源 氏 物 語
衣鉢を継ぐ人

 辞書によれば、衣鉢とは「弟子が師の道を受け伝える」とあり、イハツと読む。この文字は、現在は殆ど使われていないが、この様な大事な言葉は、是非とも継承して行きたいと思う。先生対弟子という伝統的な継承は、当然あって、しかるべき問題だが、現在は、科学、化学、技術、工芸、経済、などの分野では、尚継承しており、これなくしては、技術の継承は続かない。

 しかし、文学については、いささか事情が異なり、新人は出てきており、芥川賞受賞者、直木賞受賞者が伝統的に続いているが、最近の傾向として、書かれている内容は、老人向きではないような印象が強い。これも時代の変化があり、ついて行けない点があるのかも知れない。

 反面伝統を重んじ、古来の文章にこだわり、古文例えば、源氏物語、万葉集、其の他伝統的な日本文学は是非とも、残しておきたい。版権の問題(五十年)があるが、文化科学省で検討中とのこと。この題名を取り上げたのは、私の尊敬、敬慕している石井先生に関する記事を書いて見たいと思ったからだ。

 横浜国立大学文学部教授を70歳で退職され、教え子の中に必ず衣鉢を継ぐ弟子がいると思う。やがて年輪を重ね、先生の威徳を偲びながら、薫陶を受け継ぐ人が現れることを信じたい。さて、縁あって湯河原町にお住まいになり、長期にわたる文学を通じ、偉大な業績を残され、先生を再び偲び、報告をしたい。

 さる五月に逝去された先生の残された膨大な書籍、メモ、エッセー類を奥様が整理されていたら、湯河原に引越しされた当時、中原中也と小林秀雄との間でおきた、ラブロマンスの女優長谷川泰子さんが、老人ホームに入っていることを確認し、尋ねて思い出話を聞いていた当時の記念写真が出てきたので、送りますとご丁寧に送付を受けたので、再び思い出の記を書く事にした。

 先生が七十歳時代のまだ若い時代の記念写真である。
彼女はグレーターガルボに似ている女優として松竹映画で活躍、老いて尚現役時代のお色気を残している姿を見る思いをした。

菊池  寛(左端)

 その後、湯河原町に貢献されたが、町民大学学長を十九年間も続けられ、その間先生ご自身の講義数だけでも十九回あり、その内容は書ききれないので、別にコピーとして残すことにした。十九年の長きに及ぶ町民大学学長として、自らの講義を含め、講師を探し、講義を依頼する努力は、並大抵の努力なしでは出来るものではない。

 その分野の広い、造詣の深い人を選ぶことから始まり、毎月土曜日に一度の講義を開くこと、長い間の努力は、尊敬に値することである。別に汲泉会読書会、文化協会顧問,拝詩「春野」の指導など、多くの文学関係の指導をされ、特に新年会、文学の旅、を含めて百二十八回の会合を持ったことになる。

 因みに「十周年記念文集の刊行とご寄贈に言寄せて」に書かれた先生の文章の一部を記します。(平成十七年九月){汲泉会代表宇留田貞子さんの紹介記事}なお、世相人心の荒廃は気象天候の激変にも劣らぬものがあり、その救援復活には、人間の至純と慕情と
ロマン等を題材とした文学文芸の不可欠さが益々要求され、それを念頭に更なる活動
を念じております

 「ただ悲しきは 君去りて我等が身辺とみに蕭条(ショウジョウ)たるを如何せん」
最後に作家の菊池寛が芥川龍之介への弔辞の名文の最後に記されている文章を記し、先生への捧げる惜別の言葉として引用させてもらった。(付記)「菊池寛は文芸春秋社の創業者、芥川賞、直木賞の創業者、明治21年12月26日―昭和23年3月6日没。小説家、劇作者、ジャーナリストとして有名な人。

                       石 井 立 夫