脳脊髄液減少症という病


序章  

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自分の体の中で、「体液」の一種が漏れているかもしれない。

今まで、そんなことを考えたことがなかった。

その体液とは、脳を浮かべている脳脊髄液。

からだが痛いので、筋や神経のどこかを痛めていると思っていた。

何かが体の中で漏れているとは、麻子はそれまで考えたこともなかった。

 

 病院の窓から下を眺めると、出勤時の人々が見える。

麻子はそれを眺めながら、ため息をついた。

(外はまるで下界みたい)

ベッドと患者と白衣、病院の中は特殊な世界かもしれない。

昨日から、麻子は検査のために入院していた。

 

 頭が痛い、首が痛い、めまいがする。

手がしびれる、気分が悪い、体がだるい、歩けない。

なによりも、起きているのが辛い。

そして、肩から背中にかけて鉄板のような重いものが、

まるでおんぶお化けのように張り付いて離れない。

 

麻子は、入院までの日々を思いだしていた。

今まで病院へ通ったが、原因が診断されなかった。

手も足も動く、傷口もないし、骨にも異状がない。

一見異常がないように見える。

あるのは自覚症状だけだった。

そのため、苦しさを他人にはなかなか理解してもらえず、

人から精神的な要因と疑われた事もあった。

「違う、こんな苦しさや強烈な痛みには何かあるはずだ」

どんな病であったとしても、原因が分かれば治療が考えられる。

しかし、いったい何が原因か今まで分からなかった。

 

数年前、麻子は交通事故に巻き込まれた。それから、麻子の生活は一変した。

初めは、むち打ち症と医師から言われたが、いっこうに良くならない。

まるで、大きな鉄板が体に実在して張り付いているように感じる。

鉄板のように重いそのリュックを、

麻子は毎日24時間降ろすことなく背負っているように感じていた。

(人が本当にそのようなものずっと背負っているならば、

誰でもその負荷から体も痛くなるし、体も重く疲れやすく、

起きてもいられなくなるだろうな)

交通事故からずっと、何かが自分に起こっている・・・

麻子は闘病しながら苦悩していた。

鉄板を年中背負って、一時も降ろすことができない生活。

体が重いので起きていられない。倒れて寝ているしかない。

しかし、ただ床に寝ているような状態ではない。

床からメリメリと地面の中へ、のめり込んでいくような感じである。

しかし、背中にも肩にも何も見えない。けっして見えない鉄板がそこにある。

「体が重い、痛い、苦しい」

誰に話しても、医師に相談しても答えがなかった。

実はそれは、重いものが体に乗っているのではなく、

実は体が下へ引っ張られる重さだったかもしれない。

一生このままの体なのだろうか?

悩んでいた麻子は、たまたまある病名に巡り会った。

脳脊髄液減少症という病。

その症状があまりにも自分に当てはまっていた。

 

(脳・・・脊髄液・・?体も痛いのに、脳?)

本を読んでみると、病気の解説が載っていた。

頭蓋骨の中には単に脳が入っているだけではない。

脊髄液という体液がある。

脊髄液は体を循環している。

そんな体液の一つである。

交通事故、スポーツなどによって脊髄液が体内で漏れ出し、

そのため脳の下垂が起こり、神経が引っ張られ、様々な症状が出る病気、

それが脳脊髄液減少症という病である。

 

横になったら楽になる病といわれるが、

この表現だと我慢したら起きていられるように聞こえる。

横になったら楽になるというよりも、「起きていられない。」

 

「こんな疾患があったんだ・・・・」

麻子は本を読んで呆然となった。

今まで原因が分からなかったけれど、あまりに自分と一致する。

「何が原因なの?!と思っていたけれど、これなら納得できる・・・」

一方で、自分が本当にこんな大きな病なのだろうか?

麻子は検査病院を探して、ようやくこの病院にたどり着いたのだ。

 

「宮元さん、検温です」

病室に看護師がやってきた。

看護師は体温計を麻子に渡し、血圧を測った。

今日は検査の日だった。

麻子は体温計を脇に入れながら、ぼんやり外を眺めた。

(これから自分はどうなるのだろう。どんな結果が出るだろう)

下の世界では、人々がせわしく行き交っていた。

(自分がいる5階と下の道の間の物理的距離よりもずっと遠くに感じる)

今の麻子にとっては、外の世界がまるで別の世界に見えた。

(あの「下界」に戻って、自分も以前のように歩ける日がやってくるのだろうか)

体温計がチチッっと鳴った。

この日から長い苦しい闘病生活が始めることを、麻子はまだ知らなかった。

 

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