ETじいちゃんの四方山話4
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四方山話「第四ページ」
86.癌検査
87.内視鏡検査
88.入院
89.手術前
90.手術
91.手術後
92.手術翌日
93.大部屋に戻って
94.抜糸と熱
95.抗がん剤服用
96.帰宅
97.することは沢山有る
98.病院の思い出
99.健康一番
100.保険に入ろう
101.妻のくも膜下出血
102.癌再発と転移
103.幸運の持ち主
四方山話「第一ページ」
1.正月のミカン
2.受験勉強
3.節分
4.髭 ☆
5.ニワトリ ☆
6.湯たんぽ ☆
7.誕生日 ☆
8.夜の街 ☆
9.安全運転
10.雪印
11.渡り鳥 ☆
12.入園入学 ☆
13.金の卵
14.花壇 ☆
15.連休と焼肉 ☆
16.毛虫 ☆
17.お祭りと獅子舞☆
18.サクランボと農薬☆
19.馬 ☆
20.キャンプ ☆
21.海水浴 ☆
22.草取り ☆
23.盆踊り ☆
24.キリギリス☆
25.ホタル
26.スイカ ☆
27.ドジョウ ☆
28.茄子とキュウリ
29.ネズミ ☆
30.トンボ ☆
四方山話「第二ページ」
31.カニつり ☆
32.オリンピック
33.字が綺麗
34.保護しすぎ
35.ビンタにゲンコツ
36.ダンス×3 
37.ヤギと鳩 ☆
38.学生時代 
39.炊事
40.ペット ☆
41.遊び
42.円形脱毛症
43.有線電話
44.洗濯機 ☆
45.お風呂 ☆
46.恋愛と結婚
47.川魚釣り
48.ジンギスカン
49.スポーツ音痴
50.再生するイモリ
51.豚とホルモン
52.トマト
53.奉公人
54.真似したい
55.数の子
56.シバレる朝
57.テレビと人工衛星
58.終生免疫
59.水 害
60.七転八起の結婚
四方山話「第三ページ」
61.やめてよ!
62.元ドライバー
63.どっち!?
64.治寮院では?
65.酒には強い?
66.痛かったなも〜! 
67.外国人が来た
68.ボケの始まり
69.東京
70.へびが出る
71.怖い話
72.乗せて来てよ
73.座薬はこう飲む
74.初キッス
75.火葬場はどこ
76.ほうじ茶
77.原子爆弾
78.爺に成った
79.愛護保護団体へ
80.出稼ぎは楽しい
81.総領の甚六
82.初めての弁当
83.傘に負けた
84.豚とハエ
85.音楽と私
※「大腸癌の手術、一年後、肺に癌転移」※
2006年11月17日入院、21日手術、12月12日退院
現在、肺に癌転移のため抗がん剤2週間に一度投与中
※その間、妻の「くも膜下出血」で大手術※
8時間にも及ぶ大手術で奇跡の生還
2007年9月5日入院、6日手術、10月19日退院
5ヵ月後職場復帰しました
病気になるのは不幸でしょうか、でも無事に生還、これは奇跡
私達家族は不幸ではなく幸運の持ち主だと思います
私のお腹の「癌」と妻の「くも膜下出血した動脈瘤」の写真

86.癌検査


私の大腸の検査記録は50歳の時の健康診断に始まる
1998年50歳の時

私はどうも大便が近いのを不思議に思っていた
行ってきたばかりなのにまた行きたくなるのです

トイレはもともと近い方なのであまり気にはしなかったし
年中下痢気味なのです
便秘は一度しかしたことがないのです

このときちょうど50歳の健康診断をしませんかと言う
国民健康保険の癌検診の手紙が市役所から送られてきた
一度調べたかったのですぐにお願いのはがきを出した
このとき便を持って市立病院へ行ったのか
癌検診車だったか思い出せないが
その後、大腸の再検査してくださいとの知らせが来たので
いつも行っている市内の病院で再検査

どうもポリープが大腸に沢山あるようだとの結果
先生の紹介状を持って隣町の市立病院へ行ったのである

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87.内視鏡検査

市内の病院で紹介状を貰って行ったその病院で
大腸検査の為
次回にこれを飲んでお越しくださいとのことで
下剤を貰って帰ってきました

検査前日は夜20時までに食事、21時から下剤を飲むのです
このときの下剤はクエン酸500ccは無かったと思うが
始めは飲み易かったけれど最後のほうは飲めなかった
下剤を飲んで30分もすると思いっきり出るは出るは
気持がいいくらい超特急で30分も持たない間隔で
2時間ほど出るのですある程度でたら出るものが無いので
目覚ましが鳴る朝5時までぐっすり

朝5時からが大変2リットルの塩分を含んだ水を
作って2時間の間に飲むのです
これも大変、30分間経たないうちに出るは出るは超特急
始めは黄色かったのが、しまいにはあまり色の着かない水が
2リットル出る、気持がいいくらいに出るのです
もう腸には何も残っていないことが自分でもわかります
病院へ出かける9時前には出尽くしたので
なんとか病院までトイレには行かなくて良かった
でも病院へ着いたらすぐにトイレに駆け込んだ
病院では時間予約ですからあまり待たなくてもいいのです
病院ではすぐに呼ばれて、

