毛 利 武 彦 画 伯
国家の品格

 最近のベストセラーで発売されている「国家の品格」著者は藤原正彦氏。従来著者の本の帯に書かれている学歴、職業、年齢などを真っ先に気にする方だが、学歴は東京大学数学科出身だから、最初に学歴からの印象では、さぞかし硬い文章だろうという認識を持っていたしかもベストセラー220万部とあるではないか。

 最初の一ページから、受けた印象は、何と平易で書かれているではないか。当然の如く、読み始めたら止らくなくなり、一晩で読みきったのである。日本の現状から、当然のことながら、これほど明快、平易、歴史観、造詣の深さ、の印象を持った本に、まさに巡り合ったという感想を持った。

 テレビで面接したときのズバリ挙げた言葉は、卑怯でない人、惻隠の情を持った人、日本の起死回生を願う根源は教育から見直すことが、根本であると言われていた。武士道の精神から、日本人の源泉を見ることができるとも言われていた。武士道とは、今時我々日本人には、そぐわない言葉としかうつらないが、彼の本から具体的な例が得られるのだ。

 エピソード;著書によると愛人との共同生活が夢らしいが、まだ実現していない模様。
世間の女性の目が曇っているのか、美貌の奥方の目が怖いのか、理由は定かでない。ちなみに夫人はお茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー・心理学講師・翻訳家として活動する藤原美子。「国家の品格」の著者インタービューで彼女の容姿を褒められ、彼は「顔なら私も絶対的自信がある」とコメントしている。

藤 原 正 彦 坂 本 竜 馬

 惻隠の情 先ずこの言葉は最近の日本人(私も含めて)には、欠如している現状であると認識を持った。漢字としては、難しい字だが、辞書によれば、人に対する「いたわりの心」とある。無情な出来事があらゆる面で起きているが、ただの一言、それが惻隠の情で、世の中が明るく、楽しくなると言えまいか。先ず最初の言葉から、著者の心の優しさが偲ばれ、人に訴える言葉として、これに勝るものはない。

 小学校の英語教育は無用
彼の説によれば、ゆとり教育によって、現在全国の九割以上の小学校で英語教育が行われている。小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法だ。英語というのは、話すための手段に過ぎない。国際的に通用する人間になるには、先ず国語を徹底的に固めなければダメだ。表現する手段よりも、表現する内容を整える方が大事。

 そして内容を豊富にするのは、きちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠。確かに現在の子供、青年には日本語の表現すら満足に出来ない人が多い。
「元寇(ゲンコウ)というのは二度あった。

 最初のと後のとでは、何がどう違ったんだ?」イギリス人は人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないともう次から呼んでくれない。つまり私も、この種質問を受けた場合、直ぐには答えられない。トップ・エリートの会話のネタに惑わされることもある例である。しかも英語で答えなければならないのだから、大変である。

 「自由」という概念
いま自由を否定する人は世界中にいない。彼は「自由という言葉は不要」という。日本の中世においては、しばしば「身勝手」と同じ意味で使われていた。自由が著しく制限されていた戦中への反動から、また自由を国是とするアメリカによる占領統治もあり、戦後はことあるごとに「自由」が強調されてきた。憲法や教育基本法をはじめ、様々な法律にも、基本的な人間の権利として書かれてきた。

 しかし結局、自由の強調は「身勝手の助長」にしかつながらなかった。この自由という名の化け物のおかげで、日本古来の道徳や、日本人が長年のあいだ培ってきた伝統的な形というものが、傷つけられてしまった。人間にはそもそも自由はない。

新 渡 戸 稲 造 夏 目 漱 石

 六法全書がり、法律の他にも道徳とか倫理とかいうものがある。さらに、どんな組織にも規則があり、協調が強いられている。我々の行動や言論は全面的に規制されている。どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけ。それ以外の意味での自由はもろともに廃棄した方が人類の幸福に取ってよい。これは欧米が作り上げた「フィクション」に過ぎない。とまで言っている。私もそう思う。

