<<  荻虫(teki_cyu)の 100映画・ 2006年版  >>

 

 

 

 年間100本を目標に(VTR含む)努力しています。

が、完全制覇したことなく、最近は加齢とともに60〜80本に止まっておりましたが、ついに今年は達成しました。106本です。

 

 

映画なら基本的にどんなものでも素晴らしいと思っています。

自分が創ることを考えると、大変なことだと思えてくるからです。

 

演劇もそうですが、演技者だけでなく、多数の縁の下の力が必要で、いまどき珍しい、労働集約産業です。

それらの集団が心を一つにして、観客に勝負を挑んでくる訳ですから、こちらも真面目に観てあげなければいけませんよね。

 

そして、製作者は世間の評価を待っているわけですが、それは観客動員数ばかりでなはないはずです。

映画フアンが良い映画を良い映画だと言ってくれる事も期待しているはずです。

 

そんな気持ちで感想をのせました。

 

私の推薦映画は外れが無い?

このページを契機にもっと、映画フアンが増えることを期待しています。

 

 

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                                                                                                *VTR鑑賞

 

番号

掲載日

邦画

番号

掲載日

洋画

2005年(一部掲載)

@

05.02.11

火火

B

05.02.21

故郷の香り

A

05.02.15

トニー滝谷

D

05.03.09

ソン・フレール

C

05.03.01

パッチギ

E

05.05.11

海を飛ぶ夢

F

 05.10.20

メゾン・ド・ヒミコ

I

05.12.25

終わらない物語・アビバの場合*

G

05.12.02

always三丁目の夕日

K

05.12.29

ウイスキー*

H

05.12.21

大河の一滴*

 

 

 

J

05.12.27

亡国のイージス*

 

 

 

L

06.01.01

男たちのヤマト

 

 

 

2006年

 

 

 

1

06.01.12

フォーガットン*

 

 

 

3

06.01.18

ホテル・ルワンダ

 

 

 

4

06.01.20

プライドと偏見

2

06.01.15

二人日和

5

06.01.25

シンデレラマン*

6

06.01.26

博士の愛した数式

7

06.01.30

白バラの祈り

9

06.02.07

カミュなんて知らない

8

06.02.04

ミュンヘン

10

06.02.08

仰げば尊し

11

06.02.15

クラッシュ

19

06.03.01

単騎千里を走る

12

06.02.16

黒い罠*

 

 

虎の尾を踏む男達(黒澤)*

13

06.02.21

ジーザス*

 

 

ナビーの恋*

14

06.02.22

ウオーク・ザ・ライン

 

 

かもめ食堂

15

06..02.24

忘れえぬ想い

 

 

恋するトマト

16

06.02.25

桜桃の味*

 

 

雪に願うこと

17

06.02.26

マザー・テレサ*

 

 

同じ月を見ている*

18

06.02.28

フレンチなしあわせのみつけ方*

 

 

明日の記憶

20

06.03.03

キルトに綴る愛*

 

 

タイヨウのうた

 

 

悪魔の目(ベルイマン)*

 

 

ゆれる

 

 

スミス都に行く*

62

06.07.29

空中庭園*

 

 

ボイス・オブ・ムーン(フェリーニ)*

63

06.08.03

ゲド戦記

 

 

フェリーニのローマ*

67

06.08.24

電車男*

 

 

秋のソナタ(ベルイマン)*

68

06.08.27

交渉人 真下正義*

 

 

白い酋長(フェリーニ)*

69

06.08.28

大停電の夜に*

 

 

君に読む物語*

70

06.08.29

リンダ リンダ リンダ*

 

 

ブロークバック・マウンテン

75

06.09.14

The 有頂天ホテル*

 

 

家の鍵

76

06.09.20

紙屋悦子の青春

 

 

赤いブーツの女(ブニュエル)*

77

06.09.21

Nana*

 

 

緑茶

78

06.09.25

時をかける少女

 

 

ヒストリー・オブ・バイオレンス

85

06.10.27

幸せのスイッチ

 

 

去年マリエンバードで(アラン・レネ)*

86

06.10.27

フラガール

 

 

チャイナタウン(ポランスキー)*

91

06.11.16

嫌われ松子の一生*

 

 

マクベス(ポランスキー)*

92

06.11.17

手紙

 

 

エリザベス・タウン*

95

06.12.01

待合室

 

 

ノーマンズ・ランド*

99

06.12.13

容疑者 室井慎次*

 

 

ゴダールの探偵*

100

06.12.14

赤い鯨と白い蛇

 

 

欲望のあいまいな対象(ブニュエル)*

105

06.12.28

鉄コン筋クリート

 

 

われ等巴里っ子(カルネ)*

 

 

 

 

 

プロデューサーズ

 

 

 

 

 

西部戦線異状なし*

 

 

 

 

 

戦場のアリア

 

 

 

 

 

猫が行方不明*

 

 

 

 

 

ある子供*

 

 

 

 

 

ブラザーフッド*

 

 

 

 

 

グッドナイト・グッドラック

 

 

 

 

 

明日を夢見て*

 

 

 

 

 

ドア・イン・ザ・フロア*

 

 

 

 

 

チャルラータ(サタジット・レイ)*

 

 

 

 

 

コーヒー&シガレッツ*

 

 

 

64

06.08.06

マルコビッチの穴*

 

 

 

65

06.08.18

ブルジョワジーの秘かな愉しみ(ブニュエル)*

 

 

 

66

06.08.23

小間使いの日記(ブニュエル)*

 

 

 

71

06.08.30

狩人と犬・最後の旅

 

 

 

72

06.09.01

郵便配達は二度ベルをならす*

 

 

 

73

06.09.08

力道山*

 

 

 

74

06.09.10

秘密のかけら*

 

 

 

79

06.09.26

ディープ・ブルー*

 

 

 

80

06.09.27

ザ・ブルー・プラネット*

 

 

 

81

06.10.02

太陽

 

 

 

82

06.10.04

16才の合衆国*

 

 

 

83

06.10.09

レディー・イン・ザ・ウォーター

 

 

 

84

06.10.18

山猫

 

 

 

87

06.11.01

父親たちの星条旗

 

 

 

88

06.11.03

過去のない男*

 

 

 

89

06.11.05

レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ*

 

 

 

90

06.11.10

ナイロビの蜂*

 

 

 

93

06.11.22

プルーフ・オブ・マイ・ライフ*

 

 

 

94

06.11.24

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬*

 

 

 

96

06.12.01

サラバンド

 

 

 

97

06.12.07

ブロークン・フラワーズ*

 

 

 

98

06.12.11

硫黄島からの手紙

 

 

 

101

06.12.15

ハリー・ポッター 炎のゴブレッド*

 

 

 

102

06.12.18

Mr.&Mrs.スミス*

 

 

 

103

06.12.19

フライト・プラン*

 

 

 

104

06.12.21

頭の中の消しゴム*

 

 

 

106

06.12.29

マイアミ・バイス*

 

 

106.マイアミ・バイス 新作vtr

http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/43470975.html

 

 

 

 

 

105.鉄コン筋クリート 吉祥寺バウ・シアター他上映中

 

ビッグ・スピリッツというコミック誌で93年から連載され、大ヒットを続けた 松本大洋 の同名の漫画がアニメ化された。

監督はハリウッドの第一人者マイケル・アリアス 声優は二宮和也、蒼井優、伊勢谷友介、宮藤官九郎、田中ミン、本木雅弘という若手、ベテランが揃った力作。

時代はバブル期前の古き良き昭和で、スバル360とか、初代プリンス・グロリアなどが登場し、絵はスタジオ4℃が制作、「宝町」の俯瞰をはじめや町の描写が秀逸。

尚、題名の由来は原作者が子供の頃鉄筋コンクリートを正確に言えなかったのを使ったらしい。

監督はvfx(視覚効果)の第一人者と言うことらしい。確かに臨場感溢れる素晴らしい動画に仕上がっている。最も舞台が日本なのでスタジオ4℃が任されたのだろう。その意味では共同制作か。

漫画が映画化されるには非常に多い。俳優が出る普通の映画もあれば、アニメもある。でも奇想天外な展開が多いので、どちらかと言うとアニメの方が作りやすいと思う。

ところが観客動員が限られるので予算が厳しく、絵が雑で動作がぎこちなくなったりするのが多い。

ジブリあたりだと、大宣伝でヒット間違いないが、他は苦労が多い。

この映画は丁寧にきっちり真面目に作られており、「安っぽいアニメ」には決してなってない。

 

この物語は家のない2人の浮浪児が「宝町」を再開発しようとヤクザを使って地上げする、大手資本に体をはって歯向かう活躍を描き、二人の友情、人間内面の昼と夜(心と力、連帯と孤独)みたいなものまで迫っている。従って、これは子供向けのアニメではない。

空から声がする 町には何が見える「皆が見える」。

最早、バブル以降の日本には皆が見えないのではないか。

 http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/43418759.html

 

 

 

104.頭の中の消しゴム (旧作vtr)

2004年 韓国映画

イ・ジェハン 監督、チョン・ウソン(MUSA武士)、ソン・イェジン(4月の雪)

 

若年性アルツハイマーになったヒロインの記憶が消える様子を題名としている。

原作は読売TV番組。音楽が盗作だったことで評判がた落ち。

サッカーは韓国の方が強いが、音楽は日本のpopsがアジアを席巻しているので、盗作もあるのだろう。

それより気になるのはクラシックの名曲を韓国映画では多用していることだ。著作権が切れているから合法だが、観客が知らないと思って使う音楽担当のレベルの低さを露呈するので、止めたほうが良い。

例えて言えば、ラブシーンでカバレリヤ・ルスティカーナの間奏曲を流した映画があったが、どんなに名演技をしても「くさくて、くさくて」観ていて恥ずかしくなる。ゴッドファーザーはシチリアが舞台だったからイタリヤの曲を使っても許せるが、韓国映画が使うとオリジナリティーがないことを公言していることでもあることを、関係者は知って欲しいと思う。音楽が映画全体のレベルを下げてしまう。

本作もラテンはじめ有名西洋音楽ががんがん使われている。

・・・・

2006年に日本では「明日の記憶」が公開された。

評判が良かったが、私はこれは患者の立場を理解してあげているが、介護者の心理の追求が充分ではないと思った。

本作も同じアルツハイマーがテーマなのだがこの場合病気は何でもいい、「セカ中」でも「タイヨウ」でも同じ展開。どんな状況になっても愛を貫くというお決まりのパターンなのだ。だからこれはアルツハイマーという病気の特殊性を浮き出してみせてはくれない。そこが世間が期待はずれした大きな理由だろう。

でもよく考えると、この病気に侵され始めた人の気持ち、伴侶の顔も分からなくなった人を介護する人の気持ち、などを掘り下げることは至難の業ではないか。安易に愛が勝つとか、逆に見捨てて施設に送ればいいとかではないのであろう。

両映画とも国民の注目度の高いテーマをとりあげたのはいいが、その後の処理が出来てないし、又出来ないのであろう。

観た後日本のは暗い気持ちになり、韓国のは希望すら感じさせる結末だったが、どちらが本当なんだろうか。

テーマが重過ぎる。

 

 

 

 

103.フライトプラン  (旧作vtr)

 

 ロベルト・シュヴェンケというドイツ人の監督

出だしはドイツ語でドイツからアメリカへ飛ぶ飛行機の中が舞台。

E-474という800名運べる架空のスーパー・ジャンボ機。調べてみたら既にエアバス社はA−380-800を16年かけて開発しているので、これが下敷きかもしれない。余りに広いので機内で誘拐事件がおこる。かなり無理のある脚本だが、密室の中での誘拐という発想が奇抜ではないか。こんなぶっ飛んだ物語を作る西洋人だからEUなんて夢が現実に出来るのかもしれない。

最大の無理は:真犯人がJ・フォスターが金目当てのハイジャック犯で指定講座に金を振り込めと言っている、と機長に告げるが、機長は本人に確認しないでそれを信じて金を振り込ませる、と言うよな事がある訳ない。

あら捜しを始めたら面白くない。ぼんやり楽しむぶんには面白さ充分。

 

 

102.Mr.&Mrs.Smith  (旧作vtr)

 

 「ボーン・アイデンティティー」のダグ・リーマン監督

いやこの作品は監督よりハリウッドきっての人気俳優ブラピとアンジェーの映画といっていい。この二人の魅力につきる。かっこいい。金もたっぷりかけた、痛快アクション・コメディー?

脚本などはどうでもいい。面白い画面をつなげていくだけ。後になんて何も残る必要は無い。でもグロテスクさとか色欲とかで引っ張らない品の良さは維持している。だから大ヒットした。

本当にかっこいい痛快な映画だ。スパイ・アクションものはハリウッドでなければ安っぽくなる。お家芸だ。

 

 

 

 

101.ハリー・ポッター 炎のゴブレッド  (旧作vtr)

 

2001年に「賢者の石」が公開されてからヒットが続き、本編で4作目。

「釣り馬鹿日誌」と同じに毎回監督が変るが、役者は同じ。

少年・少女だから回を重ねる毎に、成長していく。

 

本編は「フォー・ウエディング」のマイク・ニューウエル 監督

主役は勿論 ダニエル・ラドクリフ少年(英国Tv.子役だったが3,000人の中から選ばれた。かわいい)

 

古い童話かと思いきやさにあらず。

1997年児童文学者J・K・ローリングという無名作家の初作というから驚き。

日本語版は誤訳が多いらしい。

こんなにヒットすると思わなかったので、専門家が手を出さなかったのではないか?

 

せんぼんよしこ さんの「赤い鯨と白い蛇」というシンプルな'''山水画'''を観たあとだったので、この映画は余白を塗りつぶした'''油彩画'''のようだった。

 

絶壁に建てられた石づくりの古城、神秘的な湖、エリートたちの寄宿舎での共同生活、西洋の魔法、舞踏会、などなど キリスト教以外の 西洋がぎっしり詰まっている。

 

日本にもアニメの世界では題材としたものはあるが、これがオリジナルと言う感じである。

きっとアメリカも東洋もこんな西洋の古い伝統文化に憧れを持っているのだと思う。

 

そんな驚きが連続する映画で私は飽きなかった。

日本人には創れない画面で金もかかっているし、同じ映画でもこんなに違うものがあるのかと驚かされる。

 

ロード・オブ・ザ・リングはゲーム機の延長みたいなところがあるが、H・P 英国文化の匂いがして、こちらの方がはるかに上。

児童文学と侮るなかれ。

 

 

 

100.赤い鯨と白い蛇   岩波ホール上映中

せんぼんよしこ 監督

香川京子、浅田美代子、宮地真緒、樹木希林、坂野真理

 

78才TV創生期から活躍していた演出家。tvは主たる購買層たる若者向けに偏っているので、作りたい作品が作れないと言うことで、初めて映画を撮った。

邦画は製作費が少ないので、ビフテキを食べたいと思っていても、お茶漬けしか出てこない。でもこのお茶漬けがシンプル イズ ベスト でなかなかの味を出しているものが多いこの1年だったと思う。

「博士・・」「紙屋・・」「二人・・」「恋する・・」「待合・」「仰げば・・」「明日の・・」etc。

チープに見せない為には内容で勝負しなければならない。

 

本作も工夫がいっぱいである。

古民家の持つ時間軸で厚みをつくり、民間伝承でメルヘンをつくり、世代間交代で未来への希望を拓いている。

しかも出演者全員女性のみ、女性による女性からみた人生、いや男かも、を語っているのも思いきった手法である。

ちなみに観客も9割が女性である。

 

女性を生理から分けて5人を登場させている。

急にそれが始まる小学生、はからずも妊娠してしまう若い孫娘、夫に逃げられた女ざかりの主婦、更年期障害でぶつぶついっている女、もうそろそろボケが始まったおばあちゃん。

このおばあちゃんが軸なのだが、回りも芸達者で、女の一生をみているようだ。

1.これから死にいく人にとって、自分のことを忘れないでいてくれる人がいることは慰めになる。

 おばあちゃんは若い頃恋人が死ぬ二日前に「忘れない」と約束した。

 小学生は分かれる際に、おばあちゃんに「ず〜と忘れないね」と約束する。

 忘れない限り、その人は死なないのだから忘れないことは、大切なことだ。そんなことを教えてくれる。

 

2.自分に正直に生きる。戦争中は出来なかったので彼氏が言い残す言葉だが、今は平和になったけど、自分を偽って悪いことや、人を傷つけることをしているのではないか、それぞれ考えてみよう。そんな提案にみえた。

 

3.樹木希林が言う「貴方は善悪だけで物事決めてない?」「だからいき詰まって亭主が逃げ出すのよ」 理屈も大事だけど情も馬鹿さも必要よといっているように聞こえた。

 

 

最後に私が感じたこと:男は自分のことしか考えていない。種付け馬みたいで頼りにならない。結局女性が子供を一人でも産み、育て地球上に人類をの残してきたし、これからもそうなのよ。

 

その意味で女性賛歌の映画のように見えた。

 

見えただけでなく、女性の力強さを実感してしまった。

 

 

間違いなく佳作以上の映画。おすすめ度A。

 

 

99.容疑者 室井慎次 (旧作 vtr)

 

君塚良一 脚本・監督

柳葉敏郎、田中麗奈、哀川翔、柄本明、筧利夫、矢嶋智人,真矢みき

tvドラマ化もされた。「踊る大捜査線」「交渉人 真下正義」につぐヒット・シリーズ

警察、検察の仕組みが分かってない脚本ということで、さんざんな評価の映画だが、役者は頑張って味を出している。特に柳葉さんの熱演が光る。

窮地に追い込まれる室井管理官の部分が長すぎて、逆襲部分の時間が足りなくなってしまい、バタバタと簡単に終わらせたつくりで肩透かしだが、室井慎次の大学時代の悲話などなかなか泣かせ、人物がよりはっきりしてきた点は評価する。

 

 

98.硫黄島からの手紙  (吉祥寺東亜興行他上映中)

 

 クリント・イーストウッド 監督

渡辺謙(栗林中将)、二宮和也(西郷)、加瀬亮(清水)、伊原剛志(西大尉)

父親たちの星条旗につぐ硫黄島第2弾。日本側から描いたもの。

近代戦でもっとも激しい戦いの一つ。

極限においても、最後まで人間の尊厳を貫いた人も多かった。

敬意を表するため映画化された。

 http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/42924050.html

硫黄島の戦いの実像は多分違うと思う。

5日も水も食料もとってない人間が、威厳を持って冷静に行動できるだろうか? 採ってきたミミズを上官に差し出す仕草も、まるでコーヒーか何かを差し出すように、きれいに撮ってある。

敢えてきたなさ、醜さを隠して、日本兵は美しくサムライらしく、戦って死んだ、と美化している。嘘っぽいと思う。

映画としては控えめな表現で、歴史の重すぎる現実をつきつけて、印象深い映画になっているので、ケチをつけたくないが、帰還兵が見たらどう思うだろうか?