お尻のところが割れた手術着にすっぽんぽんになって着替えさせられた
手術謙検査室は忙しそうに次々と患者が出入りしていく
私は初めてなので緊張していました
名前が呼ばれて私の番
注射を打たれ
手術台に横たわるように指示され
左下にして寝ました

足を曲げるとお尻が割れた手術着から出るようになっています
はずかしいけど看護婦さんに見られても仕方ないか、まな板の鯉です
内視鏡が何と指の太さはあるのが見えました
これを先生がお尻の穴から入れます

入る時から出る時までお尻の穴はムズムズ今にも便が出そうです
内視鏡はズンズンと入って行くようでお腹が張ります
左のお腹のカーブに突っかかったようで痛い
私が反応するので
痛いかい、とか言われても痛いのかどうなのかも
初めてなのではっきりしない
少し余裕が出てきたので目を開けてみると
テレビではないがディスプレイに私の大腸が綺麗に映し出されていた
小さなポリープを発見
すぐに摘出の準備
足に電極を巻いた
内視鏡に摘出用の器具を入れて
ポリープをつかむポリープの首を絞めて
電気で切り取る高周波であろうか電気の走る音と感じがした
切り取ったポリープをつかんで取り出して検査に出す
なんとポリープは沢山ある
数個とっているうちに腸が動き始めた
内視鏡を押し出そうと動き始めたのです

蛇が動くようにミミズが這うように押し出そうとするのが見えた
すぐにもう一度注射するようにとの指示で一休み
最初の注射は腸を動かなくする注射だったんですね5分後再開
今回は10個も取ったであろうか
大きなのは2,3回に分けて取るとのこと
45分後手術台から降りた

お腹パンパン、空気で膨らませてカメラで診ているんですね
終わってからおならが出るでる
ポリープを取ると出血もしますトイレに行ってビックリします
さらに出血止めの注射を打って帰ってくるのです
以降、毎月5回に分けて全部で50個程私のポリープ摘出が行われた

5回目の時、先生は急に出来たものではなく少しずつ増えたのでしょう
小さくて取れないのもあるので


また来年も来てくださいと言われたのを
私は病院へは行かなかった

そろそろトイレも近くなったので病院へ行ってみるか
と思ったら何と8年も経っていたのです


そして8年目また市からの癌検診の呼びかけに応じ
2006年9月7日、癌検査に旭川の癌センターへ
妻も一緒に癌検査
妻は何も無く

私には再検査要請の手紙が
やはりかと言う気持で
10月5日以前の病院へ再検査予約
検査の為の下剤をもらって帰ってきて

10月18日夜はまた下剤を飲んで

19日の朝は下剤2リットル飲んで超特急なれたものである

10月19日大腸内視鏡検査、大きなのがあるとのことで細胞診

結果は11月7日とのこと、その前に糖尿病検査である
10月26日糖尿病の検査、糖尿病の領域に仲間入りである
普通は110までなのだが117で糖尿病の仲間入り
その後の検査ではあまりひどくは無いので薬も飲まなくてもいい様なのである
11月7日、10月19日の細胞診の結果、癌なので外科へ行くようにと
翌日11月8日外科へ
病院は手術で毎日の予約で一杯で
11月21日しか手術日が空いてないとのことで
11月17日に入院21日に手術と決定 
入院の手続きの書類沢山貰って帰宅

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88.入院

入院まで時間があったので
入院の準備は家内が全部してあったし
家の周りの片付けも出来た
息子に色々と後ことも教えることが出来た

治療院へ来てくれる患者の皆さんにも
来月の中ほどまで休みますと連絡が出来た
入院前日まで仕事していました
11月17日
さて入院、妻に妹、孫たちも付いて来た、付き添い5名
外科へ行くと病棟から迎えに来てくれて
入室すると看護婦さんが私をみんなに紹介してくれた
5名の患者が入院していた6名一室の部屋である
とりあえず着てきたものを脱いで病院のパジャマに着替えた
着て来た衣類は帰りまで置く所も無いので
家内は全部持ってかえった

入院間もなくCTスキャンやレントゲンや血液検査が始まった
手術に備えて食事制限がある、今夜だけは普通の食事のようだった

翌日11月18日
食事はインパクトという飲み物
初めての味なので別に美味しくないわけではないが
周りの人はとても飲めたものじゃないなどと言う
美味しそうに飲んだらこんな人は初めてだと笑っていた
食事がない分ビーフリードの点滴1000cc〜2500cc

手術前日11月20日
昼までインパクトを飲み
点滴が続いた
午後から下剤を飲んだ
手術に備えてへそのゴマ取りと入浴


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89.手術前

11月21日、手術日の朝、5時に目が覚めた
手術の覚悟は出来ている別に不安はない
朝イヤホーンでラジオを聴いていたら
今日は一休さんの命日ですと言っていた
一休さんが
困った時にはこれを読みなさいと言って残した遺言
弟子が困ったとき、開けて読んだら
「大丈夫、心配するな、何とかなる」
と書いてあったそうな私の今の心境にぴったりである

