カネボウ本社 カネボウ本店(大阪駅前)
伝統の崩壊

 カネボウという名の伝統のある会社が、粉飾決算の疑惑で、平成17年7月29日に社長及び役員が逮捕されたとのニュースを聞いた。明治二十年、「東京綿商社」として創業、二年後に紡績工場の操業を開始し、一時は国内首位の売上高を記録したこともある。昭和四十年から主力事業の繊維に加え、化粧品、薬品、食品分野に進出した。

  結果化粧品事業が業界ニ位に躍進する一方、投資の分散化などで主力の繊維事業が衰退、平成八年三月期から三期連続債務超過に陥った。今年五月カネボウ株の上場廃止が決定。百十四年の市場取引の歴史が途絶えたほか、かっての名門企業は混沌とした状態が続いた。創業の伝統を持つ会社が遂に逮捕者まで出てしまった。 

 今後のカネボウの運命はどうなるのか、予測は出来ないが、私は大変なショックを受け、個人の歴史と関係の深い会社だけに、伝統とは何時の日か、そのような崩壊する運命にあるのか、それは60年前に、日本国が敗戦の運命に見舞われた時と同様のショックを受けたのである。

 私の父が1921年(大正10年)にカネボウの上海へ転勤となり、それ以来上海での生活が始まったのである。当時は英国とフランスが上海市を領分して、英国の共同租界の中に日本人が住むという変則的で、支那人(往時の中国人の呼び方)との生活を共にしていた。しかし、その扱いは雲泥の差があり、現代風のインフラは、日本人は英国人並の生活レベルで同様の扱いを受けていた。

 例えば、市内を走る電車には三等車まであり、中国人は三等車に限られていた。一部中国人の裕福な人は別扱いだったが・・・・・家屋も水道、トイレ、ガス、は中国人の住宅はインフラの恩恵は別扱いで、例えば、中国人の家屋では、特別の桶で、各家庭に一個で、家族がそれを利用するという風習であった。

 毎朝モードン車(糞尿車)という人手で引く車が市内を回り、それに各家庭の人が入れるという方式だった。その桶を道端に設置してある共同水道で洗っていた。衛生的には極めて悪く、道路の下水道に流していた。つまりトイレは家庭にはなく、私の姉が結婚して、中国人風の家に住んでいたが、この方法で我慢していた。




カネボウ記念病院

 私はその方法が当然の事として育ってきたので、中国人の屈辱的な差別があることは知らなかったのである、カネボウは繊維工場を三箇所に建造し、父は第二工場で勤務していた。上海語ではクンダ・デ・ニツアン(公大第二廠)という工場名だった。当時は繊維工場は日本の独占事業で、日本の有名銘柄の工場が設備され、働き手は中国人だった。中国人の女工さんを我が家に呼んで、日本式の接待をした覚えもある。当時中国で流行した歌は今でもメロデイを覚えている。

 父は終戦時に技術家として、残留を命じられ、昭和28年4月に現地上海で逝去したが、実に40年にわたる上海生活を経ていた。上海語は完全にマスターして、心から上海を愛した経歴を持っていた。私の兄弟4人は全部上海の日本人学校を卒業した。私はその意味で完全な上海育ちの認識を持っており、当時の上海を、近代化した現在の上海と比べ想像もできないほど発展しているのだ。

 戦後日本人の従業員は当然引き上げてきたが、比較的若い社員は日本国内のカネボウに復帰したのではないだろうか。私はカネボウとは縁がなかった。近代化した中国の繊維製品が、日本人の残した工場を駆使して、安い労働賃金でアメリカ市場を脅かしている現代の時代は、誰が予想したことだろう。さて、カネボウが戦後の日本での近代化に遅れを取ったのではないだろうか。

 この会社は戦前から労働組合の力が強く、経営状態が悪化した際に、化粧品部門が比較的成功していたが、生き残りのため、他の同業者から合併の話が保々結論が出ていたのに、労働組合が反対したため、失敗した例が有ったらしい。繊維業界の整理も進み、生き残り作業も当然の事ながら図ってきたのだろう。

 伝統あるカネボウを必死に支えて来たであろう経営者が、長年の伝統を守るための粉飾決算までして苦労した気持ちは、縁がある私には理解できるが、矢張り粉飾決算は罪に問われることにまで経過してしまったのだろう。果たして再起は出来るのだろうか。私はセンチメンタルでカネボウを庇っているのではない。特に国内での近代化は進み、経営者が近代化に失敗したのだと断定せざるを得ない。時代の読みが甘かったのだと言われても仕方がなかったのだろう。


 現代の中国政府の勢いは、国際関係から注目と反抗の相反するところまで来た。共産主義社会が、経済面では近代化を急いでいる。しかも北京ではオリンピック、引き続き万国博覧会まで計画をしている。ここ20年が中国の国内安定が成功するかどうか、の瀬戸際と言われている。中国を知る私には、昔日の上海を知っているだけに、信じられないことも事実なのだ。

 中国には馬馬虎虎(ママフフ)という言葉がある。私が育った頃の上海語では、どうでも良いではないか、というときに使われていた言葉だった。まさか現代でも使われているとは思いたくないが・・・・・カネボウの社宅で育ち、世間を知らなかった私だったが、時代と共に運命は変貌をきたし、驕れる者は久しからず・・・・という心境もいささか感じている。

                        石 井 立 夫