上 海 バ ン ド 風 景
繁栄の流れ黄浦江

 上海の母なる川であり、租界時代の西洋風建造物が並ぶ「外灘(バンド)」は黄浦江沿いにあり,現在年間600万人もの観光客が訪れる。私の生まれ故郷であり、昭和12年まで育ち戦後は訪問していない。父は終戦後、現地で中国政府(当時は蒋介石軍)に紡績技術者として、徴用され昭和28年に現地で死亡した。

 母親は昭和19年に引き上げ者として、大分県に引き上げたが、住居がなく、親戚の家で昭和23年に死亡した。まさに、故郷である上海の黄浦江について、まことに残念な新聞記事を観た。

 インフラ(infrastructure)が整備されていない現状は、中国の多面に亘る記事を観るたびに、同情しているが、急速に完成されるものではない。共産主義政府を建前にし、オリンピック開催を控え、矛盾を抱えながら、インフラ整備をしながら、他国の援助受け、ピッチを上げている状態らしい。

 生まれ故郷を非難するのは、望ましいことではないが、黄浦江だけを取材した新聞報道を観て、いささかショックを受けたが、忌憚のない報道の実情を述べて見たい。この川は従来から汚濁水として、誰もが知るもので、子供の頃から、この汚濁色が当然のものとして認識していた。

 新政府ができたとしても、其の色は変わるものではないが、インフラの遅れが、未だに続いており、手のつけようがない実情であることに、改めて驚いたのである。戦前子供の頃、モードン車(屎尿)が街の主要道路を走り、屎尿(しにょう)を集め、北四川路(昔の道路呼び名)に、黄板橋(ワンパンジョウ)と言う名の幅30メーターくらいの橋があった。

 そこに艀(はしけ)が待機し、其の中へ、集めた屎尿を投入、黄浦江へ流していた。当時の上海は英国の共同租界であったため、外人、日本人は立派な水道処理のプールがあり、精製された水道水が供給されていた。それでも不衛生の恐れがあり、フィルター器を使用して飲み水として、使っていた。

 一般の中国人はモードン車を使い、一般道路に水道管が設置されていて、中国独特の模様を施した便器を、各家庭に一個使い、家庭人が使用していたのである。笑い話で、日本軍の兵隊が、日本式のオヒツと勘違いをして、それにご飯を入れて、供給したと言う話が残っている。

上 海 の タ ワ ー 上 海 の ビ ル 街

 まさか現在はモードン車はないと思うが、屎尿は相変わらず、黄浦江へ流している証拠として、大腸菌の数が1Liter当たり1万2000個も有ったと報じられている。其の他洗濯水など生活排水が大量に川に垂れ流されたことを示すABS数値が異常に高いと言われている。最新の水質検査の結果を目にして、ゾツとしたと言う報道がある。

 黄浦江の上流にあたる大瑚で5月下旬、水質汚染が進みアオコが大量発生して大瑚を水源とする無錫市(ムシャク)の水道水が臭くて飲めなくなったことがあった。その時の窒素含有量が4mg。これでも日本の富栄養価の20倍の目安である限界値の20倍になる。黄浦江を、上海市は水源として外灘近くに取水口がある。

 もちろん上海市当局も黄浦江が水道水に向かないことに気づいており、比較的ましな楊子江からの取水を始めているが、それでも上海市の7割近くはまだ黄浦江の水を使っているらしい。浦東(プートン)は、その昔は何もない、普通の農村地帯だった。それが現在は飛行場の着陸地と化し、其の近辺は見事なビルが建ち並び、大都会の風景を呈している。

 外国客は立派な設備に、驚き、現在は地下道が出来て,真っ直ぐに上海の繁華街へ直通していると聞く。しかし残念ながら、夜になるとひどい悪臭が漂い始めたという新聞記事が出ていた。上海の地方紙「新聞晨報」(5月30日号付)によると、浦東空港南の海岸沿いにある「上海老港生活ゴミ処理場」から午後9時になると南風に乗って動物の死体が腐ったようなにおいが空港に漂ってくるそうだ。

 処理場には上海中の生ゴミが船やトラックで運ばれてくるので、特に夏場の悪臭がひどいそうだが、問題は中国では生ゴミは焼却処理などせずそのまま地中に埋められることだ。その結果、とんでもない悪臭が周辺を襲うわけで、ゴミの山は地下水につながる立派な公害源にもなる。

 人口増6億から13億に、逆に600万平方Kilobあった居住可能面積は砂漠化などの環境悪化で半減した。酸性雨は国土の3分の1を覆い、中国全土の河川湖の7割が深刻な汚染に悩まされている。さらに3億の農民は安全な水が飲めず、4億の都市住民は大気汚染で呼吸器疾患を患っている。

 上海は4000棟以上、ビルに飾られた派手なネオンは黄浦江の水辺に見事に映える。
だがその繁栄の足元ではヒ素を含んだ川が流れ、生ゴミの山は地下水さえも汚染しているのである。

上 海 の 公 園 上 海 の 公 園

「自分さへ良ければ」という中国人のマナーの悪さは,公共心の無さが、いまや上海の生命線をも断ちかねない状況になっているらしい。尚、カタカナで書いてある中国語は、戦前私たちが使っていた上海語で、現在は北京語になっている。

 昔の上海は変わり果てたが、何時の日か、昔の都会風に溢れた街に帰って欲しい。再び訪れる日がないかもしれないが、夢だけは失いたくない。

                          石 井 立 夫