名養の金メダル
バロン西竹一大佐

 硫黄島で戦死したバロン西竹一大佐に再登場してもらう。硫黄島で最期の戦いで戦死したことは前編の私の報告で書いた。硫黄島の最期の通信は日本へは暗号ではなく、生の言葉で報告を続けたらしい。つまりアメリカ軍の上陸で、本格的な戦闘状態になったので、暗号通信の秘密を守るために、焼き捨てたのである。

 大本営への報告は、一方的に生通信でのみ、発信していたのである。従って大本営からの通信は受けられなかったのである。栗林中将は大将に昇格、西中佐も大佐に昇格していたのであるが、二人とも自分の昇格を知らなかったのである。遺族には届けられたであろうが、

 昭和七年ロスアンジェルスで行われた第十回オリンピックで、乗馬で優勝したことは有名な事実として伝えられた。当時は西中尉だった。乗馬名はウラヌス号だった。西中佐にとってはウラヌス号は青春のすべてだったといい存在であった。帝国競馬協会の馬事公苑に引き取られて老後を送っていたのだ。硫黄島に行けば二度と戻ることはない。

 西はウラヌス号に最期の別れをしにきたのだ。ウラヌス号は言葉は言えない、だが狂気した。馬首を竹一の腕にこすりつけ、その腕に何遍も愛咬(アイコウ)をくりかえしていた。馬が人間に示す最高の愛情の表現なのだ・・・・・西はウラヌス号のたてがみの一部を切り取ってポケットにしまい、木更津から爆撃機で硫黄島に飛んでいった。

 軍隊というところは、面白い言い伝えがあった。乗馬については、(一)顔(二)服装
(三)馬術という言い伝えである。顔は男前という前提ではなく、きりりとした顔つきのことであり、顎を引いて、服装もきりりとした乗馬用の服装であり、最期に馬術の技術が出てくるのである。つまり、乗馬というものは、昔から優雅、上品、金持ち階級のもの、というイメージが強く、もともと乗馬クラブという特別で上品なものというものだったらしい。

 しかし同期に入隊したもので、高橋義尚君は中学生時代から乗馬を始め、現在でも有名で高級クラブの東京乗馬クラブで乗馬を始め、当時からバロン西中尉が練習している姿を知っていたという。K大学では、天覧試合で優勝するまで上達していたという。

 原田平三君は大学で乗馬クラブで練習を重ね、現在の馬事公苑に、優勝を果たした西中尉の馬ウラヌス号が繋がれていたのを知っていたという。其の他、多くの学生時代からの経験者が半分の割合で入隊していたのである。

ウラヌス号と西中尉 スペイン速歩

 このように大学時代から乗馬部で経験を積んだ同期生と、初めて乗馬を経験した素人が、同時に入隊し、一ケ月だけ、別の訓練を受けたが、その後は同時に組み合わされ、乗馬を練習したものである。実際に訓練を受けたが、朝晩の馬の手入れ、馬小屋の掃除、馬糧の与えなど、馬糞の処理、事実はひどい訓練を受けたものである。

 話はそれるが、軍隊という所は、兵隊の素質を面白い言い方で表現していた。
射撃ボンヤリ、馬鹿馬術、オツチョコチョイの銃剣術という表現があった。射撃は神経質な兵隊より、ボンヤリした兵隊が上達する、馬鹿馬術は、人間が馬鹿になって、細やかな技術で、馬を操作しないと馬は言うことを聞かないという意味で、実際馬は素人の人間を見分けるのは実によく知っており、最初は鐙(アブミ)で蹴っても、知らん顔をしている。

 上級な馬術をしている人を見れば、実に人間が馬鹿になって、操作をしているのだ。
スペイン速歩などの上級馬術は、見ていると実に簡単に見えるが、操作は並大抵のものではない。障碍飛越という訓練も受けたが、経験者はいとも簡単に飛び越えるが、素人の兵隊にとっては、死に物狂いで飛び越えた。

 オツチョコチョイの銃剣術とはよく言ったもので、確かに上手な者は手早いものだった。
バロン西竹一中尉は、東京乗馬クラブで見事な練習を繰り返し、障碍飛越競技でついに優勝の栄を勝ち取ったのだ。彼はバロンと言われる金持ちの家柄だった。
ウラヌス号は私費でイタリアから購入したものである。

 当時の金で6,000リラ、現在の日本円で換算すると1,620円だが、日本全国の馬市場で取引されていた馬の値段は一頭100円が相場であった時代で、当時のイタリアでも300円も出せば最高級の馬が買えたという。

 家柄が良かったため、乗馬クラブで練習を重ねたのだろう。本来乗馬は高級なスポーツで現在でも裕福な子弟が馬術訓練をしている。環境の良いスポーツであるが、現在でも軍隊時代の同期生が昔話として語るのだが、私は復員してからは一度も馬に乗ったことはない。

 

 余裕もなかったが、矢張り苦労した思い出が残っていたのだろう。
戦局が悪化し、乗馬の利用も出来ない終戦の時には、むしろ馬が邪魔になり、200頭にのぼる馬を疎開させた思い出ぐらいしか残っていない現在だ。
田舎育ちの兵隊は、一頭当たり800円で分けてもらって、欲張りの兵隊は三頭も併馬して箱根越えをして帰還した。当時は馬は田舎では貴重な存在だったのだ。

                       石 井 立 夫