ETじいちゃんの四方山話1
緑色の所で 録音放送の一部をADSL以上で聞くことが出来ます
このページには各種「著作権」が有りますので御理解をお願いします、問い合わせはメールで。

☆のマークには写真が貼り付けてあります
始めに読んで 名作者になり損ねた話 話の舞台となった地図
放送開始ジングル@ あけみのカフェブランチジングルA ジングルB 放送終了ジングルC
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四方山話「第一ページ」
1.正月のミカン
2.受験勉強
3.節分
4.髭 ☆
5.ニワトリ ☆
6.湯たんぽ ☆
7.誕生日 ☆
8.夜の街 ☆
9.安全運転
10.雪印
11.渡り鳥 ☆
12.入園入学 ☆
13.金の卵
14.花壇 ☆
15.連休と焼肉 ☆
16.毛虫 ☆
17.お祭りと獅子舞☆
18.サクランボと農薬☆
19.馬 ☆
20.キャンプ ☆
21.海水浴 ☆
22.草取り ☆
23.盆踊り ☆
24.キリギリス☆
25.ホタル
26.スイカ ☆
27.ドジョウ ☆
28.茄子とキュウリ
29.ネズミ ☆
30.トンボ ☆
四方山話「第二ページ」
31.カニつり ☆
32.オリンピック
33.字が綺麗
34.保護しすぎ
35.ビンタにゲンコツ
36.ダンス×3 
37.ヤギと鳩 ☆
38.学生時代 
39.炊事
40.ペット ☆
41.遊び
42.円形脱毛症
43.有線電話
44.洗濯機 ☆
45.お風呂 ☆
46.恋愛と結婚
47.川魚釣り
48.ジンギスカン
49.スポーツ音痴
50.再生するイモリ
51.豚とホルモン
52.トマト
53.奉公人
54.真似したい
55.数の子
56.シバレる朝
57.テレビと人工衛星
58.終生免疫
59.水 害
60.七転八起の結婚
四方山話「第三ページ」
61.やめてよ!
62.元ドライバー
63.どっち!?
64.治寮院では?
65.酒には強い?
66.痛かったなも〜! 
67.外国人が来た
68.ボケの始まり
69.東京
70.へびが出る
71.怖い話
72.乗せて来てよ
73.座薬はこう飲む
74.初キッス
75.火葬場はどこ
76.ほうじ茶
77.原子爆弾
78.爺に成った
79.愛護保護団体へ
80.出稼ぎは楽しい
81.総領の甚六
82.初めての弁当
83.傘に負けた
84.豚とハエ
85.音楽と私
四方山話「第四ページ」
86.癌検査
87.内視鏡検査
88.入院
89.手術前
90.手術
91.手術後
92.手術翌日
93.大部屋に戻って
94.抜糸と熱
95.抗がん剤服用
96.帰宅
97.することは沢山有る
98.病院の思い出
99.健康一番
100.保険に入ろう
101.妻のくも膜下出血
102.癌再発と転移

始めに読んで

北海道の中空知コミュニティーFMラジオ
FM,G`SKY「あけみのカフェブランチ」の
「ETじいちゃんの四方山話コーナー」で
放送された文章を編集して載せてあります

今はパソコンの時代、私もパソコンと言う物ががほしい、
でもパソコン買って何をしようかと考えました
私は学生時代は国語が苦手で通信簿はいつも2(5段階評価)
文章なんか書けるかなと思っていましたが、戦後生まれの自分の時代の
移り変わりの激しかった時代の話を自分なりに書いて見たいと思ったのです。
私が若かったあの頃の、人の来なくなったお祭りでの案山子祭りの企画や、
のど自慢大会、バンドを作ってあちこちに呼ばれて演奏したダンスパーティや
中学生との合同演奏会も、あの無謀な行動も行事も仲間と沢山の皆さんの
応援と協力で、何とか無事にやってこれました、一重に仲間と皆さんのおかげです。

あの時の気持ちの良さが今も心に残っている、そうだあのころのことを
文章にしてみよう、書けば何とか成るだろうと思って書いていたところでした、
ちょうどそんなころFMGSKYが本放送を始めたのです。
私の仕事柄、手元を見ていないといけないので耳だけが自由になるラジオ、
地方局は地元の動向がわかるのがいい、少しでも何かが私の為に成るし、
若い人たちが何とか安定した放送局にしたいと頑張っている、
FM'GSKYずうっと応援していこう、と思っていました、

以前の試験放送からのDJの知り合いやファンであった人達が、
いつものように、FAXやメールをDJ宛に送っていた、その文面を見て
DJは喚起の声を上げるかのように読み、やりがいのある仕事に興奮していた、
少ないFAXやメールを心待ちにしていた、どの放送のDJもそうであった、
いつも聞いている私も、FAXが来ない来ないと嘆くDJに、歳甲斐も無く
FAXやリクエストを送ってみたいが、度胸とそのきっかけが無かったし、
肝心のFAXの送信機もなかった、新しく始まった放送を聴いていたら
一人のセキをしながら放送しているDJがいました、

DJのセキが段々気に成ってきた、明日は少しでも良くなって
いるのだろうかと思って聞いていると、そのDJのセキは少しも
良くは成らず、頑張れば頑張るほどだんだん、ひどくなっていった、
かわいそうだ何とかできる方法は無いか、そう考えた時から、
変なE・Tじいちゃんのお節介が、お出ましと成ってしまったのである、

あの日は、つい先日友人からいただいたばかりのFAXで、まだ身内にしか
送信したことが無かったのだが、ついにパソコンで文面を打った
DJが可哀想なのでセキの止め方を書いてFAXを送ったのです
どうしよう、FAXを送ったはいいが恥をかいて我が家の家系や血統に傷を
付けるのでは?などと思いながらも、お節介なわが身に感心しながら、
恐る恐る送ってしまった、その日のDJの番組が終わってからであった、

次の日、平成13年11月28日13:00に、
「昼下がりのカフェテラス」、DJあけみですといつもの様に放送が始まった、
わたしは始めて出したのでいつ読むのか、没になるのか判らなかったので、
何と無く聞いていたら突然、読み始めた、聴いていて恥ずかしいというか
何とも変な気持ちであった、やはり上手に読み上げてくれた
わが家系に傷は付かなかった、ほっと一安心、ついついお礼の文章に、
書き始めたばかりの自分の作文を載せてしまった、

その上手くも無い文面を聞いて感動した人から、むかしを思い出したら
心が休まったとの返事もあった、
数日後DJあけみさんが、恋愛についての話を募集していた、
待っていましたとばかりに、己の醜さ恥ずかしさも、そっちのけ、
何とも無謀にも恋愛論をぶち上げた。

その次は孫が生まれた日にまたまた喜びの作文を送ってしまった、
セキの件でDJあけみちゃんと知り合いになり、
彼女のセキも段々おさまり彼女は健康を取り戻しました。
私はリクエストのついでにつたない文章を書き込んで送ったのです
2ヵ月後、番組名は「あけみのカフェブランチ」に変わり
DJあけみちゃんは私のコーナーを作り
ETのバックグランドミュージックまで用意してくれました

もう後へは引けません、恐ろしいことも忘れて送るは送るは、
受けるほうはどう思っているかなんてお構いなし、もう後は知りません。
ついつい作文に弾みがついてこんなに書いてしまったのです。
10ヶ月必死で書いた文章の一部をここに乗せてあります。
さらに続編も書いて載せていきます。よろしく。

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名作者が誕生し損ねた話

ここ数年の間に全国的に滝川市は大変有名になってしまいました
デモ私は全然有名になりません
この作品の作者は本当は自分の作品を立派な本にして出版することを
夢見ていました。この作品の作者は学生時代の国語の通信簿は
いつも「2」でした(5段階評価)。ですから、そんな作者が真剣に真面目に
書いても作品が良いはずは有りません。でもこの作品を読んだ出版社は
大変ありがたい評価を作者に送ってくれました。

すぐにでも作品を製本して出版しましょうと作者に声がかかりました。
1000冊製作して全国の大きな本屋に置かせて貰って宣伝してあげますと
うれしい言葉、作者は飛び上がって大喜びしました、天にも昇った心境でした。
作家の第一歩を踏み出すところでしたが、でも、、、、、
良く聞いて見ると何と自費出版でお願いしますとのことでした。
売れても売れなくても最低177万円くださいとのこと。

作者は作品を売って自分と家族の生活を楽にしようと
大きな夢を描いていましたが、何と夢ははかなく消えたのです。
出版社は多くの作者の生活のことよりも、
自分たちが儲かればいいのだという考えなのでしょうか??、
一冊売れたら20円上げますと言うのです。
なぜ200円ではないのですか???。
一冊1000円でなく1200円で売ればいいのです。

世の中昔からそうですが、(例として)絵を描く作者が生きているうちには、
儲かった作者は余りいないのです、作者が死んでから、その作品が
途方も無い金額で取引されています。
(私の作品もそうです??なわけないか)
つまり芸術なんて、良いと思えば良い作品、誰かがほめれば皆がほめ、
値段も有ってないようなもの、興味のない人には何の値打ちも無いのです。
自己満足と利益追求の為に芸術の世界が動いているのです。

てなわけで「ETじいちゃん」は、自分の作品を無料で
ホームページに公表することに決定しました。
「ETじいちゃんの四方山話」私の人生の一部を読んで下さい。
お代金は本当はほしいのですがこの際思い切って要りません、
感想文でも送ってください、よろしくと作者は涙ながらに申しております。
先日、作品の1番から30番まで読んでくれた方がいました。
何と2時間かかったそうです。
昔を思い出したと言って喜んでくれました、大変めずらしい奇特な方です。
有難うございます、心から何とお礼を言っていいか解りませんから、
言いませんが、皆さんの中で、お暇で物好きな方がいらっしゃいましたら
読んでみてやって下さい、作者もそう申しております。

      取り上げた作品ですが放送した作品内容を書き直しながら、
只今続編書いてます、出来次第アップしていきますので宜しく。
完成するのは何時になることやら。お楽しみに!!

推薦の言葉及び代筆者そして作者 ?  ETjiichann 
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生まれ育った雨竜町の地図はここをクリックすると見れます

話の舞台となった地図

滝川市役所から北西のほうを見る

1、正月のミカンとお年玉

子供の頃は親戚の人が年始に来るのを待ちこがれていました。
正月にはお年玉をおじさんおばさんから沢山いただいたものです。
今はやっと甥っ子姪っ子が大きくなって社会人になってきたので
お年玉が出て行くのが少なくなりましたが、
今度は孫が増えてきたので、いつまでたっても、出て行くばかりです。
早く大きくなって、じいちゃんに小遣い返してください、といっても無理かなー。

皆さん少しでも親に返しましたか。私が子供の頃はお年玉は百円札で貰いましたね、
高校生になって始めて千円札で貰ったと思います、
今はもう5千円では、喜ばないようですけど一万円札ですかねー、
近頃は正月には子供の方が金持ちで、
子供にお金を貸して頂いた正月もありました、
皆さんはそのようなことは無いでしょうけれど、お金のない正月もありましたね。

いつも正月になると思い出すのが、シバレタミカンです、
皆さんは若いからシバレタミカンを食へたことが無いと思いますが、
私が子供の頃は、
今のようにシバレていないミカンはめったに食へたことがありません。
またミカンは正月しか食へたことが無かったような気がします、
田舎でしたから、輸送の関係でミカンはいつもシバレていましたから、
一つ食べるのには時間がかかりました。
石炭ストーブかマキストーブの湯沸かし器の中に入れて、
シバレタのをもどしたり、ストーブの上で焼いて、とかしたり大変苦労しました。
小さな木のミカン箱で、家でも一箱買うのですが、
小さい箱ですから一人に幾つも当たりませんでした。
私は小さいときから歯が悪く虫歯でしたから冷たいものは歯にしみるのですが、
ミカンのとけるのか待ちどうしくて、
いつも歯にしみるシャーベット状の冷たいミカンを食べました、

今みたいに甘くて美味しいミカン、というよりは少し酸っぱくて、
みんなの顔を見ているだけで、もう生ツパが出そうなミカンでした。
冬のくだものと言えばそれはもう世界で一番の「江部乙のりんご」と、
このミカンだけだったような気がします。
今は何でもあるけど、
何も無かったあの頃の貴重なシバレタミカンがなつかしいと、
思い出しながら箱を独り占めして好きなだけ食べて、
美味しいミカンに、涙している、今日この頃です。

  しばれたみかん現在販売しているんですね、販売店有りました

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2、受験勉強

昔は高校に合格したら本人の名前が新聞に出ましたので、
親戚の子供が合格したのかどうかがすぐに分かったのですが、
今は、なかなか分かりません、電話をかけるにしても、何となくおっくうですよね、
親戚の子供がどこを受けたのか受験番号は何番か始めに聞いておけば
すぐに分かるのですが、皆さんはどうしますか、なかなかむずかしいものですね、
私の方は、甥があと一人高校を卒業して大学受験するのしかいませんから、
余り心配でもありませんが、昔よりは倍率が低いので余り心配しなくていいですね、
受験生のいるみなさんは大変ですね、受験生に気を使っているでしょうね、
試験日の前2日ぐらいは
何も考えないで頭の中をすっきりさせておいた方がいいと思いますよ
あまりにも勉強しすぎて脳ミソの中がゴチャゴチャに成っているのですから、
整理整頓するために、何も考えないでゆっくり寝ることがいいでしょう。

血液もそうですが、栄養の3分の1位は脳ミソが使うようですから、
栄養をつけて試験に臨むほうがいいでしょう、腹いっぱいでは駄目です、
消化に血液が使われますから、脳ミソに血液が回るように、
早めに消化するものを食べさせて上げましょう。
パソコンをいじっていると余計にその事が解かります。
何でも詰め込み過ぎるとパソコンの反応が悪くなってきます、遅くなったり、
動かなかったり、変になったりします、
そんな時はきちんと整理をするように命令してあげるのです、
パソコンが自分で時間をかけて内部を整理整頓していますよ、
其のあとは、元のスピードに戻っています、

人間と同じなんだな〜と思ってみています、
我々も少しでも眠ると頭がすっきりするでしょう、
寝不足の時間を気にしている人がいるようですが、
時間ではなく、いかに脳ミソが休んだかが大事なのです
熟睡10分で、だらだら寝ている1時間に相当するとの事です、
私が高校受験の頃は、
田舎から試験に出てくるのは大変なので前の日に滝川へ出てきて
三浦華園に1泊して修学旅行気分で高校受験に行きました、
あなたが、この文章を読んでくれたおかげで、お子さんは大丈夫です、
ETじいちゃんの御利益が有るでしょう、