何故そう思うかは、大分前になるがNHKがドキュメンタリーで硫黄島の戦いをとりあげたのを、私は見ていたからだ。

その生き残りの兵士のインタビューは想像を絶するものだった。

洞窟に潜んでいた何千人の日本兵は食料、水、弾薬が底を尽きかけていたので、口減らしのため米軍への体当たり攻撃を命じられる。

洞窟の外は米軍の機関銃が待っているので、日中は出れない。夜になって這い出し、明け方には死体の下に身を隠し、又夜になるのを待つ。

腐乱死体で身を隠す地獄のような匍匐前進も結局は撃たれてしんでしまい意味が無い。投降しようとすると、後ろから容赦の無い仲間の弾が飛んでくる。

こうなる日本軍は勝つために戦っているのではなく、玉砕のため、死ぬ為に戦っているのだ。

栗林中将は、硫黄島の陥落を延ばせばそれだけ本土上陸が遅れるから、最後の一兵まで抵抗させた。

栗林は米国生活も長く、欧米的な合理主義者として、英雄のようにこの映画では描かれているが、罪深い指揮官ではないか。

降伏より玉砕を選ぶ当時の軍部の方針は分かるが、私なら部下を餓死させる前に投降させ、その責任は自分が自決することでとればいいではないか。と思う。

米軍も洞窟から出てこない日本兵をバーベキューではあるまいに、ガソリンを投入して丸焼きにするのもひどいが、死なせる日本軍の上官の判断ミスも大きい。

でもこの映画は主義主張の押し付けは一切ないので、各自戦いの本質を考えるいい機会を与えていると思う。

でも何故アメリカ人に教えられなければいけないのか。日本ではきっとタブーなのだろう。残念だ。

 

 

 

 

97.ブロークン・フラワーズ (新作vtr)

 

ジム・ジャームッシュ 監督

ビル・マーレイ、 J・ライト、 シャロン・ストーン(写真の女性)

ドンはドンファンのドン。今は老いたプレイボーイ。20年前付き合っていた身元不明の女性から、貴方の19歳になる息子がいる、とのピンクの手紙が舞い込む。匿名であるから差出人捜索を始める。5人の該当者を潰していくが、はっきりした事は分からない。空港で会った旅の青年はピンクのリボンを母親からバッグに付けられていた。

これが俺の息子か?でもキチガイ呼ばわりされてがっくり。でも真相は明かされない。観客が考えるしかない。

http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/42836963.html

主人公が長い旅をして、それを追っかける筋書がロード・ムービー。

これは5人の女性を訪ねるロード・ムービーである。

コメディーだけど、ドタバタでなく、醒めた笑い。

主人公と隣人との会話など、とぼけてて本当におかしい。

とぼけた男が隣人の指図どおり動いて捜索をするのも又おかしい。

・・・・・・・

人生ひょんなことで、ひょんなことになって、自分の人生がひょんな道を歩くことになる、そんな偶然が決定要素になる割合は大きい。

急に進路を変えられた本人は、トンチンカンで喜劇を演じてしまう。

こんな 瞬間瞬間を映画にしているのがジャームッシュだと思う。

・・・・・

本人大真面目だから、喜劇になる。

人生とは喜劇を演じているピエロである。

どこか突き放したようなところがある。

・・・・

本作では4番目に尋ねたジュリー・テルビーが差出人で、旅の青年が息子のようにも見えるが、違うかも。

すべてはっきりしないまま、映画が終わる。

・・・

使われている音楽は日本の演歌かと思ったら、エチオピアの音楽らしい。

独特な雰囲気がある。

・・・

場面の展開も斬新で相当の才能のある人だと思うが、結局言いたいことは何という疑問は絶えず残る。

 

 

 

 

96.サラバンド 渋谷ユーロスペース上映中

 

ベルイーマン 監督 85歳遺作として創った

リブ・ウルマン(マリアン) エルランド・ヨセフソン(ヨハン) ユーリア・ダフヴェニウス(カーリン)

ボリエ・アールステット(ヘンリック)

http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/42681863.html

「秋のソナタ」の心理劇に似ている。

登場人物は実質4人のみ。室内の会話が中心。舞台を見ているようだ。

しっとりした重厚な画面で、ある場面では窓から斜めの陽光が差し、次の場面では窓の外は冷たい雨が降っている。さすが手慣れた監督だと思う。

それにテーマが整理され、無駄も無い。すっきりしている。鋭さは薄れたけど、少なくともボケては無い。

言い方を変えると、形而上学的な難しい映画から、老境を描いたある意味月並みな映画に変った。

でもマリアンやヨハンはアップの連続で、深いしわの奥に在るものまで執拗に、追い続けて異様な執念をみせている。

アップに耐える皺の演技力もすごいが、観客は戸惑うかもしれない。

ヨハンとヘンリック、ヘンリックとマリアン の間に交わされる露骨な会話。

何か一昔前のリアリズム映画のように夢も希望も無い。

将来への展望なんて眼中に無い。

彼の一番の関心事は死への恐怖、それとの戦い、エゴを貫く精神の維持であり、一見懺悔して委ねるように見えるが、最後までわが道を進もうとい決意のように理解する。

何故なら、マリアンとの約束も果たさず、連絡も寄越してこなかったからだ。

そしてアンヌのような母性に対するノスタルジーは持っている。

やっぱり自分って罪深い、地獄へ行くぞ という遺言に見える。

 

 

 

 

 

95.待合室 渋谷ユーロスペース上映中

 

板倉真琴 監督

富司純子 寺島しのぶ ダンカン 

泥臭いといえばそんな、でも愚直なテーマを追った、涙の映画だった。

現代人の心のつらさを「お節介おばさん」が昔ながらの優しさで、ほぐしてあげる。

お節介の重要性についてはblogに書いたので、そちらを読んで頂きたい。http://blogs.yahoo.co.jp/teki_cyu/42652213.html

ここでは映画として少し語りたい。

欠点 @ おばちゃんの若い頃を 寺島しのぶ が演じているが、おばちゃんは若い頃から優しさに溢れていなければいけないが、彼女は外見

 

も話し方もきつすぎて、この場合田舎の優しい女性というイメージがつくれていない。冨司純子の方はそれなりの味をだしているので、連続性に

乏しい。

A 雪国、古い木造の小学校、桜、農家の広縁のひだまり、蒸気機関車の音、機織機 ・・・ 日本の原風景みたいな、それだけで うるうるするものを撮っているが、 その計算がみえすぎ。もうちょっと控えめ、さりげなさがほしい。

B画面が余り美しくはない、カメラワークを考え、撮影にもっと時間を使うべき(こんな映画は特に美しく撮るべき)

C終わり方がもう一工夫ほしい。あれで綾戸千絵さんの歌が入らなければ、どうしようもない。

D待合室をテーマにしているが、おばちゃんの半生記でもある。このバランスが難しいところだが、言いたいことをもっと際立たせる脚本はできなかったものか。

 

でも私は欠点があってもこの映画を評価する。東北の寒村でひたすら他人のため、痛い膝を我慢しながら、目立たず誠心誠意、愚直な人生をおくっている人がいる という事実を恵まれた暖かいこの東京人に、その意義を考えさせてくれるからである。

「ご飯が食べられて、寝て、起きて、仕事ができれば、充分でない?

他にな〜んも要らないは私。」

すごく単純でいい。欲張りすぎてはいけない。

地図で調べてみた、おばちゃんの実家は遠野で小繋まではものすごく遠い。

よくこんな遠いところに嫁入りしてきたものだ。

遠野のおばあちゃんも立派だ。毅然と子供を突き放す。親子遠く離れてそれぞれひとりぼっち。でも弱音なんかはかない。

それぞれ土地の人が家族なのだ。

富司純子さんは「フラガール」で汚れ役をやり、ここでは東北弁で駅前食料店のおばちゃんを演じている。

もともと品のある顔立ちで芸域を広げるのが難しいタイプだと思うが、年をとってきたのだろう、年輪のせいでこの役はけっこういい。

素晴らしい女優さんだ。

こんな映画は理屈ぬきで、泣いて観ることをおすすめする。

 

 

94.メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬  新作vtr

 

 トミーリー・ジョーンズ 初監督作品

ピート/同(カンヌ主演男優賞) メル/バリー・ペッパー

脚本ギジェルモ・アリアガ(カンヌ脚本賞)

1度目 メルが殺害後埋めた 2度目検死の為掘り出され、その後埋葬 3度目ピートが遺言どおり故郷メキシコまで運んで埋葬

これはメキシコ不法移民とテキサスのカウボーイが友情をむすび、カウボーイが移民との約束を守る為国境警備隊と戦い、困難にもめげず、その意志を貫く、いわば「走れ!メロス」である。いや日本のサムライ魂が下敷きなのかもしれない。

でもそれだけではない。

罪を犯した人間の贖罪の旅、神に許しを請うことの大切さを語っている。

罪を犯したら、隠蔽しては駄目、罪を認めて神にすがりなさい! 日本の汚職役人にも是非見てもらいたい。

贖罪のたびの到着地はいわば架空の故郷だった。

これも人生は何か?を暗示している。

夫々の故郷は何処にあるのか? 若妻は馬鹿な夫を捨ててバスにのり、浮気な年増妻はやっぱり古旦那を離れない。

ピートは目的を達した後、異国で次は何処を探して生きればいいのか。

この映画はサウス・オブ・ボーダーの哀愁を秘めながら、少しも潤ったところが無い。

パサパサにクールな展開が不思議と惹きつける魅力を持っている。

なかなかいい映画。

 

 

93.プルーフ・オブ・マイ・ライフ 旧作vtr

 

 「恋に落ちたシェークスピア」の J・マッディレ 監督 同じく グウィネス・バルトロー が主演している。

かつての天才数学者、今は頭が狂った教授をアンソニー・ポプキンス、ボーイフレンドを「ブローク・バック・マウンテン」のジェイク・ギレンホールが演じている。

騙し絵手法による、人間の信頼テスト。

@教授のノートを彼が盗んだ

A彼女が父の論文を盗作した

それぞれ、有罪のような展開をして、どんでん返し。not guilty。

人を無条件に信頼すれば良かったのに、そのため恋人間には溝が。

「もう一度信用してみよう」とやり直し始める。

・・・・・

ろくな論文が書けない娘が数学会で世界的な「証明」が出来ることが無い。無理な話。

遺伝的な恐怖におびえる娘がヒステリックで、世に背を向けている。

この半病人状態をバルトローが見事に演じるが、演じすぎて可愛げが全く無いので、この映画は結局恋愛映画なのだが不自然になってしまった

普通人である姉から見れば妹は精神異常、本人や彼氏からみれば異常なし。

・・・・

人間社会は「証明」出来ないことが多いけど、姉の役割は何だったのだろう。

触れ込みとは違い、ほのぼのしない映画だった。

 

 

 

92.手紙    品川プリンスシネマ他上映中

東野圭吾のロングセラー小説を生野滋朗監督が映画化

山田孝之 玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵、尾上寛之

筋書:兄が殺人を犯し、無期懲役で服役中。

弟はお笑い芸人で成功するが兄のことが大っぴらになり、芸人を辞める。恋人にも捨てられ、サラリーマンに。

能力あるので昇進するが、そこでも兄のことが分かってしまい、配送センターに左遷。

この間一貫して弟を見守ってきた女性と結婚。子供を得る。でも兄のためこの子までいじめられる。社宅を引っ越そうという弟を妻が逃げても安住の地はないとひきとめ、逃げずに我慢して暮らそうとたしなめる。兄を一時は捨てた弟だったが、兄弟という絆は捨てられないと悟り、刑務所で慰問公演をする。ふたたび兄弟のこころが通じ合い、兄は弟に手を合わせながら号泣する。

・・・・

犯罪者の罪の償いは本人だけでは終わらないで、家族まで重い十字架を背負って一生行き続けなければいけない。

兄のことを世間に隠さず、差別されても逃げず、ひとりしか居ない兄のことも心の支えとなれ、周囲の信頼を少しづつ広げていく、それしか人間として生きる方法が無いのだと言っている。

・・・・

私は強い人間ではないのであまり自信がない。

兄のことは隠して、ばれたら転職を繰り返し、転居しつづけそうな気がする。

世間は広く、家族を問わない社会もある。俗に裏街道と言われているけど、自分さえしっかりしていれば、それなりの人生を送れると思う。

・・・・

この問題は 被差別部落問題、在日朝鮮人問題 と根は同じである。

世間に公表し差別と戦えという人もいるし、ことを荒立てない方が良いと思っている人もいる。

状況は色々だから、本人が決めるしかないが、これらの問題の解決は本人では決して出来ないということを、国民がまず理解することが出発点だと思う。

・・・・

弟の勤める電器量販店の会長は「犯罪者のみならずその家族とかかわりを持ちたく無いというのは、ごく当然の感情だ。事故防衛本能というべきだ、だから今回の人事異動も正しいと思っている」という。

「逃げられる場所はない、だからこの会社から逃げ出さずに、自分を信頼してくれる人を一人一人増やすのだ、ここから出発しなさいと」言う。

即ち、本人の生き方に解決を求めている。

・・・・・

でもこれでいいの?

本人は我慢以外何も出来ないが、会長は差別をなくす手段を持っているのではないの?

