脳脊髄液減少症という病


3章 治療〜ブラッドパッチ(epidural blood patch EBP) 

 

1.ブラッドパッチへの不安

 

廊下を歩いただけで麻子は疲労を感じ、ベッドでぐったりしていた。

岡林医師が急ぎ足で病室に入ってきて、麻子に向かって言った。。

「明日、夕方パッチをしますから」

「あ、はい」

麻子は慌てて返事をした。

医師は急いでそのまま病室を出て行った。

麻子のブラッドパッチの日が決まった。

今日一日はとりあえず何も用事はない。

麻子は(今のうちに何か準備をすることがないかな)

と横になりながら考えた。

ブラッドパッチ後は、できるだけじっと安静に横になっている方が良いと言われている。

ブラッドパッチが1回ならば、明日のパッチの後、退院許可が出れば退院になる。

しかし、麻子のパッチは日を分けて2回に分けて行われることになっていた。その間は入院したままだ。

麻子はまず(水分を貯蔵しておかなければ)と思った。

もう一つ麻子には気になっていたことがあった。

枕である。

麻子は頭の下にある枕を外して、手に取った。

この病院のベッドのマットレスと枕がかなり硬く、

麻子の身体の痛みを増幅させていて限界に近かった。

(この枕で寝ていると、病状が悪化してくる)

枕を何とかしなければ、と麻子は真剣に悩んでいた。

(マイ枕を送ってもらおうか・・・?)

しかし、それでは退院するとき自分の枕も荷物と一緒に持って帰らなければいけない。

(帰りは宅急便?)

と麻子は一瞬考えたが、そこまでしてマイ枕を送ってもらう気にはなれなかった。

それに今から頼んでも枕が届くのはおそらく明後日になるだろう。

病院の硬い枕を手に持ったまま、麻子はため息をついた。

(このまま我慢できるだろうか?)

枕が硬すぎて頭も首も痛い。

この枕では一時横になることすら辛い。

枕なしで寝ると、頭が落ちてそれも痛い。

布団を枕代わりにすると、痛みがましになったが、

それでは布団がちゃんとかぶれない。

 

(あっ、そうだ)

麻子はゆっくりと起き上がった。

麻子は財布を持ち、病室を出てゆっくり歩き出した。

ナースステーションまで歩いて、看護師に麻子は声をかけた。

「車いすを貸して欲しいのですけれど・・・」

麻子はナースステーションにいた看護師に頼んだ。

看護師は席を立って、車いすを持ってきて麻子に声をかけた。。

「どうされましたか?」

「あ、いえ。大丈夫です。

1階の購買に行きたいんですけれど、歩いて行けそうになくて・・・」

麻子はそう答えた。

 

麻子はゆっくりと車いすに座った。

初めての経験である。

財布を膝にのせ、ゆっくりと動かしてみた。

予想以上に軽く動くのだが、うまく曲がれない。

看護師がエレベーターのドアを開けてくれた。

麻子はお礼を言って、エレベーターに乗り込んだ。

エレベーターの入り口の段のところで、車いすがなかなかうまく動かない。

ゆっくりと乗り込んだ。

 

エレベーターのドアが閉まり、麻子は1階を押した。

(あ、後ろ向きのままだ)

乗り込んだままの方向だと降りるときに後ろ向きにでなければいけないことに

麻子は気がついた。

車いすを使う場合、エレベーターの鏡を見ながら

まっすぐ後ろ向きに下がっていけばそのまま外へ出られる。

しかし、麻子はそれを知らなかった。

ちょうどエレベーターの中は麻子しかいない。

麻子は立ち上がり、あたふたと車いすの方向を変えた。

(このまま空の車いすを自分で購買まで押していこうかな・・・)

という考えが麻子の頭に浮かんだ。

車いすを借りたのは、購買でペットボトルを、

麻子には何本も買って持って歩けないからだった。

事故に遭って体調が悪くなってから、麻子は重い荷物を持つと体調が悪化し、

まったく歩けない状態になった。

 