本当かな〜何て、思ってはいけません、信じるものは救われる。
自分のお子様も信じてあげましょう、
いまさら勉強しなさいなどと言ってはいけません、
みんなそれなりにピリピリしているのですから、子供なりに考えていますよ、
心配しないで受験に立ち向かいましょう。
受験シーズンになると昔は受験勉強で毎晩、夜食の鍋焼き食べたいので
受験勉強したような気がするな〜と思い出しているこの頃です。

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3、節分

なんだかんだと言っているうちに正月が過ぎて、もうこの次は節分ですよ、
昔は厳粛に鬼を追い出そうとして奥の部屋から順に部屋中、豆を撒いていました、
大きな声で「鬼は外,福は内」といって皆さんはきちんと豆を撒いて、
鬼を追い出して福を呼び込んでいますか、皆さんならきちんと豆まきをしているでしょうね、
私ですか私は自慢じゃないけど、近頃は豆をお腹の中に撒いて終わりですからね、

自分にあきれてしまいます、
はい神様ごめんなさい、どうりで近頃どうも幸せでないと思っていました、
照れくさいんですよ家内の顔を見ながら大きな声で言うのは、
今は隣にも聞こえないように撒くでしょう、昔は隣が100Mは離れていましたから、
わざと大きな声で撒きましたよ、この辺で気を入れなおして、この不景気ですから、
3日の節分には昔のように思いっきり大声出して豆撒きしましょう、
皆さんも一緒にやりましょう、本当は子供に任せて自分では撒いていないんでしょう、
以前にこんな事を言っていた方がいました覚えていますか
「節分過ぎれば日はまた昇る」とね、
それを信じてこの節分には豆を思いっきり撒くぞと密かに誓っている
豆好きのETじいちゃんでした

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4、髭を剃った時のお話

放送の最初の部分はここに書いてありません、別に書く予定です
先日、入浴券をプレゼントしていただいたので、上砂川の温泉に孫たちと行ってきました。
いつまでも体がホテッテいていいお風呂でした、ありがとうございました。
お風呂に入ったついでに一年も生やしていたヒゲをさっぱりと剃り落としてまいりました。
ヒゲを生やしてみたのは2度目ですけど、別れるのは寂しかったですね、
孫に見取ってもらいましたよ、ヒゲを剃るのを変な顔してみていました、

最初にヒゲを生やしたときにも猛反対がありまして、1年目に剃った時の事、
息子の目の前でお父さんに何か変わったことはないかいと聞いたら私の顔を
シゲシゲ見て何もないと言うのには家内と大笑い、
あげくのはてに、歯が痛いのかいと言われてまた大笑い、
毎日見ている息子でさえ親父の顔のヒゲを気にしていないのには、ビックリですよ。
そんなもんでしょうね、気にしているのはホンの数人、
世の中、人のことなんか気にしなくなったのでしょうね。

若い人たちは特にそうでしょう、でも時代がそうなんですよ。「今の若いもんは」
何ていうのは昔から年寄りがズーットそういい続けていますよ我々も言われましたし、
私もそう言いますよ、フォークソングが歌われ始めた時もそうでしょうし、
エレキバンドのときも、長髪も、ジーパン、ミニスカート金髪、
シャツの裏返しなのかどうかわからないシャツよく注意されたって聞くでしょう、
シャツを出したり、シミーズのようなのを出して歩けば
みんな注意されたりしませんでしたか?

近頃はもういないのかなガングロ、ファションは色々ですよ。
ですから下手に注意なんかできませんよ間違っているのはあなたではなく、
私なんですから、男ができるのは化粧じゃなくてせめてヒゲか髪の毛ですよ。
ヒゲを伸ばせる人はあんまりいないんです。会社員じゃ会社が駄目だと言うでしょう
男はヒゲも自由に伸ばせないんですから、自由人の特権なんです。
アフガニスタン人の彼らは、伸ばさせられていたんですよ、
切りたくても切れなかったんです、これも困りますね。

ヒゲをきちんと伸ばすのには手入れが大切で何時も気にしていました結構手入れに
時間がかかるんです、女性の化粧とおんなじですよ。さっぱりして気持ちいいけど、
ヨーシ今度は見つからないように耳毛に鼻毛にビンチョでも伸ばそうかと、
この寒空にヒゲを落として密かに第三弾を考えて震えているETじいちゃんです。
     追伸、そうそうヒゲを伸ばすと今まで感じなかった風を感じるんですよ。
風が心地よく、ヒゲをナゼルんですよ、野生動物になったような気持ち、わかるかなー。
一度伸ばしてみたらいいよ。うちの、うちのはもうとっくに生えてますよ、
亭主のやる事は何でもすぐにピーンと分るんですから、ほらあのひげで。
じゃあソーットみつからないようにバイバイ。
このヒゲでした

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5、ニワトリ

もう直ぐ春ですよ、な〜んて言っても外は寒いですけれど、
段々太陽が何となく我が家に近づいて来ているように思います。
さて今日は、ニワトリのお話をしましょう。
昔は今頃になると農家の家にはヒヨコがやって来ていました。
ニワトリの中には自分で卵をかえすニワトリも居ましたが、
そのニワトリは卵を産むのが少ないのです。

採算の取れるような、出来れば毎日、卵を産むような新しい品種のニワトリを、
多くの農家で待ち焦がれていました。いつだったか忘れましたが、
今は無き滝川畜産試験場はニワトリの品種改良では全国で大変有名な所で
最高にいい品種を生み出したので有名だったはずですよ。

我が家でも新しい品種のヒヨコを待ち焦がれていました、
ヒヨコは寒さに弱いのでそれはそれはたいせつに育てていました。
昔の農家ですから廊下の隅にニワトリの部屋が作られました。
ヒヨコですから20〜30羽でも畳一枚分ぐらいで十分なのです、
私たちも始めは可愛いから良く見に行くのですが、
それはそれは大切なニワトリですから触ったら怒られます、
見るだけだとすぐに見飽きてしまいますから、余り見には行きませんでした。
私ではなく、先祖のじいちゃんは来たばかりのヒヨコに餌を手作りで与えていました
ヒヨコの大きくなるのは意外に早く、春までには結構大きくなっていて、
ヒヨコを育てる部屋は狭くなっていました。

あの頃は寒いので
電気でヒヨコの部屋を暖めるものですから結構火災の話がありました、
我が家でも大変気をつけていましたよ、春になると大きくなったヒヨコを
ニワトリ小屋へ移しました。大きいニワトリは冬でもニワトリ小屋でストーブも
無いのに元気で居ました、新しいヒヨコと言うよりも、
もうこの頃は小さいニワトリでした、
この小さいニワトリはまだ大きいのと同じ部屋には、入れられません、
と言うより動物ですから上下関係があったり縄張りがあったりするのです。

ですからニワトリ小屋は二つありました。
この小さかったニワトリも夏には何とか卵を産み始めました
始めは小さいSSサイズの卵を産みます店では売ってはいません、
店に並んでいるSSサイズはまだニワトリの新米が産んだのです、
秋には体も大きくなって大きいのを生みます、
皆さんはニワトリの卵が生まれるのを見たり、生まれたばかりの卵を
触ったりした事が有りますか、私はよく見ましたね。
と言うのは、昔ですから、たいがいのニワトリ小屋は放し飼いで、
卵を産むための小さな部屋が3,4箇所作ってあるのです
2、3日に1個位の割りで、卵を産むので沢山部屋は要りません。

ニワトリは卵を産み終えたらその場所から直ぐに離れるのですが、
まだ生み終えないで座って頑張っているニワトリがたまーにいました。
卵を取りに行くのは、餌をやりに行く時とお腹がすいた時に
チョット失敬する時だけですから、いつもは会わないのですが、
その時は仕方が無いから生み終えるのを待っていました、
始めて産み終えたばかりの卵を触った時はビックリしましたね。

生みたては殻がまだ柔らかいのです、手に持って驚いているうちに固くなって
いきましたホンの数秒でしょうか驚きでしたし貴重な体験でしたね。
今はニワトリの餌が高いのに卵が安いので普通の農家では採算が合いません、
滝川市でも沢山の生産農家が卵の生産を止めました。今は卵を生産しているのは
飼料を自分で輸入している輸入業者でしょうか、
それ以外には高級な卵を生産している
農家だけでしょうかね。自然卵とか有精卵とかウコッケイの卵にヨード卵、
他にもあるでしょうが余り流通はしていないでしょう。
ウコッケイの卵は一個250円もするのだそうです、
糖尿病に大変いいとか聴きましたがどうなんでしょうか。

こんな話をしていたらお腹がすいてきました、
ではこの辺で失礼して
生卵を温かいご飯にかけて醤油を少し、思いっきり、かき混ぜて
ご飯に照りが出るまで混ぜて食べましょう。美味しいよ。
おかずが何も無い時はこれが最高、ところで奥様、
今日も本当にこれだけかな??
あそうそう忘れていました、私達の結婚式の2日前の夜、
妹が精力がつくよ、といって、ゆで卵を作ってくれました。止めておけばいいのに
調子に乗って2個も食べたら朝方お腹が痛いのです、何処にもいけず、
明日の自分の結婚式に出れるのかと心配しながら寝ていたのを思い出しました。
当日はおかげさまで元気になって張り切って結婚式に出かけましたよ。
この続きは又いつか私の結婚編、にでも出てくるかな、
じゃー、卵の食べすぎには注意をしましょう。

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6、湯たんぽ

むかしの家は壁は泥壁か何も入っていない壁なのでそれはもう寒くて
朝には襟元がシバレていたし吹雪のときは家の中に雪が舞い込んでいました
台所が寒く昔の人はよくがんばったと思います、洗濯物もいつも凍りついて
いたと思うけど、いつ乾いたのだろうか、風呂に入るのもトイレに行くのも
寒かった、子供も風邪でかなり亡くなったという、余り覚えていないが、
布団の中に黒いコタツが入っていたと思うのですが、私が物心付いた頃は、
湯たんぽの時代になっていました、夜寝るときは湯たんぽを入れなければ寒くて
寝むれないので、寝る前にフトンの胸元に入れておいて、寝るとき足元に
押しやるのですが、余りにも足が寒いのでくっつけてそのまま寝てしまい、
朝起きたら足に水ぶくれが出来ていた軽いやけどは、いくつあるか判らないけど、
大きなやけどの跡は今も2箇所我が足にそれも並んで残っているのです、

昔ですから余りいい薬がないので、なおるまでが大変でした、
狸の脂がいいとか、ご飯粒がいいとか、色々と私の足で実験をしましたが、
いまだに結論は出ていません。でも春までには何とか、なおったと思います、
もう何十年も前の、湯たんぽで火傷をした時の、
思い出深い柱の傷ならぬ足の傷跡です、
夜は布団の中に入れる暖房が時代と共に移り変わってきましたね、

湯たんぽから豆炭アンカへ、さらに電気アンカから電気毛布や電気敷布へと
変わっていきました、次には大きな暖房器に変わりました、
というより変わるはずでした、
私の想像が足元から崩れ落ちた瞬間です、それは、嫁さん貰ったら電気毛布も
いらないと思っていた事でした。何とこれが当て外れ、寒がりの私より冷たいのには、
がっかり、私はその後もしっかり電気毛布のお世話になっていました、
家内は私が身も心も暖かいので私を湯たんぽ代わりにして、
得をしたのは私ではなく家内でした。

「独身の皆さん冷え性の女房貰うと電気代がかかりますよ、当てが外れるよ」と、
大声で言いたい。
恋をしている時は心臓がドッキン、ドッキン、
カーットと燃えていましたから女性が冷たいなんて想像もしてはいませんでした、
いつまでも熱く、暖かい物と思っていた私が馬鹿でした。
ないしょだけど、近頃家内は、前より、もっと、冷たいんですよ??
今度熱でも出たら電子レンジで暖める湯たんぽでも買って
みようかな?なんて冬になると思い出すことがいっぱいある私です。

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7、誕生日

私の若い頃は出稼ぎに行きましたが、3月になると横浜の方は本当に暖かくなります。
北海道なら5月の天気ですよ、向こうに居ると暖かい日の昼休みには
外の芝生の上で居眠りをするのが気持ちいいのですが、
横浜がこんなに天気がいいのだから、同じ国の北海道は
もう雪が解けてしまっているのだろうと思ってしまいます。
本当に北海道が寒い所だなんて、あそこに居たら信じられないのです。
こんな所で遊んでいていいのだろうかと思い、どうしても帰りたくなって急いで
帰ってくるのが、自分の誕生日の、今頃なんです、

でも上野駅から汽車に乗って北へ向かって帰って来て、
いつものように函館の叔母さんの家で一休みしてから帰ってくるのですが、
函館はもう雪が解けていて余り違和感が無いのですが、
函館からまた汽車に乗って帰ってくると札幌を過ぎたとたんに別世界。
いつもはまだ1mは雪が残っています、がっかりですよ、
もうひと月、居てもいいのにと、何時も帰ってきてから思うのですが、
6回行って一度も4月までは居られませんでした、

本当に向こうに居たら、北国に住んでいる私でさえ、
北海道は、もう暖かいだろうと思うのですから、
雪の降り積もらない所に住んでいる人は、北海道の、豪雪だとか
シバレの−20度がどの位なのか、などとは解からないでしょう、
私が沖縄の暑さも、九州の熱さも、本当は横浜の夏の暖かさも、
知ら無いように、余り自分の住んでいる所以外は知らないのでしょうね。

今世間は北海道の、鈴木宗男代議士の事で持ちきりですが、
北海道のことを真剣に心配しなければならない立場の人が、
余りにも残念なことになりましたが、皆さんが見てのとおりでしょう、
彼のことは自業自得として、私が困った無〜と思う事は、
どんなに立派なことを言っている代議士でも
日本の隅々まで足を運ぶことは無いという事です、
殆んどの代議士は北海道の担当大臣になって
始めて北海道に来て、初めて北方領土を眺めて、
始めて北の寒さを感じて、かわいそうにと感心して帰っていくけですから、
北海道以外の何人の代議士が北海道のために働いてくれるでしょうか、