理不尽な人事異動を止めさせ、社員教育を徹底する、実力会長が犯罪者の家族に対する温かい考えを社内に示せば、必ず差別は薄まるに決まっている。

差別を無くせるのは会長しかいない。本人は何も出来ないのだよ。

それを本人の心根にすりかえているこの話は、もしかすると差別を助長しかねない危険な要素を持っている、と思う。

・・・・・

山田孝之さんのお笑いネタも面白く、起伏のある映画になっているが、沢尻エリカさんは美人過ぎて役に当てはまらない。この役はどうしても

地味でなければ成り立たない展開なので残念。

 

 

 

 

91.きらわれ松子の一生 新作vtr

「下妻物語」の中島哲也 監督が山田宗樹のベストセラーを映画化した。TVドラマにもなったがこちらは評判はイマイチだった。汚れ役までこなした中谷美紀、瑛太、伊勢谷友介、香川照之、市川美日子、その他お笑い芸人が多数出演。

この映画は評価が分かれているようだが、私は高く評価したい。

・救いがなさ過ぎるということに対する反論

 

 What’s a life という問いに対してLife is love へ進み、Love is GOD に行き着く(獄中で伊勢谷が聖 書に出会い気がつく)。 GODの愛は与える 一方の愛。

 

 人生何を与えられるかでなく、他人に何をしてあげられるかで意味を持つ、といってアスカは青年海外協力 隊としてウズべキスタン に旅立つ。

 

 松子は奪われるだけで、男に尽くすだけの一方方向の愛に生きた。

 まるで神の与える一方の愛のようでは ないか。

 松子は神だったと最後に瑛太がいう。キリストの一生も救いが無い、でも後世に甚大な影響を与えた。

 

 さあ皆、与えられようと思わないで、与える人生を生きようよ!と言っているのだ。

 

 先日観た「幸せのスイッチ」と同じテーマだ。だからこれで良い。

 

松子の人生がむごすぎるという、若者にあえて言う。戦場に無理やり狩りだされた若者もいる、通り魔に突然刺された人もいる、交通事故で親を失った子供もいる。

これに限らず人生は不幸がいっぱいなのだ。たまたま日本は今平和で経済大国だが、世界をみれば餓死する子供は何千万人もいる。生きると言うことはは過酷だと言うことをまず、知って欲しい。

勿論そうだから我慢しろと言っているのではない。生き方としては貧富とか境遇とかは別の自分を貫くものが人生の幸せに繋がることを知って欲しいだけ。

どうも説教くさくなってごめん。

映画論に戻ろう。

@時系列に伴うTVの使いたが秀逸:火曜サスペンス、石油危機、宇宙遊泳、ユリゲラー、長嶋引退、・・・・。

Aこの映画は1..ミュージカル 2.アニメ 3.喜劇 4.深刻劇 5.犯罪劇 6.ミュージカル 7おとぎ話 いろいろなエッセンスが盛りたくさんでハチャメチャでまとまりが無いかと思えば、さにあらずスタンスがしっかりしているので作品としてまとまっている。その技量はかなりだと思うよ。

B歌が良い。輝く星座?他唱歌が懐かしさをくすぐる。人間の原点は中学、高校なのだよな。「曲げて伸ばして、お星さまをつかもう・・・」効いてる効いてる。

Cハリウッドかぶれのパロディーもパターンにはめようとなかなか。横文字のタイトル・クレジットもどこかハチャメチャも隠す、うすいベールみたいで正直。

D汚いアパートにうずたかく積まれた黒いビニール袋から無数のからすが飛び出すシーンがあるが、ぞくっとせられる。この陰影が観客に真面目さを要求して、なかなか良い。

一言苦言:あえて劇画風に漫画風にふざけた感じを出す為、サイケ色調でどぎつくしているが、色は生理的に不快感をもようすので一考して欲しかったな。自然な感じでやればよいのに。不満はそれだけ。

非常に良い映画である。皆にも是非観て欲しい。

「殴られてもいい、殺されてもいい、一人ぼっちでなければ」という松子のセリフがあとを引く。

 

 

90.ナイロビの蜂 新作vtr

 

「シティー・オブ・ゴッド」のブラジル人監督フェルディナンド・メイレレス 作

 

原作 ジョン・ル・カレ 主役の英国外交官ジャスティンにレイフ・ファインズ、その妻テッサに

レイチェル・ワイズ 彼女は本作でアカデミー助演女優賞を獲得した。

 

あらすじ:大手国際製薬会社がにケニア人をだまして新約の治験をしている。死者が続出するがそれを支援する英国大使館は隠蔽し続ける。テッサは正義感に溢れる女性で、これを暴こうと現地人医師と奔走するが(夫には内緒)、二人とも殺されてしまう。

 

ジャスティンは妻の死後、ことの重大さに気づき、その意志を継いで政府を追い詰め事件は好転し始めるが、愛する妻はもう帰ってこない。妻が死んだトウルカナ湖で後追い自殺するという、ラブ・ロマンス。

・・・・・

社会派監督らしく、国と国際資本が結託して金のためにアフリカ人を犠牲にすることへの糾弾映画かと思うと、どっこい裏切られる。

 

黒い手に追われるサスペンスとロマンスを合体させた単なる劇映画である。

 

ラブ・ロマンスとみればかなり良くできているが、それと組み合わせた国家犯罪のテーマが重すぎるので、不謹慎のそしりを免れない。

 

命の値段が安いアフリカ人を使った治験がかなりやられていることは常識らしい。個人の承諾書といっても字が読めず、エイズ治療よといえばどんな薬でもOK、ということは想像される。

 

事実この映画は英国で上映禁止になってないので、政府もことを荒立てたくなかったものと思われる。

 

宗男議員の元秘書ムルアカさんも8割真実といっている。監督は確証をつかみ劇映画としてではなく、ドキュメント映画として世に問うべきだと思うが。

 

 

89.レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ 旧作vtr

アキ・カウリスマキ 監督

マッティ・ベロンバー、ザ・レニングラード・カウボーイズ

1989年 フィンランド スエーデン 共同制作

サイレント映画を原点として考えているので、セリフが少なく、展開の都度字幕さえでる。

喜劇である。

実在するバンド名である。フィンランドはロシアに近いので、ロシア風の古いロック音楽を引っさげてアメリカ興行にやってききた。

ポンコツ車で10人ぐらいのメンバーがメキシコまでドタバタ珍道中するが、時世にあわせて、激しいロックやカントリーを身につけ、メキシコでは何とベスト10にはいるまでうけた。

魔法使いが履くような先が尖って上に反っている靴は国から履きっぱなしだが、これとグリースで固めた帽子のようなヘアースタイルが滑稽。

意外とアメリカ文明批判などはなく、その日暮らしの文無し旅と座長の専横で笑わせる。

静かなドタバタともいうべき独特のユーモアセンスにはまる人がいるかも。

ラップランドというフィンランド最北の荒野から、アメリカへ行くというとてつもない夢をかなえさせた座長はメキシコでの成功を確信するや、姿を消す。

何処へ何故?気になるラストであるが。

 

 

 

88.過去のない男 旧作vtr

アキ・カウリスマキ 監督(フィンランド)

マルック・ベルトラ(男)、カティ・オウティネン(女)、アンニッキ・タハティ(救世軍マネジャー)

カウリスマキは2002年、本作でカンヌのグランプリを獲得した。.

小津や黒澤も好きで、日本への理解も深いようだ。映画の終わりの列車の食堂シーンでは、男が日本酒を飲み、慣れない箸を使って寿しを食べる。そして、バックに流れているのは「ハワイの夜」という日本の演歌である。何故か竹筒に入った唐辛子入れまで登場し、使い方が分からず元に戻すところは、きっと監督の来日時の体験に基づいているのではないか、ちょっとしたイタズラがおかしいシーンもある。

*この映画は少し変っている。個性的といってもいい。それがフィンランド特有の者なのか、監督の個性なのか、両方なのかわからないが。

 

1.女優は職安の受付嬢を除いて、すべて美しくない人を選んでいる。

特にタハティーは自国では有名なポピュラー歌手らしいが、顔が大きく横に皺がたくさん入って、まるで使い古した草鞋の裏みたいである。

御年72歳らしいが、この人がラブソングを歌うので、悪いけどおかしくて、おかしくて、とてもユニーク。

 

2.本作でカンヌの主演女優賞を獲得したオウティネンも1961年生まれだが、20歳ぐらい上にみえ、容色と無縁な上に無表情で一度も笑わない。真面目さの上に救世軍の服を着せたような女性。よせばいいのにキスシーンもあり、思わず「見たくない!」

 

3.彼女だけでなく登場人物がすべて笑わない。最初の世話になる家庭の旦那が時々ニヤッとするだけ。無表情を通している。(北欧ってそうなのかも)

 

 

*ところが、この映画はよく見ればユーモア満載である。

 

1.世話してくれる旦那が「同じところを殴られると、記憶が戻ると聞いた」といって、後ろから突然棒で殴りかかったり

 

2.男の脈が弱くなると、植物人間になるより死なせてやろうといって、「次は出産だ」とさっさと担当医が立ち去るのもおかしいが、残された死ぬはずの人間ががばとたちあがリ、病院を抜け出したり

 

3.銀行が北朝鮮に買収されるとか

 

4.死体だと思っていた男の長靴を運動靴と取り替える浮浪者の行動とか

 

5.・・・・

 

決してドタバタではないのだけど、かなりな笑いがそっと潜ませてある。

 

 

*この映画の新しいところ

 まず親切な家庭に救われるが奥さん、旦那、子供2人をしっかり描いた割にはそれでお終いであること。後半ではせいぜい空き地音楽会の聴衆として登場させるぐらい。その場限りのいわば使い捨て。ややオムニバススタイル。

 

凝った脚本は後半に前半の伏線を活かすが、そんなことはしない。ハンニバル(人食い)という名の犬が出てくるが普通なら登場の意味をもたせるところだろうがそれも無いし、きのこ狩りも別に海岸のドライブでも何でもよいわけで、特段きのこである必要も無い。

 

要するに構成美を捨てて、スケッチ風に、あるいは点描画風に、カットを重ね、全体のほんわかした感じに重きをおいて、自然体で撮っているところが観客の肩が凝らない秀作と言うことだろうか。

 

*不思議な点

現代の設定だが、フィンランドにはあんな悪い警官が本当にいるのかな? 

 

強盗が相手を死ぬまで叩きのめす手口は日本ではあまり無いと思うが、ホノボノ映画にしてはかなり残酷なシーンがある。フィンランドってそんなに物騒なのかな?

 

浮浪者といえども今時、手回し洗濯機やジュークボックスを使っていないと思うが?

 

 

 

***

社会の底辺に生きる人たちは人情が厚い。生死に関係するから相互扶助。また、心ある他人の温かい好意(食堂でタダでごちそうになる)もある。

 

ギスギスしているだけが社会ではない。温かいのも又社会なのだ。

 

我々「中産階級」が忘れがちな、弱者側に立った低い目線が逆に新鮮。

 

ハッピーエンドの結末もよく、他人に優しくなれる映画だろう。

 

 

87.父親たちの星条旗 吉祥寺東亜他上映中

クリント・イーストウッド 監督 s.スピルバーグ共同製作

太平洋戦争末期 硫黄島における日米の死闘をアメリカ側から描いた。

圧倒的な戦力を投入、5日で陥落できると思っていた米軍は、全員玉砕まで戦った日本軍に手こずり35日かけて、やっと制圧した。その犠牲も決して少なくなかった。

太平洋最大の激戦となった硫黄島の戦いで、摺鉢山の頂上に星条旗を立てた6人の兵士が母国で英雄となり、財務省の宣伝にかりだされた実話が映画化された。

 12月に公開される「硫黄島からの手紙」とセットとなっている。

今、何故米国で硫黄島なのか? 厭戦気分(イラク)を広げようという意図なのか、真意不明なので多少気にはなる。

映画「男達のヤマト」は戦後50年が過ぎても、一兵士の心の傷が癒えず、贖罪の旅(心臓病をおして沈没地点に船をすすめる)にでる話であったが、この映画も星条旗を揚げた一人は終戦後も心に深い傷を負っまま今まさに老いて死のうとしている設定である。

戦争はたとえその人が生き残ったとしても、その人が死ぬまで終わらないのだ。仲間が死に自分が生き残ったこと。傷ついた仲間を置き去りにしたこと。自分の判断ミスで多くの部下が死んだこと。戦いと言えども敵を何人も殺してしまったこと。・・・・押し黙って生きるしかない。

上記写真は有名な写真で、当時アメリカの国威高揚におおいに寄与、未消化の国債発行に政治的貢献もした。

6人のうち3人が死に、残り3人が強制送還され、英雄として財務省の宣伝要員をやらされるという1枚の写真を縦軸に話が進行する。

旗を揚げるというのは考えてみると英雄でもなんでもない。そこにいたるまでに血を流した戦士が英雄であって、旗を揚げたのは、たまたま生き残って、手の空いた兵士が上官に命令されて揚げただけのことである。大多数の者は負傷兵の搬送とか、死体の収容とか、歩哨の任についている。

そんな何でもない彼らが満員となったスタジアムで英雄として振る舞い、ショーを演ずる。激戦地の実態とはあまりにもかけ離れた、戦争の変質に心がついていけず一人は酒におぼれ死んでしまう。

この映画は戦争の醜さを表現しようとしているのか、政治と戦地のギャップを糾弾しているのか、戦争と個人の心の傷を訴えているのか、みんな描いているのだが、平板で冷静なタッチが災いしてか、正直迫力不足であった。

でも海面を埋め尽くした艦船の数のすごさだけでも、圧倒的な迫力があり、とうてい邦画にはまねのできない映画となっている。

 

 

 

 

86.フラガール 新宿ミラノ座 他上映中

 

 李相日監督 松雪泰子、豊川悦司、青井優、岸部一徳、富司純子、高橋克実

常磐炭鉱縮小に伴い地域再生策として「ハワイヤン・センター」が企画された。炭鉱とは24時間のシフト勤務で、常に危険と隣り合わせ。落盤事故、粉塵爆発も日常茶飯事。でも、日本のエネルギーを支えている、それがある意味男の自負にも繋がっている。家庭の主婦は選炭作業をしながら生活苦と戦っている。そんな社会で額に汗をかかないで、ちゃらちゃら男の歓心をかう「ショウ」という商売が認められる訳が無い。

こんな中でも、時代を先取りするのは常に若者である。高校を出たばかりの女の子は勘当されても、プロの踊り子を目指す。家庭の事情で挫折した親友の分まで頑張り、ついにスターの座につき、母親の認めるところとなる。全国に名を知られた大成功温泉施設の実話。

・楽しめる娯楽映画である。

・基本線は喜劇仕立てで、ふくすま弁に笑ってしまう。

・音楽も可。踊りとカメラはイマイチ。

・キャスティングはしずちゃんにはチョットにが重すぎたか。富司純子も炭鉱のカーちゃんにしては品がありすぎ。豊川悦司の炭鉱夫がいい。

・お涙頂戴がちょっとくさい。

 

 この監督はきっと真面目なのだろう。

面白おかしい単純な成功物語にしていない。

よく観るとこれはフラダンスの映画ではなく、滅び行く炭鉱の家庭崩壊、街崩壊、個人の価値感崩壊を描いている。いわば底辺に生きる人々が傷つきながら、フラダンスによって再生していく応援歌のようなスタンスだから万人に共感を呼ぶのだと思う。

SKD出身のフラダンスの先生も借金だらけでヤクザに追われている身。この窮地を救ってくれたのは、そんな自分でも慕ってくれる生徒がいるという事実。他人のためにすることが実は自分のためでもあるという、人と人のつながりが持つ強さを再認識させている。

もっともこの真面目さが諸刃の剣で、喜劇と悲劇のバランスを損なっているのも事実。

でも1級の娯楽映画に仕上がっている。

 

 

85.幸せのスイッチ テアトル新宿 他上映中

 

 安田真奈 監督

上野樹里 本上まなみ 中村静香 沢田研二

 あらすじ:和歌山県田辺市郊外 農家も多い。父親 沢田研二には性格の違う3人の娘がいる。電器店を営むが量販店の進出で苦しい。父親は徹底した顧客第一主義で販売先の商売にならない雑用まで引き受けうけ、どちらかというと家庭を犠牲にするタイプ。

次女(上野樹里)は気が強く、わがままで、いつも不平不満タラタラで機嫌が悪い、カワイクナイ性格。

母の早死も父のせいだと思って、嫌っている。そして故郷を出て東京でイラストレーターの仕事をするが、会社の方針とぶっつかり退社、田舎に帰る。

父が入院中のため、電器店の仕事をするが、偶然に顧客のおばーちゃんが耳が遠くなっていることに気づき、補聴器を世話して家族に感謝される。自分は孤独だと思っていたが、感謝されて、生きる希望を見出す。父も黙って次女のために積み立てを続けていることも姉に知らされ、親子の葛藤も終わる。

・・・・

斜陽の個人電器店はこうして乗り切れと言っているようだ。監督は電器店に勤務した経験があるらしい。

要するに、販売先の家庭全般の面倒をみる、半分福祉奉仕。でも、所詮労働力対価に合わないので現実的には無理ではないか。

この点を除いては、この映画すべてが何気ない、普段着映画である。ここが魅力の映画。

女性監督らしく、三人姉妹を女性の目から、温かく描写しているのも好感がもてる。

しかし、テーマが親子の反目と和解、若者が捨てがちな地域の見直し、みたいな余りにも月並みであるため、若い監督なのにキラリと光るものが感じられず、退屈といえば、退屈な仕上がり。

兄弟は頼りになるし、親も案外いいものだ、他人のために尽くせば感謝されるし、自分も他人から世話になっている。自分中心では幸せになれないということに気がついたというのが、題名の由来。

この映画を観た地方出身の若者は故郷が恋しくなるぐらい地方の息吹が良くでた映画だが、世評の割には私には期待はずれだった。

樹里さんはピッタリはまり役。

 

 

 

 