体重は67kgあったのが食事制限で64,2kgになっていた
朝、家内と妹と息子がやってきた
息子に手術の後には先生の説明がある
その時許可を貰って切り取った癌を写真に写しておくように
こう言って息子に頼んだ

9時半、手術着に着替えた
結び目をはずすとスッポンポンになるように出来た手術着である
点滴を打ちながら手術の時間を待った
12時半、いよいよ手術室へ出発である
エレベーターの前で出陣式、写真を写して気勢を上げる
手術室の前まで家族は見送りが出来る

このときのお話し
「ここでお別れです」?合掌?
ここまでしか入れませんでしょう?
私の話しではないが、看護師さん言葉には気をつけて?
でも、みな手を合わせて手術の無事を祈る?はずですよね。
南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、何妙法蓮華経、アーメン
私の場合はどうだったかは知らない!


手術に向かうエレベーターの前で12時30分

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90.手術

11月21日12時30分過ぎに、とうとう手術室に入ってしまった
見上げる目の上には大きな直径が1mありそうな電燈というか
電燈の集合体、宇宙船の中みたいな感じ
まずは背中に麻酔の注射をするという
横向きで身体をエビの様に曲げる
背骨にではなくその周りにまずは麻酔注射
痛い、何でも初めての経験であるからオッカナビックリである
数箇所に打ってから何やら押し込んでいる様子

何と後で判ったのだが背骨の神経に向けて5cmほど
ワイヤーで出来た麻酔の注射針が打ち込まれていたのである
これは手術後4日ほど継いだままであった
背中の麻酔注射の設置が終わると上を向かされた
全身麻酔をしますから大きく息を吸って
といって麻酔のマスクを当てた
こんなものに負けてたまるかと思って
数をかぞえ始めた、
1、2、3、4、5、6、7、8、”””””
5を数えた時変な匂いがしたが8までは記憶がある!

「たゆさん!」
「はい!」
名前を呼ばれたので、なぜか元気な声で返事をした
もう終わったんですか、と私が聞いた
はい無事に終わりましたとのこと
ほんの8っつまで数えたらもう終わっていたのである

気がつきましたね、では部屋へ帰りましょうか
気がついてから、間もなく術後の部屋へ戻った

部屋では手術後の説明を受けてから、
まだ1時間ぐらい部屋へは来ないと言われていたのに
5分ほどで私が帰ってきたのでビックリしていた
私は昔から寝起きは良いほうなのです
いつも起きる時は飛び起きるのです
いつも寝坊しては飛び起きていたからかな?
部屋で待っていた息子に写真写したかと聞いたら
切除した癌部位は先生に頼んで写したのが下の写真


大腸の下行結腸、切除20cm

背中に刺さった麻酔の針と液を送るポンプ

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91.手術後

手術後一日は家族の付き添いの出来る部屋がある
手術後部屋へ戻る時、私は目を開けて天井を見ていたので
部屋に戻った直後、目まいがして吐き気を催した
こんなときはすぐに直す、つぼが有る、看護師さんのいる前で
家内と息子に左右の手にあるそのつぼを押させた、かなりこっていた
数分で胸の具合の悪いのが取れた
このつぼははきけや車酔い酒の悪酔いにも効くのである

私身体には変なものが一杯ついていた

鼻には管が、普通どう考えても自分では入れれる代物ではない
家に帰ったら鼻からウドンを出し入れできそうな感じである
この管はツバをを飲み込んだ時に、のどに異物がある感じでわかった
胃まで達しているようだタンもこの管を伝って落ちていたのが後で判った
この管は2日目にはずしたと思う

腕には点滴、入院してから食事がきちんと取れるまで点滴は続いた

そしてどうやって挿したのか

私の大切な粗品にバルーンカテーテルというのが刺さっていた
おかげで、おしっこはしたくない、
おしっこは自動的に袋にたまる何の感じもない

手術した日は家内が一日泊まってくれた
切ったところの痛みはさほどではないが
夜、熱は少し出た、看護師(看護婦)さんが水枕を用意してくれた
痛かったら痛み止めを打ちますから遠慮しないで言ってください
そう言われても痛いのかどうなのかはよく判らん
いずいと言うのか縫ったところが何となくと言う程度である
腹の中は痛くは無いがガスがたまったような腫れている感じ
何か横を向いた拍子に頭で引き外したのでしょう頭の上でシューと言う音がした
私は酸素マスクをしていたのだがその管が外れていたのである
少したって看護師さんが気付いて酸素が復活した
採血に血圧測定、血糖値に脈拍、そして点滴交換、看護師さんは忙しい
たいした痛みも無く手術はこんなに簡単に終わるのかと思った
たった8つ数えただけですべてが終わっていた感じの一日でした