 桜の花に何を見るか
日本人の感性の鋭さの一例が、例えば桜の花に対するもの。桜の花は、本当に綺麗なのはたったの三、四日です。しかも、その時をじっと狙っていたかのように、毎年、風や嵐が吹きまくる。そうして、アッサリ散ってしまう。日本人はたった三、四日の美しさのために、あの木偶の坊(デクノボウ)のような木を日本中に植えている。

 日本人は桜の花が咲くこの三、四日に無上の価値を置く。たったの三、四日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花とまでにした。

 アメリカ・ポトマック川沿いに、日本から持ち込んだもので、日本の桜より美しいかもしれない。しかし、アメリカ人にとってそれは「オーワンダフル」「オービューテイフル」と眺める対象にしか過ぎない。そこに儚い人生を投影しつつ、美しさに長嘆息するようなヒマ人はアメリカにはいない。

 「武士道精神の復活」
情緒を育む武士道精神 は日本の風土に適合した思想。武士道はもともと、鎌倉武士の「戦いの掟」だった。いわば戦闘の現場におけるフエアプレイ精神をうたったものである。しかし、二百六十年の平和な江戸時代に、武士道は武士道精神へと洗練され、武士道は、日本人全体の行動規範となった。

 最近、欧米の歴史学者の間で江戸時代を見直す動きが高まっている。彼らの興味は、江戸の高い文化水準やエコロジー(生態環境)だけではなく、ヨーロッパの貴族が支配者として権力、教養、富の三つをほぼ独占して尊敬されていた。

西 郷 隆 盛 と 勝   海 舟 福 沢 諭 吉

 同じく庶民から尊敬された江戸の武士は、権力と教養は独占していたものの、まるっきり金がなかったということに一様に驚いている。
金銭より道徳を上に見るという日本人の精神性の高さの表れだった。美意識の基本 新渡戸稲造は武士道の最高の美徳として、「敗者への共感」『劣者への同情』「弱者への愛情」と書いてある。まさに惻隠を最も重要視している。

 画一化する世界
グローバリズムの中心的イデオロギーである「市場経済」は、社会を小数の勝ち組と大多数の負け組にはっきり分ける仕組み。最近わが国で「失敗してもやりなおしのきく社会」「弱者へのいたわり」などリップサービスが、阿部内閣でも言われている。現実には地方は切り捨てられる仕組みになりつつある。このお蔭で失業者と中高年の自殺が急増している。

 丹精を込めた田畑を作っても,規制緩和で入ってくる安い輸入品にかなわない。グローバリズムの下でのビジネス社会では「国語よりも英語」ということで日本人としての美徳さえぐらつきはじめている。

 ここで「祖国とは国語」であるべき姿が問われてくる。むしろローカリズムの時代ではないか。世界の民族、各地方、各国家に生まれた伝統、文化、文学、情緒、形などを,世界中の人が互いに尊重し、育ててゆく。このローカリズムがそれぞれの持っている。

 普遍的価値であり、もともと日本人が持っている最大の普遍的価値と、それが育んだ誇るべき文化と伝統になる。外国語よりも読書が結びの言葉になる。己の過去を振りかへる時痛感するものだ。人類の目標は論理や合理だけでは戦争は防げないのだ。日本人の持つ情緒や形が、戦争を阻止する有力な手だてとなる。

 アメリカは目下イラク問題で頭を悩ませている。これも、何らかの手を打たざるを得なくなるだろう。民族の独立への道は、時間がかかるだろうが、グローバリズムの最期の姿が浮かんでくる。

毛利画伯の併馬 マッカーサ元帥

卑怯を憎む心 
家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛、そして最期は文学と芸術とを愛する民族になりたい。
これがどうやら著者の最期の締めくくりの言葉になりそうだ。
尚、掲題の絵画は私の軍隊時代の同期生の毛利武彦氏であります。現代は日本を代表する日本画の重鎮であります。彼の描いた桜の木の掲題に使用する許可を得ました。絵画の題名は神代素桜。

                           石 井 立 夫