84.山猫    タイムズスクエアー ビスコンティー生誕100年祭

1963年製作完全復刻版187分

バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ

筋書:1860年シチリア。イタリア統一戦争の渦中にあり、ガリバルディー側がシチリア軍を撃破、貴族は次第に力を失い、新興成金が台頭、政治もイタリア統一国王の擁立で、革命軍が追いやられるなど、経済、政治両面でめまぐるしく変動している。

そんな社会情勢の中で個人の価値観や生き方の変りようを、名門貴族サリーナ(B・ランカスター)一家の物語として描いている。

・・・・・・・・・

ビスコンティー自身も名門貴族出身。

だから、時代は異なるがサリーナは監督の分身ともいえる。

優雅な貴族生活の実態を知ることが出来るのが、この映画のまず特徴で、室内装飾や衣装は泰西名画を思わせる画面が続く。

さらに1/3が舞踏会の場面という思い切った構成で、丹念な根気強いカメラワークには頭が下がる。

ただ、いかんせん長すぎて退屈なことは否めない。

 

この映画はサリーナの心の動きを描いたものである。

サリーナは貴族でありながら、進歩的な考えの持ち主。どっぷり漬かりながら虫がいい。

でも、先を読む目ももっているから、内心馬鹿にしている新興成金に近づき、政治的野心のある甥(A・ドロン)をその娘(C・C)と結婚させるなど、意に反して時代に迎合するご都合主義者でもある。

政治的主義主張は周りの人は節操なく、変えていくことに反感を持つ硬骨漢でもあるが、自身も含めいろんな矛盾の中で生きていくことに、だんだんいやになり、時として遁世したい気分におそわれ、パーティーも空虚にみえて、逃げ出したりもする。

最後は東洋の教えのように、すべては変わっていく、星よおまえだけが変らないと空を見上げ、幕を閉じる。

 

これは貴族社会の変遷を描いてはいるが、現代の社会生活に置き換えても充分通用する話で、俗になりきれず中間で厭世的な人生をおくっているひとは多い。

世間は今も偽りで出来ている。人間社会は真実じゃ成り立たない。だから芝居をすればいい。楽しく踊ろうよ、となればフェリーニのなるがビスコンティーは貴族だから、自分は聖、他人は俗と思っているから、基本的に人間嫌いではないか。

この映画もある意味滅びの美学で、「座死」がテーマと思うが、同じ「座死」でも 私は「ベニスの死」の方が良く出来ていると思う。

いかんせん長すぎる。

 

 

 

83.レディー・イン・ザ・ウォーター  吉祥寺バウスシアター他上映中

「シックスセンス」のM・ナイト・シャラマン監督

「サイドウエイ」「シンデレラマン」のポール・ジアマッティー

「ヴィレッジ」のプライス・ダラス・ハワード

前知識も期待もなく、ぶらりと入ったせいかもしれないが、いい映画に遭遇した気がした。

韓国のおとぎ話がフィラデルフィアのアパートで実際に進行するという、アニメ的なファンタジー映画。

傑作「シックスセンス」も超常現象だったが、今回もそう。何か霊みたいなものを監督は信じているのだろうか。

馬鹿げていると避けてはいけない。

フィクションを借りて人間や社会を語っているのだから、方便と割り切るべし。

水の精は人類を救う為アパートに現れるが、火の鳥と違って無力。未来予知能力だけある。

だから悪魔に狙われ一度は死ぬが、治癒者(ヒーラー)の真実の告白に蘇生する。

アパートには雑多な住人がおり、勝手気ままに生きているが、彼女を救うために、皆協力し合って、目的を達成できる。

人間の本性は善であり、お互い力をあわせることで未来が開けるという、この単純な主張が、こんなことをとうの昔に忘れた観客の心を純化してくれるのだと思う。

アパート管理人の孤独と偽りの無さに共感をおぼえ、夫々の住民がなすべき役割は知らされていないが、実はその人しか出来ないものがあるという、いわば社会と個人との関係を寓話の形で示していることも、心地よい。

ダラス・ハワードは不気味でいかがかと思うが、ジアマッティーは良い。

前半脈絡なく現れる挿話が後半有機的に意味を持ってくる脚本力はさすが。無駄が無い。

管理人が蘇生させる場面はちょっと泣ける。

シャラマンの映画はやはり独特なムードを持つ。

「水の精」・・・貴方、水の中には神様が昔からいるのですよ。 大切にしないとばちが当たりますよ!

 

 

 

82.16歳の合衆国  (旧作vtr)

原題は主人公「リーランドの心の中」

監督・脚本 マシュー・ライアン・ホーク(劇中登場する少年院教官と同じ職歴を持つ新人)

少年/ライアン・コスリング 教官/ドン・チードル 父親/ケビン・スペーシー(製作者) 

16歳の優等生リーランドが罪の無い精神障害児を突然殺す。

リーランドと恋人の夫々の複雑な家族関係などを描き、又少年院の中で教官との対話を通じて、犯行の原因を探るが、結局追い詰められないというのが結論。

現代若者の心のなかを必死で探す教官の熱意が少しずつ、少年の心をあきらかにしていくが、途中で獄内殺人(被害者家族による)で死亡してしまう。

若者の心理

・何も感じないように、何時も心を閉ざしている(感じないのを確認する為自分の手を傷つけてみさえする)

・涙や祈りは無駄(いつもクール)

・怒ったことがない

・どうしても心が閉じることが出来ない時(このケースでは失恋、尊敬する年上女性の離婚)、頭がいっぱいになり一つのものしか見えなくなる

・そして生きている人の悲しみしか見えなくなり、悲しみを持つ本人以上に悲しみを感じる

・人生は @すべてに目をつぶるか A背後の悲しみをみるか どちらかと思っている

・結局ものすごく真面目で器用に生きられない

・自分の方向を変える気持ちがない

 

 

 

「殺人を犯したあの日のことだけは何故かおぼえていない。6歳の頃食べたアイスクリームの味は鮮明に憶えていても」

 

-人生は断片の総和より大きい-  と言う教訓に惹かれるがやり直す気力はない。

 

 

彼の周りの人は皆問題を持っている(悲しみと表現)。

精神障害児もケアーしてくれる女性のことが好きだが、その心を理解してくれるはずもない。彼の悲しみは深い。

 

庭に木が倒れている。自転車に乗った障害児は避けようとせず、木に一途に突進怪我をする。

視点を変えることができない。

 

彼自身もそんなところがある。リーランドは彼の悲しみを深く感じた。だから殺した?

 

頭が真空になってしまう。

 

親や兄弟のことは考えられない。

 

それが原因かどうか分からない。何故殺したのか本人が一番分からない。

 

怖いのはこんな少年はいたる所にいて、特殊なケースではないということだ。

 

 

二度vtrを観て、分かってくる部分がある映画。

 

観て考えて欲しい。

 

 

 

 

 

81.太陽  (銀座シネパトス他上映中)

終戦前後の昭和天皇を描いた。

アレクサンドル・ソクーロフ 監督

イッセー尾形、佐野史郎、桃井かおり

日本人タブーの題材をロシアの鬼才が映画化した。

海外での評判も良く、国内でもまず評価されている。でも正直、私には分からなかった。世間が間違っているのか私が間違っているのか?

-駄目理由-

 

@ 戦中戦後という昔の雰囲気をだすため、セピア色のようなくすんで、非常に暗い画面で、しかもボケ画調にしてある。

これがやりすぎで、その為よく見えない。自分の目がおかしくなったと思ったが、字幕が異様に白くクリヤーに写るのでやはり画面のせいだった

 

A セリフが少なく、すべて室内だけの画面が淡々と進むので、眠くなること必至。(盛り上がり場面がない)

 

B 天皇はアマテラス、即ち太陽神の子孫。人間ではないと戦前は教えられた。でも天皇が人間でないとは誰も信じてはいなかったのに、外人監督は日本人は皆そう思っていたと錯覚している。そのため天皇像がゆがみ、俗世間の不幸や戦争のことなどとは無関係で、ただ雲の上の、どうでもいいお飾りにすぎなかったと解釈している。これでは天皇論にならない。

 

 

-興味ある場面-

マッカーサーと食事する場面。

天皇の受け答えがまるでトンチンカンで、葉巻を飲まないと言ったあと飲みたいと言い出したり、一人で踊りだしたり、常軌を逸した普通の人ではないように描かれている。

 

これはマッカーサー回顧録で最初はキチガイだと思ったとか、子供のようだったとか書いたことが下敷きになっていると思われるがれるが、案外これが昭和天皇の実態だったのかもしれない。

 

孤立した密閉空間で育った天皇は今で言う、自閉症ぎみな精神状態になることは想像される。

 

この映画で一人で口だけパクパクさせ、声を出さないしクセ、何でも「あっ、そう」。

 

tvでお目にかかるだけだったが、どこか普通ではなかったように見えた。

 

 

-今でも判断材料たる、昭和天皇情報は殆ど無い-

だから今でも名君だとも思えるし、当事者能力にかけた単なるお飾りと見ることも可能。

 

いつもブラック・ボックス。

開かれた皇室とは今も程遠い。

 

昭和天皇が人間宣言をしても、伝統がそれを未だ許していないと言うことか。

 

-この映画の取り柄-

神を演じる、神に近い人を演じることの非人間性を、自分にあてはまめて考えると、つらいものがある。

 

天皇がとても可愛そうに思えた映画だった。

 

 

 

 

 

80.ザ・ブルー・プラネット  (旧作 vtr)

79とセットで借りた。ディープ・ブルーの続編というか、編集で捨てたフィルムから再編集した映画。殆どが捕食シーン。まあ余計な映画。

 

79.ディープ・ブルー   (旧作 vtr) 

同名のドラマがあるが、これはドキュメンタリーの方。

知られていない海に住む動物の生態をきれいな映像で撮っている。

目新しいものは実はあまり無いのだが、これだけの撮影をするとなると、ものすごい金と時間がかかるので、まずこの熱意に敬意を表したい。BBCの面目躍如である。

 

海から生命が誕生した。

人類にとっても故郷だ。

でも多くのことがまだ分かっていないらしい。

海は多くの命を育んでいるがそのエネルギーはやはり太陽からもらっている。海草が育ち、プランクトンが育ち、小魚が食べ、それを食べる魚が育ち・・・・・。

でも光線の届かない深海にも生き物がいる。何故だろう?漆黒の海底火山からでる有害硫化水素の中でも生き物はいる。何故だろう?

この映画は教育s映画ではないので説明がない。ちょっと不満だけど。

 

綺麗なイメージを重ね、重ね、海のもつ魅力や不思議をだそうとしている。

だからどうしたと言いたいが、地球が育てている生命維持のメカニズムがまだ分かっていないので、これでいいのかもしれない。

 

生命は自分も含め不思議だ。

海の動物達の生態を見るにつけ、あらためて不思議だ、不思議だと思ってしまう。

そんな映画だった。

 

 

 

 

78.時をかける少女  (新宿タイムズスクエアー他上映中)

細田守監督、筒井康隆原作 のアニメ化。

大林宣彦の尾道3部作で有名。

time leap 時を越える。

(あらすじ)

真琴は高校二年の女の子。痩せ型の活発な女の子。自転車通学である。

帰り道、急な坂道を猛スピード下っていくと踏み切りが赤。急ブレーキをかけるが故障しており電車に激突体が突宙に高く舞う。

時は午後4時。

ところが気がついたら4時前に逆戻り、死んではない。

真琴は時間を飛べる体になったのだのだ、だからまずいことが起こると過去に戻り、何回もやり直す。

千昭に告られた(若者言葉で告白される)ときも、時間を戻して避ける。

放課後、功介、千秋、真琴は毎日野球をする仲良し3人組。こんな楽しい日が永久に続くと思っていた。それを壊したくなかったから。

これが間違いだった。実は千昭は未来から来た男で又帰っていかなければならない。あの告白の時まで時間を戻そうとするが、すでに有効回数を使い果たしてしまった。

でもテントウムシがおまけの回数を運んでくれた。リープし思いを遂げる。そして、真琴は未来へ旅たつ。

(アニメとしては)

絵が下手で色も悪い。でも音楽がよく、特に奥華子さんの主題歌がきれい。

青春への甘すっぱいノスタルジーをやたら感傷的に描かなかったところも評価。

(疑問点)

脚本で現代に置き換えているのに、真琴の家だけ何故当時のままなのだろう。徹底して現代に置き換えるべき。夕日のシーンなど伝統的すぎる。もっといえば「タッチ」と「3丁目の夕日」に何処となく似てしまった。

大きなポイントであるはずの魔女おばさんが謎のまま。タイムリープの過去形であるはずで、そのため現在形の真琴の時間の持つ位置がイマイチ際立たなかったかな?

(アニメはまだまだこれから)

レンタルショップでも面積が増えている。

でもオタクと一般の中間作が少ない。本作はそのような位置づけだと思うが、ディズニーやジブリといった大手資本と違って金がかけられない。

そうすると絵が安っぽくなってしまう。アニメにしか出来ない世界は沢山あるので、もっと良いアニメに進化するため、制作の機械化等々努力の余地があろう。

われわれも日本の文化輸出を考えて、もっとアニメを観てあげなければいけないだろう。

 

 

 

 

77.Nana  (新作vtr)

 大谷健太郎監督

中島美嘉、宮崎あおい 主演

2200万部売り上げた矢沢あいの漫画の映画版

nanaという二人の若い女性がおりなす、青春恋愛ドラマ。

暗い中島と明るい宮崎。

屈折して男っぽいバンドボーカル中島とまっすぐ素直な女性的なOL宮崎、を対極で描きながら、女性同士の友情が横軸、それぞれの恋愛の苦しさが縦軸となったつくり。

ちょっとだけホロリもさせてくれる。

でも友情も恋愛感覚も意外と古典的で、使われている音楽も飛んでいるとは言えない、保守的でさえあるのが不思議なところ。

若い女性が圧倒的に支持しているらしいが、意外と純情で「何か」を夢見る姿は昔から変っていないかもしれない。

映画としては中島の演技や男優に対する厳しい意見があるが、それは漫画とのイメージのずれのせいで、どんな作り方をしても違和感は残るだろう。

tvアニメもあったし、映画も続編が製作中。とにかく若い女性の心情にフィットしているのだ。

いい悪いは二の次。たまにはこんな映画に接触してみることに意味があるのだ。

 

 

76.紙屋悦子の青春  (岩波ホール上映中)

黒木和雄 監督(遺作)

原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、小林薫、本上まなみ

鹿児島本線に乗ると熊本県最後の駅が水俣で次は鹿児島県の米ノ津、さらに次は出水である。

水俣と出水は大きな町だが、米ノ津は小さな小さな町。そこには長男夫婦と妹が仲良く、乏しい物資をやりくりしながら、つつましく生活している。

敗戦の色濃い、昭和20年3月〜4月。

庭に1本のサクラの木がある、そのつぼみ、満開、落花までの短い間、戦争がこの一家に落とす影が、淡々と語られていく。

登場人物は上記5人のみ。

長崎大学病院らしき病棟屋上で老夫婦が遠い米ノ津の青春を回想している。

夕日が赤く、その向こうには何があるあるのか、妻が問うが夫にも分からない。

西方浄土があり、そこに特攻隊に志願して死んだ身代わりの明石少尉がいるのかいないのか、そんなことを考えているようでもある。

戦後60年、この夫婦はずっと戦争をひきずって生きてきた様が、少ないゆっくりした会話のなかに、想像される。

 

この映画を理解するポイントは二つあると思う。

一つは波の音の意味である。米ノ津は海に面した町だが、紙屋家からは海岸は遠く、波の音は聞こえるはずが無い。

が、悦子は見合いの様子を兄への手紙を書いている途中と、明石の遺書を手にした時、家の中で確かに波の音を聞く。

裏山から海をぼんやり眺めているのが幸せだと思っている悦子。

砂浜に書いた文字は繰り返し寄せる波が洗い流してくれる。

波が消していくのはこのむごい戦争であるかも、又明石への想いであるかもしれない。

そして、波の音は戦争の無い平和なつぎの社会を象徴し、悦子に頑張れとエールをおくったように思える。

 

もう一つは明石が身代わりに永与を紹介するが、悦子は何故素直に受け入れたのだろうかと言う疑問である。

軍人は国のため命を捨てなければいけない。

家族や恋人は犠牲になる。それが古今東西普通の考え。

でも女性は必ずしもこれに同意しない。生活が優先すべきだと思っている。たとえ恥を忍んでも戦場から生きて帰るべきと考える。

 

一般的なラブストーリーでは恋人が少なくとも死ぬまでは純愛を貫くのが普通だが、悦子の場合そうなってないのが、逆にこの映画の主張と考えられる。

悦子は自分の明石への想いは片思いだったと思い(明石が永与を紹介したので)見合いに同意した。純愛ものではふられても見合いなどはしないだろうが、悦子は何よりも現実を優先する、前向きな女性であった。