地元の代議士しか地元のためには働いてはくれないのですから、
またそうしなければ地元の人は応援しないでしょう、
もう少し自分の立場を大切にして、行動をわきまえて欲しかったと思いますし、
古い時代の元秘書でしたから、政治の世界の裏側を知っているので、
あそこまでやってしまったのでしょう、
いつの時代も困った代議士の話がえることはありませんね、
今の世の中、水戸黄門の番組が何時までも続くはずです、

内容が今の時代と余り変わりませんからネ、
建設業界も今は談合が駄目という事になって入札制度という事に成っていますが、
この法律だって大企業が何処にでも出かけて行って仕事を取ってしまう
大企業を有利にした法律でしょう、
何処かの町で電気工事の入札がわずか1円で行なわれた事もある、と思うのですが、
大企業が後々のことを考えて仕事が独占できるから1円でもいいと言うのです、
どうしようもありません、
小さな企業にも仕事がもらえるような良い意味での談合という、
仲良く仕事を分け合って、助け合っていく事が駄目だという事なのでしょうか、

法律によって逆に裏工作が盛んになるのですから余計悪いと思います、
私は思います、
キチンと公表し監視をしながら仲良く分け与えられればいいのです、
みんなだって誰かと何かを分け合う時は相談するでしょう、
何かをすればどこかに犠牲が生まれるのです、
さらに欲望がわき、利権が発生します、
ですからきちんと監視しなければなりませんが、
だいたい今の世の中、監視する人や審判までがおかしいのですから困ったものです、
オリンピックでも何かありましたしね、

何時の世も癒着に便宜に、ぞうしゅうあいが、無くなる事は無いのでしょうか。
世の中に、絶対平等、などと言うことは無いと思うのですが、
民主主義とは言うのは、
51人間違っていて49人正しくても、たった2人の事で間違った方向に
進んだとしても、それが多数決で決まる民主主義というものでしょうけど、
役人に大臣に代議士、御一同様によろしくお願いしたいですね、
私の生活楽になるようお願いしますよ、私の○×△□歳の誕生日に
何を言っているんでしょうね。
 武蔵村山で買った車で一人で帰宅,途中親戚と函館山で,出稼ぎ日産へ(横浜2年,武蔵村山4年),

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8、人口比率日本一の夜の町

  
また卒業シーズンがやって来ました。私も若かったあの頃を思い出します。
皆さんのお子さんが卒業した日に謝恩会で飲みすぎて、二日酔いしませんでしたか。
昔は酒飲みが多くて、滝川の夜の町は大変にぎやかでしたよ。
昔の滝川の飲み屋街は 駅近くに、メトロという大きなキャバレーがあって、
このメトロを中心に駅前は 大変繁盛していました。
あの頃は、農家も周りの町の炭鉱も最高に景気がドンドン、
良くなって来ていましたので 夜は大変な人出でにぎわっていました。

でも新しい飲み屋街が、本町の方に出来てからは、
急激に駅前の飲み屋街の客足の 流れが変わりました。
ちょうど30年前ごろでしょうか。
その頃の滝川の飲み屋さんの数は、人口比率にして 日本で一番でした。
聞いたことが有るでしょう、夜になると滝川の回りの町から沢山の人が飲み屋街に
繰り出してきましたね。私がタクシードライバーになったのはちょうど、この頃、
本町に移った頃でした。自家用車はまだ一部の家庭にしか有りませんでしたから、
それはそれは忙しくて、きりが無いくらいに仕事がある時代でした。

1日平均80本(回)位はお客さんを乗せて走り回ったと思います。
忙しくなると食事もそこそこに、お客さんを乗せて走りました。
昔ですから酒飲みが多くて、酔っ払いだらけの夜の町でしたね。
まったく癖の悪い酒飲みが一杯居ましたから、喧嘩もたくさん有りました。
あの頃の運転手はお客さんに、いかに機嫌よく早く乗っていただいて、
早く降りていただくかが、売り上げを、たくさん上げる 腕の見せ所でした。

本当に酔っ払いには苦労しました。何時も仕事が終わってから運転手同士の話の中で
今日は何人の酔っ払いにごねられたか、と言うのがいつもの会話でした。
わたしはいつも数人の酔っ払いにはアーダコーダとごねられましたから、
朝仕事に出かけるときに、今日は何人の大変な酔っ払いに会うのかと心配しながら
仕事に向かいましたね。今も昔も同じでしょうけど飲み屋さんでもてるような人は
ゴネマセンよね。もてない様な人が、帰りに乗ったタクシーの運転手を相手に、
うさ晴らしですから、大変な役でした。ゴロツイテいたかと思うと、
今度は寝てしまいます、家についても起きるものではありません、
私一人ではらちがあきませんから、真夜中にそちらの、ご家族を起こして
何とか降りていただいて、料金を貰ってやっと一仕事が終わりです。

またすぐ町へ戻って次のお客さんに乗っていただくのですが、
すると先ほどよりひどい酔っ払いですよ、皆さんなら、どうします??
それでもETじいちゃんはご機嫌を伺いながら家まで お送りするのでございますよ。
あの頃の私は純情でしたから、もう仕事が終わったらクタクタ疲れ果ててしまいました。
あの時以来、人のご機嫌取りやら、お世辞を言うのはもう沢山です。
口から出尽くしてしまって、今はお世辞などこれっぽちも出ません。
ご機嫌取りも、もういやです。皆さんも酔っ払って誰かに
ゴロツキませんでしたか。いやだった時代のことを思い出していると、
ほらほら来ましたよ、先ほどバーゲンで買った洋服を着て私に見せに、
奥様がこちらへ。どうしよう、お世辞はもう言いたくないのに??..........

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9、安全運転 をお願いします

春になってトウトウ道路には雪が無くなってしまいましたね。
今まで冬の間、車に乗らなかった人も、
春になると安心して車のハンドルを握っているようですから、
お互いに十分注意したいものです。
道がいいからと安心して走っているので、これからの時期が意外と事故が多いのです。
新入学で学校に行く子供たちも、みんなウキウキしています。
初めての自転車通学者も、新米の車の運転手も、いるのです。

人も車も何処からでも飛び出してきます、もしもの事があったら取り返しがつきません、
事故はほんの一瞬の出来事です。一生取り返しのつかない事に成らない様に、
十分注意しましょう。
いつも思うのですが一時停止の交差点で一時停止をしない車が
凄く多いのには驚きますね。皆さんはちゃんと一時停止していますか?
何となくズルズルズルっと走り抜けていませんか。
我が家の近くの交差点は特に事故が多いのです、
ちゃんと一時停止をしない車が多いからなのです。
キチンと止まる一時停止の癖を付けておかなければいけません。

私はあせって走っている車を見ていつも思うのですが、わずかな時間、
あせれば事故の危険はどんどん増えるのです。
さらに、スピードを出せば出すほど、大事故につながるのです。
普段おとなしく物静かな人が、車に乗ると、
人が替わったようになって、乗せてもらってビックリしたことが有りますよ。
皆さんはいかがでしょうか。余りノンビリ走るのも困りますけど、
自分の事しか考えていない運転手も結構多くて、これも困りますね、
みんな事故を起こして始めて気がつくのです、もう少し早く気がついてほしいですね、

今年も一年安全運転お願いしますよ。
サイドミラーやバックミラーを
余り使った事のない人も結構いると思います、前後左右気をつけましょう。
今日からFM―GSKYの交通安全推進係に成りましょうか、
私は運転には五月蝿い(うるさい)ですよ、私はいつもそうなのですが、
車の助手席に乗ったら、目的地に着くまでアーダコーダと指図するので、
妻も子供もあきれていますよ、だって危なっかしいですからね、

私が運転すると安全運転ですよ、昨年は仲間20人ほどをレンタカーの
マイクロバスに乗せて小樽の方へ旅行に行ってきましたが、
何時も私を車に乗せてくれる友人が、
私の運転する車に乗って見て始めて私がなぜ五月蝿いか納得してくれました。
いくらあわてても混雑した街の中では到着時間に
そんなに時間が違わないのですから、1分間違っただけでも見えなくなりますから
相当遅れたような気がして飛ばすでしょう危ないですよ
あわてて走って到着してから無駄な時間をすごしているのですから、
何のためにあわてて走ってきたのか解かりませんよね。
人生の残りの寿命が短いのであせっているのでしょうか。
車の運転のことばかり言いましたが、

歩いている人も自転車の人も気をつけましょう、車は意外と早いのです、
安全運転している人ばかりではないと言うことを肝に銘じておきましょう。
急に飛び出す人に車、信号無視に、マナー違反、ルール違反に、自己中心主義者、
いろいろな人がいますから、自分が気をつけていても、危ないのです十分気を配って、
安全運転、安全走行、安全確認、そしてすべての人に交通安全をおねがいします。

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10、雪印

さて近頃のニュースを見ていると腹の立つことばかりで
余り言いたくは無いのですが一度どうしても言っておかないと腹の虫が納まりません、
聞いてくださいね、まず今日は雪印の問題ですが皆さんもあきれているでしょう、

なぜあんなに大きな会社がこんなにミミッチイ事をしなければならなかったのでしょうか、
大会社の今までやってきたことへのボロが出てきたと言うことでしょう、
今までは判らなかっただけの事です、やり方だって手馴れたものでしょう、
たった一度の悪い事が見つかるというのは、まれで、
何時もやっていたからばれたんですよ、
普通の人は悪いことをするのに人の会社に行って頼んで悪いことはしないでしょう、
頼まれた方は今まではお世話になっているから、目をつぶっていたんだと思いますよ、

悪いことをすれば何処かで必ずばれますよ。私が心配しているのは 雪印ではなく
その会社の何も知らなかった従業員とその家族と下請けの会社の皆さんの事と、
またまた泣かされている酪農家の、皆さんの事です、雪印があんなに大会社に
なったと言う事は牛製品で利益がどんどん上がって儲かっていたと言うことでしょう、
つまり酪農家からは、安くたたいて仕入れて消費者には高く売って儲けて
いたと言う事でしょう?おかげで、いまや酪農家の多くは借金だらけですよ、

もうすこし高く買ってと言って抗議をしても全然受け入れてはくれないでしょう、
川に牛乳を投げてまで抗議をしていましたが、見ましたか、
それでも、農林水産省でしたか役所も大企業の言いなりです、判るでしょう
多くの役所は、大企業のために有るようなものです、
天罰が下って大企業が倒産しても経営者は別に生活に困っていませんよ、
我々が倒産したらどうなります明日からホームレスでしょうか、
でもホームレスの方々が受け入れてくれるでしょうか心配ですよ? 
わたしは雪印という会社が何時かは無くなると思うのですのです。

でもこれからどうなって行くのでしょうか、心配ですね。
牛肉の事だけでなく、日本の生産者と消費者のことを十分考えた
「心ある行政」を望んでいますよ。
皆さんも酪農家の為に余り乳製品から離れてしまわないで下さい、
今や肉も魚も野菜も米も衣類も燃料も木材もつまり、衣、食、住、
殆んどが外国製品にとって変わろうとしています、
と言うことは第一次産業が無くなってしまう、
ということですよ、もうこれ以上安いからといって外国製品に頼っていては、
日本がだめになってしまいます、
一番先に北海道が要らなくなってしまうのです、

あなたの仕事がなくなりますよ、もう仕事のない人が過去最高になってきています、
あなたは大丈夫ですか?なんて、のん気な事は言ってられませんよ、
私のほうが危ないのですから。あっほらほら家内が呼んでいる「じいちゃん」
「じいちゃん」「おとーさん」「おとーさん」まだおが付いているからいいかな、

その内、「とーさん」「とーさん」本当の倒産?にならないうちに行くとするか。
ジャア皆さん元気でばいばい。私の30年説、教えて上げましょう。
30年で最高調、30年で衰退説ですよ、世の中は移り変っていくのです。

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11、渡り鳥

皆さんこんにちは、日一日と暖かくなってきますね、これからは、暖かい国で
冬を過ごした渡り鳥たちが、北海道を経由して北へ帰って行きますね。
また北海道にも渡り鳥が帰ってきます。
街中では聞けないのですがウグイスが山に沢山いるのを
ご存知ですか。私も小さい時は山へ余り行かなかったものですから、
ウグイスが北海道にいるとは思いませんでした。
山へ行くようになって鶯が鳴いているのを聞いてビックリ、うれしかったですね。
我家にも来て鳴いてほしいと思いましたね。でも残念ながら街中には降りてきません。
でももうすぐですよ鶯の御一行様が山へいらしゃるのは。
実は鶯にも鳴き方が色々有って
ナマッテいるのから、省略して鳴くのから色々で聞いていると面白いですよ。
身近では赤平温泉の周りのキャンプ場などの林が鶯の声を聞くのにいい場所でしょう、
数年前には朝早く、夢中になって鶯の声をテープに収録に行きましたよ。

またもうすぐムクドリの団体もやってきますよ、別名「桜鳥」でしょう。
昔はよく我家の納屋の軒先に巣を作りましたので、
チョット失敬して卵を見せてもらいました。真っ青な綺麗な卵でしたよ。
子育て中の親は、いつも虫を取って子供に運んでくるのです。
益鳥、つまり役に立つ鳥なのですが、でも彼らには参ってしまいます。
秋になると団体で飛んで来てあっと言う間に、ブドウ畑が丸坊主、
下に落ちたのまで食べ尽くされて無くなっていたということがしばしばあります。
春にもサクランボなどが食べられてしまった、なんて話もありますよ、
お願いだから美味しい所ばかり食べないでほしいですね。

スズメの巣も一杯有りましたからよく覗いて見ましたね。
巣を壊したりはしませんよ覗かせてもらうだけですよ、
スズメが大きくなるまでよくのぞきに行きましたね。
ヒバリ(雲雀)の巣も有りました
ピーチクパーチクと春はのどかでいいですね、雲雀の巣は意外と道の真ん中の
草の根のくぼみに有りました、7cmぐらいの小さな巣ですからめったに
見つからないのですが、見つけたときは、知らん振りしてまた見に行くのですが、
ある時卵がなぜかなくなってしまっていました、どうしたんでしょうか、

でも同じ雲雀だと思うのですが其の後も鳴いていましたから場所を移したのでしょうか、
不思議な思い出です。
鴨の巣も有りました卵はニワトリの卵ぐらいの大きさでした
鴨の卵がかえって水田の中をすいすい泳いでいたので追いかけたら
小川の中へ全員、逃げ込んだのですが何と私には見つけられませんでした、
水の中にもぐってしまって見つからないのです、何処に逃げ込んだのでしょうか
不思議でしたね、カラスの巣も有りました、

