脳脊髄液減少症という病
第2章 4. 初日検査終了
ベッドで横になっていると、多少ましになってきた。
自宅だと辛くなっても、家の床に横たわれる。
しかし、外では横になるのは、土足で歩き回る地面である。
地面に倒れないようにするためには、
自宅にいるしかなかった。
RI検査での歩けという指示は、地面に倒れる寸前まで行くことである。
歩行開始3時間後、麻子は歩いて再び検査室へ行った。
病室で休んでいなかったら、歩いて検査室まで行けなかっただろうと麻子は思った。
もし3時間歩き続けていたら、今頃病院の廊下の上で横たわっていただろう。
動いた状態で検査をしなければ行けないので、今回は歩行が検査の前提条件である。
しかし、歩くということが、健康なときはなんと当たり前のように思っていたことか。
麻子は、歩くという行為がどれだけ大切かを感じていた。
怪我をすると歩行が辛く、ちょっとした距離ですら、とても遠く感じる。
見えているあそこまで歩いてたどり着くことが、どんなに大変なことか。
いろんな人がすたすた歩いて、自分を通り過ぎていく。
(あれは健常者の歩き方だ。・・・あの歩き方、あの歩く速度)
あんな風に、自分も再びすたすた歩ける日がやってくるのだろうか。
歩けない、動けない、苦しい。
病院の廊下の手すりが、歩けない患者にとってどれだけ助けになることか。
麻子は手すりにつかまりながら、ゆっくりと歩いていく。
麻子はようやく検査室へたどり着いた。
前の人が何かの検査中だった。
検査が終わるまで、ソファに座って待った。
疲れ切って、麻子はぼんやりしていた。
椅子の前にはいろんなものが置いてある。
体重計のようなものになにか手をかざす盤が付いている器機が、目に付いた。
その次の瞬間、1人の技師が出てきてその上に乗り、手をかざした。
(あ、もしかして測定している?)
検査技師はおそらく被爆量を測定していたのだろう。
技師の人に尋ねてみたら、やはりそうだった。
(しんどくて、ぼうっとしていたが、ここはRIの検査室なんだ)
RIはラジオアイソトープ、Radio Isotope。
体内に入れた放射性元素RIを、体外から測定するのである。
影響が少ないガンマ線、といっても放射線。
(ってことは、一応私もガンマ線を今出している?)
麻子は自分の体を見た。
RIの被爆量はたいしたことはない。
CTの方が遙かに放射線被曝は多いと読んだことがある。
患者にとっては微量だが、繰り返す検査室は大変かもしれない。
昔聞いたことがある医師同士のよもやま話を、麻子はふと思い出した。
(そうか、ここはRIの検査室なんだ)
麻子はMRIで何度も検査をされてきたが、
MRIはMagnetic
Resonance Imaging、つまり磁気である。
麻子が横を向くと、壁にいろいろな紙が貼ってある事に気がついた。
「ラジオアイソトープについて」と書いてある紙を見つけた。
英語の先生なら「ラジオではありません、レィディオ〜です」
と言い直しさせられそうだ。
(そういや、昔授業でそう言われたことがあったっけ)
朝から続く検査で精神的余裕を失っていたが、麻子は肩の力が少し抜けた気がした。
6時間後、撮像と採血が終わり、今日の分の検査は終わった。
明朝24時間目の撮像と採血で検査はすべて終了になる。
検査結果で漏れが見えなければ、明日には退院かもしれない。
病室に帰ると、隣のベッドが空になっていた。
(佐野さんは?)
