青森県六ヶ所村 原 燃 内 部
燃え尽き症候群

 スポーツジャーナリスト・二宮清純氏がトリノ・オリンピックでメダルゼロについて(二十一日現在)は誠に侘しい、深夜テレビを見ながら深い疲労感に襲われた・・・と感想を述べていた。不振の理由はいくつもあるが、その第一は“燃え尽き症候群”だと私は見ていると・・・・・

 燃え尽き症候群・・・ある意味、これは日本人特有の病かもしれないと書いていた。
私も思い当たる事が多いのだ。86歳まで長生きしてきたが、自分の体験を振り返っても、まさにこの現象に該当することが多い。戦争に負け、焼け野が原の東京の状態から復興せざるを得ない時代を迎え、まだ若さが残っていたが世間の知識は十分ではないが、とにかく走りだした憶えはある。

 GHQという占領軍の制限、禁止事項、が多いなかで、ともかく走り出したと言うという感じだった。今思い出して見ると、食糧はない、衣服はない、住む住宅もない、まさにゼロからの再出発だったことは間違いない。軍人の知識、体験しかない若人が、生きるために新橋の闇マーケットで商売を始めたのもいた。何でも売れた時代だったが、私はその仲間達に入る勇気が無かった。

 しかし就職をしなければ金はない、誰も助けてくれない、とにかく就職を探す必要があるが、友人の紹介で土方の仕事に就いた。土方とは現在の建築作業員という名称になっているが、青森県の六ヶ所村の開拓事業に従事した。(現在の原子力研究所がある付近)右も左も分からない場所で、復員軍人の中で戦車隊の経験者ばかり十六人を引き連れて、私が臨時の隊長となり、地元の農協との契約で発足したのである。

 戦争時代の繋引車(戦時中は大砲、などを積んで運ぶキャタピラーの車)を五台用意し、その後ろにプラウという荒地を引き起こし、畑地にする仕事だった。なにしろ戦時中の車だから、故障が多く、その苦労は並大抵のものではなかった。私が最初に苦労したのは、若者ばかりを引率しているが、いかにして食べさせるかが私の仕事だった。

 割り当てられた燃料(重油)ドラム缶一本と闇米との交換をしたり、とにかく食べ盛りの青年どもを如何に働くための力に変えるか、そのための苦労は今にしては、まさに燃え尽き症候群の一例になるだろう。
やがて、その仕事から離れ、普通のサリーマンになる機会があり、転職をした。

序々ながら、日本経済の復興の気配が出始めた頃、普通の取引には、酒とマージャンが取引のための交際が成り立たない風情が出てきた。これは日本人の悪癖とも言うべきかも知れないが、私は両方とも出来ないので、うだつが上がらないサラリーマン生活を送り、今でも後悔しているが・・・・・

 しかし第一線から引退し、いたずらに馬齢を重ねる頃になって、早いものは既にこの世を去り、残っているものの中には、酒の付き合いが多い人ほど、腎臓やら、肝臓を病み、人工透析生活を続けている友人もいる。透析16年の経験者もいれば、6年で力尽き、医者から是非続けるよう説得されたが、アドバイスを聞くことなく、一週間後に尿毒症で亡くなった友人もいる。これも燃え尽き症候群の一員に入るだろう。

 私は現在持病は人に負けないぐらい持っているが、幸い燃え尽きる事無く、何とか生きているが、これも決して油断は出来ないのだ。しかし、生きている限り、気力を絞り、何かと生き甲斐となるものを探し求めて、長生きに精進したいものだ。友人と語りあうのも有効な方法だろう。パソコンでエッセーを書いて見るのも頭の訓練になるだろう。

 ともかく、燃え尽き症候群からなるべく遠ざかる術を講じることが大切だと思うことが、偶然にも二宮清純氏のコラムから得たのだ。池波正太郎の鬼平犯科帳を順繰りに読み直しているが、粋な女が出てきて、今更ながらドキドキしながら読むのもよいものだ。無駄と遠回りほど価値あることはない・・・・・

(追加)平成18年2月24日早朝、

フィギュアースケートで荒川静香嬢が

金メダルを獲得した。小泉首相が直接

祝福の電話を入れていた。彼女独特の

イナバウアーという技術を披露して、

大いに人気を博している。

                        石 井 立 夫