その後、明石の悦子への深い愛を確認するが、戦争が後戻りを許さない。

愛に殉死するより、具体的に生き抜く道を選んだ悦子のような多くの日本の女性が、その後子供をつくり、日本の今日の繁栄の基礎を作った事実の重さを思うと、暗くつらい悦子の青春の決断のもつ意味は大きい。

国家のために死ぬより、生き抜く尊さを語っているように思う。

ロケもなく、戦闘場面もなく、家の中だけの会話で構成された簡素なつくり。

それでいて、余韻が長く残る。

 

サクラの木が儚く美しい。

 

 

 

 

75.THE 有頂天ホテル (新作vtr)

 

 三谷幸喜 脚本・監督

役所広司、香取慎吾、you、西田敏行、伊東四郎、松たか子、佐藤浩一、寺島進、角野卓造、篠原涼子、戸田恵子  オダギリ・ジョー、唐沢寿明、津川雅彦、生瀬勝久、石井正則、坂東直正

1.頭で考えた笑いで、しかも連続パンチ無く、散発、なのでドタバタ喜劇になってない(笑えない)。意外性はあるが、笑いの天性無しと判断。

2.人間ドラマの才能はあるかもしれない。だが、この映画は喜劇半分、ドラマ半分なので、どちらも水をさしあい、沸騰点に至らない。

 要するに、バランスの悪い映画になった。チャップリンみたいに7:3ぐらいが適当だと思うが。

 

3.豪華キャストだが喜劇仕立てが出来るのは、西田、伊東、角野、生瀬、坂東ぐらいで、あとは皆シリアス路線なので、無理をしている。金をかければいいモノが出来るわけじゃない。キャスティングミスが目立つ。

 

4.どうせ外見だけの映画を作るのなら、最後のカウントダウンパーティーも派手に作って欲しい。チープで盛り上がりなし。

 

面白さも香りも無い。退屈である。過剰宣伝の二級映画。

 

無駄の無い脚本力の技術だけ評価しよう。

 

 

 

 

74.秘密のかけら 旧作vtr

アトム・ヤンゴン 監督

ケビン・ベーコン、コリン・ファース、アリソン・ローマン 主演

二転三転する脚本が面白い犯罪サスペンス ドラマ。tutaya ミニシアター系目下best 1に並んでいます。

サスペンスなのでネタばれは避けたい

芸能人の乱れた性生活は常識なので、セックス描写は意外ではない。ご期待の向きは失望するだろう。

どんでん返しの結末は意外性あり脚本は一流。二人の男優もうまく、女性記者も悪くない キャスティングも一流。

サスペンスといっても、はらはらどきどきは無く、過去の真実を暴く筋書きで、退屈しのぎに時間軸を動かしているので、少し混乱する程度で、安心して楽しめる。おすすめ映画である。

マイナー映画にしては、題材がメジャーというのも面白い。

 

73.力道山  新作vtr

監督 ソン・ヘソン

ソル・ギョング、中谷美紀、藤竜也、萩原聖人

韓国映画だが日本語

力道山が北朝鮮出身であることは、身近な人には周知の事実だったが、一般的には知られていなかった。

彼が既に国民的ヒーローになった時、幼馴染が出身を公表するようにすすめたが「日本も朝鮮もない、俺は世界人だ」といってそのままにする。

それじゃ寂しく死ぬことになるぞとも言われたが「誰しも人間みな一人じゃないか」とつぶやく。

これが彼の人生感だったように思う。

すぐカット頭に血が上り暴力をふるう、他人に決しておもねず、信じるのは自分のみ、自己主張が強く、頑固者で、出世欲が人一倍強く、それでいて頭が良く、正義感もあり、努力家とくれば、周りから嫌われないわけがない。

敵が日々増えていく。結果被害妄想に陥り、他人がすべて信じられなくなる。

恋女房でさえ、会長でさえ。

そして、孤立無縁なヒーローとなる。

人間は色んな側面を誰しも持っているから、ひとことで片付けられない。

真面目に伝記映画を作ろうとすれば、良くは分からない人間像になって当然。この映画は史実に忠実なあまり力道山が何者かはっきりしなくなってしまった。

人種差別の映画でも、恋女房物語映画でも、完全無欠のヒーロー映画でも、ヤクザ映画でも、戦後史映画でも、心理劇でもない。

主役は役づくりのため、すごく太り、スタントなしのリングで大技をかけるなど、大変な努力をした。

「力」作で、決して悪くはないのだけど、腑に落ちない力道山ではあった。

 

 

72.郵便配達は二度ベルを鳴らす 旧作 vtr

最近古い名画が500円でDVD販売されている。既に見たものが多いが、ラナ・ターナーがコーラを演じた本作はまだだったので観た。レンタルでも390円なので本当に安い。お奨めのシリーズである(どれも買っても損はない)。

1946年ティー・ガーネット(アル中だったらしい)が監督。ジョン・ガーフィールド(フランク)、ラナ・ターナー(コーラ)主演

J・M・ケインの原作がいいので、43年にビスコンティー監督、81年にJ・ニコルソン主演 でも映画化された。

<筋書き>:コーラが欲の為、フランクと共謀してコーラの夫ニックを殺そうとするが失敗する。

でもまたぞろ欲に負け、二人でついに殺してしまう(交通事故偽装)。そこで裁判となるが敏腕弁護士により無罪。

これで完全犯罪成立かと思いきや、実際に酒ビンで頭部を殴り殺したのはフランクの役目だったため、彼がコーラが検事に密告しやしないかと疑心暗鬼となり、二人の中はうまくいかなくなる。

又次第に、コーラは罪の意識に苛まれるようになり、家(ツイン・オークスというレストラン)を出て死のうと思う。

その為フランクを海岸に誘い(見事な入り江・・・霧の為撮影が何回も延期された)、沖で死のうとするが、フランクが懸命に助け、二人は又愛を確信する。

その帰路キスをしようとしたフランクがハンドル操作を誤って対向車に激突、コーラが死亡、フランクは重症。

フランクは絶望の中、裁判で事故は事故でなく、故意殺人とされ、死刑になる。

題名の意味は、最初の殺人が神が与えた第一のベルで、人間は罪を犯すものだから、ここで懺悔すればよかったところ、そうしなかったので、

第二のベルを神が鳴らした。第二のベルは決定的な天罰だぞという脅しと解釈する。

J・ニコルソンが演じた方が残忍な悪役でスリラーとしては、迫力が勝っているが、本作の魅力はなんと言ってもこれが出世作となった、ラナ・ターナーの魅力に尽きるだろう。

本作の二人は本物の悪者ではなく、臆病な人間(普通の人間)が欲に負けて犯罪を犯すという設定になっているが、ラナ・ターナーがこの臆病な犯罪者を見事に演じて、かわいい犯罪者になっている。

一般的に犯罪者は観客に嫌われるつくりになっているが、この映画はそうではないところが面白い。

ラナ・ターナーが悪い女なんて誰も思わない、むしろかわいそうに見えてくる。

 

彼女は'46年には25歳ぐらいの若さのはずだが、既にやや脚線と腰が太い。

でもそれが強烈な魅力となって今見てもセックスアピール充分だ。

当時、代表的な肉体派女優としてハリウッドに君臨し、7度の結婚と、数々のゴシップに包まれた女優。

娘がターナーの愛人を射殺するなど、数奇な運命をおくった人のようだが、代表的な往年のピンナップ・ガールを観れるのもvtrの楽しみの一つだ。

 

71.狩人と犬・最後の旅  (銀座テアトルシネマ上映中)

冒険家でもあるらしい ニコラス・ヴァンユが監督

オーロラも見える極北で、妻や犬達と一緒に自然と一体化して暮らす、狩人の物語。

恐ろしく厳しい気象条件、野生の脅威、伐採が進み生活圏が狭められる中で、それでも自然と対話しつつ生きることの素晴らしさを、そんな感覚を忘れてしまった都会人に、問う、半ドキュメンタリー映画。

アメリカでもヒットし日本でも多くの人が詰め掛けている。惹かれる何かをもっているのだろう。

何しろ極北の自然が美しい。哀しいほど殺風景な薄暗い氷の谷、白銀の峰、結氷の湖、針葉樹の春の芽吹き、急流のカヌー下り、ムース、カリブー、グリズリー、りす、狼、狐、テン、ビーバー、・・・・。人間もその中の小さな一つの命に過ぎない。

かつて多くの人類はこんな自然の中で、暮らすノーハウや感覚を身に着けていたのだろうけど、いまはノーマンという老いた狩人がロッキー最後の人になる。犬ゾリやカヌーはレースではない。生活がかかった本物の迫力で迫ってくる。

日本では100名山ブームが続いているが、自然との接し方はまるで違うものの、あこがれる方向はこんなものなのだろう。

けなげな犬が可愛い。

 

 

70.リンダ リンダ リンダ(旧作 vtr)

山下敦弘 監督 べ・ドウナ、香椎由宇 

ウオーターボーイズやスイングガールズなど高校生活を題材にした青春映画のひとつ。

男女共学の高校。学園祭の最中で皆忙しく動き回っている。

音楽部も最終部日に演奏予定だが、メンバーの一人が怪我をしてギターがいない。そこで、リーダーがギターにまわり、ボーカルに急遽韓国留学生をいれて、連日徹夜の練習が始まる。

リーダーは個性派なので、あっちこっちで衝突するが、一つの目的に向け仲間が進むことにより、個別勝手気ままな生徒の心が次第に、結びついていくという、いわばありきたりなテーマの話。

この映画は青春を美化したりしない、ドキュメンタリータッチで、生徒の目を借りて撮影しているところが面白い。

高校生が作った映画みたいな新鮮さがあるが、中盤までのテンポがのろく迫力不足。

今時高校は荒れており、皆自分勝手で、そこで生き抜くのは決して楽ではないらしい。

でも、何か目的をひとつにすれば仲間意識が芽生え、楽しくなる、ということを韓国人が教えてくれているみたいだ。

B級上。

香椎由宇だけが高校生にしてはませた感じで違和感が残るが、美男美女がいないのが良い。

 

69.大停電の夜に (準新作 vtr)

源 孝志 監督

相沢友子脚本(監督と共同)

豊川悦司、田口トモロヲ、吉川晃司、宇津井健、井川遥、寺島しのぶ

 大昔、ハリウッド映画で「ニューヨークの大停電」というのがあった。

68の交渉人もそうだが、ハリウッドの二番煎じ(題名や発想だけだが)が続くと、日本映画の軽薄さが鼻に付き、独自の日本映画文化は何処に行ったかと、つくづくがっかりしてしまう。

韓国映画はこの手が多いので、好きになれないが、ついに日本までかと思う。

今週私はどんな映画が一般的に支持されているかを知るために、上半期tutaya邦画ベストテンを集中的に観ている。

才能あるスタッフも大衆が求めている傾向に引っ張られるので、その国の映画のレベルは結局その国の観客のレベルに収斂する。

この映画もベストテン入りしているので、まだまだこんなものかと観る前からがっかりだ。

観始めたらやはり、何と出だしが英語ではないか。そのうちバーが出てくるがこれが、NYのブルックリンあたりの(ウエストサイド・ストーリーにでてきたレンガアパート)雰囲気の路地で、x'mas Eve という設定。

全てがアメリカかぶれで気に食わない。ジャズバーに流れているのは、ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」のmy foolish heart。

名曲だが、当たり前すぎる定番を良く使うなと言う感じ。

恥ずかしくなる。もはや、真似する価値のないハリウッドを何故再現しようとするのか、理解に苦しむ。

まあいい。目をつぶって最後まで見よう。

・・・・・良いところを探さねば。

停電の夜に色々なカップルが夫々の貴重な体験をするという、群集劇、いやオムニバス形式かと思っていたが、それを見事につなげてひとつのテーマにしていく脚本は良く出来ている。(一部未修復な面は残ったが)

中身は生き別れの親子の再会や、現状肯定など意外と日本的なものなので、NYというぬいぐるみを着せることもないのと思ってしまう。

相沢さんという脚本家らしいがこのひとはこれから活躍するかも。

出来も内容もまあまあの映画なのだろうが、外見的なオリジナル性に欠けるということで、おしい。役者さんご苦労さん。

 

 

 

68.交渉人 真下正義 (準新作 vtr)

「踊る大捜査線」の 本広克行 監督

ユースケ・サンタマリア、寺島進 主演

tutaya1〜6月 貸し出し数ベスト1ということでした。 

非常に面白く、飽きさせない映画。

でも二級品の域は出ていない。

大きな理由はシナリオに無理がありすぎること。007はじめサスペンスものはもともと荒唐無稽なものだけど、この映画は初めからそのつもりで観ているわけではないので、嘘っぽい話が気になる。

東京の地下鉄には無数の引込み線があるまでは嘘でも許せるが、試作車がA線からB線にさらにC線に、車側の意思だけで自由に行けるなどというのは、ポイント切り替えを走行中に車から操作可能にしない限り無理。

ポイント切り替えは運転手はできず、走行制御室が行うので、ここを電波ジャックして不通にしない限り不可能なはずだが、衝突回避のため乗客をのせた電車を、制御室の指示で引込み線につぎつぎ誘導しているので、制御室の機能は正常だと言うことになり、おかしい。

第一、携帯電話の電波が無人の引込み線にまで届くとは考えられない。

コンサート・ホール爆薬捜査も見つけやすい駐車場だけ行わないのも、イマイチ不自然。

シンバルを使うのもヒッチコックの真似っぽい。

ユースケ・サンタマリアの力が抜けた演技は良いが、寺島進に負けた。

主役はもっとカット数を増やしてやらないと、主演男優賞は貰えないだろう(中途半端)。

でも、けちをつけ始めたらきりがないものも、面白い息詰まるテンポで、楽しめる映画である。おしかったなあ。

 

 

 

67.電車男  (旧作 vtr)

村上正典 監督 山田孝之、中谷美紀 主演

パソコンでしかコミュニュケーションしないオタクの青年が電車の中で会った女性を恋してしまう。苦しみもがく電車男をメル友達が励まし、見事恋は成就する。応援していたメル友達もこれに勇気を貰い、バーチャルな世界を飛び出し、新たな一歩をそれぞれ踏み出す。痛快純愛ラブストーリー。

秋葉が一番好きな街と感じている人たちがいる。パソコンやゲームやアニメやオーディオに憑かれた人たちで、他人との接触の少ない、いわゆるオタクと呼ばれる若者も少なくない。服装にもあまり気を配らないので、秋葉服と呼ばれるダサいモノを身にまとい、デイパックを肩にスニーカーを履いている。「アニヲタ、ゲーオク、秋葉チャソ」と自己紹介している。

アニメ、ゲームのオタクで秋葉原を何時もぶらぶらしている、と言う意味か?

他人と接触するのが苦手なだけで、超真面目で本当はかわいい奴らなのだ。

こんな青年が恋をしてしまう苦しみが胸が痛くなるほど伝わってきて、それを応援していくチャット仲間の友情(見ず知らずの友)も感動もの。

砂漠のような大都会で他人とのつながりをか細いパソコンでしか確保できない現実も問題だが、これを理解してあげるのも大人の責任だろう。

オタク諸君、彼女のいない歴長い人、この映画でも観て、頑張れ!

それにしても、中谷美紀さんの清楚さが光る名演技。

tvより映画の方が良いという声が多い。

単純に楽しめる佳作。

 

 

 

66.小間使いの日記 (旧作 vtr)

 

 1963年ルイス・ビュニュエル監督 ジャンヌ・モロー主演 

モノクロトーンが美しい映画。フランス田舎のブルジョワ邸宅の豪華な部屋や調度品、庭、馬車の時代の優雅な古きよき時代。でも使用人にとっては悪き時代。単なる階級闘争、保守、革新、愛国、反ユダヤ、フランス国内に渦巻く社会批判だけの映画ではない。女性を描いた映画でもある。正義を貫く為、色気を平気で利用したり、かと思うとちゃっかり隣の金持ちの老人と結婚し、ブルジョワ階級にのぼる策略家の小間使い。やっぱりブニュエルおじさんもこの私も女性が良く分からないのよ。ジャンヌ・モローはあまり色っぽくないからイマイチ?