私の孫爺さんが昔、山でカラスの巣から子供をつれて帰ってきたら、サー大変、
沢山のカラスが家に来て大騒ぎ、とうとう元に戻しに行って来たそうです、
それを聞いていたのでカラスの巣には近づきませんでした、
カラスは利巧というか悪というか嫌いですね、いつも我家のゴミをあさりに来ます、
カラスの子育ての時は人が近づいてくると人を襲うのです、
昨年わが町の立体交差のところにあった松の木にも
巣があって、カラスが人を襲うというので、とうとう木を切ってしまいました、

カラスも餌が近くにあるので都会を離れられないのです、
生ゴミをカラスに与えないようにしなければなりません。
今、カラスはどんどん増えているようです。
カラスも、私も、住み易い都会に移動したのですよ。皆さんカラス共々、
よろしくお願いします、ナーンチャッテ。

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12、入園入学

我が子が小学校に始めて入学したあの頃は、小さいのが一丁前に、
でっかいランドセル背負って、通えるのかと心配でしたが、良く考えると
自分もそういう時が有ったんだな〜と、思うとなんか変な感じでした。
私の元いた町では、小学校も統合されていましたから、
通学はマイクロバスか普通のバスで通学です。保育園もそうでした。
家が国道の近くでしたから、バスのステップにやっと足が届く位の我が子も、
ちゃんと毎日JRバスに乗って保育園に通っていきました。
我が家の近くのバス停からは一人だけでしたがちゃんと出かけて行って、
帰りも、ちゃんとバスに乗せてもらって帰って来ました。
保育園の先生には頭が下がりますよ。あんな小さなのを、一日あずかって、
怪我もさせずにちゃんと帰してくれるのですからね。

親の私としては自分の子供を育てた半分以上は保育園の先生や学校の先生が育てて
くれたようなものだと思うのです。有りがとうございました。
と今ここからお礼を言いたいですね。
ほとんどの親は、子供たちが保育園やら学校へ出かけたら、安心してホッとするでしょう。
私と同じ無責任かな、でも「かわいい子には旅をさせよ」と言う言葉がある様に
子供を親から離した方がいいんです子供も意外としっかりしなければと
思っているようですよ。
実は私がタクシードライバーだった頃に
ある幼稚園のマイクロバスの運転手を2年間もしました。

バスの免許を持っている運転手が余りいないものですから、会社の上司から頼まれて、
幼稚園専用のマイクロバスで、滝川や近くの町を走り回って、おちびちゃん達を集めて
いつも安全運転で1分刻みのスケジュールで送り迎えをしました。
良く事故も無く走ったものだなーと、今考えると何となくゾ〜っとして
冷や汗が出てきますよ。他人の子供を沢山預かって乗せて走るのですから、

絶対安全運転で前後左右十分確認して走らなければならないのです。
車内にも気を配ります、子供たちの突然の行動にも気を配るのです、
何も考えずに立ち上がったりしますからね。
急ブレーキなどはトンでも有りません大事なお子さんに怪我をさせてもいけませんから、
それはそれは神経を使いました。
私は子供達の為に音楽も用意して毎日聞かせてあげました。

でも一つだけ困った事がありました、と言うのは
始めは猫をかぶっていた子供たちも幼稚園に慣れてくると、
それはそれは大きな声で私の頭の後ろで叫ぶように歌うのです、
キンキンギャンギャンの歌声ですから始めは余り気に成らなかったのですが、
段々脳ミソに突き刺さって頭がボーっとして眠気が襲って来るのです、
あれには、まいりましたね。
幼稚園の先生の苦労も大変だったと思いますよ。
入園したての頃はバスに乗るのを嫌がって泣いていた子供たちも、
卒園する頃にはみんな立派な子供になって卒園していきました。

早いものでまた入園や入学の時期ですから。当分は親も子供も慣れるまでは大変です、
頑張ってください。入園入学のこの時期になると、またあの頃の自分と、
可愛いオチビちゃん達を思い出している、ETじいちゃんでした。

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以前 フジTV局「目覚ましにテレビ」に投稿して採用された娘と友人の写真 孫の通園写真

13、金の卵、(今は団塊の世代)

やっと高校の受験が終わりましたねー、推薦入学以外では試験を受けなければ
受かりませんから無事に受けることが出来て良かったですね。
事故や病気で試験に間に合わない人も中には、いるのですから、
やっと一安心でしょうか。

私達の頃は中学校卒業だけで
働きに出て行った仲間が沢山居ました、金の卵と言われた時代です。
2割ぐらいは進学しなかったと思います、別に不思議でもなかったですね、
今は殆んどの人が高校へ行くでしょう、無理に高校へ行くものですから
登校拒否だとかが起こってしまうのだと思います、
昔は中学校しか出ていなくても、ちゃんと世間は受け入れていましたし、
中卒の人たちが社会の中枢に居てこの国を引っ張っていましたね、

田中角栄がそうでしたでしょう。(違ったかな)?今の時代は違う様ですけどねー、
高校卒業が昔の中卒のような時代で、短大とか、専門学校とか、
大学へ行くのが普通に成ってきていますね、というより仕事がないから、
段々そうなるでしょうか、親もかまどが大変ですよ、
大学を出たからと言っても、就職先が無いのですから、本当に大変な時代です。
昔は余り何も知らなくてもちゃんと生きていけた時代でした、

仕事が一杯あったので一つの事だけ出来る専門家が居たら良かったのです
今は何でも出来る様でないと会社でも受け入れてはくれなくなって来ています。
何時会社がどうなっても何処に配置換えされても何でもこなせる様な人しか、
いらなくなって来ているのです。

今の言葉でチョット古いけどマルチ人間と言うのでしょうか、
商店でもそうですが専門店が段々少なくなっているのです、
時代がコンビニエンス、ストアーみたいなのを求めているのでしょう、
何でもあります、何でも出来ます、何時でもやっています、と言うのが
今の社会が求めているコンビニスタイルのお店なのでしょうか。

でもいざというとき本物を探すのが大変ですよ、
時代がドンドン変わって専門家も専門店も専門職もなくなって、
職人気質というものが段々なくなってきているように思います。
機械の開発がジャンジャン進んで、何でも機械で出来る時代ですから、
専門家より機械の方が綺麗で、早くて、上手な時代ですよ、
誰でも機械さえ使えたら専門家になれるのですから大変な時代になったものです、
こんなことを言うと大工さんに怒られると思いますが、
昔は釘を打つのにも相当な技術が必要でしたが、

今は簡単な場所の釘打は機械でバチンバチンでしょうか
ホッチキス、で打つように打ち込むのです。時代ですよね、
あとは組み立てるだけ何て言うのも有るでしょう。家の建つのが早いですよ、
凄い時代です。近頃は家を建てても餅撒きもしなくなりました。
のんびりした時代が段々少なくなっていませんか、

少しはノンビリ世間話でもしながら生きて生きましょう。
私ですか私はノンビリ生きていますよ、
近頃はノンビリしたくなくても暇なのでノンビリさせられて
いますよ、余り暇なので四方山話を書くのを忘れていました、
あわてて書いていると、先ほど
インスタントラーメンでも食べるかいと言って奥様が作ってくれたラーメン
パソコンの前に座って一口食べては文字を打ち込んで、
また一口食べては打ち込んでいてラーメンを見てビックリ、
うちのは、食べれば食べるほど増えていくラーメンなんですよ!?。
ラーメンまでノンビリ、というよりノビタのかな?
皆さん食べてみますか、これがお金ならばなーと思って、
思わずニタニタしながらこの文章書いています。

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14、花壇

春になりました皆さんの庭の花壇や、畑に何か植えましたか。
以前の放送で霜にやられた話をしている人がいましたが、
買い替えた方がいいでしょうね。
根が生きていれば、またすぐに出てくるかと思いますけど、
店に売っている大きさにするまでには、
種をまいて温度や水の管理をして大切に育てて2ヶ月はかかっているはずです。
根が大きいと直ぐに大きくなりますけど何でも育てるのは大変です。
今から20数年前の5月12日だったと思います、真夜中に雪が降り
我家でも10cm以上積もったように記憶しています、
昔は竹のトンネルで稲の苗を育てていまたからトンネルがつぶれて
苗に被害が出たのが記憶にありますよ。
まだ田植え機械の入ったばかりの頃でしたから大変なショックでしたね。

ですから私は、この5月12日になるまでは
いつもあわてて花を植えたり冬タイヤの交換をしたりはしないのです。
花も早く買ってきて植えても外ではまだそのままの大きさのようです、
今は昼間は暑くて夜は寒いのですから、花も野菜も生育温度が足りないと
成長しませんから、やはり外では、早く植えるのであれば
ビニールなどで囲うのが必要でしょうね。
我家も今年は暖かいので早々と、家内が苗を買ってきて
庭が少ないのでプランターに植えつけましたが、
プランターの土も、去年の土のままでは
土のペーハーや成育条件などが悪くなりますから、
私は毎年、大量に買い新しい土で植えるのです。

家内も頑張って花を植えつけるのはいいのですが
その後、肩が痛いとか疲れたとか言って、私に肩をもませるのですから、
結局最後に疲れるのは私です
でも大きく育って綺麗な花が咲くのを見るのは気持ちがいいものですよね、
サフィニヤやぺチュニヤなどはアサガオの様な花が綺麗で、
春から秋まで毎日咲くのですが、
花が咲き終えたら直ぐに花の実の付く部分を摘み取りましょう。
と言うのは種を付けさせない為なんですよ、栄養分が種にとられて花が少なくなります
花が沢山咲く頃になると咲き終わった花を毎日摘むのです。

綺麗に沢山咲かせるために苦労するんです。毎年いろいろな花を植えてみています、
昨年は家の軒下にアサガオを植えてみましたが、
これが伸びて屋根につっかえてしまいましたが、
アサガオは昼間は咲いていないものですから、チョット昼間は寂しいです、
でも沢山咲きました、おかげで毎日花摘みしました、
アサガオはすぐ種が大きくなるんです、今度は菊作りでも挑戦してみたいですね、
鉢植えの大きな菊ですよ綺麗でしょう、上手に作っていますよね、
今度教えてもらって挑戦してみたいです、皆さんの知り合いに菊作りの
上手な人いませんか私に教えてくださいお願いします、何て言う歳に成ったんですよ、

皆さんも歳になったら判りますよ、
やっぱり日本人、日本の昔からあるものが好きに成っていくんです。
テレビ番組もそうでしょう相撲に時代劇、段々好きに成ります。
食べ物もそうでしょう段々あっさりした日本食が良いというように成りますよ。
純和風に戻るんですよね、体がそう要求するんです、
その内に私も盆栽が好きに成ったりして、まー物好きですからどうなる事やら。

皆さんも花の苗を買いこんで庭の飾り付けが終わりましたでしょうか、
ガーデニングが盛んですからそのうち見て回りましょうか。
よく聞くのですが花を盗んでいく人が結構いるんですよね、
盗んだ花を見て綺麗なんでしょうか、心が痛まないのでしょうか、
そんな事までして花を育てたくは無いですよね。
皆さんも色々と育ててみて自分にあった花を見つけましょう、
そしてこの町を花一杯の町にしませんか、
我家もそうしようと、がんばっています。

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我が家の玄関前の小さな庭で

15、連休と焼肉

私は今まで連休を全部休んだ事が有りません。これからも無いのではと思いますが、
お休みのいただけた人はいいですねー、うらやましいですね。
今年は暖かくて桜の咲くのも早いのでちょうどよい季節でした、
こんな事は今まで有りません。
いつも思っていたのですが、
北海道には今の季節にゴールデンウィークなんていらなくて、
6月に有ったらいいのにと思っていましたが、
今年はなぜかちょうど良かったのではないでしょうか。
昔の農家では、今頃はすこし春の準備が一段落して、
私の若い頃にも花見にはすこし早かったのですが、日帰り旅行などによく出かけましたね。
一度旭川の方に行ってきたのですが、あちらの方は農作業の進み具合が早くて、
今頃は水田に水が入っていたのを見てビックリしました。

こちらはまだ水田を起こしてもいないのですから、ましてや旭川の方は北なのに
大変不思議でしたが、よく考えると北海道の農業は北の方が何でも仕事が早いのです。
昔ですと田植えの人達が毎年我が家へもやって来ていましたが、
あの人達の多くは南の岩内町などの農家の人たちで、
こちらを終わらせてから自分たちの所の田植えをするのです。
稲刈りもそうです、こちらが終わってもまだ南のほうは盛りですからね。

さて皆さんはこの連休どう過ごされましたでしょうか、
花見に行きましたか、何処の町にも花見祭りが有りますが、
わが町滝川市はやめてしまったようですが、
いつもですと寒くて大変でしたから仕方がないでしょう。
年々みなさんの興味が無くなって来ていましたからね、
何でも盛り上げるのは大変な事なんです、
時代が移り変わっていくと言う事でしょうか、
花見に行って手拍子で民謡でも唄おうかと言う時代でもなくなりましたし、
花見のスタイルも変わりました、昔は弁当だけ持って行きましたけど今は焼肉でしょう、

最初に焼肉をした時は大きなガスボンベを持って行きましたが、
段々携帯用のガスコンロになり、今では炭焼きコンロの方が多いのではと思います。
我家では今が桜の花見頃、と言うよりサクランボの花の真盛りです。
つい先月末にやっと外に焼肉小屋が完成しました。完成祝いにパーティーをしました、
次の日は息子も友達と焼肉パーティーをやっていました。
この連休にも何処にも行かなかったのでまたサクランボの木の下で焼肉をしました。
雨天決行で、日向ぼっこをしながらでも雨音を聞きながらでも出来るんです、
皆さんも、楽しむために、庭に焼肉をする所でも作ったらいいと思います。

私は前に住んでいた家では芝生の庭を作りました、
芝生のある家にあこがれていましたからね。芝生を張るのに3年位かかりました、
芝生の上をはだしで歩くのは気持ちがいいんです、
芝生の手入れが大変でしたけれど、天気がいい時はよく寝転んでいましたし、
焼肉もよくしましたね。
私はジンギスカンがとても好きなのですが、
みんなは牛肉がいいと言って買って来るのですが
アミで焼くのには、やはりジンギスカンですよ、
だって高級な料理屋では牛肉はアミでは焼かないでしょう、鉄板の上ですよね
アミで焼くと油が落ちすぎてパサパサに焼けた牛肉でしょう、
ジンギスカンとどちらが美味しいか比べてみてください。
見栄を張らないで、安くて美味しいのはやはりジンギスカンですよと言いたいです。
野菜でも何でも焼いて美味しく食べましょう。

