オーストラリア
生きて虜囚の辱めを受けず

 この題名は今時通じる言葉ではないことを、重々承知で書いて見る。NHKが9月4日に放送した日本軍捕虜の大脱走事件を,なまなましく映した記録放送を観ての感想である。

 戦後60年の還暦を迎え、今更と思われる事件の放送である。なぜか?まだ生存者がいて、その生存者が語るのだから、話は嘘ではない。むしろ、その悲劇に会い、生き延びた人々の記憶が薄れてこないうちに、記録として残しておくのだろう。

 オーストラリアのカウラ収容所での日本軍の捕虜集団脱走事件である。私はこの収容所に収容された同級生から直接体験談を聞いていたから、余計その悲惨な事件の真実性が理解できたのだ。

 昭和16年1月8日陸軍大臣東條英樹大将から発せられた戦陣訓が、全日本軍に訓令され、その内容に「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う文言が書かれていた。この訓令が日本陸軍の兵隊に深く、重く、沁み込んだのである。全軍の脳裏に叩き込まれたと言っても過言ではない。つまり捕虜になるくらいなら、死ねと言われたものと解釈されたのである。死と言う言葉を簡単に脳裏に叩き込まれたのは、事実なのである。

 捕虜と言う言葉は、不名誉と同義語と言い聞かされて教育を受けたのである。精神主義を過重に教え込まれた兵隊は、批判する事無く、絶対的な訓令として、当然の事として頭に叩き込まれた。

 カウラ収容所での大脱走事件は、この訓令に従い、実施された悲劇だった。オーストラリア側は、収容所に入る日本兵に、従来の位階を外し、全員を民主主義の方法で班長なる者を選ばせたのである。つまり、収容所内での責任者を民主的に決めさせたのである。

 ところが、日本兵は民主主義の言葉すら知らず、どうして選ぶのか、オーストラリア軍から指導を受けて、ともかく形式上、どうやら形だけのものが組織された。食事はさすが食糧豊富な国であるから、その給与を受ける日本兵の、やせ細った肉体から、察するに、ニューギニアの道なき道の山越えをして、やっと辿りついた太平洋側に出て、多数の犠牲者を出しながら、結局捕虜になった。

 そして捕虜になった兵隊、必ず殺されると教育を受けていたのだが、むしろ餓死状態で生き延びてきた兵隊に、オーストラリア側の給与は、この世とも思えぬご馳走だった。日本の敗戦状態はさらに悪くなり、収容所に入りきれないほどに増えてきた。已むを得ず、下士官と兵隊の収容所を分けて、別の棟に移したらしい。

 そこから、脱走計画の話が出始めたらしいのである。特に下士官には、戦陣訓の教育が浸透しており、広いオーストラリアの何処へ脱走して、逃げることが出来るのか、そのような緻密な計画ではなく、とにかく、我々は捕虜になった。生きて故郷に帰ることは、絶望的になった。

 当然の事ながら、オーストラリア側の収容所の監視下にあるのだから、当然機銃射撃を受けるだろう。それを避ける計画を立て、捕虜になった者は、全員偽名を使うことにした。友人の話によれば、徳川家康、豊臣秀吉、など全員が偽名をそれぞれ、使って脱走を実施したのである。犠牲者は実に300名を越えた。勿論全員が脱走に参加したのではなく、残ったものもいた。

その後始末をするのに、氏名、出身地、位階、それらのデータは、偽名を使っていたので、記録として残されたものは、終戦後日本へ紹介のしようがなく、死亡者の全員の慰霊塔を現地に建て、カウラの地に無名戦士の慰霊碑が建立されたのである。

私の友人は、その事件後一ケ月後に捕虜として収容されたので、実際の悲劇には逢わなかったのであるが、その話を聞いて同情の念と追悼の意を含め、帰国後絵画を描いた記念作品が売れ、その金を慰霊碑建立のために寄付をして、オーストラリア側の新聞にも、ニュースとして、その奇特な日本兵として彼の名前の記事が出ていた。

 今にして、現在の日本人から見たら、考えられない行動だが、死亡を覚悟して脱走を図り、自国へ名誉を守るために、その途を選んだ兵士の心境は想像もつかないであろう。教育の恐ろしさ、結果責任、戦後60年を迎え、平和に過ごした日本の現状を診るとき、如何なる場合でも、教育の恐ろしさは、語り伝えられなければならないと思うのだ。

 日本の敗戦は、結局戦陣訓の教えの如く、精神主義を重んじ、兵隊に教え込んだ、軍部の責任は極めて重いものだった。しかし責任論は出てこない。残されたものは、歴史的事実だけである。カウラの悲劇の放送を観て、友人の接し方、心のこもった行為、戦争の悲劇を伝える慰霊碑、お里帰りも出来ない300有余の亡き兵士の霊は、永久に他国の地に眠る事になっている。これも戦争の歴史の一ページに過ぎなくなった年月が過ぎてしまったのである

 名誉の保ち方は時代の移り変わりで変形してしまったが、今日も尚自己の名誉を如何なる形で保つか、我々は個人で決める方法を選び、人間としての尊厳と共に、保つべきであることは、時代の変遷とは関係ないのではないか。

 山田真美著「ロスト・オフイサー」というハードカバーの本が発行された。1944年8月オーストラリアのシドニー西方の田舎町、カウラの捕虜収容所から、日本兵が集団脱走事件を書いている。1,104人の内34人は収容所を脱走、その内25人は自害、最終的に231人の捕虜が死んだ。オーストラリアのジャーナリストが書いたこの事件を翻訳した著者は、日本人として、この暴動の根源のメンタリテイーをも探るべく、取材を開始した。なぜ無謀にも日本兵は脱走したのか?

 この事実は克明に上記の部位と重なっているが、果たしてオーストラリアのジャーナリストは、理解できたであろうか。無謀な脱走事件を、事実として書いている。
一方、イタリア人捕虜が、戦争に執着しない姿も描かれている。比して、大義のために命を捧げた日本兵の姿が痛ましい。

 ここで明らかになるのは、西欧と日本の生命感の違いである。敗戦直前でも作戦変更を決断しない軍幹部。一兵士の命の重さが明らかに違うのだ。戦後六十年、我々は新たな生命観を持つことができたのでろうか。「書評の一部から抜粋」現在でも元軍人らの戦友会では、捕虜経験者へのいじめが存在するらしい。多くを語りたがらない元兵士の心境を思うと、何らかの補償を求め始めた苦しみと共に戦後処理は終わっていないのである。

                           石 井 立 夫