手術後の部屋で

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92.手術後翌日

翌日朝になると歩いてもいいというのです
歩いて側の吸入器の所まで行きましょうというのである
起きようとするが腹に力が入らない
手伝って起こしてもらって廊下まで歩いた
廊下の吸入器を吸った
実は少し入院前には咳をしていたので先生に言って
咳止めを貰っていた、吸入は始めてである
初めて歩いて吸入を吸った私は間もなく気分が悪くなった
後で判ったのだが私のはこの注入は合わなかった
上げそうなぐらい気分が悪いすぐにベットに戻った
また家内につぼを押して具合の悪いのを直してもらった

この後、便意をもよおしトイレに行ったが
車椅子に乗せてもらって行って
帰りは車椅子を押してかえってきた
それ以来気分は悪くはならなかった

手術翌日の午後には6人部屋に戻った
もちろん歩いてである

傷にはガーゼが当てられているだけで薬も貼ってない
このほうが傷の直りが早いのである
食事は無く点滴だけの栄養だが量が多い
右手3日左手3日と点滴の針の位置を変える
私の血管は針が入りやすい失敗は一度だけ

私の同室の同じ歳の患者は6回も打ち直したことが有る
あまり針が入らないと看護師さんもあせる、とうとう先輩を呼んだ
彼の血管は固いのだという、太さは私と同じ気がする
何度も看護師さんの挑戦は続く、どちらも可愛そう
一回で入ったらホッと胸をなでおろしていた

私の腕は看護師の卵に打たせてあげたいと言うほどいい血管?らしい


腕にさした点滴用の針、3日で左右の腕を換える

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93.大部屋に戻って

3日目の朝、今までおしっこはしたくなったことがないのに
おしっこがしたくなって寝たまましたらどうも漏れている感じである
今までそんな感じは無かったので変だとは思っていた
数時間後トイレに行って大のほうをしようとしていたら
おしっこもしたくなったどうやって袋に入るのかと
見ようと思って見ていたら何と
管のほうには行かず先っぽから漏れているのだ
すぐに看護婦さんへトイレにあるコールボタンを押した
看護婦とは今は呼ばないが美人の看護師さんが飛んできた
恥ずかしいも何も無い、見て下さい漏れていますと言うと
新しいの挿しますかと言うのですが、
もうトイレには自分で行けるからと言ってはずしてもらった
なんと20cmは入っていて、先はひょうたんの様であった
先のひょうたんのような部分に水で膨らませて
抜けないようにしてあるのだそうですが、なぜかしぼんだんですね
別に痛くもかゆくも無く抜く時もスンナリ抜けたのが不思議でした

バルーン カテーテルの挿入動画

3日目から食事が出た
何と、おも湯、ジュースと、汁のみである
それでも何となく食事が待ち遠しい

夜には咳が始まった
タンが出た
咳をすると切った縫い目が痛い
下腹では無く、へその上
両手で押さえて咳をする
中途半端な咳ではタンは切れない
思い切り空気を吸って咳をしないとタンが出ない
タンはチリ紙に取った、
飲み込んだらまた引っかかって咳が出そうなので取り出した
金曜日夕方始まったので明日は土曜日で明後日は日曜日
病院は2日間休み
咳が始まった夕方家内に咳き込みながら電話
明日でいいから薬を買ってくるように頼んだら
あまりに悲痛な声に、夜8時家内と娘が飛んできた
飲み薬も買ってきたのだが
手術後に他の薬は飲んではだめ
胸に塗る薬で我慢しなさいとの事で
とうとう飲み薬はくれなかった
塗り薬のおかげで少しはよくなったのだが
月曜日の夕方内科の先生に診てもらい薬が出るまで
壮絶な痛みは3日間続いた

吸入を進められて吸入をかけると
このとき私には今の吸入は会わないと思った
咳を止めようと吸入したら余計咳が出たので先生に言ってみた
先生は吸入の種類を変えてくれた
その後の別の吸入器では咳は出なかった

土、日曜日には沢山の見舞い客が来てくれた
起きている分には咳はあまり出なかったが日曜日の夜にも咳き込んだ
金、土、日曜日と3日間夜には咳き込んだ
薬が出た月曜日の夜には不思議と咳もたんも出なかった
数日間の咳でお腹の壮絶な痛みに耐えた
お腹と言うより、みぞおちからへそにかけて痛いので
両手で押さえてタンを出すように咳をした
始めは手術の縫い目が切れるのではと思った
でも意外と強いものだ
腹を鍛えたおかげで今は手を当てなくても咳はできる
***後記***
病院はいつでも薬もらえるの忘れてました、看護師さんに言えばよかった。
セキをしてお腹の縫い目がぶちきれて腸が飛び出した患者が
私のいた病院で一年後に有ったそうです私でなくて良かった
セキしてお腹が痛かった良い思い出です。