 

 

65.ブルジョワジーの秘かな愉しみ(旧作 vtr)

1972年ルイス・ブニュエル 監督 フェルディナンド・レイ 主演

ブルジョワジーという言葉が死語になって久しい。s.47年といえば日本でも階級闘争がまだ真面目に考えられていた時代。贅沢な食べ物はブルジョワだけのものだった。パリに住む南米の大使(麻薬売人でもある)は食道楽であちこちのおよばれに顔を出してご馳走にありついている。が、この映画では食べられるはずの機会がことごとく逃げていく。友人の奥さんとの情事もベッドに入ろうとするとき、旦那が現れるなど、一貫して欲望を満たせない話が続く。

こんな状況の進展の間に「夢」や「怪奇話」が頻繁に登場する、これが面白い。そして、最初と中間と最後に畑の中の長い一本道を主役6人が歩いている場面が出てくる。「夢」の3部作と自身言っているらしいが、夢と現実の境目が低くどちらが本当なのか、混乱する。

現実は、脈絡もなく、倫理観も意味も、感動もなく、ただ淡々と時間が過ぎていくだけ。単調な一本の道がそれを象徴しているのではないか。面白いのは夢やお話の中だけ。ブニュエルの映画は感動はないが洒落て面白い。観ようによっては実存主義的で否定の精神から出発しているので、観念的なものに惹かれる若者に当時支持されたのだろう。若干乾いたタッチである。

 

64.マルコビッチの穴   (旧作vtr)

スパイク・ジョーンズ 監督

チャーリー・カウフマン 原作

ジョン・キューザック、キャメロン・ディアス、ジョン・マルコビッチ

 ファーストシーンで度肝を抜かれない人はいないだろう。

 

穴のあるオフィスは7・1/2階にある。

 

7階と8階の途中でエレベーターの非常ボタンを押して停止させ、大きなレンチでドアをこじ開ける。

天井の高さは1.6m。皆しゃがんで歩く。

 

これでいっぺんに非日常の世界に引きずり込まれる。

スパイク・ジョーンズ(ビデオ・クリップ制作で有名。映画は本作が第1作)の奇抜さは尋常ではない。

 

奇抜なアイデアが次々出るが、良く考えると意外と古典的なテーマを追っている。

変身願望、自分探し、精神と肉体の分離、等々。

 

魂が他人に乗り移る話は昔からよくある。

マルコビッチの穴はその穴に入れば15分間だけ、マルコビッチという俳優の体に入れる異次元への通路。

 

違う体になると、世間は自分をどう見るのだろう。角度を変えた自分探しの旅である。

 

マルコビッチがマルコビッチの体に入る場面がある。

自分の潜在意識をみて、異様性にびっくりする。

この場面はすごい。(ひとりで何十役を演じる)

 

他人の肉体を借りて、何十年も生きる、夢物語なのか。

もしかして、思想なんてものもそんな命の一種かも。

 

キューザックは恋する女性の子供の体に入ってしまった。

子供の目は母親を恋いする目となる。

マザースコンプレックス?

 

形而上学的な見方をしがちだが、意外と自分探しという古典的テーマを新しい感覚で表現した、単純な映画と考える。

 

アラン・レネの「去年マリエンバードで」より、数段分かりやすく面白い。

 

でも、どちらが忘れないかと言えば、断然アラン・レネ。

 

でも、近年の傑作の一つだろう。

 

 

 

 


 

63.ゲド戦記

宮崎駿 監督 の息子 吾郎 氏が初監督した。

偉大な父親を持った子供は比較されるからつらい。

原作は指輪物語、ナルニア国物語とともに三大童話と呼ばれているら しく、熱烈なフアンもおり、その人たちからみれば、本作はゲド戦記ではないと怒っている。

私は読んだことも無いので、映画としてだけの目で評価したい。

世の中がおかしくなった原因である、崩れた均衡の原因を求めて、ハイタカ(ゲド)は旅にでた。

 

この映画は、その旅の途中での一つのエピソードの一つと割り切りたい。

 

均衡が崩れたのは魔女のせいで、だからこれを倒してハッピーエンド と出だしから最後まで一貫性があれば分かりやすいが、魔女が成敗される訳は永遠の命を得ようとしたためとなっているから、均衡がすっとび、ついでにハイタカの存在もすっ飛んで、よく分からない筋書きになっているから。

 

 

すべてを忘れ、題名を「アレンとテルー」と仮にしてみよう。

 

この映画は世情をうつした青少年問題を扱っていると思う。

 

アレンは加害者。突然切れて、訳もなく父を殺す。心の闇におびえびくびくしながら生きている。

テルーは被害者。親に暴行されて顔に傷があり、人間不信に陥っている。

 

青少年に命の大切さ、そして暗く不安ばかりを見ないで、明るい面を見て生きてみなさいと語りかけている。

 

アレンの孤独で不安な感情がテルーによって次第に浄化され、贖罪の帰郷への旅となるいわば再生劇は、確かに何らかのメッセージを青少年に与えるものと思う。

 

青少年に限らず人間は孤独なものである。この寂寥感を今話題の 手嶋葵さんの「テルーの歌」が見事に歌い上げている。

 

私はこのうたで図らずも、ホロッとしてしまった。

 

音響と歌は親父さんよりいいかも。

 

ただし、作画でアレンが泣く場面は幼稚園のお絵かきレベル。お金をかけない手抜き方針はいいが、一考を。

 

ついでにもうひとつ、親父さんの千と千尋もそうだったが、何処かの観光地みたいなところがでてくるのはオリジナル性に欠けると思う。

 

この映画では、フォンテンブローの回廊、ギリシャのパルテノン神殿などパクリっぽい場面があり、感心しない。

 

映画のテンポだが、中だるみで眠くなる。

 

後半の追い込みはいいだけに、もっとリズミカルに願いたい。

 

泣かせどころも分かっており、皆が言うほど駄目な監督ではないと思うけどなあ。

 

 

 


 

 

62.空中庭園 (新作vtr)

 

 

この映画が完成したころ、シャブで監督が逮捕されました。公開の是非が云々されましたが、出来が良かったので封切られたところ、大ヒットでロングラン上映されたいわくつきの作品です。

この映画は原作の力によるところが大きいですが、映画としても独創的な世界をつくりだすことに成功しています。

まずサスペンスドラマを見ているような緊迫感のある展開方法とテンポで飽きさせないし、主人公である小泉今日子の頭に浮かんだイメージを物語の続きとして撮影しているので、異常にリアルな迫力をもっている。(フォークで会話中の相手の頭をぐしゃぐしゃに突き刺すとか、血の雨の中で絶叫するとかは実際には起こらないイメージの中だけの出来事なのだが、彼女の内面を理解する上で決定的な効果をもつ)

あるニュータウンが舞台なのだがこのロケ選定も、多分大阪千里あたりかと思うが、この乾いた近未来都市が家族でさえ殺伐とした現代社会の人間関係を象徴して、ぴったり嵌っている。

 

角田光代さん(蛇足ながら昨年直木賞、旦那は今年芥川賞でダブル授賞夫婦で有名になった)のテーマは二つあると思う。

 

@ 人間は裸の自分と演じている自分の二面性を持っている。空中庭園の家庭は家族間で秘密をもたいことを旨としている。それは家庭的には恵まれなかった自分の生い立ちの反動で、理想的な家庭を作ろうと計画されたものだった。でも実態は娘は学校に行くふりをして、遊んでいるし、夫はセックス・フレンド(セフレと言うらしい)もいるし、息子の家庭教師と関係も持っている。息子は何を考えているか分からず万引きで捕まったりしている。かという本人も昔引きこもり症だったことは内緒にしている。

 

でもマンションの中では仲の良い理想的な家族を演じているのだ。家族は崩壊しているが、でも最後の砦は結局家族しかない。傷つきながら演ずるうちにも愛情が見つけるられるものだ。 元ヤクザ風の実母がいう「秘密は墓場までもっていくものだよ」

 

嘘の無い家庭は空中庭園。夢は覚めるもの。

 

A 人は思い込みが強いと、本当の事が見えなくなる(息子の言葉)。小泉今日子は実母大楠道代(この二人の演技はすごい)がこの子を生むのではなかったと先生の前で語っているのを耳にしてから、何一つ母親らしいことをしてくれなかった冷たい母と思い込んでいたが、実はそうではなかったことが後で兄から聞かされる。母と娘の葛藤の中でお互いどんなに傷つけ合ったことか。これがもうひとつのテーマである。

 

家庭崩壊が叫ばれて久しい。日本国中探しても理想的な家族はいないかもしれない。でも、絆は細いながら繋がっており、それが再出発の手がかりになることもある。そう捨てたものじゃないぜという気もする。皆さんは如何に。

 

 

 


 

 

20.キルトに綴る愛

<朝、夕の風景が美しい> 1995 年 米国

 

 ジョスリン・ムーアハウス監督、主演ウイノナ・ライダー、アン・バンクロフト、ジーンシモンズ

 

人生の荒波をくぐったおばあちゃん達がたむろして、キルトを作っている。美しい田舎のコテージで。

 

まずこのカメラがソフトタッチで美しい。

 

そしてそれぞれの恋愛経験が語られるが、男に泣かされなかった女性は誰もいない。

 

でも、自分の人生をあるがままに受け入れて、かつて対立関係にあった女性同士も一緒にキルトを綴っている。

 

この老人達の達観と、これかから結婚しようとする若い女性の結婚に対するためらいの対比が陰影を作っている。

 

事件らしいものもなく、たんたんとした映画だが、何となくほっとして、しみじみとした気持ちになれるのは、「運命に身をゆだねる」しかない諦観が基調にあるからなのだろう。

 

丹念に一筆一筆絵筆を重ねた点描画のようなタッチの映画。

 

ゆっくりとしたテンポもいい。

 

「カラスに導かれた人生」。

 

人生てそんなものではないか。

 

 

 

 

 

 

19.単騎千里を走る

<千里走れなかった>

 

 画像はyahoo 映画欄より転載

 

晩年の健さんが好きで見に行きましたが、期待はずれだった。

 

健さんと息子の葛藤は世の父親であれば、誰しも理解できる。

 

これに的を絞れば映画としてすっきりするのに、中国の父息子を並列に置くので、粗っぽい筋だてになってしまった。

 

健さんは息子が成人したあと捨てた。中国の父親は幼児の時捨てて親の顔さえ知らない。

 

両息子は父親に捨てられたということだけが、共通項だが、息子の心情は違いすぎる。

 

険悪化してきた日中関係を改善しようと、相互理解を目的とした為のつぎはぎが失敗。

 

雲南省の秘境、少数民族が住んでいるところなので、親切なのは想像できる。

 

でも、上海あたりではこんなに日本人に親切では無いと思う。だから、政治映画としてみてもいまいちだ。

 

秘境観光映画としてのサービスも足りない。

 

残念。

 


 

 

18.フレンチなしあわせのみつけ方

 <これは悲劇としてみることができる>

 

原題は「野郎どもは結婚して子供を作る」と約せるが。まず日本版題名を忘れて見よう。

 

この映画はいろいろな夫婦のありようをサンプルとして提示、幸せそうなカップルは少ないよ(隣部屋の住人だけ)、結婚はまーまー問題を含んでいるのが普通なのよ。

子供がいるじゃない、離婚せずにやろーぜ。

みたいな基調と思う(フランスはじめ先進国の離婚率は上がる一方)。

 

ところで、この映画は二つのだまし映像がある。

 

一つは冒頭の場面、バーでナンパする男とされた女は、実はそう設定ではなく、既に夫婦であったことが後でわかる。

 

二つめは子供をバスで学校に送った後、不動産屋としてかつて自分の住んでいたマンションを案内する場面。

 

あれは田舎に引越した後の話で、後半にもってこなければいけないところをあえて前にもってきている。だから前後の関係が良く分らなくなる。

 

 

この映画は意味の無い場面のように見えても、それがあとの伏線になっている(当然だが)。

例えば場面を通行人として妊婦が横切る、これが実は仲間である独身貴族の女でその後結婚する羽目に陥るとか。

 

そこでこれからは私の深読みで、一般的ではないと思うけど、推測してみよう。

 

上記二の場面だが、子供が好きだった兵隊人形が床に残されていた。それから幸せだった家庭の回想場面があり、顧客の声ではっと我に返る。ちょっと前のカフェで泣き、この場面でも泣いている。

 

 

これは家庭を捨てる覚悟をした、女の涙と理解しないで、何の涙と理解すればよいのだろう。

 

ものを見て涙するのは、ものを使う人が存在しなくなった時だろう。うちに帰ればこどもが待っている母親がその使っていた兵隊人形を見て泣くわけが無い。

 

従って、この夫婦はりこの先離婚したのだと思う。

 

シャールロットは子供を置いて、ジョニー・デップの元に走ったということだ。

 

大分前の場面で、夫の質問に女は肉体だけの関係ではすまないのよという妻の台詞もあった。

 

又、偶然二度もジョニーが登場する意味はそうとしか考えられない。

 

いろいろなカップルが登場し、いろいろあっても夫婦は夫婦となだめていながら、監督は皮肉にも自分で自分を裏切ってしまった。

 

画面では、イタリアンレストランでの携帯電話の使い方がしゃれており、又林の中の家を下見する場面などポエティックで好きだ。

 

アタルという人はもしかして、一皮むけて良くなるかもしれない(もっとパワーが欲しいが)。

 


 

 

 

 

 

 

 17.マザー・テレサ

<私は神の鉛筆である>

 

葬儀はインド国葬だった人。

国家元首以外でしかも外国人(アルバニア人、帰化はしているが)の国葬は珍しい。

 

ノーベル賞も与えられ、バチカンからも列福された(聖者の前段階である「福者」の称号)。

日本にも3度来日し、幅広い崇拝者がいる。

 

20c最も偉大な女性といってもいいだろう。

オリビア・ハッセーが熱演しているが、誰がやっても荷が重い役。

 

カルカッタのスラム街に足を踏み入れた観光客はまずいないだろう。

ましてそこに住み、路上でまさに死を迎えんとしている最下層のライ患者や伝染病患者の手をとり、看取ってやる女性がいたということが、既に奇跡に近い。

 

餓死寸前の人、捨てられた病人、孤児など、社会のドン底で暮らす人にも尊厳があり、神の手は差し伸べられるべきだという信念のもと、神の手先として、あらゆる困難にもひるまなかった。

 

信ずるものは強い。一向宗徒もそうだった。祈りが大事だとテレサも言っている。親鸞も同じことをいっている。

 

映画のいい悪いをいうより、神と人間の関係を教えてくれる機会だろう。

 


 

 

16.桜桃の味

<キアロスタミの自殺願望>

 

必ずしも映画館でなくても、vtrで楽しめるものもある。

 

映画もタイプがいろいろあるが、キアロスタミの映画は、俳句のように無駄を削ぎ落としているため、分りにくい。

 

あとで、あーでもないこーでもない、と無い頭を使ってしまう。

 

これが楽しい。そんな映画もあるのです。

 

一晩寝て、最後の場面を次のように理解します。

 

 

撮影現場にいた監督は彼自身で、穴からはいでた主人公も彼自身ではないか。

 

自分から自分へ火のついたタバコを渡す。

 

使っていた車は死に切れなくて、又死に場所を求めて荒地を再発進する。迷える自分。

 

トルコの老人の言葉で一度は「生」に目覚めたが、それでめでたしめでたしでは無かったのだ。

 

要するに、映画監督としてのキアロスタミにはもうひとりの「死に急ぐ自分」が背後霊のようにくっついていて、それとの会話が

 

この映画ではないか。

 

芸術家には鬱の人が多い。

 

この人の映画全編に流れる寂しさ、孤独感に惹かれるのは私だけでは無いだろう。

 

桜桃忌は太宰、太宰は自殺、自殺は「桜桃の味」のテーマ。偶然でしょうか。原題も同じ。

 


 

 

15.忘れえぬ想い

<地味だけどあとでしみじみ、いい映画>

主演のセシリア・チャン (yahoo cinemaより転載)

 

香港映画

イー・トンシン監督

セシリア・チャン、ラウ・チンワン。

 

泣けるラブストーリーというふれこみだったが、それを目的とした安易な映画ではない(そんなに泣けない)。

婚約者が急死し、その想いに日々引きずられる彼女。一方、バクチに愛想をつかされ出て行った妻と子供を想い続ける男。

それぞれ電話の留守録を時々聞きながら、想いに耽る。この二人がこの留守録を消去するまでの過程を辿った映画。

 

女性の自立が叫ばれて久しいが、女手ひとつで他人の子を育てると言う困難な道を選んだ主人公は、立派だ。

気丈でなければ女性でミニバスの流し運転手なんか出来ない。この気の強い女性をチャンが好演している。

一緒に見に行った友人は、それがためカワユク無いと言っていたほど。

 

一方、男性も単にやさしいだけの男ではなく、仕事の手ほどきをしてやったり、ヤクザと話をつけてやったり、子供の愛し方のツボを心得ていたり、要するに実力のある男なのだ。

 

あえて「女の自立、男の甲斐性」を描くことにより、単なるラブストーリーに終わず、生活感、力強さを持つた映画になっている。


 

 

