脳脊髄液減少症という病


1章 3. 初診への不安

 

国道で玉突き事故、重軽傷者数名・・・。

テレビは朝のニュースを流していた。

(軽傷者にはきっとむち打ち症が含まれている)

急いで身支度をしながら、麻子はそんなことを考えていた。

 

今日は初診日。

予約をした病院で、脳脊髄液減少症かどうかを診てもらう予定になっている。

 

麻子は病院へ行くことをためらっていた。

一つは、今の麻子には病院へ行くことすら辛く、

通院のための移動に身体が耐えられるだろうかと不安だった。

外出自体が辛い。

身体はあちこちが痛い。

鉄の塊が背中に張り付いているようなひどい重さとだるさがあった。

鉄のリュックは決して降ろすこともできず、24時間張り付いていた。

そのためか、少し歩いただけでひどい疲労感に襲われた。

その上、頭から腰までひどい痛みが襲っていた。

 

(なんとか公共交通機関を乗り継いで、病院まで行かなければ・・・)

麻子は時刻表を見ながら、無事に病院へたどり着くことだけを願っていた。

今の麻子にとっては、どこかへ外出すること自体が、かなりの負担なのだ。

事故後、外出は30分が限度で、それ以上は起きていられない。

片道30分ではない。往復の合計で30分である。

つまり、片道10分ちょっとのところしか行けない。

それ以上の外出は行き倒れるかもしれない。

以前なら外出していた場所へたどり着けない。

馴染みのある場所すら、今の麻子にとってはるか遠い場所になってしまった。

自宅周辺で、這ってでも帰宅できる範囲しか動けない。

(事故に遭ってから、どこにも行けなくなってしまった)

事故後、行動範囲が狭くなり、ほとんど社会性を失ってしまった。

(生きてはいるが、自宅で苦しみながら寝ているだけ)

それが今の麻子の生活だった。

 

麻子には、病院へ行きたくない理由がもう一つあった。

いろんな意味でこのような病気であると診断された方が良いのか、

されない方が良いのか。

麻子は自分でも分からなかった。

 

もし脳脊髄液減少症であると診断されたら、

長い間苦しんでいたむち打ち症について本当の原因が分かる。

長い間探していた答えに出会うのだ。

脳脊髄液減少症であれば、やってみる治療法があった。

しかし、それは自分が難病といえるような、

まだ確立していない病気であると診断されてしまうことでもある。

治療への恐怖心もあった。

 

もし脳脊髄液減少症でないと診断されたら、

難病そうな病気ではなかったということになるし、

その治療へも進まなくていい。

しかし、それは治らない原因の分からないままのむち打ち症に戻るだけである。

今まで受けてきた対処療法の日々が、空しく繰り返されるだけになる。

 

 診断されたいのか、されたくないのか。

麻子は病院へ行くことが不安で、なかなか立ち上がれなかった。

 

TVの交通事故のニュースはすでに終わっていた。

「行きたくない・・・」

座ったまま、麻子はつぶやいた。

家の鍵を持つことも躊躇していた。

 

  それでも、時は勝手に過ぎていく。

「乗る時刻に間に合わなくなる!」

慌てて立ち上がり、玄関の鍵を閉めた。

(なるようにしかならない)

麻子は自分に、そう言い聞かせた。

無事に目的地まで辿り着けたら、そこで行き倒れになってもいいではないか。

なぜなら、目的地は、ベッドもある病院なのだ。


 −4−


戻る  次へ  ホームへ戻る


脳脊髄液減少症という病