お鳥目をいただく

 お鳥目(おちょうもく)をいただくという言葉は、広辞林によれば、@青銭の別称。中に穴があって、その形がガチョウの目に似ているもの。A転じて、金銭とある。産経新聞のコラムに、近頃は滅多に聞かない言葉でコラムが出ていたので、調べてみた。

 現在では死語に近い言葉である。しかし、そのコラムを読んで、そう言えば昔聞いたことがあるとの思い出が、ふと浮かんできたので、YAHOOのインターネットで調べてみた。簡単な調査では、インターネットは便利なもので、いろいろの例が出ていた。 

 先ずコラムの中味の紹介で、どのような書き方または使い方をしていたか・・・・・題名は情報公開せよ「芸人評論家」だった。民族学者・大月隆寛氏。大月氏は時々拝読するコラムニストで、「ケータイ小説」などのコラムを読んだことがある。さて、このコラムが面白かったので引用させてもらった。 

 『意外と知られていないことらしいのだが文化人、評論家などの中に芸能プロダクションに所属している御仁がいる。先鞭を付けたのは確かホリプロだったか。文化人枠とかいうものを設定し、当時人気者だった栗本慎一郎らを所属タレントとして確保したはず。その後、大手芸能プロも追随。昨今ではなんと、吉本興業所属の文化人までいる。人呼んで、岩波文化人ならぬ吉本文化人。シャレにならない。

 この現象、どうもテレビに「コメンテータ」という肩書きが蔓延し始めて以降のような気がする。○○の専門家、という意味で、大学教授などが,お硬い番組に呼ばれるのではなくよろずいっちょう噛みとしてものを言う。大手新聞の論説委員や雑誌の編集長などが起用される場合もあるが求められている存在意義は、つまり「芸人」なのだからして。

 「芸人」がいけないのではない。逆だ。評論家であれ何であれ、いまやテレビという額縁に乗った以上、意味としてはタレントや芸人と同じ。事務所に所属して仕事が効率的に回るよう腐心するのも、その証左。「芸人」として仕事するならそれはそれ、スポンサー様の意向やその他さまざまなしがらみでものを言いにくくなるのも、お鳥目いただく以上は当たり前』。

  以上が大月氏のコラムだが、そう言えば日曜日の朝などの各局の民間放送の番組にやたらと文化人と思しき先生方の顔が出ることが多い。具体的な例は遠慮するが、経済に関して、株価の見通しの質問について、全然間違った答えを出した先生がいた。所謂推測の間違いである。別にそのことについて、訂正の言葉も無く、今も続いて出ている例もある。  

 人間誰しも読み違いは有るが、いやしくも放送に出るからには、権威と尊敬の念を以って聞いているのだから・・・・・6チャンネルの常連で、大学の江戸文学の教授と言う肩書きの女性が出ている。この人は靖国神社の存在意義について、司会者が質問をした。司会者は別に意図的な目的を以って聞いたのではないと思っていた。彼女は「今頃あのような建物が残っていること自体が不思議だ・・・と断定的に申された。

 私のような老人で、軍隊生活を経験したものには、いやにはっきりした物の言い方をしたので、ただただ驚いたものだが、この種大学の教授にすら、日本人らしからぬ、発言をする人が居るものだと、驚いたものだ。 学生は教授が例え偏向した教え方をしても、本来批判精神を養成されるものだから、心配はしていないが、公共放送局とは言え、日本人の心を逆なでするような物の言い方には、老人としては抵抗を覚えるのは事実だ。

  それでも結構なお鳥目をいただいて帰るのだから、世の中はありがたいものだと思ってしまう。さて、お鳥目という言葉は何時ごろ使われていたのか、インターネットで調べて見た

 @中里介山 大菩薩峠鈴鹿山の巻
「浜、雪は積もったか」炬燵に仮寝していた机龍之介は、ふと眼をあいて・・・・
「お前、なにかね、お鳥目を少しお持ちかね」・・・・

 A一夜物語 リチャード・バートン編・アメリカ映画のテロップに・・・・
だからな、もしわしといっしょにおいでになるなら、おまえさんの入用なものはなんでも、ふんだんに進ぜましょうぞ。お鳥目なんぞは一文もいただかんでな。

 B菊池寛『敵討以上』三幕・・・・・
『恩讐の彼方に』脚色、人物、中川三郎兵衛 浅草田原町に屋敷を持てる旗本の士、五十歳位、中川・・・・ああ、一杯ついでおくれ。お弓それでお前さん、お鳥目はいくらだったのだい・・・・・

 以上三例を挙げてみたが、洋画の翻訳まで意外と使われているが、どうやら最近はあまり聞かない言葉になっているようだ。もし使っても現在の若者には皆目通じないだろう。昔人間の私でも、はてな・・・昔聞いた言葉だが・・・・と調べてみる時代になっているのだから・・・・

                         石 井 立 夫