14.ウオーク・ザ・ライン

<いきいきとした実に楽しいコンサート・シーン>

左ゴールデングローブ賞で男優賞をとったホアキン・フェニックス(yahoo cinema より転載)

上記他リース・ウイザースプーンが女優賞。作品賞ももらったので3冠に輝いた映画。

 

昨年シンガーの伝記映画が2本ヒットした。レイ・チャールスの「レイ」、ボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」。

 

今回は3匹目のどじょうジョニー・キャッシュの「ウオーク・ザ・ライン」。一番知名度が低い歌手だが映画の内容は一番。

I  walk the line まっすぐ歩くという、キャッシュの代表曲が映画の題名になっている。

 

男兄弟で兄貴を愛した父、嫌われた弟という図式は「エデンの東」を思い出すし、麻薬におぼれて堕ちていくのは、前述「レイ」に似ている。

 

ジョニーという人物はいつも黒い服を着たギャングスターでデビュー曲が「人が死ぬところを見たくて人を殺した、今は監獄」みたいなアウトローだったらしいが、敬虔なクリスチャンだったり、ベトナム反戦運動や偏見や差別と戦う正義感を持ったまともな面も持っていた面白い人物だったらしい。

 

とこらが、この映画は全部カット、ひとりの女をひたすら追いかけるもなかなか成功しない、気の弱い麻薬中毒患者姿を丹念に追っている。

 

いろいろあっても、最後は彼女を射止め、麻薬とも手を切り、幸せな家庭人とミュージシャンを両立させるという、ハリウッド映画らしいハッピーな結末。この単純な方程式が好感をよぶのだろうか。

 

この映画のよさはまず、音楽シーンがすばらしいことだろう。

 

これが無ければ映画になってない。

 

そのシーンは殆ど、舞台側から撮られている。

 

だから観客の興奮と対峙でき、思わず首を振り振り、足を鳴らしたくなり、ついでに手拍子でもつい叩きたくなるほど、臨場感がある。それも長々とは決してやらないので、映画のテンポもスムーズに進む。

 

それに、ホアキンとウイザースプーンの演技も確かに一見に値する。

 

音響効果抜群の都内No.1劇場 新宿高島屋タイムズスクエアーにて上映。こんな映画はtutayaじゃ駄目。

 

 


 

13.jesus 奇跡の生涯

<イエスの生涯を知る教材>

 

2004年の「パッション」と比べ話題性が無い為か、劇場公開されず暮れにDVDのみ発売された。

 

監督ロジャー・ヤング、主演ジェレミー・ミストという馴染みの無い布陣だが、マリアはジャクリーヌ・ビセットが相変わらず知的な美しさで印象的だ。

 

後世へタイムスリップさせ、十字軍や魔女狩りでjesusの名の下に殺戮が行われことや、近代に戦争が絶えない現実を映像化し、jesusがわが身を神に犠牲として捧げても意味が無かったのだ、という誰でも疑問に思っていることをサタンがjesusに見せているところなど、信者以外も意識したつくりには新鮮味がある。

 

しかしその答えは、神の意思だからそうするのだ、ということで、納得性が薄い結論になっている。

 

要するに、信ずるものは救われる。救われないのは信心が足りないお前達がわるいのだ。

神は人間に幸せにも不幸にもなれる、自由を与えているのだ。と言うことらしい。

 

神学論は難しく軽軽には論じられないけど、世界が矛盾に満ち溢れている今日、こんな映画でも見てjesusの生きた時代も過酷だったこと、又jesus自身の磔刑の苦しみと悲しみを思い浮かべるのも無駄ではないかも知れない。

 

ただ登場するサタンがマフィアのような風貌で映画全体の品位を下げているのは残念。 

 

それにしても、これが今年見た13番目の作品だったことは不思議だ。

 


 

 

12.黒い罠(Touch of evil)

<今見ても新鮮なサスペンス カメラが最高>

 

1957年作だから、何と約50年前の映画。オーソンウエルズ監督の名画。

 

たまにはこんな映画を見て、映画全盛時代のレベルの高さを再認識するのも良いのでは。

 

黒白で全編にわたり暗い画面。だから光が生きている。レンブラントの絵のよう。

 

冒頭のシーンは印象的だ。ワンカットが長く、しかも群集を分けながら進む車を、長い距離カメラが追かける。

 

すべて速いテンポだから、見る側は息つく暇さえない。

 

サスペンスはこの冒頭シーンが大きな難所だ。

 

この映画の素晴らしさはこのカットに集約されている。

 

運命を予見させるようなデートリッヒの暗い眼差しもいい。

 

又、ジャネット・リーも当時のハリウッド女優の条件だった細い胴、長い足、豊かな胸をもち、タイトな服が良く似合っている。

 

現代の女優さんは比較的庶民に近いところにきているが、当時のハリウッド女優と言うのは、高嶺の花の典型で、美人中の美人というイメージがしたなあ。

 

今や全米ライフル協会会長でマイケル・ムーアにこけにされた、チャールトン・ヘストンの若き日も背が高くスリムでなかなかセクシーな魅力をもっていたことが分る。

 

警察の内部腐敗を映画にするのは、現在日常的になっているが、本作は時代を先取りした作品。

 

 


 

 

11.クラッシュ

 <アメリカが内部に抱える深刻な問題の総棚卸>

 

 

この映画は、アメリカ社会の今日的問題をあるがままに、正直に、あらかたぶちまける。

 

人種差別だけを視点にしているのではない。

 

マイノリティー逆差別問題、治安の悪さ、犯罪、英語の話せない移民のコミュニケーション問題、警察の腐敗と暴力、貧困な医療と医療保険問題、銃問題、過敏性ストレス症候群、人身売買、麻薬問題、介護と独居老人問題などがオムニバス形式、群集劇スタイルで語られる。天使のくだりなどのように、脚本がしゃれているので、散漫に陥らないで展開されるのはさすがだ。

 

米国人でさえも外国に恥じをさらすようで、この映画を好きではないだろう。

 

当然有色人はこの映画を見て、こんな社会には住みたくないと思う人も多いだろう。

 

黒人だけでなく、映画に登場する(台詞だけを含む)韓国人、中国人、ベトナム、カンボジア、ヒスパニック、イラン人、アラブ人に対する一部かもしれないが白人の蔑視は強烈だ。

 

これらの人たちはこの映画を見て気を悪くするに違いない。

 

幸い日本人は登場しないので、蔑みを感じなくてすむが、程度の差はあるだろうが、韓国あたりと同類項なのだろう。(飛躍するが、もし、日本に核弾頭が落ちても米国は黄色人種のためには、反撃してくれないのではないか。自国の利害と一致しない限りは・・・と思えてさえくる)

 

このアメリカ社会の今日的諸問題は、人と人の衝突という事件を日々生んでいる訳だが、この衝突(クラッシュ)があってこそ、人間同士の理解への道が開ける、というのがポール・ハギスの主張になっている。

 

これは常識の逆の発想で面白いが、その為に無駄に命を落としていく人も多いわけだし、素直に、はいそうですねと同意はできない。が、一面の真理はついているものと思う。

 

いずれにせよ、問題の根は深く、解決はどれも困難を極め、アメリカの力を内部から崩す可能性があるだけに、クラッシュは決して無駄ではないと、尚希望を捨てないハギスの前向きな姿勢には好感がもてた。

 

興行的成功を第一とする、ハリウッド映画にしては、まれな映画ではないか。

 


 

10.仰げば尊し

 <教育者の真髄を理解し合った父と子が涙をさそう>

 

題名とか、テリー伊藤がでているとかで、かなりシニカルな映画だろうと想像していたが、正当派の映画だった。

 

しかも、素晴らしい出来である。最近のカメラは引きが少なく、アップが多過ぎると言われているが、やはりアップは迫力がある。

 

それに、この映画はローアングルを多用している、私の好みに合っているのだ。

 

でも映像はどちらかというと、ウェットではなくドライな色調であるのが又良い。そうこの映画はあの「トニー滝谷」を作った市川準監督なのだ。

 

人の死のもつ意味を探していた少年と先生が最後に行き着いた結論。

 

多くの観客が最後になって、我慢しきれず涙する。

 

介護、家族、教育という今日的問題を大げさに捉えるのではなく、日常的な普通のこととして自然に描いた態度にも好感。

 

自信をもってお薦めする。2/17まで新宿南口k’cinema。

 


 

9.カミュなんて知らない

 <目新しさはあるが、統一感が無い>

 

私がもっとも好きな映画の一つに、ビスコンティーの「ベニスに死す」がある。有名なラストシーン、マーラーのsym.5番4楽章アダージョが流れ、ダークボガード(アッシェンバッハ役)の顔に溶け出した髪染めの黒い筋がすーと流れ落ちる。柳町監督も好きらしく、少し変えてこの映画で再現している。音楽も同じだ。

 

そういえば初老の教授を演じた本田博太郎はダークボガードに似ているなぁ。この映画はビスコンティーに対するオマージュなのだろうが、ややパロディーに近い感じの仕上がり。トリフォーの「アデルの恋」のアデルは吉川ひなこがぴったり。こんなのにつきまとわれると怖い怖い。

 

この映画は監督の映画青春時代への懐古が根底にありながら、現代の若者の多様な性格、生き方を追っていくという、二重構造になっている。でも新旧の融合は難しく教授の存在が既に陳腐なのに、それでも学生に尊敬されている設定に無理を感じる。

登場する学生が古い映画にやたら詳しく、列挙しながら走る場面あるけど、これは監督の青春時代のものであって、今の学生は映画を目指す人でも、古きよき時代の映画はこんなに見ないのではないか? 見ておれば尊敬されても納得できるが。どうだろうか。

 

 見ず知らずの老人を惨殺した高校生の実話が劇中劇になっている。

「未経験のことをやってみたかった」というのがその殺人動機。これが異邦人を連想し、題名になっていると思うが、力の入った最後の15分、劇中劇のこの虚構が何の説明になっているのかよく理解できない。

 

少し心を病んだ学生や、変わり者、奔放な人間や、いろいろな人物が登場し、男女関係、映画制作の面白さや、懐古趣味、いろいろな要素が投げ込まれているだけで、整理されていないので、結局何が言いたいの? と言う感じだ。

 

ちょっと斬新な感じがするので、これを好きな人はいると思うが、理解できる人はあまり、いないのではないだろうか。

 


 

8.ミュンヘン

<イスラエル国民に対する歯止めに多少は役立っているのでは>

 

一般公開初日、初回上映で見ました。

ワンショト、ワンショトごとにきっちり撮られており、全体としても格調が維持された、まともな良い映画。

 

シンドラーのリストは戦後の映画なのでナチの大悪党ぶりを遠慮なく描けて、それからの脱出劇が感動ものになった。

しかし、パレスチナ問題はまだ、進行形で、善人、悪人の図式では描けない。スピルバーグの目は公平に見ているつもりでも、かなりユダヤ人側だ。だからどんな映画をつくろうともパレスティナ人を説得できない。そんなことを、彼自身が知っていて、彼に出来ることはイスラエル側を懐柔することだけということなのだろう。

 

モサド(イスラエル秘密情報機関)の「目には目を」の武闘路線を批判しているのだが、これは見ようによっては、モサドは必ず仕返しするから、テロはやめろという国家戦略の片棒を担いでいるとも見れる危険な側面も持つ。体制内改革の限界ではある。

 

それにしても、実話というから、CIAとブラック・セプテンバーの癒着、双方に情報を流して金を稼ぐ情報屋などなど、劇映画と間違うような世界の現実に平和ボケ日本人は驚かされる。

 

広く中東の不安定の根っこには、パレスティナとイスラエルの紛争がある。この重要問題を座視しなかっただけでも、スピルバーグは偉い。ただ、あまり宣伝どおりの感動はなかったなあ。7.と続いたので、感性が駄目になったのかも。

 


 

 

7.白バラの祈り

<いびき4人、すすり泣き3人、貴方はどっち>       

 

 タイトルは私の耳に聞こえた範囲で、劇場全体ではありませんが、評価が分かれていました。

この映画は物語として見ると間違いなく失望する。ドキュメンタリーとしても、「想定内」で驚きはない。

でももう一度ナチスのこと総括してみようよという問いかけは、右傾化の顕著なドイツの若者に対して大きな意味を持つのではないか。

 

それはさておき、私は若い頃から感激屋で映画館で、今でもよく泣く。でもこの映画はなぜか不思議に泣けなかった。

その理由を考えてみるに、二つのことに思い当たる。

 

1.物語には起承転結が必要だが、この映画は転からはじまるので、主人公そのものがどんな人なのか、ヒットラー政権の末期はどんなだったのか、の説明が省かれているので、見る側の感情移入が難しい。

長い取調べの場面も、最初は敵を欺く為の芝居(言いのがれ)なので、主人公の人間説明になってない。

したがって、抵抗の強い意志もどこからくるのかがいまいち伝わってこない。

 

2.それに、戦前の日本では憲兵による「危険思想」根絶やしが徹底的に行われ、多くの運動家や思想家が激しい拷問にさらされた。

あるものは耐え切れず転向し、多くの心ある人が獄死した。こんな悲惨な状況が頭にまだ記憶されているから、白ばら狩りなどは、ショックでも何でもないのだ。日本では裁判も行われず、死刑執行もまれで、多くは獄死という非業の死。白バラはまだ良い、拷問もなく、裁判があり、死刑執行までしてくれる。

 

又、今流行の藤原先生流にいえば「ナチスも民主的に選ばれた政権で、今の政権も民主的に選ばれている」、何がどう違うとこうなるのか、今我々は何に注意すればいいのか、この映画にはその暗示らしきものも見出せなかった。

 

でも、私の周りですすり泣いている人もいたことは事実です。いろいろな見方があるということは、とても、健全なことです。

 

私の評はひとつの偏見かもしれません。悪しからず。

 

尚、効果音、音楽、映像は一流だと思いました。


6.博士の愛した数式

<映画もリズムであろう。この映画は和歌や俳句のリズムに似ている>

日本人がもっている美的感性を呼び覚ます、素晴らしい作品。

和歌、俳句、の良さは行間に想像を膨らませる「時間」を持っていることだと思う。この「時間」はやたら長くても、短すぎても駄目だ。

5.7.5又は5.7.5.7.7のリズムの中で頭に浮かぶ読者のイメージを頼りに、後は貴方任せますというやりかただ。

目には見えない無の空間に自分の思いを投げ出して、委ねてしまう宿命を負っている。

歌を投げ出された方は、己の境遇や自然の場面にぴったりはまると、大きな像を結ぶ。そうでなければ「なーんだ」と捨てられてしまう、はかないものだ。

要するに控えめな文化なのだ。逆に、外国人はこれでもか、これでもかと、分るまで、ごり押しする。だから何でも具体的、即物的、論理的な迫り方をする。

文化の違いと一言で、片付けないで、大事なことして皆で考えて欲しい。

この映画は、間違いなく日本の映画だ。東京国際映画祭で、受賞できなかったのは、日本しか通用しない文化に対する、審査員の自信の無さだと思う。

でも、考え直して欲しい。アングロサクソンの物質文明はやがて、終焉を迎え、次の世界を担う文化は間違いなく、日本や東洋の自然と一体化した、自己主張の少ない世界なのだ。

台詞の少なさ、間合い、リズム、小泉監督は大事なこと伝えようとしているのだと思う。

混じりけのない純粋な心の持つ、不思議な力を大きく感じる作品でもあります。

「阿弥陀堂だより」が抒情詩だとすれば、本作は和歌、次作はもっと削ぎ落とした俳句かな?


5.シンデラマン

劇場で見損なったので、VTRで見ました。
シンデレラは常に悲惨さが先にあってあってこそ、後の救いが際立つ。この映画の場合、大恐慌や、けがによる、凄まじい貧困生活が、その設定となっているが、ちょっとリアリティーに欠けるきらいがある。そのため、その後の救いがいまいち際立って来ない。何故リアリティーがないのだろうか。私なりに考えてみたが、貧困場面のシナリオはとてもいいので問題ないが、クロウに問題がある、というのが私の見解だ。クロウの演技は折り紙つきで、この映画の評価も一般的には高い。でも、悲惨な貧しさを演じるには、彼の顔は不適だと思う。ちょっと目じりが下がって、目が笑っているからである。深刻さに欠ける印象を与えていると思う。それが、不敵な笑いに化けて、名演となるところまでは過去あったが、彼には哀れっぽい、汚れ役はできないのではないか。恐れ多い意見ではあるが。
 上記のように前半は問題あったものの、後半は良くなる。それは、戦えば死ぬかも知れない、いや死ぬのが当たり前というように、恐怖を充分に演出しているから、それから開放された勝利が際立っている。タイトルマッチの迫力はすごい。まるで、実況中継のようだ。今までのボクシング映画でも屈指の場面ではないかと思う。これがあるため、この映画はある程度の評価を得たものと思う。

 


4.プライドと偏見(2006.01.20)

 

<宝塚歌劇が好きな人は感激するのでは>

 

ジェーン・オースティン原作のラブロマンスで18c末のイングランドのいわゆる貴族のカントリー世界が舞台。

アメリカ人はこうゆう設定に弱いのではないかな。主演女優のキーラ・ナイトレイは知的でな可愛いい。デンチやD.サザーランドの脇役も良い。カントリーの風景や、館、舞踏会、一見に値する。がテーマが少女漫画風で、性格描写も表面的で、おじさんはがっかり。

 期待しないで、大作時代劇を見るつもりで行けば、多分○。芸術作品を見ようとする人には×。これ「偏見」?