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我が家の裏に作った焼肉ハウス「狐狸庵」で

16、毛虫にナメクジ

外はもう春ですから、皆さんの嫌いな虫君達が活動し始めました、
私も嫌いですけど、研究熱心ですから、いつまでも眺めていますし、
動物や虫のテレビ番組などは好きですよ、また我家のサクランボの木には
ブランコ毛虫が沢山かえって、散歩に出かける所でした、
皆さんも自分の家の庭の花や木をよく見てください、
数日で木が丸坊主になります。早く見つけて駆除しましょう。

嫌いな虫の話は皆さんの食事の時間に申し訳ないですけど、
一度はお話しておきたいものですから、我慢して聞いてください
私は今まで沢山の毛虫に出会いました、
その中でも大きい毛虫と、大きい青虫は共に15cmはありました、
大きい毛虫は私が近づいたときに、フゥーっと怒りました、
はっきりとフゥーッという音を聞きました、
まさか毛虫に脅されるとは思いませんでした。
子供の頃でしたから、それっきり恐ろしくて、その毛虫のいた
葡萄(ブドウ)の木には近づきませんでした、
父親に聞いたらゴマの木にも昔は大きなのがいたといっていました。

2年前には何と隣の小さなライラックの木に大きな青虫が2匹いました、
その写真を下に乗せます、みんなに見てもらって下さい。
この青虫はどんなチョウチョになるのかと思い、
隣の敷地にいたので、貰って育てましたよ、何と数日でさなぎになり、
約2週間後に羽化して2匹とも元気に飛び立っていきました、

どんなチョウチョだったと思いますか、
何と6cm位の大きな灰色の蛾でしたね、
皆さんは毛虫たちが食事をする時にはムシャムシャと
食事をする音を聞いた事が有りますか、ちゃんと音がするんですよ、
団体でお食事の時は何事かと思うぐらいに音がしますよ、
昔ですからそれはそれは沢山いましたね、夜になると出没する夜盗虫(ヨトウムシ)
というのを知っていますか、この毛のない虫には参りますね、
やさしく踏んづけたら、つぶれ無いんですからね、
この夜盗虫はその野菜の根元約20cm以内に土の中にもぐって昼間は寝ています
夜、懐中電灯をつけて野菜を見に行くといます。
葉っぱの上で盛んにお食事中です、

パリパリむしゃむしゃいい音がしていますよ。
さらに町に住むまで気が付きませんでしたが、
ナメクジの多いのにビックリしていますが、
皆さんは「この世の三すくみ」と言うのを聞いた事が有りますか、
蛇はカエルを狙いカエルはナメクジを狙いナメクジは蛇を狙っていて
どちらも動きが取れないというのです、これを「三すくみ」と言うのです、

かえるが少ないのでナメクジが多いのでしょうか、
しけっているので多いのだとは思うのですが、
実は5年前に余りにも花が虫に食べられるものですから、
夜中に電気をつけて探しましたら何とナメクジの大群がいました
割り箸で100匹ぐらいは取りました、ナメクジには塩と聞いていたので
塩を持って来て塩にまぶすのですが、なにせ多くてどうしようもないので
塩水の中に入れる事にして取りました、

ナメクジが早く走るのをこの時知りました。
同じ大きさの毛虫よりも早い早い、
バケツの塩水に投げ込むのですが直ぐには死にませんから、
他のを探しているうちに出ようとして上に来ていました。
一度夜中に懐中電灯をつけて花畑や野菜の畑を見て見ましょう、
夜に出歩く虫がものすごく多いのですよ。上手に防除しましょう。
皆さん頑張って虫と戦ってください、じゃーまたお元気でお宅の虫君達によろしく
大きい緑色の虫わかりますか、頭を持ち上げて威嚇しているんです、
これがサナギになって2週間後、羽化して飛んでいきました

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17、お祭りと獅子舞
昔はお祭りには沢山の人が出て大にぎわいでした。
テレビなどは有りませんから、楽しみと言えば何かのお祭りに映画でしたね、
お祭りの芝居は皆が楽しみにしていて早くから場所取りをしていました。
昼と夜の部があってどちらも超満員、大盛況でした。

今でもいくつかの一座がありますけど。
あの頃は沢山の一座があってドサマワリしていました。
出し物は大体昔から有名な「清水の次郎長」や、
「一本刀土俵入り」等が多いようでした、さらに歌謡曲や民謡、浪曲、舞踊に手品に漫才、
等でしょうか、それに可愛い子役もいて、とても上手で舞台衣装もきれいでした。

私はたまーに見る結婚式以外は、野良仕事の衣装しか見ませんから、
きらびやかな衣装に目を見張りましたね。だんだんテレビが流行り始めてからは、
お祭りに人が出てこなくなったんですよね、寂しい限りですよ

お祭りには獅子舞が出番ですが、
私は滝川へ来るまでは田舎で獅子舞の踊り子を30年以上もやっていました。
秋祭りのお祭りの初日には朝から夜まで街を踊り回っていました。
戦前、獅子舞の踊り子をしていた我が家のじいちゃん達が戦後復活する時に、
孫の私を連れて参加したんです。それ以来ズーットお祭りに自分が出演してきましたから。
お祭りに人が来なくなったことに残念な気がしている一人なんです。
でも時代の流れには勝てませんね。
お祭りも、あまり代わり映えしなくなってしまいましたからね。

近頃は、町起こしを含めて、何か目新しいものをと
皆さん一生懸命考えているようですけれど、
だんだんと皆みんなの関心が無くなっているんですよね、
皆の関心を引くような目新しい、これといったものはなかなか無いのが残念ですね。
昔は何か行事で人が集まってお酒が入ると、すぐに誰からともなく歌が出ましたし、
にぎやかな宴会が良くありましたよ。皆で変わりばんこに歌を歌って
手拍子打って、私も昔はよく皆の前で歌いました、
といっても今と違ってなかなか新しい曲は聞くことがありませんでしたから
古い歌のオンパレードで、少ししか知りませんから、いつも同じような歌ばかりでした
田植えをしながらでも、畑仕事をしながらでも、遊ぶときも歌が中心で、
歌いながら良く遊んだものです、仕事の歌に遊びの歌、
「話は仕事の手を止めて、歌は仕事の手が進む」と言われていて。
昔は朝から晩まで歌っていた時代でした。
今の私は新しい歌も曲も覚えることなど出来ませんね。次から次へと曲が出てきますし、
なんと歌っているのか、誰が歌っているのか、ぜんぜん解らなくなって時代遅れに
なってしまいました何とかしなくてはいけませんね。でもやっぱり昔みたいに
手拍子を打って歌を歌う時代が私には向いているようです。

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戦後復活した時

滝川駅の開通90周年記念

道庁前でサンバフェスティバル

子天狗時代とNHKに出た時

神社で踊る

仙台で北海道代表出場(私,中央)

18、サクランボと農薬

おいしいイチゴやサクランボが実る時期にいやな雨が、続きますね。
私はこの時期の雨が嫌いなのです、なぜかと言いますと
イチゴやサクランボは、この雨に当たると、すぐにカビがはびこって腐るのです。
我が家でもサクランボが実って、もうすぐ食べごろだなーと思っていると、
この雨に当たって、まだ赤くならないうちに腐り始めて、
毎年食べることができないサクランボがあるのです、
ですからまだ青いサクランボを眺めて、
おいしくなる前に今年も腐ってしまうのかな〜と心配をしているのです。
カビをなおす薬はありますよ、

どんな野菜にもどんな症状の病気にも、今は対処できる薬品は有るのです。
でも薬はかけたくはないでしょう。最低でも数日は食べられませんし
体に悪いような気がしませんか、ですから薬はかけません。
サクランボの産地ではビニールの屋根をかけて雨からサクランボを保護しているのです。
今は黒いサクランボが実ってきましたが、この黒いサクランボが終わるころには、
一段と甘くて美味しい別の品種が実るのです。
ですから、この時期の雨が一番嫌いなのです。

今日この頃はサクランボを少しずつ取って食べるのが楽しい毎日です。
孫もほとんど毎日取りにやってきます。
サクランボも一度に実りませんから一個ずつ熟したのを選んで取るのです。
取り方にもコツがあり、上に持ち上げるようにしなければ上手に取れませんし、
もうすでに来年の春に花の咲くツボミが、そばに出来ているのですから、
傷をつけたら来年実がならないのです。
ですから簡単にむしって取ってはいけません。気を使いながら
一個ずつ選んで取るのです。みなさんもサクランボ狩りに行ったら来年実のなる
つぼみが一緒にあるのをよく見てほしいと思います。

さて農薬の話が出ましたから私が知っている薬や農薬について少しお話しましょう。
昔は薬といえば富山の薬とお医者さんのくれる薬や民間薬しかなかったようですが、
野菜にかける農薬はずーっと後で出てきたような気がします。
私が覚えている薬品の最初と思えるのはなんといってもDDTでしょうか、
殺虫剤として、一世を風靡しました
皆さんは若いから知らないでしょうが戦後シラミやノミが大変繁殖しました、

また髪の毛にはケジラミがいました、聴いたことがあるでしょう。
この話はまたこの次にしますけれど、これらを駆除する目的でこのDDTを
頭から振り掛けましたね。
この外国生まれの殺虫剤が日本の農薬の始まりだったのではと思います。
その後何年も使われていました。
でものちに、この農薬は危険ということで今は使われていません。
でもこのDDTをきっかけにして、新しい科学物質や農薬や薬がどんどん作られ、
こんにちに至ったのだと思いますね。

いまや世の中、色々な薬品だらけで、何がどこにどう使われ、
どの製品をどの様に使用したらよいのか、大変気を使います。
安全なようで大変危険な世の中ではないでしょうか。
ありましたよね。ヒ素事件とかサリン事件、この前はどこかの会社で肉マンでしたか、
禁止されている食品添加物を使用したといって騒がれていましたが、
農薬や科学物質などは人類破滅の危険を含んでいるのでいるのですから、
みんなで使用を監視して安心して暮らせるような社会にしてほしいですね。

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我が家のさくらんぼ

19、馬

昔はどの農家にもいた馬のお話です。
昔でも6月中頃になると農村では仕事が一段落しますからお祭りのシーズンに入るのです、
春祭りに始まって秋祭りまで沢山祭りがありました、
これからの時期は農耕馬を集めてのバンバ大会でしょうか、
今も各地で行われていますが、昔は各市町村単位で行われていました、
どの農家にも馬がいなければ農業は出来ませんでしたから。
我が家にも2頭の馬がいました、

でも馬力が足りないのか我が家の馬は、大会には出ませんでした。
バンバ大会には各地から着飾った立派な体格の馬が沢山集まって来て
にぎやかに開かれました。
ルールは今の大会と同じだったと思いますが、私が子供のころはバンバより
たまーにしか来ない出店のオモチャ売り場やお菓子売り場ばかり見に行っていましたから
バンバ大会の声援をした記憶はありませんね。子供のころはみな同じでしょうか。

バンバ大会は私が農業後継者になったころには、もう下火でしたね、
農家の数も約半分近くに減っていました。でもまだ農業には、馬が必要でした。
除雪に、堆肥運びに、田起こし、代掻き、苗はこび、刈り取った稲運びに、米の出荷、
買い物に、親戚に行く時も、遊びに行く時も、結婚式に葬式、消防車に、救急車の代わり、
冬は馬を連れての出稼ぎや、山から木の切り出しの仕事、土運びに砂利運び石炭運びにと、
とそれはそれは沢山の仕事が馬で行われていました。お馬様様でした。

馬も結構利口で自分の家には黙っていても、連れて帰ってくれるのです、
酔っ払いにはちょうど良かったのではないでしょうか、居眠り運転OKですからね、
馬を取引するバクロウと言われる人も沢山いました、
今で言う車のセールスマンでしょうか、よく馬を買わないかといって我が家に来ていました。
いい馬ならいいけど気が荒く言うことを聞かないような馬も結構いましたから
買ってから失敗したという話が結構ありました。私は実は馬は苦手なんですよ。

馬での事故の話や我が家に働きに来ていた人が馬にかまれたと言っていたのを聞いて、
子供の頃から馬には近づきませんでした。馬に餌をやりには行きましたけど。
馬と一緒に馬小屋の中には入ったことはありません。
私が農業後継者の卵になった時には
もう耕運機が出ていましたから。我が家でも馬に変わって耕運機で水田を起こしました。
ですから馬を必要としなくなった時代の始まりでした。

今はほとんど、この辺の農家には馬はめったにいません。
馬肉生産者と競走馬生産者に馬の愛好家でしょうか。
実は今思うと馬の背中に乗ってみたこともないのです。
あまり馬に乗って歩いている人はいませんでしたが。どちらかと言うと馬車に
馬そりか舗道車(ほどうしゃ)と言われるのを馬に引っ張らせて、
それに乗ってどこにでも出かけたんですよね。パカパカパカパカそれはそれは
のんびりした時代でしたね、でも馬も機嫌が悪いと暴走するのです。

結構暴走した話がありましたよ。
我が家では用水に馬が引っくり返ってはまり込んでしまった時には、
隣近所集まって来て馬をどうやって助け上げるかそれはそれは大騒ぎでした。
みんなが助けるのに疲れはてて一服していたら
馬が勝手に飛び起きて、助けに来ていた皆は唖然としていました。
今思うと、もし我が家にかわいい子馬がいたら、
もっと私の馬に対する愛情も変わっていたとおもうのですが。
今でもなぜか馬を恐ろしがっている私です。

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昭和40年代中頃までは馬で田や畑を耕していました
肥料は堆肥とニシンなどの魚かすと単肥(硫安,カリ,燐酸)

20、キャンプ

皆さんはキャンプに行っていますか、虫が嫌いだから行かないとか、
汚いからいやだとか、色々あるでしょうけれど、
自然の中に出てのんびりしてみるのもいいものですよ。
時間と心に余裕が出て心身ともにリフレッシュできるんです。
どんな治療より、どこの病院より、何より身体にいい薬になると思います。

