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| 終戦直後の笑い話 |
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昭和二十年八月十五日は太平洋戦争で日本が負けた日であることは大体全日本人が知るところだが、最近読んだ本「誰も戦後を覚えていない」著者鴨下信一氏の内容を見て、なるほど私の記憶が甚だ怪しいことを知った。つまり、殆ど記憶が薄れているのだ。 |
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これは年齢の所為ばかりではなく、逆に言えば日本の現状から見ると、あまりにも変化があり過ぎて、殆どの日本人が対応するのに忙しく、いつの間にか忘れていることが指摘されていたので、いささか安心したのである。 |
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その目次から拾って見ると、風呂と風呂敷、敗戦のレシピ、殺人列車、間借り、闇市、預金封鎖、何であんなに寒かっただろう?シベリヤ抑留、玉音放送、美空ひばりへの愛情、復員野球、肉体の門、何を信じたらいいの?等々タイトルに「一億二千万人必読の歴史教科書」とあった。 |
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私の記憶の中での記憶が今でもはっきり残っているのは、シベリヤ抑留だ。 |
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その苦労話は言語に絶する苦しみを与えた、しかも多くの犠牲者約六万人の軍人が、厳寒地で死亡した。私の学友、知人は少なくとも六人もいる。幸い私は東京の部隊から復員したので、災難から免れたが、この事実だけは忘れられない。 |
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さて東京で終戦を迎えたが、わずか二日後部隊で解散整理を始めた八月十七日頃だったと思うが、いきなり米軍の飛行機が部隊の上に飛来して来て、いきなりパラシュートを二十個ばかり超低空で落とし始めた。もちろん戦争は終わっていたので、爆弾ではなく、何か箱がついたものだった。 |
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その箱がバラバラと営庭に落ちてきた。その箱に何か英語で書いていたが、まさか我々にプレゼントしてくれた物ではないことは理解できた。当時は英語を読むこともならず、連隊長が私に翻訳をしてみろと言われたが、久しく英語から遠ざかっており、辞書もないので、弱っていた。 |
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とにかく米軍は絶対に日本兵は開けてはいけないと書いてあることぐらいは想像できた。しかし試しに拾い読みをしてみた。単語で(Drawers)(ズロアース?)と書いてあるのを見た。まさか女子の下着が入っているとは思えないが、内緒で開けて見ることにした。 |
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まず初に見たものは部厚いチョコレートや、男性用の下着、シャツ、缶詰め、その他の中味に女性の下着が入っていた。我が連隊が、どうやら墜落した米軍の飛行機(B29)の捕虜収容所と勘違いしたと想像できた。B29には女子航空兵がいたらしいことが分かった。 |
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部厚いチョコレートを内緒で食べて、その厚みには驚いたが、どのような熱いところでも絶対に溶けないチョコレートであることを後日聞いた。女子航空兵は通信隊要員として働いていたが、日本でも多くの女子軍兵がいたのだから、後で考えたら双方とも最後は必死で戦ったのだ。 |
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しかし落下した品物を見て、当時の日本では考えられないものだが、アメリカの実力を改めて知らされた思い出が残ったのである。敗戦後の惨めな食糧事情が続いたが、ララ物資と称する食糧の援助、衣服の中から自分に合う服を貰ったことなど、暫く哀れな日本人の生活があったことはどうやら暫くの間続いた事を思い出した。 |
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現在の日本の若者の中には、アメリカと戦争をした事実すら知らない人がいるらしい。 |
| 石 井 立 夫 |