脳科学という分野

 脳科学という分野があることをNHKの火曜日の番組「プロフェッシヨナル仕事の流儀」に出ている茂木健一郎という名の脳科学者で初めて知った。何となく見ていたが、選ばれる人が、レジャー業の再建屋、菓子専門職の人、左官業のベテランの三回しか見ていないが、質問者のタイトルが脳科学者茂木健一郎氏で質問の仕方が、ごく自然な形で、相手の人の苦労話、成功話を何気なく、しかも的確な形で問うのである。

 私は質問者は脳というタイトルが付くので、てっきり医者の脳に関する専門家だと推察していた。脳の解剖学者で今はリタイヤーして、文筆業?ですっかり名を売っている養老孟司氏の後輩ぐらいの先入観しか持たなかった。「バカの壁」がバカ売れしている養老先生の教え子かな?・・・・と。

 ところが、茂木健一郎氏の学歴を見たら、彼は医者ではなく、独自の分野では有名な先生であることを知り、尚脳科学という分野があることも知ったのである。しかも理学博士の肩書きが付いていた。

 今回「脳の中の人生」という著者の本を購入して、実に分かりやすく、嬉しいことに老人の脳のことも書かれていたので、大いに参考になった。結局一気に読まされた本であった。しかし最後まで読んだが、人生の不可思議さが分かったようで、分からないのが結論だった感銘を受けた内容とその例がどれほど参考になったか。

 特に86歳になった現在、自分の過去を振り返って、様々な思い出と例が挙げられていたどれもこれも、思い当たることばかりだった。さすが脳科学者的な言葉だと、やたら感心するばかりだった。これが今にして言える印象である。1962年生まれだから40台の青年である。活動力がある。私の印象に残った二つの事柄を挙げて見たい。

 題名は「桜が記憶させる柔らかな時間・・・・・」例えば大学院生だった頃、広島県の尾道市まで旅行した。小津安二郎監督の「東京物語」を観て、突然の“熱病”にかかってしまったことがきっかけだった。原節子の美しさと、素晴らしい演技に魅せられた。映画の最後に、笠智衆と東山千枝子が演じる老夫婦が戻っていく尾道の風景にとりつかれた。いてもたってもいられなくなった。

 『東京物語』を観て一週間後、私は新幹線に乗っていた。・・・・・・・・映画に出てきた尾道の光景を、自分で確かめたいという衝動を抑えることができなかったのである。現実の尾道は、映画以上に魅力的なところだった。千光寺公園に登ると、満開の桜に包まれた。

 桜の木の下に座って尾道水道を行き交う船を見ていると、時が経つのも忘れた。あのときほど、柔らかで静かな時間を過ごしたことは、これまでの人生の中でもなかったもしれない(原節子と私は同年齢、彼女は二度と映画界に出ない。己の美くしいピークを知っていて、どこかに蟄居していると聞いている。

 老醜をさらけ出すことを拒み、永遠の美の女性であれかしと願っている)それにしても脳科学者茂木健一郎氏は、日本人としてのDNAを持ち、一方ではグロバリスト(世界的な人)として世界を駆け巡っている稀有の人らしい。第二は「イギリス人式ルールの叡智に学ぶ」この項も大変興味を持った。

 イギリスに留学していたときに、一番驚いたのは、かの国のおける「ルール」の在り方である。イギリスでは人間の判断能力をルールと同じように信頼、大切にする。周知のようにイギリスは非成文憲法の国である。議員内閣制や首相といった根本的な国家の成り立ちが、ルールではなく、そのときどきの為政者の判断の積み重ねによってつくり出されてきたことがわかる。

 そもそも、イギリスにおいては、「憲法」とは慣習を含めた国の成り立ちを指すのであって、日本のように条文を指すのではないのである。「人間の判断はルールでは書けない」ということは、実は人工知能の研究者が長年の努力の結果、学んだ苦い結論である。ルールでしか動けないコンピュータが判断力で人間に追いつけない理由はここにある。人間が判断をするとき、脳の中では感情のシステムがフル回転する。

 判断の材料となる情報が完全に得られることは、むしろ少ない。不確実な状況の中で、大脳辺緑系から前頭葉にかけての神経細胞のネットワークが、ある判断を選択する。判断を下す脳の仕組みの詳細はまだ解明されていないが、一つだけ確実なことは、そのプロセスをルールで書くことはできないということだ。あまりにも厳格にルールに従おうとするとき、人間はでき損ないの人工知能のようになってしまう。・・・・・

 人生や、国家の将来を左右する大切なことに関する判断は、あらかじめルールで縛っておくことなどできない。これが、イギリス人が代々受け継いできた叡智である。ひるがえって日本はどうか、私達は、法律というものを、人間の判断を助けるガイドとしてというよりは厳格に守るべきルールとして考え過ぎていないだろうか。・・・・・・

 条文は、よい国にするための方便であり、金科玉条ではない。・・・・・
この厳然たる事実を、現代の脳科学は再確認するのである。以上労働党首ブレア首相は国益という立場で、アメリカとの協調を図っている。

 憲法の条文に拘るあまり、日本の国益を損ないかねない政治家は、英国の叡智を勉強するべきではないか。ともあれ、脳科学という分野があることを知ったことは私に生き甲斐を与えて呉れ、今後の老人には大きな刺激を与えたのではないだろうか。

                        石 井 立 夫