がいなくなっても、その名誉によって血縁者が有利に繁殖し、間接的に本人の遺伝子のコピーが残される。

 ノーブレス。オブリージュは高貴で裕福な者の義務ではない。そうした人々の紛れも無い繁殖戦略ではないだろうかと彼女は結んでいた。彼女の説は動物行動学研究者としてのコラムであるが、現実の日本社会はどうだろうか。人間としての行動、繁殖としての現実の社会問題となりつつあるモラルの乱れはどう解釈すればよいのか。

 現在の日本での問題は「少子化対策」という誠に切実な問題が起こっているのである。
矛盾した深刻な問題がある。私には、それを語る資格は最早ない年齢であるが、将来の日本はどうなるのか憂慮するノーブレス・オブリージュとして当然のことであると思っている。

                         石 井 立 夫