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| 日本兵の慰霊碑 |
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日本兵の抑留 |
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昭和二十年八月十五日は終戦記念日であるが、ヤルタ協定を無視して、八月九日にソ連邦のスターリンは、六十五万人の日本兵をシベリアへ抑留し、六万人以上の犠牲者を出し、未だに深い傷跡を残している。私は幸い抑留に会わなかったが、多数の戦友が犠牲になっている。これに関する記事は、従来なるべく書かない方針で来た。 |
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語れば切りがない、ソ連邦の共産主義社会が崩壊し、旧ソ連邦は影を失ったが、元のロシアに戻っても、何となくロシアへのこだわりは、捨てきれないからだ。私の友人で軍隊に入隊したばかりのときに、不幸にもシベリアは抑留され、二年間で無事帰国できたが、ウラジオストックで日本へ帰る船に乗る前に、スターリン元帥バンザイを三度も言わされ、やっと乗船したと言う。 |
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馬鹿々々しいにも程がある。しかしそれが経験者の、誠に悲しい思い出なのだ。さて、平成18年8月28日、小泉首相が最後の外遊先が中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンへ歴訪する予定であることを知った。ソ連邦の一角を占めるウズベキスタンだった国への訪問の意味が産経新聞の記事に紹介されていた。 |
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戦後初めて訪れた日本の首相の訪問の意味は、おそらく単なる友情関係ではなく、将来の燃料問題、あるいは、新しい原料資源関係を結ぶ目的があったことは理解できた。しかし、それは国際関係を結ぶための訪問だけだったとは、思いたくない内容が関連している記事を読んだ。生真面目な日本兵の実態が紹介されていたので、日本人及び日本軍の行動について嬉しいニュースだったので、思わず嬉しさと、感激の余り書いて、記念にしようと思ったのだ。 |
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ウズベクには1945年、極東シベリアから約25.000人の日本兵が強制移送され、13の収容所に分けられ、過酷な労働を強いられたにも関わらず抑留者たちは、『日本人たちは素晴らしい』というイメージをウズベク国民に植え付け、親日感情が強い中央アジア諸国の中でも日本人への好感度は飛びぬけている。その源であり、ユーラシアで語り継がれている「日本人伝説」のシンボルが、約500人の抑留者がタシケント市に2年がかりで建設したナポイ劇場だ。 |
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| ナポイ劇場 | ヤルタ会談スターリン(右) |
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捕虜という厳しい環境下で勤勉に徹し、当時の地元民に敬意を表された。66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際も、この劇場はビクともせず、「日本人の建築技術は高い」という評価が定着した。96年にカリモフ大統領の指示で、壮麗なナポイ劇場には、日本人抑留者の功績を記したプレートが掲げられ、ウズベクの日本人に対する尊敬と感謝の思いが名実ともに歴史にとどめられている。日本人抑留者の「遺産」はナポイ劇場にとどまらない。 |
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日本人がつくった水力発電所や運河、道路などが国内の至るところに残り、ウズベクのインフラを支えている。中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、いまも国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会った。この人物は、まじめに、そして懸命に汗を流していた日本兵抑留者たちの思い出を涙ながらに語ったという。 |
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小泉首相は30日、異国で死亡した813人の抑留兵の一部が埋没されている『日本人死亡者慰霊碑』と『日本人抑留者記念碑』に花を手向け、ナポイ劇場に立ち寄り『日本人抑留者たちに哀悼や感謝に気持ちを伝える』律儀な日本兵、例え抑留の身になっても、真面目に働いた抑留兵の勤勉さに、今更ながら敬意を表したい。ウズベクに息づく『日本人』と題した記事に、戦後の処理が未整理な状態におかれている日本兵の霊に、心から哀悼の意を表したい。合掌 |
| 石 井 立 夫 |