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小堀流踏水術

  肥後細川藩では、寛永10年(1633)、甲州浪人河井半兵衛友明を江戸から迎えて
白川の八幡淵で徒士の水練の指導にあたらせた。
以来歴代の藩主は游ぎを武用として奨励した。
  宝永の頃(1700)には小堀流流祖村岡伊太夫政文はすでに一流をたてて
白川の天神淵で上士の游ぎの指導に当たった。
  政文の次子小堀長順常春は上士の師範として父の跡を継いだ。
この流は藩校時習館の武芸としてその伝習は明治維新までつづけられた。
長順は宝暦6年(1756)、踏水訣、水馬千金篇を著し出版した。
これは我が国の水泳書籍として最古の刊行である。後に水練早合点も出版された。
  5代師範小堀水翁より流風大いに賑わい、
稽古場10数ヶ所、教えを受けた者1万人と称せられた。
水翁は游ぎ方と游ぎの名称を確立し、相伝についても体系を整えた。
また、「水学行道10か条」や、游に関して数々書き残している。
  6台師範猿木宗那は明治34年(1901)、
小堀流踏水術遊泳教範を出版し、団体教授の分解的方法を明らかにした。
  明治の中葉7代師範小堀平七は学習院に奉職して、
皇室、皇族,華族の指導に尽瘁し叙位叙勲をうけた。
  8代師範城義核は京都武徳会に、
宗那の次弟西村宗系は長崎、山口にそれぞれこの流を伝えた。
  小堀流は手繰游を基本として、立游を特技とする。特に御前游は有名である。
  現在、熊本、学習院、京都、長崎にその伝統を保っており、
近年、佐賀、青森でも行われている。
 八幡淵で行われた河井友明の伝承は、その後絶えたので、
明治の末、沼正直によって復興が試みられたが、また絶えてしまった。
《日本泳法大会のプログラムより抜粋》

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