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94.抜糸と熱と

咳をしたおかげで肺が少しやられたようだ
手術後15日間、37.8度程の熱が夜になると出た
毎日水枕で頭を濡れタオルで冷やして寝た
11月28日、手術一週間後
抜糸はほんのチクリで痛くない、半分抜いてまた明日と言うことで
10本ずつ2日で20本抜いた
傷あとにはマイクロテープと言うケロイドになりにくいテープを張る
取れるまで貼っておいてくださいというのです
その後風呂に入って久しぶりに身体を綺麗にした
やはり風呂はいい今までは毎日入っていた朝晩と言うことも有る
こんなに風呂に入らなかったのは記憶に無い
身体は毎日拭きに来てくれたがやはり風呂とは違う

毎日のように肺と腸のレントゲン記念撮影会が続いた

抜糸二日後
マイクロテープの貼った所がかゆい先生に言ったら全部はがしてくれた
私はめったに化膿しないのでテープはいらない気がする
ケロイドにはならないだろう
数時間後、部屋で抜糸のあとを見ていたら
何と抜糸し忘れた様な黒い物がへその側にあった
私の手術はみぞおちから下へ20cm切ってへそを迂回してある
てっきり抜糸し忘れたものと思い看護師さんに見せた
3人看護師さんが見たが、はじいて見たら弾力性がある
誰も引っ張りはしなかった、
先生の回診で先生が見てこれは糸では無いと一言
ではなんだろうと、オッカナビックリ自分で引っ張ってみたら
何とくっついていただけの物であった
抜糸の後にくっついてきた血液がそのまま固まったようであった
大笑いした、抜糸騒動でした。


昔、傷を糸で縫ったことがあったが
昔は糸で今はテングスのようなもので縫うのである
2日目には何も腹に貼っていないので、
この糸がシャツにからんでイズイのである
食事はこの頃から退院までおかゆが出た
おかずは普通のが出ている
***後記***
私の傷跡は一年後には薄くなってへそから下は意外ときれいです
傷跡がケロイドの人は何人も見ました  


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95.抗がん剤服用

手術後11日目いよいよ抗がん剤の服用である
これが旨く行くと帰宅出来る
12月2日
朝食後抗がん剤を服用した
抗がん剤については薬局から説明がある
始めはアレルギーや色々な副作用が出ないかの聞き取り調査に来た
そして抗がん剤をもって来た薬剤師の美人の彼女
なんと彼女の旦那は私の患者であった
世間は狭い病院で私の患者に数人あった
私が入院している話を聞いて身内が入院しているのでついでに来ました
といって部屋を訪れてくれた人もいる

残念ながら抗がん剤を服用してから熱が出た
まだ肺が治りきっていないようだ
すぐに抗生物質の点滴が始まった熱が下がらなければ
抗がん剤の服用はできないし
帰宅できないのだ
私の同室の同じ歳の彼は肝臓を半分摘出
抗がん剤を打って食事のご飯が食べられないので
まだ帰宅できないでいた、薬は2週に一度打つそうだが
安定するまで帰られないようだ

私も熱が出たおかげで一週間抗がん剤の投与が伸びたが
12月8日

6日より熱が出なくなったので抗がん剤の服用が決まり、
朝食後に抗がん剤を飲んだ
今度は熱が出なかった
風呂に入ってサッパリ
バリカンを持ってきて貰って
半月もいたら伸びてしまった髪の毛
短い髪の毛も寝癖がつくようになったのでさらに短く苅った
これでサングラスをかけたらヤクザ?

体力つけるために階段の上り下り数回
体重は62.7kg(入院前は67kg)

12月11日退院許可が出た

許可が出たら早く帰りたい気持が募る
パソコンが待っている
明日午後帰る事にした

12月12日
家内は仕事を早引けして来てくれる事になった
ちょうど息子は休みで息子も来た
帰りの荷物は結構有った




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96.帰宅

帰宅するとどうしてもパソコンがしたくなる
暖房しなければならない部屋にパソコンが置いてある
当分は仕事をしないので灯油代が勿体ない
ディスプレイは一台で手作りパソコンが2台あるので
帰りにパソコンのディスプレイ15インチ9980円を買ってもらった
それとキーボード1000円
家に着くと孫たちが部屋の飾り付けをして待っていた
居間に入るとクラッカーが鳴った
孫もおっかなびっくりクラッカーを鳴らしたのです

ありがとう、そんなに待っていてくれたんですね

やはり家はいい、落ち着いたらパソコンセットしたくなった
パソコンを居間でするには軽いディスプレイでよかったが
パソコンを載せる台が無い
娘婿に頼んで買ってきてもらった何と新品で2980円であった
早速ランコード1000円も買ってきてもらって壁に穴を開けて継いだ

みんなでの夕食は豚肉しゃぶしゃぶ、久しぶりに美味しかった

パソコンにはメールが300通受信されていた
明日からパソコン三昧である

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97.することは沢山ある

帰宅翌日、起きてからパソコンの前に座りっぱなし

実は病院には看護師さんの写真が貼ってあった
本当の看護師さんはみな美人で男性もいい男なのに
市長とやらが朝早くやって来て寝ぼけ眼の看護師を
点数稼ぎか一票欲しさか、写してくれたのだと言う
美しい写真では無い、みんなの不満この上ない写真だと一目でわかった
看護師に私は提案した私は写真は上手ではないが
少なくてもこれ以上美しくは撮れると思う
どうか私に写真を写し直させてほしいと頼んだら
殆どみんな喜んでモデルになってくれた
会えなかった看護師もいるので
せめて会えた分だけでもと思って写しておいた写真を
早速編集した