麻子は隣のベッドを見ながら驚いた。
前のベッドの黒田が、麻子の様子を見ていて、
「佐野さんは退院されたよ」
と麻子に話しかけた。
「帰った?・・ということは・・・」
麻子は言葉が続かなかった。
「佐野さん、漏れてなかったみたい。画像上は」
と黒田は言った。
どうやら退院する前に、佐野は黒田に自分の検査結果を話したようだ。
「昨日、初日の検査ではまだ検査結果を言われていないと佐野さんが言っていたとき、
画像で漏れが見えていないんだろうなと思ったの」
黒田は話し続けた。
「私の時は検査が全部終わる前に、
検査の初日の時でもう漏れているって言われたから」
「佐野さん、いつ帰ったの?」麻子が尋ねると、
「さっき。岡林先生から検査結果を言われて、すぐに退院したみたい。
たぶん、画像で漏れていないかもって佐野さん自身も思っていたかもしれない」
と黒田がぽつりと言った。
「佐野さんって低髄の症状はあったの?」
麻子が尋ねると、
「うん。聞いたところでは、症状は低髄そっくりだったのに」
と黒田は話した。
「そう・・・」
麻子は自分のベッドに潜り込んだ。
大きな不安が麻子に襲いかかってきた。
明日自分も同じように退院するかもしれない。
それとも、漏れが見つかって治療に進むのだろうか。
「私は今日これからブラッドパッチがあるのよ」黒田が話し始めた。
麻子は起き上がって黒田の方を見た。
黒田は前に検査を受けたと話していた。
RI検査で漏れていて、今回治療のために入院したのだ。
看護師二人がが病室に入ってきて、黒田に声をかけていた。
そして、そのままベッドごと黒田を運んでいった。
(ブラッドパッチに行くんだ)
と麻子は分かった。
黒田のベッドがなくなった病室は、そこだけぽっかりと空間が空いていた。
斜め前の長山はブラッドパッチ後、ほとんど話すこともなく寝ている。
痛みがひどいらしく、トイレに行くのも辛そうにしていた。
時々家族が見舞いにやってきていたが、退院はまだまだらしい。
毎日看護師が点滴を持ってきていた。
今朝、佐野から「パッチ後変化の大きい人は、良い結果らしい」
と麻子は教えてもらっていた。
どういう変化かわからない。
変化があまりないより、変化が大きい方が良い?
そういうものなのか。麻子にはその意味が分からなかった。
その佐野は検査で漏れが見えなかったため、退院してもういない。
そして、目の前の患者のうち一人はブラッドパッチを終え、
もう一人はこれからブラッドパッチを受ける。
先に入院した患者達の姿は、自分の先の姿かもしれない。
自分はどうなるのだろう、と麻子は思った。
いつの間にか、麻子はうつらうつらと寝ていた。
ベッドが運ばれてくる音がした。
黒田が帰ってきたのだ。
戻ってきたベッドには点滴がつながれていた。
安静にした方がいいだろうと、麻子は声をかけなかった。
時々看護師がやってきて、前のベッドに声をかけていた。
斜め前の長山はブラッドパッチからほとんどずっと寝ている。
かなり痛そうにしている。
看護師がたびたびやってきて、点滴を入れながら声をかけていた。
夜の回診で主治医がやってきた。
岡林医師は斜め前のベッドに行き、
つながれている点滴を見ながら長山に何か質問をしていた。
次に、前のベッドの方に行き、黒田に声をかけながら様子を見ていた。
何か薬の指示を出したようだ。
麻子のベッドに岡林医師がやってきて、
「明日の検査を待たずして、もう結果は出ています」と話した。
麻子の今日分の画像では、腰から脊髄液がたくさん漏れているとのことだった。
(ああ、やはり脳脊髄液減少症だったのだ。
自分はこの病気にたどり着いたのだ)
麻子は黙って、岡林医師に向かって頷いた。
自分がとうとう病名にたどり着いたことを麻子は感じた。
明日検査終了後、MRIで漏れをもう一度撮影して調べる、
と主治医は麻子に言った。
治療前の今の状態をMRIで確認しておくためである。
腰のブラッドパッチをした後に、再度MRIを撮って、
他の場所からの漏れがないか調べるらしい。
MRIだけで確認検査ができそうであるが、
両方の検査をした方がたしかに確実である。
RIは時間経過画像だが、MRIはその時の画像である。
じわっとしみ出す患者はMRIでは確認しにくいかもしれない。
ブラッドパッチをした後、どうやって漏れが止まるのを確認するのかと思っていた。
(まさか…もう一度腰椎穿刺?)
と麻子は一瞬不安になり、主治医に尋ねた。
岡林医師は、
「何度も穿刺することは患者の負担になりますから、
MRIを撮る場合はあっても治療直後のRIはしません。
治療後の経過を見て、もう一度必要だと思う人はRI検査をします」
と麻子に説明した。
麻子は2泊3日で帰宅、ではなくなった。
明日はMRミエログラフィーを撮る。
ミエログラフィーとは脊髄造影のことである。
(脊髄液が漏れている瞬間が映るだろうか)
麻子は、次々出会う新しい出来事に戸惑っていた。
その夜、麻子はなかなか眠れなかった。
(自分の脊髄液が漏れている。自分の病は脳脊髄液減少症だっだ)
自分はとうとう病名に巡り会った。
そして、自分がおそらく次の段階に進むだろうと思った。
治療という次の段階に。
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脳脊髄液減少症という病