脳脊髄液減少症という病


第7章 治療の終わり

 

1.最後の診察

 

 外来予定日に麻子は病院へ行って、診察を受けた。

そこで、この病院で治療が中止になることを主治医から告げられた。

転院できる患者は順番に病院を紹介する、と麻子は言われた。

後から調べてみると、この時期あちこちの治療病院で脳脊髄液減少症の治療が中止された。

 

麻子は転院に同意した。

治療の終わり時期が近づいてきた気がした。

長い期間患ってきて、時間をかけながら様子を見ていく。

地元に帰ってもこの病の専門医はいない。

自分でゆっくり自分と付き合っていく。

麻子は、自分の病について知っておきたいことを主治医に確認した。

 

まず、脊髄液が漏れる構図を確認した。

脊髄硬膜は神経根で一つであり、そこから二層に別れまた一方の神経根で一つになる。

その二層になった空間が硬膜外腔や硬膜上腔とかという。

ここに自己血を注入する。

硬膜が破れるというのは、二層が一つになっている神経根の所が裂けることである。

二層の内側の膜はくも膜と表裏一体となっていて空間はない。

(血が混入して空間ができることがある。)

くも膜の下のくも膜下腔に脊髄液が流れている。

その構図が分かると、ブラッドパッチの後うつぶせ寝になる意味がよく分かる。

神経根の裂け目まで血液を行き渡らせるためだ。

事故の衝撃は何度も反復する衝撃であり強い、

そのためあちこちがぶつぶつ裂けたのか。

麻子はメカニズムを改めて実感した。

 

どこかの病院で点滴をすることもあるかもしれない、と麻子は思った。

麻子は点滴について調べた事があった。

リンゲル液は0号液で1234号液と分類されている。

成分が違う。

アルカリ化剤として乳酸や酢酸が入っているが、酢酸リンゲル液が多く使用されている。

ぶどう糖を添加しているものとしていないものがある。

Na濃度を考えて製剤を選び、量を決める。

 

麻子は医師へ輸液製剤の選択への見方を聞いた。

基本的な事を聞いて今までの処方を思い出した。

なるほど、こうやって点滴されていたのだなと納得する。

 

「ありがとうございました」

患者は医師にそう言って診察を終える。

他にどういう言い方があるのか、麻子には思いつかない。

医者という立場の人ははその手で患者の体を変えることができると、

麻子は時々感じていた。

患者の快復力を助ける力と言うべきかもしれない。

結果として良くもなるし悪化することもあるし、変わらないこともある。

医師ができることも限られているかもしれない。

しかし、時には、自然治癒力以上の変える力を確かに持っている。

医師次第で患者の体が変化するというのは、ある意味心強く、ある意味恐ろしい。

麻子の場合は、良い方に変化した。

麻子には多くのことをどう整理すればよいのか分からなかった。

なんと言えばよいのか分からなかった。

結局、誰もが言うように、麻子も

「ありがとうございました」

と診察室を後にした。

 

麻子が診察室を出ると、患者が診察を待っていた。

長椅子に倒れて寝ている患者。

顔にタオルを乗せている患者。

辛そうにしている患者。

 

病名に巡り会えない人もいる。

検査に巡りあえない人もいる。

治療に巡りあえない人もいる。

治療で良くなる人もいる。

治療が功を生じない人もいる。

(病名すら知らない人もいるのだ)

この病が一見よりも遙かに恐いものだと分かるようになる。

社会的な支えがないことの残酷さを感じるようになる。

何処へ出せばいいのか分からない理不尽さとやるせなさと思いがわき上がる。

 

この病気が認知され、多くの病院で治療が確立し、

患者が治療を受ける機会が持てる日が来て欲しい。

 

麻子は待合室を出て、自ら地域連携室を探して病院内を歩いた。

自分の診療情報や書類を準備してもらうためだ。

脳脊髄液減少症の外来がまだ続いている間に、麻子は自分から病院を去ろうと考えていた。

充分な準備をして、この治療を終えるつもりだった。

「これからは、自分が自分の主治医にならなければならない」

麻子は自分自身に対してそう呟いた。

 

 外の世界がどんなに厳しいか、麻子は知っていた。

脳脊髄液減少症という病を受け入れてくれる体制がないことを知っている。

医療や社会保障や福祉の支援も得られない。

治療してくれる医師どこか、否定する医師に出会いもするだろう。

病状に関する周囲の理解もなかなか得られない。

脳脊髄液減少症になってから車を運転できなくなった人もいるらしい。

麻子は車には乗れるが、かなりのストレスが自分の中にあることを感じている。

事故現場を通るのもかなり嫌だと感じている。

この心の傷は、自制しながらも、おそらく自分の中で内在させていくしかないだろう。

薄れることはあってもおそらく消えることはない。

 

 脳脊髄液減少症の治療病院に来れば、病を認知した扱いを受けることができた。

自分の病状を、病を受け入れてもらえるということは、

自分自身を受け入れてもらえることでもあった。

しかし、これからは自分で歩いていかなければいけない。

具合が悪いときは自分で自分の体調と対話し、

自分で体調をどう整えるか考えていかなければいけない。

体調が悪くても、周囲には理解されず、自分で解決していかなければいけない。


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