私はキャンプを始めたのは、高校生になってから2年の時にブラスバンドで
有珠へキャンプに行ったのが最初かもしれない。思えばチャンスはあった
中学校3年生の夏休みの時だったと思う、雨竜沼に行こうと誘われた
あの時は暑寒の山を越えて留萌に出ようという計画であった3日位は
軽くかかる予定であったが、私はキャンプも山へ登ったことも無かったので
とうとう断ってしまった、軟弱なもので、何となく恐ろしかった、
でも友人達数人は山を越えて留萌に出て無事帰ってきた。
後で一緒に連れて行ってもらえばよかったと思ったが後の祭りである。

その後いまだに山を越えることは無かったしこれからも無いであろう。
高校卒業してからは雨竜の暑寒ダムへ、キャンプに行ったのが最初だろうと思う
そこで友人になったT君や仲間達と何度もキャンプにいったような気がする、
山へ海へと毎年夏になると何処かへ一度は出かけていた、この歳になっても、
まだキャンプに行きたいので出かけている、ほとんど行かなかった年は無い、

始めは公民館から借りたキャンプ道具で始めたと思う、
テントも寝袋もみんな借りてキャンプに行った、意外と雨が降って
どうにもならなかったということは、今までに数回しかない、
意外と天気男なのだ、そういまだにノー天気なのである、

キャンプはなるべく少ない荷物で少ない物を工夫して使って生活する
不自由を楽しむのが、キャンプの楽しみ方だと、思うのだが、
近頃のキャンプ事情は大きく変わってしまっている、海辺も水洗トイレに芝生
山や観光地にはオートキャンプ場なるものが出現、
料金支払ってキャンプサイトが割り当てられて快適にキャンプをすることが
出来るようになった施設である。私は掃除代や協力金はお支払いしても
高いお金を支払ってまでキャンプはしたくないし電気釜持って行きたくは無い。

おこげの出来る鍋でご飯を炊きたい失敗もいい、
電気なんて無くたってロウソクと月明かりがあるじゃないですか。
テントを張って寝るのが嫌いなら、今は車の中で寝ることも出来ます、
我が家でも今年は孫たちとキャンプでしょうか、昨年は休みましたからね。
我が家では色々な所へキャンプに出かけて来ました。

北のほうは、当麻町でしょうか、鍾乳洞を見てからキャンプ場へ行きました、
あの日は今にも雨が降りそうでしたので、
キノコ型をしたバンガローが一個空いていましたので、
借りて泊まりましたね、案の定、夜中は大雨でした。
キノコの家ですから階段で登って上に寝るんですよ、子供は喜びましたね。
北の海では羽幌のサンシャインビーチでしょうか。
その日の土曜日の夕方はそれほどキャンプに来ていませんでしたが、
夜には雨が降りましたので、早く寝ました。

雨が上がった次の朝、起きて見てびっくり、
なんと沢山のテントが所狭しと張られていました。
雨の中、夜中に来てキャンプしていたんです。
キャンプ好きがこんなにいるとはうれしい限りです。
東の方へは、阿寒めぐりのキャンプに行きました。砂湯にテントを張って、
ここをベースに、あちこち回ってきました2泊3日でしたけど。
家族全員で行きましたから、猫を連れて行きました。
猫はつないだことも無いのですが、このときばかりはヒモにつなぎました。
ところが色々と回ってきたら、つないでいた猫がいなくなっていました。

サー大変そこら中探しましたがいません、とうとうアキラメて
帰りの日には、車の中から探しながら帰ろうとして、車を発射させました。
4、50m車を走らせましたら何と猫の鳴き声がすると言うのです、
その声のするほうを見て見ると、
高い木の切り株の上で盛んに泣いているのでした、あと数秒遅かったら、
今でも我が家にいるこの白い猫は阿寒のどこかで、
途方にくれていたことでしょうね。

洞爺湖にも支笏湖にも行きましたが、あちら方面は札幌のほうからの人が多くて
どこも満杯でしたね。遠くへは行くのはいいのですが帰りが疲れます、
あまり遠くではなくてもいいのです。
昔はとても不便でしたが
今は至れり尽くせりで電気の使えるキャンプ場が流行っているようです、
電気炊飯器持参でキャンプする時代なんですね。昔はローソクや懐中電燈と
炭火とキャンプファイヤーに、月夜が、楽しい夜の明かりでしたし
息子はいつまでも起きていて炭火を突っついて楽しんでいました。
家にいては出来ないことですよね。

キャンプで雨が降ってもそれなりに楽しいのです。
後始末が大変だなんて考えていては、何事も始めることは出来ませんよ。
数年前の洞爺湖はドシャ降りの雨の中でのキャンプでしたが、楽しい思い出です。
ここまで書いて自分で納得しました。
我が人生変化に富んでいるはずですね。
わざわざ雨の中で、キャンプしているのですから。
でも雨が降ったのはここに書いたほかには数回でしょうか。
こう見えても割と晴れ男なんですよ。皆さんもキャンプに行きましょう。
キャンプではいつも異常に張り切るETじいちゃんでした。

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21、海水浴

皆さんこんにちは、お元気ですか。今年は短い夏のようですが、海に出かけてきましたか、
海水浴のシーズンは短いので、どこに行こうか迷ってしまいます。
私も毎年、色々な海水浴場へ行ってみました。日本海側だけですけどね。
いつも海水が冷たくて初めて入るときは勇気がいります、入ってしまえば、
あとは大丈夫なのですがいつも大変です。でもこの頃はあまり泳ぎませんね。

私は犬掻きですから泳いでいるうちになぜか立ち泳ぎになっていたりして、
プールの無い時代でしたから、上手に泳ぐことを教えてくれる人もいませんでした。
夏にはあまり川の水が流れていませんし
昔は子供が沢山いましたから、すぐに10人ぐらいは集まってきました、

皆でわいわい大騒ぎをしながら泳ぎました。
よく水の事故の話がありましたが、私たちの所では事故は有りませんでした。
めったに背の立たないところは有りませんでしたからでしょうか。
きれいな川でしたから魚が一緒に泳いでいました。
魚釣りをしたり泳いだり、あきもせず遊びましたね。今は川で泳ぐのは禁止でしょうか。

どこの学校にもきれいな立派なプールがあって雨も寒さもしのげるのですから、
いい時代ですよ。至れり尽くせりですから泳げない子供はいないと思います。
私は今からでは正式な泳ぎを習う気にはなりませんし一生上手には
泳げないで終わりでしょうか。実は私はおぼれそうになったことがありました。

その時はなぜか、浮き袋をしていたんですよ大人になってからですけど、
どこだったか思い出せないのですが、浮き袋に捕まって海で泳いでいて
岩場に向かっていた時、ちょっと大きな波が来て、私はなぜか思いっきり
海水を飲み込んでしまったんですよ。サー大変思いっきり今度は戻しました。
ゲーゲー涙を流しながら戻したんですよ。泳ぐどころではありませんでしたね。
あの時浮き袋につかまっていても沈むのではないかと思ってしまいました。
あれが一番の恐怖でした。ですから海水の味は嫌いです。

あの時たっぷりご馳走になりましたからね。皆さんも一度いかがですか。
海の水がサイダーだったらいいのにといつも思いますよ。
昔は浜益に行くのにはトラックの荷台に乗って、それはそれは大変な砂利道で
車に酔うは砂ぼこりをかぶるは大変な思いをしてまで、数年に一度、
浜益の海水浴にいきました。あとは知っていますか、札沼線というのを。
札幌から沼田まで275号線に沿って線路があったんですよ、

今は新十津川までですけど、我が家の裏の田んぼを走っていました。
この汽車に乗って年に一度、海水浴列車が走りました。
臼谷の海水浴場。鬼鹿、増毛、臼谷、小樽のほうの銭函、蘭島などなど
列車の通っている海へ出かけましたね。500人位まで申し込みOKで
5.6両編成だったと思いますよ。いつにもになく、長い列車でしたし
年に一度の楽しい旅行でした。夏休みですから毎日どこかの町で海水浴列車を
走らせていたと思いますよ。焼きイカになぜかおでん、美味しいですよね、

皆さんが釣っている岩場で取れる小さなカニ、あのカニを油で揚げて丸ごと
食べたら美味しかったのを思い出します。また今頃は石狩川に上ってくる
川ガニが石狩浜に待機しているのです、昔ですけどキャンプをした時に
沢山捕まえて大きな鍋で炊いて食べたのを思い出します。
皆さんも海へ行きましょう、今は海は近いですよ。
少しは太陽とにらめっこでもしませんか。
「海水浴列車」この時は増毛海水浴場だったかな留萌方面でした

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22、草取り

今の時代、色々なことが早く出来ていいのですが、昔は幾らあわてても、
一日に出来る仕事の量は、ほんの少しでしたね。昔の今頃は、
農家では田んぼの草取りでしょうか、田んぼの草は水と栄養でどんどん伸びるので、
大切な稲が草に負けては困ります、昔は除草剤がありませんから毎日毎日田んぼに入って
手で地球をかっちゃいて草取りをしましたね。皆さんは土の中には、
たくさんの草の種が含まれているのをご存知でしょうか、
実はたくさんの植物の種が土の中に腐らないで何年も何十年も
この世に出るチャンスを狙って光や温度がちょうどよくなるまで
発芽しないで眠っているんです。

古墳から出たハスの花が咲いたと聞いたことがあるでしょう、本当に種は強いのです。
動物や鳥の体では割れていない硬い種を消化することは難しいでしょう。
皆さんは、よく草取りをすると思いますが。草を取るとき、削ったり抜いたりすると、
またその下にある種が上に出てきて、これチャンスとばかり芽を吹くのです。

昔は小さい田んぼでしたから、
うれしいのですが、何せ腕や肩や腰が痛いのです。
体中が、がたがたになりそうなぐらい毎日毎日地球を手でカッチャいて
草を取っていました。幾ら取っても色々な種類の草が次から次へと生えてきました。
稲が小さいうちは手で草取りをするのですが、稲が大きくなってくると
目に刺さったら困りますから、次は田んぼの中で押して歩く除草機の出番です。

色々な形の手押し除草機があり色々使って見ました。(下に手押しの除草機での写真)
新しい除草機もはじめは軽いようですが何せ一日中たんぼの中を押して歩くのですから、
疲れて果ててしまいます。エンジン付きの除草機が出たのは水田が大きくなってから
でしょうか、もうそのころは除草剤が出始めていました。
今ではとてもいい除草剤が出来て草取りしている人を見かけることはないのですが、
田植えが終わったら秋までは、草取りに追われたのが懐かしいですね。

水田の草取りばかりしているわけではありませんよ。
畑にも野菜や豆なども植えなければなりませんから田んぼの仕事に疲れたら畑仕事をして、
水田と畑と変わりばんこに仕事をしました。私は今は家の中ばかりですから、
カッコウの泣き声を聞いたことはないのですが、
カッコウの声を聞くと農家ではいっせいに豆の種を巻くのです、

聞いたことがありますか、昔から「カッコウの声を聞いたら豆をまけ」というのです。
ちょうど豆の生育にいい温度の時期になるとカッコウが何処かからか帰ってきて、
日本中に豆を巻く時期ですよと知らせて歩いて、そのうちまた何処かに
行ってしまうんですよね、夏を過ぎてカッコウの声を聞いたことは無いように思うのですが
何処へ行ったのでしょうか、今年はいつまで聞こえるのでしょうかね。
今頃はどこかでカッコウの雛がかえって、
ほかの卵を押し出しているのではないでしょうか、

託卵(たくらん)と言うのをカッコウはするんですよ、自分では育てないんですよね。
私もそうだったかもしれません。子育ては家内任せでしたからね。
皆さんはちゃんと自分で子育てしていますか。
昔は手で2回さらに2回ほど除草機を押す

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23、盆踊り

皆さんこの夏に海や山へ出かけてきましたか、
私も孫達と海へいってきました。車の置き所が無いぐらい沢山来ていましたね。
さて海水浴時期が過ぎると今度は、お盆が来ますね、私の好きな盆踊りの時期ですよ。
なぜかと言うと、盆踊りに夢中になって踊りくるった時期がありました。
今日はそんな時代の自慢話でもしましょうか。

私は青年時代はなぜか盆踊りに燃えました。お盆には昔から懸賞盆踊大会が
あります、今よりもっとにぎやかで綺麗にきかざった個人や団体が
沢山踊っていました。早く大人になったら自分も懸賞盆踊り大会に出たいと、
いつも思っていましたしいつか一番大きな賞品を取ってやるぞと思っていました

高校卒業して社会人に成った時、盆踊り近くになると、体がムズムズ、
早速仲間に声をかけて団体で盆踊りに出ました、私が花婿、隣の先輩が花嫁、
仲人役の男性と4人で始めての団体での盆踊り大会でした、

あの時は何等賞だったか忘れましたが、いつも割りと上位でしたが、
いまだに団体での1位の優勝はありません。
懸賞盆踊り大会は色々な地区でありますので、
団体で出たり個人で出たりと色々でした。
私が結婚した2年目に、家内のおなかは大きくなって12月には子供が生れる
予定でしたので家内は応援しているだけでしたが、私はちょうどそのころ
テレビ番組で寺内貫太郎一家に出ていた寺内きんのまねで出たのです

麻でカツラを作り、ヒイばあさんが作ってあった小物入れを借りて出ました
その様子は下に写真があります、踊っている途中でジュリーとやるのがウケましたね
このジュリーが大変ウケて私は個人の懸賞盆踊り大会で優勝の栄冠を
勝ち得たのでした。沢山の人だかりの中、雨竜町で優勝しましたので、
その勢いを買って、お盆に里帰りに来た弟夫婦も引き連れて
深川市の懸賞盆踊り大会へ出ましたよ。踊りに出たのは私だけでしたが

個人の部に見事深川市でも優勝、トロフィーと布団一組いただきました。
優勝商品が持ちきれないので恥ずかしがっていた弟にも出てもらいました。
今もプレートのみ今も残してあります。あの暑いお盆の夏の日は
今でも忘れられません。でもその後は、個人での頂点を極めましたので、
個人で出るのをやめて団体で優勝をと狙っていましたが、

何せ各団体の熱の入れようが違うので、いまだに優勝が出来ません。
私が仕事で出れなかった日に、盆踊りに出た家内と女性だけの団体が準優勝で、
今度は私そっちのけで、女性たちが燃え上がってしまいました、

うれしいですね。今も彼女たちは燃えていますよ優勝するまで続けるでしょうね、
私は今は、その地区の団体の応援だけですけど、頑張ってほしいと思います。
いつも懸賞盆踊りの日には家内と元いた地区の応援に行きます。

