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| 戦前のジャンク | 近代化した上海 |
| 尋 ね 人 |
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戦後久しい間、戦争中の友人、引揚者、復員軍人など多くの人達が人探しを、現在のNHKが担当していた。凡そ5年間ぐらいは続いたのではないか?この言葉は戦争の経験者であれば、ある意味では懐かしい言葉であるはずだ。果たして、尋ね人の成功率は、どの程度だったかは、不明だが・・・・・・さて、私はこの尋ね人と、いささか異なった立場で使用するつもりで、この懐かしい言葉を、敢えて使ってみようと思った。 |
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私は上海生まれで、15歳のときに、(今から70年前)オーストラリアから、ペン・ホーリックという名の、英会話の先生が赴任して来た。国際都市であった上海で、当時は英国政府の租界という形で、特別の英国の統治下のような、事実上の支配するような都市であった |
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日本人は、居留民として、英国人から特別の配慮から、英国租界で、同様の生活保障を受けていたのだ。(当時は別に特別扱いとは思わないで、当然のことと認識していた)しかし英語を話すことはできない、純然たる日本人の生活スタイルで過ごしていた。 |
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社宅と言う特別のコンクリートの塀で囲まれたもので、安全は保証されていた。しかも、学校は日本人の設立したもので、名称は居留民団立という形で、日本人の先生が教諭として日本本国から優秀な先生を選び、かなり程度の高い教育をしていた。全くの日本人スタイルの勉強方法で、英語教育はむしろ二の次のような形であった。 |
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一部の当時の金持ち階級の家庭では、シンガポールに存在したパブリック・スクールに入り、英国本国で大学教育を受ける人もいた。初めての英会話の時間では、日本人の英語の先生が紹介をした。その時点での紹介では、誠に簡単なもので、つまり国際都市に住んでいるのだから、英会話ぐらいが出来ないと、将来困ることもあるだろうと言う紹介であった。 |
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しかし現実には、生徒は誰一人満足に会話の経験はなく、交流は何も出来なかった。今から考えると勿体無い話だが、当時は日本人の大部分は会話が出来る人は、余程特殊な仕事を持っている人以外は、出来ないのが当然のような現実だった。会話の先生は、どのような授業の進め方をすればよいか、考えたのだろう。次回の授業のときに、いきなり黒板に英語の歌を書き始めた。 |
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その題名は、忘れもしない、ステイーブン・フォスターの「ケンタッキーのわが家」だった。先生はいきなり胸のポケットから、万年筆のようなものを出した。 |
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| ペン・ホーリク先生 | 戦前のブロード・マンション |
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それは歌を唄うためのコンタクトの棒であった。私は特別の歌について興味を持っていた |
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しかも、現在のようなメロデイーが盛んではない時代背景もあった。従って、譜面を教わることもなく、大体音痴な生徒が多い時代だった。この英会話の先生は、太り気味の人だったが、黒板に歌を書き終わり、声は優しく、情緒たっぷりの唄い方で、唄い始めた。私は嬉しくなり、一行一行先生の歌い方について、メロデイーを、真剣に覚えたものである。 |
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それ以来、ステイーブン・フォスターの歌集を購入して、自分の家にあったオルガンで、次々と覚えたことを、今でも記憶している。さて、六年ほど前に、ある特別書留郵便を受けた。中身を見たら、五万円の記念商品券が入っていた。身に覚えがない協会名から贈られてきたのである。全国カラオケ事業協会名だった。中身は五万円の記念商品券だったが、狐につままれた思いだった。暫くはっきりするまで、そのまま自宅に置いていた。 |
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私の友人が、東京に行くよう用事があるので、一度聞いて見てあげましょうか?と言われ依頼してみたら、本物であることが判明し、今更送り主に問い合わせるまでもなく、私の小遣いに納まったのだ。私には、誰が投書をして呉れたのか、余程自分の身近な人しか知らない筈だと思いながら、長年憶測をしていた。 |
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しかも、コンピュータのYAHOOには、私が銀賞に合格し、しかもカラオケには、英語で唄へば、英語の勉強になり、音楽も楽しめる、という理由で銀賞を得たのだと紹介されていた。現在も私のフルネームで出ているのだ。その後年数も経ち、ふと誰が投書をしたのか、気になり、協会へ電話をした。 |
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ところが、投書をした本人が私の名前になっていると言う返事だった。おかしいと思いながら、本人には記憶がないので、未だに納得していないが、私の身近な人が、面白半分で投書をしたとしか考えられない。そこで、終戦後NHKで使用された尋ね人と言う言葉を敢えて使った次第だ。 |
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世の中には、物好きな人がいるものだが、現在でも、誰が投書をしたのか気にはなるが、若き日の思い出の一つになっている。同級生は,寄る年波で、音信も徐々になくなり、多くの友人が幽明界を異にしている現状では、尚更誰が投書をしたのか不明になっている。寂しい話だ。 石 井 立 夫 |