脳脊髄液減少症という病


7章 2. 下界に戻る

 

 麻子は病院を出た。

とにかく歩いて、病院を離れた。

麻子はまだ長い距離は歩けない。

コーヒーの自販機にコインを入れてボタンを押した。

そして、近くのバス停にあるベンチに腰をかけた。

一口飲みながら、麻子の目には涙が浮かんできた。

 

体が悪くなってから、あちこちの病院に行った。

どこも答えをくれず、探し回った。

そしてようやく答えを見つけた。

しかし、そこからがまた辛さの始まりだった。

治療という道のりの始まり。

先行きも分からない。

自分はどこへ行くのだろう。

いったい自分はどこへ落ち着けるのか。

ずっとずっと、自分の先が見えないままやってきた。

 

とりあえず、ここが当面の到着点。

ようやくここへたどり着いた。

ようやくここまできたのか。

のたうち回るような難治療の痛みの先に、その後の辛い治療の先に、

こんなにため息をついてコーヒーを飲む日が来るなんて。

自分は、もうどこにも病院を探して回る必要はないのだ。

ゆっくりと経過をみていく。

 

治療中、病院の内側から外の普通に暮らしている世界を見ていた。

今麻子は、外から病院を見ている。

いつか何か病気をしたときに、また病院の内側の世界へ入っていく日が来るのだろうか。

そのとき内側はどんな状況になっているのだろう。

 

 麻子の目の前では、車が走っていた。

自転車に乗っている学生がいる。

忙しく歩いている人達がいる。

笑いながら腕を組んでいるカップルもいる。

そして、麻子が座っているベンチの横で、一人のお年寄りが座っていた。

手には杖を持っている。

ベンチに座っているのは、麻子とそのお年寄りだけだ。

様々な人が麻子の前を通り過ぎる。

(いつか自分もあんな風に歩き回る日が来るだろうか)

入院中あんなにあこがれていた「下界」に、今麻子はいる。

けれど、以前より違った風景に見える。

以前は当たり前の風景だった。

今は、「下界」こそが一時の風景に見える。

人は病気をするかもしれない。

怪我をするかもしれない。

そして生きていれば、人は必ず年を取る。

健康の後ろには、いつもそんな可能性が隠れているのだ。

 

 いつか、また闘病の苦しさを味わう日が来るかもしれない。

または、かならず年を取る。

また歩けなくなる日がやってくるかもしれない。

そして人はいつか死ぬ。

人はどうして人として生まれてきたのだろう。

人はただの生物として生まれ、そして死んでいくのかもしれない。

植物も動物も生きることに葛藤するのだろうか。

人はどうして、葛藤し苦しみ悩むような力を持っているだろう。

人は高等に進化した。

そのため、何か生じるとその社会についていけない。

ついていけない人はどうやって生きていくのだろう。

制度の谷間に落ちる人は限りなく多い。

脳脊髄液減少症の患者もそうだ。

 

これからこの下界の社会にまぎれながら生きていかなければいけない。

どうやって生きていこう。

どうやって暮らしていこう。

人はどんどん歩いていく。

そして、自分はここに座っている。


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