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| 原 爆 碑 | ||
| 余人を以って代えがたい人物 |
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明治の改革を行った人物として、勝海舟、西郷隆盛の両名は代表的存在感のある人物として、日本人の全部が等しく認めるところである。 |
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週間新潮の鋭い舌鋒の連載コラム「夏彦の写真コラム」で有名であった。彼の著書は多く読んだが、その一部を拾って、いかに鋭い批判があっても、常に反論で返す強気の人であった。昭和14年(1939)フランスの文人レオポール・ショヴオの童話「年を経た鰐の話」を翻訳、中央公論の増刊号に掲載される。昭和16年に彼の本が出版されている。 |
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亡き父の友人であった武林無想庵に連れられてフランスに渡り、昭和5年から昭和8年まで暮らし帰国している。この様な独特の教養がありながら、その後フランス語の話は出していない珍しい教養人だと私は思う。さて、彼の著素「完本 文語文」彼の本領を発揮した「祖国とは国語である」のタイトルから極めて印象的な本だが、誠に日本人は文語文を捨てて、何を失ったか。現代口語文の欠点を衝くと文春文庫の帯に書いてあった。 |
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私は本を購入したら、先ず本の帯を見る。その後末端に書かれている著書の解説文の紹介を読むことが多い。この本の解説を紹介していた人は、徳岡孝夫氏である。その解説から著者の紹介を書いて見たい。(徳山孝夫氏は夙に有名な新聞記者、翻訳、著述家であるが、ここでは本旨ではないので省く)。 |
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死ぬまで元気だった二人のうち司馬遼太郎氏は、死ぬ三日前も連続の原稿を書いていた。ただし腹部大動脈破裂という一撃による死だったから、戦死と同じで、来し方を振り返る暇もなかったろう。私が親しく知るのは平成十四年十月二十三日に逝った山本夏彦翁の方である。文芸春秋の「愚図の大いそがし」をはじめ連載を四本かかえ、死ぬ一年ほど前に入院(胃癌)し胃を全摘出してからも、しばらく書き続けた。 |
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一度退院し聖路加病院に入り直し後も、見舞った編集者の話では、「とてもホスピス病棟の患者ではない」というほど元気だった。八十七歳だった八十代になっても、夏彦翁は菩薩にならなかった。 |
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世の中のすべてを笑って宥す、仏様のような老人もいるが、翁は平気でトゲのあることを言った。「よせやい」秋霜烈日の世相評、人物評だったことが何度もあった。 |
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誠に文は人なりで、翁の人となりもその文章と同じく、一見では当たりが柔らかだった。だが柔らかではあったが、隠せどあらわるる圭角があった。つまらぬ言説は鎧袖一触。文にも人にも、しっかりとメリハリのきいた、骨のある、規矩(人の行為の標準)の正しさがあった。翁の没後、同じような文にも人にも会わない。生前の翁に払った畏敬の念が、いっそう深くなる。 |
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翁は日本のどこかに誰も知らない地下基地がる。そこから最高司令官が次々に指令を出している図を想像する。彼は文部科学省、日教組、有名大学、自治体、NHKなど等あらゆる目標に工作員を送り、文語文の痕跡を最期の一点まで消そうと奸智をこらしている。 |
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これより恐ろしいテロはない。夏彦翁は果敢にテロリストと戦った。(この後解説は続くが、この辺で打ち切る)さて、私は「茶の間の正義」中央文庫の本から、実に面白い、いかにも面目躍如としており、単に笑って済まされない文言があった。一冊の本だから、全部を紹介することは出来ないので、三例だけを紹介してみる。 |
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其の一・・・平成18年8月31日産経新聞に日本を探す、山本夏彦の言葉が5号で出ている。失われた「柱石」を問い続けてとあった。「原爆記念日を期して私はこの写真を千万枚億万枚複写して、世界中にばらまきたい」夏彦がこれほど感情を露わにした文章を書くのは珍しい。昭和54年夏のことである。 |
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そこまで夏彦を駆り立てたのは、日本が独立を回復した27年の夏に発行された「アサヒグラフ」だ。20年8月6日の原爆投下直後、「科学朝日」の記者が広島に入って撮影した写真が、占領軍の撤退によってやっと日の目を見たのである。酸鼻を極め筆舌に尽くせぬ事実を目にした夏彦は、(原爆許すまじという。何という空虚な題目だろう)と、国内の禁止運動への懐疑を表明したうえで冒頭の言葉を吐いていた。 |
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文語文を捨て去ることで伝統と絶縁し、占領政策によって一方的な歴史観と浅薄な人間観を吹き込まれた日本人は「柱石」を失ってしまった。繰り返し繰り返し鋭い言葉の矢を放ち「柱石」の存在を知らしめようとしたのが夏彦であった。 |
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伝統との絶縁は、文語文を捨て去ったことと表裏一体だ。夏彦の膨大な著作の中から一冊を選ぶとしたら?と尋ねると、徳岡孝夫さんはためらわず「完本 文語文」を挙げた。 |
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その心配はご無用である。年賀状は必ず着く。この春着いたら、来春も着く。着かなければならないわけがあると、私は保証するにはするだけの根拠がある。郵便局に言わせると、郵便物は無事に届くはずがないものだそうである。其のわけは、耳にたこができるほど聞かされている。私は郵便遅配の責任者が、詫びたとも辞職したとも聞いたことがない。 |
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それは死傷者が生じないからで、新聞に花々しく出ないからである。出るのは年賀状の記事くらいだから、これさえ無事に配達すれば、世論の非難は受けまいと、元旦に配達して、市民をあっといわせるのである。郵税は本の目方によって違うから、算出してもピンとこないから、そこが郵政省の付け目である。 |
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以前は転居先を届けておけば、何年たっても転送してくれたのに、今は一年限りで転送してくれない。一年以上は差出人に戻してしまう。いったい郵政省は、郵便を何と心得ているのだろう。値上げして、しかもサービス全廃に等しい現状をもたらしたのは、郵政省の幹部だろう。すなわち、年賀状さえ無事に着けば、世間はさわぐまいと期せずして上下心を一にして、お正月だけでどっさり配達するのである。 |
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デパートなら、ウソにもとんで詫びにくるところである。公僕だからそうしない。かえって立腹して、私を袋たたきにしようと勇みたつと知っているから述べたのである。 |
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其の三・・・読めない書けない話せない「なるきち・おもあせ」って何だと、新米に問われた新米の社員がある。共に大學出たてのホワイトカラーで、問われたほうは思案して、やがてにこにこして答えたという。成吉思汗(じんぎすかん)。・・・・実話である。成吉思汗をなるきち・・・・と読む青少年が多いとは知らなかった。私なら即答できなかっただろう。それができたのは、彼らの周囲に「なるきち」と読む連中がいる証拠で、それを思い出してのご名答と察しられる。 |
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しているように見えるけれど、昨夜のテレビは面白かった、みたかい?と相手の顔色をうかがっているだけである。第三者にはチンプンカンプンである。あれは単なる笑いであり、叫びであり、符牒にすぎない、話ではない。そして本と雑誌は乱造されること、テレビの番組以上だから、いくらきょろきょろしても、目顔でサインしてくれるものではない。 |
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だから、近く実のある話は全滅して、符牒と奇声の交換のみが、コミニュケーションのすべてになりはしないかと、ひそかに私は案じている。やがて、大學は全員入学可能となるが夏彦翁の嘆きは身につまされる話だ。以上夏彦翁の話題を取り上げたが、余人を以って代えがたい人物に指摘した私の選択は正しいと思ったのはご理解戴けると思う。 |
| 石 井 立 夫 |