15日もう年賀状を出す時期である
以前のパソコンが壊れたのでそこから取り出したアドレス帳を
新しいソフトで読み取ったのだが旨く行かない所もあって
手直しが沢山有る
また喪中ハガキの整理がある
何とか整理してプリンターを部屋へ運んできた
いつも年賀状作りは早い
アドレスを先に印刷して
裏面はそれぞれ少し違う文面で印刷
16日には出来上がった
外は雪が揺らない日が続いている

次に感謝することも沢山有る
お見舞いに来てくれた皆と家族に感謝
またメールで励ましてくれた皆さんにも感謝
そして病院の看護師さんに先生
皆、嫌がらずに私の面倒を見てくれたありがとう
看護師さんの勤務も大変夕方帰ったと思ったら真夜中にまた勤務
医師の先生方も朝、回診に来て夜も回診、大変ですね
皆さんご苦労様です
給料が高いんでしょうと看護師さんに聞いたら
市の職員なので今は安くなりましたとぼやいていました。
色々な患者がいるから大変ですね
ありがとうございました


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98.病院の思い出

病院では知り合いも入院していた
まずは腰を手術した同郷の小父さん
私手術の数日後に手術した
娘さんがこの病院に勤めていたし
結婚した相手へ先は私の親戚
よく運動がてら遊びにいった
小父さんも何度か運動がてら散歩に来た

私が手術した数日後、私の父の弟の奥さんが入院
一週間遅く手術をして帰ったのは同じ日でした

病院では近くの中学校のブラスバンドの慰問演奏会があった
ロビーで沢山の患者が聞きに来て大盛況でよかった

私が入院した翌日、以前この部屋にいたという入院患者が
部屋へ遊びに来て部屋の中を行ったり来たり
首をたれ下げて歩く姿に、もう少し姿勢正しくなどと
みんなで指導するも、向きを返るとまた同じ

翌日彼は私たちの部屋へ移動してきた
部屋は絶えず退院や手術するたびに人が移動する
私から見ても健康と思われていたこの患者
部屋へ来た日も一日行ったり来たり、運動を続けた
夕食中に彼は奥さんに電話
何と数時間後、奥さんが迎えに来て帰って行った
私の隣のベットの、帰宅したはずの患者は真夜中に帰ってきた
翌日も夕食後同じように奥さんがやってきた
私は今日はゆっくり自宅で休みなさいよと言ってしまった
健康なはずの患者がこんなに勝手に出たり入ったり
するのが不思議だったからだ

翌日、私が手術する前の日、彼は部屋を換わった
私は知らなかったのだが
彼を乗せて夜中じゅう奥さんが運転して車を走らせ
気がすんだら病院へ帰って来ていた様なのです
寝る時は座ったままが多かったので首が前に垂れ下がったようだ
部屋を替わってから彼は寝たきりになった
何と彼は末期がん患者だったのです
私は知らなかったことを奥さんに謝った
末期がん患者が元気に歩き回っているとは思っても見なかった
私が抜糸する頃、奥さんが見えなくなった
看護師に聞いたら末期癌の彼がお亡くなりになったという
末期の患者は数人居る様で
数日後にも亡くなった患者が居た
ご冥福を祈る



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99.健康一番

私が癌になったのは病院へ行かなかったからで
私が無精だったからです

不摂生だったからではないと思いますが
入院中の患者にはそんなにタバコ吸って良いのかい
と思う患者がいた
手術前には吸わないでと先生に言われてもやめないのだ
これでは絶対、癌になるし、直っても、またなりそうな患者である

私がタバコをやめたのは
旧国鉄の赤字をタバコ一箱に10円お願いしますと聞いたときから
私はタバコをやめた
何で自分の借金でもないのに支払わされなければならないのか
そう思って禁煙を決意、何と禁煙は5回目
それ以来タバコが値上がりしてから一度も吸ってはいません
あれから何年でしょうか
忘れました

私のように大腸にポリープがあったら
ただし良性のポリープだった場合です
大腸ポリープはめったには消えてくれません
9年では取り返しのつかないことになりますし
今の私のように、8年では転移の可能性があり
6、7年では悪性に転移します
4、5年では手術が必要でしょう
2、3年までなら肛門から取れると思いますが
最悪の場合も有りますから
絶対病院に行ってください
私みたいに無精はやめましょう
これは本当に良性ポリープの場合です