その時期が待ち遠しいです。盆踊りの話で、
私の知り合いが5年も脚の調子が悪くて足が痛かったのですが、
一度思い切って盆踊りに出たんだそうです、おそらく明日は足が痛くて
動けないだろうと思いながら何時間か踊ったら、
なんと次の日から足は5年前に戻って痛みがなくなったというのです。

神経に影響する何がしかの圧力がかかっていたのが取れたのでしょうね。
それを聞いた私は健康のためには「難しい体操や下手な治療より盆踊り」を、
といつも説いていますよ。前に行ったり後ろに下がったり手をあげたり下げたり
手拍子まで打って、先人が考えた立派な体操です。私は何もすることが
無くなって、体がなまったら、いつも踊ろうと決めていますよ、ダンスと盆踊り。
気持ちを改めて今年からまた踊りましょうか、皆さんも応援も必要ですけど、
踊り手を眺めてばかりいないで、観客をながめに出てみませんか。

踊る阿呆に見る阿呆どうせ阿呆なら踊らにゃソンソン、と言うでしょう。
「どんなことでも立場を変えて、物を見てみる」
私の人生訓の一部です、やってみることです。
今年もまた暑い夏を期待している ETじいちゃんでした。

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(寺内きん(樹木希林)貫太郎の母、ジュリーの大ファン,向田邦子ドラマ,寺内貫太郎一家)
団体での出場

24、キリギリス
みなさんは、幸せを運ぶ虫とはどんな虫か聞いたことがありますか。
中国ではキリギリスのことを幸せを運ぶ虫と言うんですよ。
あの独特の大きな声夏は涼しげでいいのですが、もう今は農薬を撒く所からは
いなくなってしまいましたね。今は山とか藪のあるところとか大きな川沿いと、
意外と農薬をまかない町の中が生息地ですよ、滝川市では黄金町の工陵中学校の
裏あたりが生息地でしたが今は開発が進んで少なくなったのでしょうか、

あとは線路のふちが生息地ですね。皆さんはキリギリスを捕まえたことがありますか。
私は今まで沢山捕まえましたね。キリギリス取り大会があれば、優勝とまでは
行かなくても結構いい順位に入るでしょうね。キリギリスを捕まえるのは、
キリギリスの姿を見つけなければどうしようもありません。キリギリスの姿を
見つけたらソーッと近づきます、あせってはいけません。
自分を自然の一部に溶け込ませなければ逃げられてしまいます。
草木のごとく自分の姿を隠し、忍者のようにソーッと近づくのです。
でも私はキリギリスにかまれるのが嫌ですから、
始めから目立つ白い軍手をはいていますよ。どう考えても
キリギリスには最初から私の姿は見えているのですから、
開き直って根比べを開始するのです。
こちらが何もしないと見ると安心して鳴きますから、ソーット手を差し伸べて、
パッと手でつかめる場所まで体を移動していなければいけません、

キリギリスは一瞬にして、どこにでも飛んで逃げますから、捕るチャンスを逃すと
一瞬にして姿を見失ってしまいます、なにせ草と見分けが付きませんから
アッという間の捕獲作戦ですよ、
キリギリスを取れる人はハエをパッと素手でつかむことも出来るはずです。
私も止まっているハエをパッと素手でつかむのは上手ですからね、
何せ昔はハエもキリギリスも沢山いましたから、十分練習出来たんです。

でも町のキリギリスはみんなが取ろうとするものですから、
こちらが近づく前に逃げてしまいます。
我家は線路の近くなので昨年とその前の年の夏にはキリギリスが道路を渡って
我家の軒先にやってきましたから捕まえて大切に育ててあげましたよ。
と言っても外より暖かいだけで、キリギリスにとっては迷惑だったでしょうね。
でも冬になるまで我が家で鳴いていました。

良く新聞には正月を迎えた元気なキリギリスのお話が載っていますが、
うらやましいですね。キリギリスを家庭で繁殖させるのは難しいでしょうけれど、
コオロギや鈴虫は意外と簡単ですよ、
私は60cmの金魚鉢でどちらも育てて観ました。どちらも雑食性ですから、
えさが足りないと、弱っている仲間が餌食となりますから十分にえさを与ましょう。
また同じ仲間だけで長く繁殖を続けると、劣等遺伝となってしまいますので、
なかまを入れ替えて育てたほうがいいでしょう。

上手に育てるとドンドン増えていきますよ、
それはそれは可愛いものですよ。私も3年ぐらい育てました。
キリギリスは昼に良く鳴くのでいいのですが、鈴虫と蟋蟀は昼間は、
あまり鳴いてくれません、夜に成ると良く鳴くので、寝不足に成らない様にしましょう。


25、ホタル

私が子供のころは沢山ホタルがいました、夏の終わり頃、蛍取りに出ると、
数匹は取れたような気がするのです、でも蛍が飛んで光っているのは、
1,2週間ほんの一時の蛍の繁殖の時期にだけ川から出て光っていたのだと思います。

普通は川の中で生活しているのが本当なのか外に出るのが本当なのかは難しいですけど、
セミも外に出て1週間しか鳴かないとの事ですから、蛍も同じようなものではと思うのです。
昔は外は真っ暗でしたから、蛍が光っているとかなり離れた所からでも蛍を発見できました。
蛍は川の近くの水辺に良くいましたから、蛍を見つけると、川に落ちそうになりながらも、
わりと簡単に捕まえることが出来ました。ほんのりと明るい光を放つのをビンに入れて、
なぜ光るのか不思議そうにみんなで眺めていましたね。
なぜ光るか調べたような気もしますが忘れてました。
蛍を取ってくるのはいいのですが、何を食べるのか解からないので、
ほんの一日二日で死んでしまいました、今思うと可愛そうな事をしたと思うのですが、
何せ沢山いましたから、あの頃はそんなことは思いませんでしたね。
何年か前の夕方にこちらを出発して、沼田町のホタルを見に行って、びっくり、
何と身長が倍で横も倍つまり4倍は軽くある、とても明るく大きい源氏ボタルでした。
かわいいというより気持ちが悪いくらいの大きさでカミキリムシのようでした。
あの大きさなら少し集めたら本ぐらい簡単に読めそうな明るさでしたが。
手に持ってみようとは思いませんでした、
お尻は光っていても虫の姿がはっきり見えないと初めて触るのはいやですからね。

昔は蛍取りに行くのはいいのですが、けっこう蚊などの餌食になるのです。
ですから外での夜遊びはあまり出来ませんでした。
星の観測をしたくても虫の餌食になるだけでしたから、
夜空をのんびり眺めるような時代では有りませんでしたね。

昔の今頃の夜は外では
カエルの鳴き声と、キリギリスやコオロギの鳴き声が大きく
ケラの鳴き声は、初めは何の泣き声か大人になるまでわかりませんでした。
皆さんは聞いたことがありますか。この前テレビ番組で

もう東京にはケラはいないと探しているのがありました。
でも何とか見つかったようでしたが北海道には沢山いますよ。
ケラは水の上もすいすい泳ぐというより沈まないんですよ。
目に見えないような羽毛が全身に生えているので空気の層が出来て沈まないというのです。
旨く出来ていますね。またケラも飛ぶのです、けっこう街燈の光の下に飛んできています。
山道の街燈の下にはカブトムシなども飛んでくるものですから、
カブトムシ愛好家などは真夜中に山道の街燈の下をカブトムシを探して、
車で走っているようです。
虫の声は町に住んでいては聞くことは少なくなりましたね、
鳥の声もあまり聞こえません聞こえるのは車の音
ですからいつもは虫の声や鳥の声の入ったC Dを
昔を思い出して聞いています。

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26、スイカ

皆さんは、果物と野菜の区別が付きますか、
では質問ですよ果物か野菜か当ててくださいね。
ではイチゴは?メロンは?トマトは?キュウリは?トウモロコシは?スイカは?
果物でしょうか?野菜でしょうか?

農林水産省では、「野菜」は一年生草本類から
収穫される果実。で「果物」は、樹木のような永年生作物から収穫される果実。
であると成っています。ですから、スイカもイチゴもメロンもトマトもキュウリも
トウモロコシも野菜なんです。甘いと果物かなと思ってしまいますよね。

毎年種をまいたり苗を植えるのは野菜なんですね。さて少し水不足が解消された
ようですから、またおいしいスイカが取れるのでしょうか、
豊作だといいのですが、私はスイカも大好きなんです。昔は今のようなスイカでは
ありませんから時期が来たら、指でたたいてボツンボツンと良い音がしたら
食べ頃なんです。よく畑に入ってスイカをたたいてどれが食べ頃か探して歩きました
実は今はそんなことはしませんよ、スイカは何日で熟すのか分かっていますから、

日数が来たら収穫するのです。昔は誰も研究しなかったのでしょうか、またスイカは
今のように小さいのはなくて大きいのしか見たことがありませんでしたね、
私はいつもスイカを見ると指でたたいてみるのですが、昔のようないい音はしません
カンカンと軽い音がします、たたいてみて昔はこんな音のスイカは
まだ食べられそうも無かったなーと思ってしまいます。
でも切って見ると、あのカンカン言っていたスイカも甘くておいしいんですよ。

時代が変わり手で触って熟したかどうか確かめるのは時代遅れなんですよね。
今はミカンも桃も器械が自動で甘さを、赤外線センサーで計って
商品をより分けている時代ですから、糖度何パーセントか書いてある製品は、
美味しさをきちんと選別してランク付けされているものが多いのです、
昔はよく同じものでも、あたりはずれがありましたが
今はあたりはずれが無い時代になってきているんですよ、すごい時代です。
ジャガイモも今は中身まで器械が判断してより分けている時代になりました
赤外線センサーですから瞬時に判断できるのです。
感が頼りの時代が変わってきています。

農家では大変苦労して作っても、見ためが少しでも悪いと値段が違うのですから
生産者は大変です、ネットメロンなどは、外見が悪いと売り物に成らないのです、
中身にも外見にも気を使っているんですよね。私はトウモロコシも作って
市場に出したことがありますが、きちんと先っぽまで身が入らないと
製品としてはだめなんです。ですから作った4分の1くらいは
製品とは呼べないものになってしまいました。
ほんの少しの違いなんですよ、野菜は作った場所で味がぜんぜん違うのですから
値段が高いのはそれなりに立派で美味しいはずです。
今はもう地物の美味しい野菜が出回り始めましたから、
何を食べようか迷ってしまいますね。また今年も太りそうです。

昔のスイカは本当に美味しかった、今は甘くて美味しいものが沢山有るので、
それほど感じないだろうけど、家に入るとスイカを切ったときはすぐわかった、
それほどいい匂いがしたし最高においしい食べ物です、
私の大好きなたべものです、妻は余り大きいのは食べないが、母と二人で
8分のTずつは食べる、1日で大きいのが無くなる時もある、

まったくのスイカ好き親子である、このスイカつくりがまた
母の自慢ではあるのだが、収穫する数だけは多いのである、母のスイカ作りは
毎日熱心で一生懸命なのでスイカの成る数だけはすごいのです、

出荷するスイカは一本に2個か3個までしか成らさないのでしょうけど、
母は成るだけ成らすのです一本に10個です、毎年10本苗を買ってきて
其の殆んどに成るのですから大変な数です、でもなぜ商品として作る人はそんなに
成らさないのかというと、きちんと身の入るスイカには成らないからです、
母のスイカはと言うと、そのとうり余り中身は誉められませんが
収量数は一番です、味は、まあスイカでしょう。
皆さんも美味しい野菜探して沢山食べてあげてください。
(放送後編集済み)

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27、ドジョウ

今年は30度を越える日が有りませんでした、
こんな年は今までには無かったと思いますよ。さて今日のお話ですが、昔の今頃は
何をして遊んだのだろうかと思い出していました。
子供の頃の今頃は暑いのでやはり水遊びでしょう、
といっても、泳ぐばかりではありません。

あの頃の我家の前の小川には小魚がけっこういて、
今頃は農業用水も水の流れが少なくなってきますから、
横幅1mほどの半円形の網で、弟たちと近所じゅうの小川をよくすくって歩きました。
大物はめったに取れないのですが、小魚が良く取れました。
弟たちに川の中にいる魚を追い立てさせて私は網を張って待っているのです。
みんなでベチャベチャになって、よく親に怒られました。

すくった小魚は、ほとんどニワトリの餌で、
私たちは単に魚すくいを楽しんだだけなんですよね、
あの頃の川にはドジョウは沢山いましたし、よく取れたのですが、
この辺では食べる習慣がありませんから美味しいとは聞いていましたが、
なかなか食べる気にはなりませんでしたね。
でも30年ほど前の夏に水が流れなくなっていた水溜りに取り残されていた、
ドジョウを数百匹一網打尽にしたので友達や近所の人とドジョウ鍋をする事にしました。

集まった全員が美味しいという話だけはみんな知っていたのですが、
ドジョウ鍋は始めてで、見たことも食べたことが無かったのでした。

私はまだ一度も食べたことの無い美味しいと言われているドジョウの泥を、
いかに早くどうやって吐かせるか、と考えましたね、
時間が無いので私は考えてドジョウに塩を大量に振りかけたのでした、
ところが大変です、ドジョウは海の魚ではないので塩が嫌いなのか、
半分近くが泥を吐く前にのびてしまったのです。

仕方が無いので、まだ粋のいいやつを捕まえて鍋に入れようとしたのですが、
さて今度は、水から入れるのか、熱いのに入れるのか、意見が分かれましたね。

でもドジョウは熱くなったら豆腐にもぐり込むと言う話を聞いた事があるので、
水から入れておいて、熱くなったら豆腐にもぐり込むだろうと言う事に成ったのです。
さて豆腐とネギとドジョウを入れて、みんなの目は鍋にクギづけ、だがしかし、
どんどん熱くなっていく鍋の中で、ドジョウは鍋から飛び出したり、
鍋の中を逃げ惑うばかりで、ただの一匹も豆腐に潜り込んだのはいなかったのです。

ドジョウ鍋に味噌味をつけて、これでよかったのだろうか作り方が失敗だったのだろうか
と集まったみんなは、とても悩みながら、おっかなびっくり食べました。
どうだったと思いますか。今でも思い出しますが、あの時のドジョウ鍋は
本当に美味しかった。
隣のバーちゃんが言いました、「ドジョウは気持ち悪くて食べられないと思ったけれど
こんな美味しい鍋だとは思わなかった冥土の土産になる」といって喜んでくれました。
隣のばーちゃんはあの時から数年前まで長生きしていましたが、
ドジョウ鍋を食べたのは、あの時が最初で最後だったろうと思うのです、