エレベーターが1階に着いた。

麻子は車いすを押しながらエレベーターの外へ出た。

エレベーターに乗るたびに、まるで船に揺られているような感覚が襲ってきて、

麻子は気分が悪くなった。

麻子はめまいがして立ち止まった。

1階には多くの人が歩いていた。

歩く速度も速く、多くの人が麻子の目の前にいた。

(ああ、無理だな)

麻子はゆっくりと車いすに腰をかけた。

使い慣れていないせいか、うまく車いすで角を曲がれない。

長い距離を自走すると、けっこう手が疲れると麻子は思った。

そして、麻子は気がついた。

自分が動くと、前から来る人が皆自分を避けて歩いていく。

まるで車いすが動いていく方向の空間が開いていく感じがした。

(車いすってすごいな。

でも、これなら床に倒れ込む危険性がなくて楽かもしれない)

なってみて、やってみて、初めて分かることが多い。

麻子はそれを感じていた。

 

 麻子にはペットボトル以外に、お目当ての物があった。

(ここは病院の購買、普通のコンビニとは違うはず)

病院ならではの品揃えがそこにあった。

パジャマにガーゼ・・・目的の品物もそこに陳列されていた。

麻子の目的の品は、綿花の袋である。

カット綿花は高いけれど、普通の綿花は高くなかった。

飲み物と一緒に、一番大きな袋を二つ購入した。

座ったまま膝の上に荷物を置いて、車いすを押した。

荷物を抱えて、病室へ戻った。

車いすは病室の入り口の横に置いた。

購買まで行って、病室へ戻ってくるだけで、麻子は疲れ切っていた。

(倒れる前に、まずは作業をしなければ)

と麻子はベッドに腰をかけた。

麻子は入院鞄から大きめの巾着袋を取り出し、その中身を抜いた。

そして購買の袋から綿花の袋を取り出した。

綿花をちぎり空気を入れ、麻子は丁寧に偏らないように巾着袋に詰めた。

詰めては押し込み、次を詰める。

ふと顔を上げると、前のベッドの黒田がこちらを見ていた。

目が点になっている表情であった。

麻子は少し苦笑しながら、巾着袋に綿花を詰め続けた。

(できあがり!)

詰め終わった巾着の口を麻子はしっかりと縛った。

そして、硬い病院の枕からカバーを引き抜いて、巾着袋にそのカバーをかけた。

できあがった塊をベッドに置いた。

麻子は頭を載せて横になってみた。

(首が楽。頭が楽。うん、上等)

即席の枕のできあがりである。

最初、持ってきた上着を枕カバーに詰めようかと麻子は考えたが、

それでは、病院内での上着がなくなってしまう。

そこで購買でふかふかしている物を見つけて、何かに詰めようと麻子は考えたのだ。

綿枕は、予想以上に、そして、良い枕に仕上がった。

問題は、使用していると綿花がへたってくるだろう。

しかし、それまでにおそらく退院しているだろうと麻子は思った。

 

 前のベッドの黒田が起き上がって枕をいじりながら、麻子の方を見ていた。

枕作りをあきれているかもしれない。

(自分で枕を作る患者はいないだろうなぁ)

と麻子は思わず苦笑した。

即席のマイ枕がいとおしい。

麻子のブラッドパッチのための準備とは、枕対策だったのだ。

 

1階まで買い物に行って、体中が痛い。

麻子はひどい疲労感の中、マイ枕に頭を載せた。

(ああ、楽)

辛かったけれど、購買まで綿花を買いに行って正解だと麻子は思った。

その夜、入院してから一番楽な夜を麻子は過ごすことができた。

ただ、一点だけを除いては。

実は、麻子は入院してから妙な夢を毎晩見ていた。

麻子は普段ほとんど夢を見ない。

入院してどこか興奮しているのだろう、と麻子は思った。


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