悪性ならどんなに小さくても
若い人なら3ヶ月で死亡するでしょう
悪性になったら進行は早いのです

私は色々な癌患者を見て
まだ大腸癌でよかったと思いました
他のがん患者は私よりもっともっと辛そうでした


手術後約一ヶ月たった不思議なのは
今まではいつも下痢気味
だがしかし手術後2週間目からズーット
快便なのだ、一度も下痢はしない
不思議なくらい快便、これがが本当なのだろう

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100.保険には入ろう

入院すると思うのはお金の話である
私は癌保険というのが日本で始まってから間もなく
ハイヤー会社に勤めていた頃、
仕事が終わる真夜中に癌保険のセールスが
わざわざ札幌からやってきていた
その頃、癌で死ぬ人が多くなってきていた
歳が若い分、安く入れるというので私は家内を含めて入った
まだこの辺にはその癌保険を取り扱う会社は無かった
それから何度か保険の内用も変わって何回か書き換えをした
昨年も増やした
実は入っていたのは悪性新生物の癌のみで
上皮内新生物の癌には対応していなかった
と言うのは私の知り合いで癌と言われて手術をしたが
悪性新生物ではなく上皮内新生物の癌だったようなのだ
癌には1期から2期、3期、4期、5期とあり
2期までは上皮内新生物のはず(ちょっと不明)

つまり癌手術しても上皮内新生物癌なら保険は降りない
そのことで保険会社ともめているという話を聞いた
つまり切って見なければ判らない時もあるようなのだ
それを聞いていたので

今年の7月に上皮内新生物の癌でもせめて入院費や手術費用が出るように
契約を変更したばかりだったのです
私の場合は3期の悪性新生物の癌であったから
その必要は無かったかも知れないが
やはり私のように最安の保険でも

癌保険には入っておいたほうが良いと思う


今、飲んでいる薬、抗がん剤は右下 >

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101.妻のくも膜下出血

妻のくも膜下出血は2007年9月5日の23時15分
突然妻が階下から息子と私がいる部屋に駆け上がってきた
頭が割れるように痛いと言う、
肩こりで痛くなったのかと思ってマッサージでもしようとしたが
頭から手が離せないくらいに痛がって頭を抱えていた
そうこうする内に吐きそうだと言い出したので
私はピーンときた、くも膜下出血か脳梗塞であるかもしれないと
息子の行動は早かったすぐに救急車の手配をしようとした
住所も名前も消防署に告げたが
妻は「恥ずかしいから救急車は呼ばないで待って」と言ったので
いったん救急車は断った、がしかし、
胸の具合が悪くまた吐きそうになったので
ゴミ箱に吐くように言って、今度は息子に救急車を呼んでもらった
妻は階下に降りようと階段のところまで来て吐き始めた
オブルわけにも行かず救急隊を待って降ろしてもらうしかなかった
すぐに救急車は来た、隣の奥さんが救急車が着たので慌てて見に来てくれて
同居している母のそばで私たちが帰るまで家にいてくれた

脳外科はすぐ近くで、妻が頭が痛いといってから15分後には脳外科にいた、
救急治療室のべっとの上で妻は痛がってうなっていた、
ちょうど同級生の医師が当直していて血圧を測りが165あった
いつもはそんなにはなく120前後のはずである
早速、CTとMRIの担当技師が呼ばれた
私は緊急事態なのですぐ近くに住んでいる娘と妹に電話した
まもなく妹夫婦と娘がやって来た
検査を終えてその結果を医師から聞いた
写真には、はっきりと動脈瘤が破裂したのが写っていた
左目の奥である、明日手術することが決まった
意識があるのでそう決まったんだと思う

翌日朝から検査で、午後12時に手術室へ入っていった
それから待つこと待つこと20時15分にようやく手術室から出てきた
無事手術は終えたとのこと、動脈瘤が向こう側にあったので
クリップで留めるのに苦労したのと、確認に手間がかかったと言う、
よかった無事そうである

くも膜下出血や脳梗塞では
3分の1は亡くなるそうで、3分の1は後遺症が残り、3分の1が助かるそうです
手術後2週間が山ですと言われた

手術後2週間以内に血管の収縮などが起こって脳梗塞となることが多いという
手術の日には話すことも出来ずただ見て帰ってきた
頭に管が2本刺さっていた傷口はホッチキス止めである 
髪の毛は部分的に剃っただけで今は昔とは違うなーと感心してみていた 

翌日、妻と話せた、まだ意識は朦朧とした感じではあるが 
ここはどこかと聞いた、なぜここに居るのか、どうしたのかは思い出せないようだ 
だが当時の受け答えはしっかりしていた、一応安心した 
妻は手術後の一週間の記憶は今も無いそうだ 
2週間は待ち遠しかった、2週間異常が無ければ手術は大成功である
途中の検査で少し血管が細くなってはいたが何とか乗り切ってくれた

医者はもう安心と言った、妻は今も頭が重いという、
そりゃそうだ頭を切り、頭の骨をカチ割って中身をよけてクリップで止める作業は
そう簡単ではないし傷は今も痛むようだ、間違って触ると怒られる。
歩行も言語も記憶も行動もおかしなところは無い