私もあの時のドジョウ鍋は初めて食べるので、なんとなく気持ちが悪かったのですが、
集まった仲間は、ドジョウもしっかり食べてしまいましたよ。あの味は忘れられませんね。
みなさんも夏バテにはドジョウ鍋でもいかがでしょうか。
何でも食べてみないと味は分りませんよ。私は今度また機会があったら食べたいですね。

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28、ナスビとキュウリ

みなさんはナスと言うようですが、私は昔からナスビと言うんですよ、
ナスビは焼いて食べても、お吸い物にも、酢の物にしたり、漬物も美味しいけど、
特にナスビのからし漬けは私の大好物なのです。あの甘辛さがたまりません、
温かいご飯におかずはカラシ漬けだけなんてこともあります。
ナスビには90%以上もの水分があるとのことですが。
なぜか油と愛称がいいので、テンプラや油炒めしたものがとても美味しいしのです。
ナスビの作り方は、
今の時代ですと苗を買ってきて肥沃な土地に植えるとスクスクと大きく育って、
30cmにもなれば花が咲いて実が成るでしょう。
可愛い花と独特の紫の濃い、木のようなスタイルで、つるではないんですよ、
大きくなると1m近くにもなるのですが、ナスビ畑に入るのには注意がいるのです、
あのトゲが痛いんです、トゲの先が刺さって時には折れて皮膚に刺さりこむのです、
これが痛い痛い、ですから素手ではナスビ畑で収穫するのはやめたほうがいいでしょう。

美味しいナスビほど危険なんです。ですから昔からナスビ泥棒はいないんですよ、
聞いたことは無いでしょう。ナスビの収穫時期は意外と何時でもいいのです。
大きくても小さくても余りおいしさに違いは無いと思います。
商品にするには大きさをそろえて収穫するように決まりがあるようですけど
でもあまり小さいナスビを取ることはありませんでした、
間違えて取れるぐらいでしょうか、取らないで何時までも置いておくと、
子供の頭ほどの大きさになってしまいます見たことがありますか。

自家用で種を取るときはいつもその位大きくなっていました。ナスビは、
そのつど料理しやすい大きさの物を取るのです、次から次と花が咲いて秋遅く
霜のふる時期まで収穫できました。アブラムシがついたら大変なのですが、
堆肥などの栄養がしっかりしていると、虫や病気には負けません。

キュウリも同じように堆肥をたっぷり入れて作ると美味しいいいキュウリが取れるのです、
大きさは今のように小さなキュウリは無かった、
小さいと渋くて食べられなかった、キュウリだって熟すのです、
つまり熟さないと渋くて食べられないのです、

種を取るために残しておくキュウリはとても太く大人の腕ぐらいに
なっていましたし、種取り用は色も黄色く色ずくまで置くのです
おやつの少ない時代でしたからキュウリの熟すのを待っていました、
太く成らないと渋くて食べられません、早く食べたくて、もういいかなーなんて
子供心に考えて、1本失敬してキュウリ畑の誰も見ていないところで食べてみると、
たいてい渋い、渋いのは食べられないので、そのまま畑に投げておくと
親に見つかって、もったいないと言ってよく怒られるので、みつからないように
川に投げたりしました、親にもう取ってもいいかい、なんて聞いても
子供の私にいいとは言ってはくれないので、親の取るときについて歩いて
一本もらって、味噌をつけたりして食べた、美味しいかった、
食べられるものなら何でも食べてみたかった子供時代でした、

露地栽培のきゅうりの葉は大きくて、ガサガサしていて、
かくれんぼや鬼ごっこでキュウリ畑に逃げ込んだりしたら
肌に触れると痛いのであまりそっちのほうには行かなかったと思う
キュウリにはイボイボがあって、これが結構手にあたると痛いし
刺さりこむこともある、未熟で小さくてもイボイボは一人前でした、
今食べているキュウリの大きさはその頃の未熟なキュウリの大きさで、
始めて町の店先で売っているきゅうりを見て何ともまずそうなキュウリだなーと
思ったものです、
熟すと表面をさーっとなぜるとイボは取れやすかったし艶もよくなって、
イボを取ってみて熟したかどうか判断できたのです。

始めて店で売っているキュウリを食べてみて渋くないのにびっくり不思議でした
昔の農家ですから熟すまで取らないので種が結構大きくなっているので、
今のように種の見えないキュウリは食卓には登りませんでした、
キュウリのお吸い物、酢の物、炒め物、サラダ、
そして漬物、漬物にも色々有って書ききれないが、我が家のキュウリの漬物は、
何漬けにせよ、いつも種が大きかったし今のように、小さくなくて、水っぽく、
ガリガリという美味しそうな音ではなかった。

若かりし頃、友人と仲間と14人で日産自動車に出稼ぎに行ったときに、
正月に家に帰らないので故郷から送られてくる小包みの中に、漬物が入っていました
私の小包みにも友人の小包みにも、正月ですからコタツの上で
キュウリの漬物でも食べようとお互いに出し合って食べたキュウリの漬物の
大きさの違いにびっくり、もちろん大きさといい完熟度といい見た目は
私のほうの漬物の勝ち、我が家は本家で母の思い道理にはならないので、

遅くまで漬物は漬けないから当然大きい、友人のキュウリは
早く取りすぎてそれはもう情けなさそうな細さ、我が家の半分以下なのである、
もちろん私は生まれて20年余りもそんな小さなキュウリの漬物は家では
食べたことが無かった、ところが食べてみてびっくり、
彼のは食べるとガリガリといい音がする、我が家のはサクサクとした
何とも情けない漬物で種もかなり大きくなってしっかり付いている立派なキュウリで
町で食べた漬物はどうやって漬けているのか不思議だったのが、
その時に始めて判ったというより恥ずかしかった。
出稼ぎから帰って母に漬物のことで抗議をした覚えがある、
あの時、始めて判ったキュウリの美味しい漬け方であった。

我が家ではいつも同じ品種の大きいキュウリを作っていましたから。品種改良が進んで
いい野菜がドンドン出来ていたんですね。我が家は「井の中の蛙(かわず)」だったのです。
いつの時代でも、野菜を作るのは大変なんです。旨く行かないことのほうが多いのです。
農家のみなさんは苦労して作っているのですから、あまさないで、
きちんと食べてあげてください。
美味しいキュウリがいつまでも取れるようにするには、キュウリ畑に、
ちゃんとした堆肥がたっぷり入っていないと、虫や病気にすぐに
やられてしまうのです、昔は農薬が余りありませんでしたから堆肥が
たっぷりでした、それでも今の様にすぐには病気にも虫にも負けませんでしたし、
秋まで収穫できたような気がします、ビニールハウスではなく路地植え
でしたけど、キュウリはつるで伸びていくので根曲がり竹で囲いという
手をするというか伸びていく場所を作って上に伸ばしてあげるように
しなければだめで、下に這わせると雨で泥が跳ねて、すぐ葉っぱや、つるが

病気にやられてしまうので、下にはたっぷりの、わらをひいて泥が
跳ねないようにしていました、雨にも負けず風にも負けず意外と
強かったような気がする、でも秋の稲刈り頃にはもう畑が
かたずけられていていたようです。

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29、ネズミ

皆さんが大好きなハムスターの親戚の話をしましょう。昔の我が家にそれはそれは
もう沢山居ましたよ、いつも夜に成ると、屋根裏でも、台所でも家の中の
あらゆるところでハムスターの親戚のかけっこが始まるのです。中には彫刻好きの
優等生もいて、あっちでもこっちでもチュウチュウ、ガリガリ、夜はネズミの天国
でしたね。猫? 猫は居ますよ立派なのが普通の家には2匹ぐらいはいましたね、
野良猫も家の周りに何時も居ました。繁殖期になると猫の鳴き声と、ネズミのカケッコ、
内でも外でも大騒ぎでした、猫は高いところに少しは上がれても狭いところにも
入れないものですから、ねずみはめったに捕まりません、たまーにドジなのが捕まるのです。

ねずみも堂々としたもので、日中でも、夜でも時でも、いつでも出没するのです。
ネズミは電線の上でも上手に落ちないで走っていきます、
私が寝ているときは騒がしいネズミに向かって怒鳴るのですが、ほんの一時、
チョット静まり返ったかと思うとまた始まるのです、かけっこにチュウチュウ、
ガリガリ、あっちでも、こっちでも、家じゅう、ネズミにかじられた跡がいっぱい。

たまーにネズミを捕まえた猫は不思議と得意がって私たちの所へネズミを持ってきて、
見せて遊ぶのです、実は猫は、たまーにしかネズミが捕れないのです、だから、
しっかりと普通の食事を取るのです、ネズミを食べたらそんなにご飯いらないはずでしょう。

ということは余りネズミを捕っていなかったと言う事でしょうね。ネズミ捕り機のほうが
沢山取れましたよ、ほとんど毎日と言っていい位に捕れました。餌はソーセージでも
アゲでも、何でもよかった、何でもよく食べましたからね。昔の家の壁は泥壁か、
何も入っていない壁の家でしたから、家の改築などで、壁をはずしたりすると必ず
ねずみの巣がありました、それこそネズミの巣のおかげで家が暖かいと言うぐらい
巣作りがなされていましたね。私が小学生の頃、どうしてだか学校へ、ネズミを捕って、
シッポだけを持って行ったら、ネズミのシッポ一本で五円貰えた時がありました。

学校でお金が稼げたのです、病気のペストだとかノミやシラミだとかが増えたら困るから
政府が取った政策だったのでしょうか、詳しいことは判りません。私はネズミ捕りの
カゴを仕掛けるのが上手で何時もネズミのシッポを持っていく時の数は、クラス一番の
成績でした、勉強の成績ではない所がいいでしょう。アンパン一個10円
キャラメル一個10円の時代の一本5円でしたから結構よかったと思います。

でもこの年の夏だけだったと思います、私は一日に最高でネズミを16匹捕ったのが
最高ですもちろん大人に成ってからの春に稲のワラを片付けていた時の事ですよ。
今はネズミを見ることが少なくなりましたが、時たま街の中を走り抜けて行く
大きなのを見ることが有りますよ。私の弟と義理の弟はネズミが大嫌いで
私が農家だった頃、みんなが集まって宴会をしていた夜に一匹のネズミが家の中を
走りぬけました、サー大変、大の男は机の上に飛び乗って2人で立っていたのを見て
みんなで大笑いをしましたね。嫌いだとこういうものでしょうね。今の時代は
皆さんハムスターを飼っているようですが、夜中になると大騒ぎしていませんか。

我が家にも猫に犬に亀にフナ、沢山いますから、動物を育てるということは大変ですよねー、
何て言っていると隣から育てるのはじいちゃんより楽ですよ。
何て言われそうですからジャーこの辺で。

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ねずみの出る我が家の移り変わり、生家と旧家

30、トンボ録音が聞け画像が出る

トンボのお話です、「昔はトンボが沢山いましたから指を空に突き立てていれば
トンボはすぐに止まってくれました」と書いてGSKYが始まったときに、
リクエストの文章を書いて出したのがこのETじいちゃんの作文コーナーの始まりの
キッカケでしたね。今日は色々なトンボについてお話をしましょうか。

みなさんも知っているでしょうけれど、あのつなぎトンボは夫婦で、前がオスで後ろがメス。
オスのシッポの先が割れていて相手の首根っこをつかめる様になっているんですよ。
トンボが相手を決めるのは、どうするか知っていますか、そのシッポの先でメスの
首ネッコを捕まえようと、何度もオスがアタックするんですよ、メスがオスを
気に食わないとサッと逃げますが、ちょっと気に入ったなーと思ったら、オスに
首根っこ押さえさせるのに身をまかせるんです。詳しいでしょう、いつも飽きずに
眺めていましたからね、無事オスがメスをゲットすると、つなぎトンボになって
新婚旅行に出かけるんですよ。どなたかが3匹でつながったのを見たといっていましたが、
けっこうメスをゲットするときにはオスどうしの争いもありましたから、

あわてたオスがどさくさにまぎれてつかんだのが。つなぎトンボだったのでしょうね。
今はもう昔、といっても農薬が使われ始めたのは戦後10年近くたってからと
思われるのですが、その頃の秋空には、赤とんぼが、いっぱい飛んでいました、
何種類ものトンボがいて、夏休みのトンボの昆虫採集だけでもけっこう集まりましたよ。
今はでは車トンボだけが多く目立つのですが、生き残っている種類は少なくなったと
思うのです。この車トンボにも車と言われる部分の色が茶色や二本線のもいました、

赤とんぼにも色々いましたね、顔の赤いの、お白いを付けたの、背中の赤いのから黒いの、
羽根に色のついたのから透明まで、しっぽも赤いのから、黒いのと、色はさまざま、
これらが組み合わさって、たまーに珍しいのがいました。トンボの餌は蚊などの小さな虫、
肉食なんですよ田や畑にいる悪い虫を食べてくれる益虫なんです。

トンボは口が結構強いので噛まれると痛いですよ。水のあるところでは
細い糸トンボもよくいました。また赤とんぼなどより
一回り大きい塩からトンボもいました全体に塩をまぶしたような、何となく銀のよろいを
着たようなトンボでした、水溜りに卵を産みに来る、蚊などを捕まえるのでしょうか、

動きが速いので、捕まえるのは大変でしたね。またときたま音もなく、
ものすごく大きなトンボが飛んでくると、みんなの目はそのトンボにクギ付け、
オニヤンマだったかギンヤンマだったか今となってはどっちがどっちだったか
あまり記憶がないのですが、とても綺麗で優雅に飛んでいくのです。

たま−に止まるときがあるのでそのチャンスに、トンボ取り網で取ろうと必死で
追いかけるのですが、でもほとんど逃げられましたが今までに数回手に入れたことが
ありましたがどっちだったか、今となっては判りませんね。昔はトンボの羽根を切って
飛べないようにして遊んだり、しっぽに糸を付けて手で風船を持つようにしてみたり、
また魚釣りのえさにしてみたり沢山トンボには悪いことをしたと思います。
「トンボさんごめんなさい」、と謝っておきましょうか。
みなさん今度つなぎトンボに出会ったら、どこに新婚旅行に行くのか聞いてみてください。

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