むしろ良くなったみたいである
この前、数年前から目が悪くなって来ていたところだったのでメガネを作った
老眼が進んでいたのだが、調べると乱視にもなっていた
手術から5ヶ月後には職場に復帰した、
家に居て病気のことを考えるより、職場に行って元気に働くほうがいいと思った
はじめはつらそうがったが、家で悩んでいるよりは良いと思う
今は結構元気に働いていので安心しています

私のことで心労が重なりストレスがたまって動脈瘤が破裂したんですね
動脈瘤は誰にでも有るようです、
検査にはお金が数万円かかりますから調べはしませんよね、
でも変だったら調べておきましょう。
我が家も不幸中の幸いと言いましょうか、
不運の中の幸運を得たと思っています
運がいいんですよ、幸運をありがとう幸せですよと書いておきます。
 

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102.癌再発と転移

私の大腸がん手術後、私は抗がん剤を飲んでいたが
そろそろ一年なので大腸とCT検査をしようと言う事になった
まず大腸の検査は大腸にポリープが有った、少し大きなのもあって
これを検査に出した、このとき造影剤を大腸に入れて写真を撮った
この造影剤の影響なのか私の体にはアレルギー症状が出て
全身かゆくて大変な目にあった、今も斑点が残っているし
抗がん剤を打つたびにここがかゆくなる
大腸検査とCT検査があって
大腸の検査発表は新たにポリープが癌に成っているとの事で
手術は内視鏡ではどうかということに成ったが
難しい場所なの大学病院でお願いしたいと言っていたが
外科へCTの結果を聞きに行ってびっくり
先生の顔色が少し緊張して白かった
先生の話はこうだ
肺に転移している、手術では取れないので抗がん剤の投与を開始する
でもあなたは運がいい3年前ならもうだめだったが
今はいい抗がん剤が出来ていて
5年生存率は5割であると言った、それ以上の生存は今現在進行中なのだろう
5割で無く6割の中に入っていたらどうなるんでしょうね
100人居て50人助かり私は51人目なんでだめでしたとかね
大腸の新たな癌は抗がん剤を打つので少し様子を見ようと言うことになった 
とりあえずは肺に転移した癌を駆除しなければならないのです
がん細胞は自分の細胞ですから駆除は難しいのです
細胞分裂しないようにすれば自分の体の細胞も抑えることになります

抗がん剤を打ちながら仕事するためにポートと言うのを
12月25日に手術で右胸に打ち込んだ、入院5日で退院
そこに注射針を指して抗がん剤を投与するのです、
投与は2日掛かりますから2日後にはまた病院へ行ってはずしてきます
抗がん剤3回目の6週間が経ったある日、頭をなぜたら、鼻の頭に何か落ちてきた
あれこれは髪の毛かなと思い髪をひっぱて見たら、無数に抜けてきた
私は入院するときに髪の毛を短く切りました、
もし髪の毛が長かったらもっとびっくりしていたでしょうね
家内と二人で抜いたんです、広げた紙にたくさん抜けました
抜いた毛を記念に写真写しましたね、禿げるのかと思っていました
毎日コロコロで取りましたよ、でも髪の毛は多いほうだったので
4分の3抜けて残った髪は今伸びて
新たに髪の毛は抗がん剤に打ち勝って伸びてきました
ついでにひげも伸ばしています
しごともおかげで出来ます
手と足が抗がん剤の影響で少ししびれるので、冷たいものもだめですが
抗がん剤はまだまだ続くでしょう、転移した癌は治りづらいのです
デモ先生の言ったように運がいいかも知れませんね
昨夜7月12日抗がん剤の投与日でした、夜にテレビを見ていた家内が
手相のことで長生きする人の手相は生命線が長いと言っていたのを見て
さっそく私の手相を見に来て私の生命線の長いのにびっくりしていました
本当に長生きできるんでしょうか、
以前死体解剖室の先生に聞いたら関係ないとは言っていました。
でも幸運の持ち主ですから長生きするかもね
抗がん剤は2週に一度これからも続くが病院代が高い
一回現金7万円はかかるもちろん3割負担で20万以上の抗がん剤だ
高額医療の対象にはなっているが、保険の返金は3ヵ月後である
何でこんなに遅いのか普通の保険会社は1週間で振り込まれるのに?

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103.幸運の持ち主 私も家内も不幸かといえば不幸かもしれないが
助かったと言うことは幸運の女神がどこかで微笑んでいたと言うことでしょう
私は幸運の持ち主だと思います、
どんな良い暮らししていても人生最後まで幸せと言うことはまれだと思います
バブルで多くの人が倒産したり破産したり,みんな良い思いしてきた人たちです
私たちは普通でした、これからも普通の人生でしょうが
良い経験をしましたしこれからもまだ試練は続くでしょう
私は今別のところでブログを書いています、日記みたいなものです
ブログ書き始めてから一回登録先が変わりましたが
おかげさんでトータル5万人以上見に来てくれました
ホームページもいろいろなジャンルで作っていますので見に来てください
ここまで読んでいただいてありがとうございます。  

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