 


3.ホテル・ルワンダ(2006.01.18)

 

< 日本の将来も捨てたものではないかも>

 

劇場公開4日目に見ましたが。補助椅子、立ち見の方も10名ほでいらっしゃいました。

こんな状況は本当に久しぶりです。

 

遠い国アフリカのルワンダでの出来事ですが、部族が異なるというだけで、これまた日頃善良な隣人(民兵)が鬼と化してナタや棒切れで隣人を襲う。

 

これはルワンダ固有の問題ではなく、実は我々の心の問題でもある訳ですが、こんな真面目な映画で、劇場がいっぱいになることに、日本人もまだ捨てたものではないなと、うれしくなってしまいました。

 

若い人も多く、日頃TVでノー天気な若者ばかり見せられ偏見に凝り固まっているおじさんにとって、一筋の光明を見た思いです。

 

映画は「シンドラーのリスト」のルワンダ版ですが、ゲシュタポのユダヤ人連行より、民兵による襲撃の方が怖く感じます。

 

それは、米国南部のリンチ、中世の魔女狩り、関東大震災の日本人による朝鮮人狩り、のように隣人が雰囲気に流されて、加害者に加担するケースが脳裏を掠めるからではないかと思います。

 

自分はそんな時どうするだろう、反対すれば自分に身の危険が迫るだろうし、でも、多分、・・・・。良く考えておかなくては。

 

現在 渋谷シアターN (2)の単館公開ですが、余りにも多くの人が押しかけるので、1/18〜(1)にも拡大し、さらに近々全国18館に拡大予定です

 

ジェノサイドは1994年と新しく、規模もでかいので、生々しく迫ってきます。ルワンダ問題の正確な情報はつかみにくいので、私なりに纏めたものをdiary1/18に掲載しましたので、ご参考に。

 


2.二人日和 (2006.01.15)

 

「愛は輪廻する」             

 

深い夫婦愛が等身大に、淡々と描かれる。
しかし、この映画はそれだけではない。
どんなにきれいな花も必ず散ってこの世から去っていく。
でも花は実をつけ、又朽ちた体は養分となって、次世代に受け継がれていく。
われわれ人類もそうして、10万年以上も命を紡いできた。

 

生の終わりは、再生への祈りでもある。

この老夫婦には子供が無いが若いカップルへ、ひたむきな愛を伝え、若い世代は問題を抱えながらも二人で幸せを成就させていくだろう、という明るい未来を予感させる。

 

水色のきれいなパラソルと雛人形のバトンタッチがそれを象徴している。
 
それにしても、あの葵祭りの映像の美しさは何というすばらしさだろうか。

白い紗を薄くかけたようなみやびな斎王代の行列。

黒沢にも似たような映像があったが、こちらの方が上。

 

これを見ているだけで、涙がうるうるあふれてしまう。
欠点といえば前半の展開スピードがやや遅く、間延びしすぎているように思えたが、私だけだろうか

 

でも素晴らしい映画。おすすめです。岩波ホール上映中。                                              

 


1.フォーガットン(2006.01.12 vtr)

 

tutayaの店頭にずらりと並び、大作外れなし みたいな宣伝にのせられ、借りてしまったのが間違いの元。

事前調査怠らなければこんなことにはならなかったのに....ああぁ。

出だしはまあまあだがすぐ先が読め、面白み、スリル、気味悪さ、感動、謎、音楽の良さ、すべて無し。

時間を無駄する、珍しい映画。

こんな映画をこれから「夕鶴」映画と呼ぶことにします。(決して見てはなりませぬ)

 

 


 L男たちの大和    (2006.01.01)

 

いい、悪いの次元ではなく、考えさせられ、泣ける。

最後の長渕のうたも ぴったりだ(close your eyes)。

 

戦友を亡くし、生き残った人は、今も申し訳ないと思い続けている。

そして、その後の人生の意味を探しあぐねている。

 

共に戦っていた隣の友が、敵弾に倒れる。

自分が倒れてもおかしくない状況で、こいつにたまたま当ってくれた為自分は死ななくて済んだ。

そんな負い目は時が経っても消えるものではないのだろう。

 

仲代がラストでそれへの回答をやっと見つける。

そこで、この人の60年の長い苦しみをしのび、観るものが涙する。

  

このテーマは過去繰り返し映画化されてきた(最近では健さんのホタル)。

その意味で新鮮ではないのだけど、実際に海底捜索するなど、思想性よりも歴史を正確に知ろういう姿勢に好感をおぼえる。

 

3,000人の集団自決、しかもその大半が16,7才の未来ある少年であったという歴史の重く暗い事実、今の同年代との対比、国家とは何か、当時と今との連続性はどこにあるのか、ないのか、違う国の話みたいに感じる若者もいるかもしれない・・・・。

 

と いろいろなことを考えてしまう。

 

最後にひとこと、大和の正面はやはり、雄姿であってほしかった。CGまるだしでマンガ本みたい。CG加工要努力。

 

 


Kウイスキー 2005.12.29(VTR)

 

飲んだくれおじさんの、うんちく話ではない。

まじめな映画である。

誤解を与えかねない題名のミス。

 

オスカーはじめ各賞にノミネートされ、東京ではグランプリを受賞したウルグアイ映画。

現地では細々と映画は作られているらしいが、世界の人が目にするの極めてめずらしい。

 

突然終わるので、謎解きが難しい。

以下はひとつの私見として読んでもらいたい。

 

ハコボは、苦虫をかみつぶしたような、無愛想で無表情な主人公。

でも不器用なだけで、弟へのプレゼントもちゃんと包装紙まで気を配っている、好人物。

 

一方、手八丁、口八丁な弟エルマンは一見やさしそうだが、プレゼントは正札つきで、母の葬式にも来なかった 本当は冷たい男。

でもマルタは知らなかった世界を覗いた感じで、エルマンに惹かれていく、ちょっとだけ。

 

間違い電話がたびたび登場する。ハコボには間違い電話だったのだけど、本当はマルタの愛を間違い電話と思っていたという、隠喩なのだろうか。

 

マルタは同宿中のホテルで夜エルマンの部屋をたずねるが、朝になれば、マルタはソファーにエルマンは堂々とベッドに寝ている。

この状況はベッドを共にしたのではなく、偽装結婚をうちわけ、ハコボと同じ部屋にいればハコボが遠慮して寝れないので、ぐっすり眠れるように、仮寝の宿を乞うたのではないか。

 

ハコボはハコボで徹夜でカジノなどで過ごし、マルタに気を使っていたつもりでいたのだが。

 

ハコボがマルタにお礼として渡した多額の金は、半端な額ではない。だからそれは結納金のつもりではなかったのか。

直接プロポーズされず、涙のにじむタクシーのなかではあったが、一晩たってそのことに気づき、今までどおり、平然とは朝会社にいけなかったと思う。

 

墓地はユダヤ教のようだったし、この兄弟はユダヤ系という設定のようだ。この人たちの結納金の相場が知りたいな。

 

マルタがエルマンに渡したメモの中身は、「私はお兄さんを愛しています。一生面倒をみますのでご安心下さい」と想像する。

 

マルタはエルマンに会ってからどんどんアグレッシブに魅力的に変身していくので、ブラジルに彼を追って行くという設定もなりたつが、変身はハコボにこちらを見て欲しいという、シグナルと理解したい。 どうだろうか。

 


 

J亡国のイージス 2005.12.27(VTR)

 

面白い が しかし。

 

よく考えれば、この映画はおかしい。

これこそ「平和ボケ日本」の象徴。

 

冒頭に“国のありようを失い、語るべき未来も見えない、日本”と語りかける。

まったくその通りで、物語のこれからの展開に期待する。

 

226事件のように内部反乱とするのか、専守防衛では自衛隊が実際には機能せず、他国による侵略をゆるすとか、・・・。

 

ところがである、テーマは掲げただけで、それとは無関係に、「サスペンス、アクション ドラマ」が進行する。

 

羊頭狗肉の典型。

 

娯楽映画に徹してシージャック事件だけにすれば形になったのに。

でも、そこだけとっても007の猿真似おもちゃ版。

 

漫画チックな強力毒薬や特殊爆弾の登場は、観客が最初から“つくりもの”と分っていて楽しめるもの。

 

この映画は日本の現実を突きつけつつ進むから、観客は夢の中だけにいるのではなく、半分覚めているのよ。

 

だから、グソウのカプセルや特殊工作員がでてくると、しらけちゃうわけ。

 

分ってないなあ。

 

最後にひとこと、60年間封印してきた最重要テーマを安易に商売にしてしまう見識に寒気。

 

 


 

Iおわらない物語・アビバの場合(VTR) 2005.12.25

  

 主人公のアビバを8人が時間の経過に関係なく演じる。

最初はそのことが分らずチンプンカンプン。

 

実験的な映画も結構見てるおじさんも、びっくり。単なるアイデアでは無いのだろうが、真意不明。

 

自分なりに考えれば、自分がもし、黒人だったら、超肥満体だったら、かわいいこだったら、ブスだったら、又は遭遇場面がかわっていたら、人生はどのように変わるだろうか、いや変わらないのだろうか、という仮説設定の手段のようにもみえる。

 

一貫して変わらぬのは、「子供が欲しい」というアビバの母性本能。

 

「人生、遺伝子に操られたロボットのようなもの、それと確率」というせりふがある。

したがって、自分は変えられないし、人生も変わらないという考え方。

 

アメリカでは堕胎禁止のキリスト教徒の政治的力が強いとか。

監督トッド・ソロンズもそうなのかな?

 

そういえば、結婚はしなくていいけど、あかちゃんは欲しいという女性は日本にも多いよね。

恋愛とか結婚とリンクしない、子供を育てたいという、母性本能はあるのだろうし、そうだとすれば、レイプのような望まない妊娠でも、堕胎は罪ということになる(この映画の立場)。

 

堕胎は女性の本能を傷つけるということで、避けるべきだが、産める環境でもないのに禁止するのは、現実的ではないし、もっとかわいそうだ。

 

本映画は幼い少女の母性本能をテーマにしているのだけど、一面を照らしてはいるが、一般的な感性ではないと思う。

 

先月、やはり堕胎をテーマとした英国映画「ベラ・ドレーク」を見たが、立場が反対だけど、この方が映画になっている。

 

性が開放された今日、sexは妊娠と別物と思いたい人はこんな映画も見て、陰に潜む重大さに気付いて欲しい。ことに男性の責任はきわめて重い。

 


 

 

H 大河の一滴 05.12.21(VTR

 

2001年の古い映画をビデオで見ました。

 

荒れる日本海のゆっくりとした大きなうねり。岩に砕け散る波の青と白のコントラスト。東山魁夷の絵のようでした。

 

トランペットもソフトで抑制的なところが、なかなかです(亡き王女のためのパバーヌ、動物の謝肉祭他名曲)

 

それ以外は駄目。

 

特に恋人を訪ねてロシアの自宅に押しかけるくだり、あの名画「ひまわり」のパクリではないか。恐れ多い。

 

終戦間際のロシアの満州侵攻当時の画面もコストダウンのせいで、学芸会なみの出来。三国の戦争体験談の内容が何の変哲もないので

 

映画全体が抑揚なく平板。大物脚本家が大物原作者に遠慮したのかな。詰め込みすぎたのかな。いろいろな出来事を使った割には感動

 

なし。

 

もっとも、期待してなかったから、今まで見なかったのだけどね。

 


 

 GAlways 三丁目の夕日 051202

 

33年代 の設定東京下町 が舞台。

 

下町といっても、芝神明町あたりかな、とにかく建設中の東京タワーが間じかにある 貧乏人ばかりだが人情味豊かな路地裏の話。

 

ここまで書くともう回顧調のお涙頂戴がみえみえでクサイ感じがするが、事実クサイせりふ満載なのだがこの映画はそれを余り感じさせないよう、巧妙に出来に仕上がっておりすがすがしく、次元の高い感激ではないにしても、かなりの感動を与える不思議な映画に仕上がっている。

 

時代考証的にはs2930、あたりも混じっているところはあると思うが(s33より幾分古い感じ)それはそれとして、人間が希望を持って、他人を慮りながらも、いきいきと働いている、現代が既に失ったよき時代が無性に懐かしく感じられ、時代の生き証人世代として必見の映画。

 

漫画の映画化は珍しくないけど、そのせいか若い人にも支持されているらしい。

 

若いやつも捨てたものではないねえ。

 

 

 


 Fメゾン・ド・ヒミコ 05/10/20

 

「感動できる」

 

犬童一心 監督 オダギリ ジョー、柴咲コウ、田中ミン

 

オカマ、それも高齢化したおばけのような人物が沢山でてきます。

差別されている人は他人に優しい。気持ち悪いけどその優しさと、ひととしての哀しさを観客はいつの間にか共有してしまい、涙する羽目におちいる。

 

テーマがテーマだけに、TVでは絶対やらないので劇場に足をお運び下さい。いい映画だと思います。

 

「たそがれ清兵衛」で死なせた娘の遺骨を噛み砕く刺客を演じたのが田中ミン。この映画でも全身から殺気が漂っています。舞踊家のようですがこのひとはすごい。

 

でも、女役を演じている。なぜ? ゲイの世界は女装していざというときは男役を演じるのかしらね(いつのまにかゲイ言葉になってしまったようね。ごめんなさーい)。

 

音楽がまたまた良いのよ。貴方一度は聞いたことがあるんじゃない。ドヴォちゃんの「母が教え賜いし歌」。ダンス音楽もなかなかよ。誰かと思って調べたらやっぱ細野晴臣。年代も近いし、いいものはいいという感じね。

 

ブスメークすっぴん柴咲コウ。ブスも差別されているのよね。オカマに捨てられた母親。だからオカマにだけは絶対・・・・。

 


 

 E海を飛ぶ夢2005.05.11

 

「テーマが好き」でも

主人公は肢体不自由の身でありながら、家族に愛され、弁護士の女性にも、村の女性にも心から愛されている。

 

私は五体満足ですがとても羨ましくうつりました。

 

それだけで十分幸せを感じているはずです。

 

そんな人が安楽死を望むなんて納得がいかない。

 

それを望むにはそれなりの悲惨な環境がありそれに耐えられない現実の主人公がいるはずです。

 

それを全く描かずに(商業映画という枠を意識して逃げた?)安楽死が正当化できるはずもない。

 

とても不自然な自殺というのが正直な映画の印象です。

 

確かに既に日本では失われた感のある兄弟愛や親子愛、甥との愛がスペインの田舎の風土の中で丁寧に描かれ、愛する

ものを失う哀しさが胸を打ちますが、それは自殺をしにいく人でなく、例えば帰らぬ戦場(特攻隊とか)に向かう人であるべきではないでしょうか。

 

安楽死は二の次のテーマというのでは安楽死を望んでいる人に怒られませんか。

 


 

Dソン・フレール 2005/03/09

 

「これはすごい映画だと思う」

 

 全編にわたり嘘も誇張もなく「正直」に満ちている。敢えてきたない場面も隠さず曝している。

 

これは恐るべきリアリズム映画ではないか。

 

手術前に全身の毛を剃る場面や術後の傷跡、ホモセックスの場面などお気に召さない人も多いと思うが、人生や世間を直視すればこうゆうことになるのではないか。

 

描く勇気に感服。肩肘張って言いたいことを言わんがための作り事一切無し。

 

こんな映画だから観る人によって感じるものは違うと思う。

 

それでいいが、日本語題名の付け方はいまいち理解出来ない。

 

「彼(私)の兄」「兄弟」みたいな原題と思うが「兄との約束」となっている。

 

映画が語りたかったのは兄弟愛みたいな安直なものではないと私は思うが。

 

又、「再生」へのメッセージとチラシには書いてあるが、これもどうかと思う。

 

でも映画そのものは間違いなく一級品。

 

静かにラスト・シーンがおわり、エンドロールが始まってもバックに流れる歌が心にしみてか席を立つひとは誰もいなかった。

 

 


 

Cパッチギ 2005.03.01

 

「面白いぞ」

 

全体としては良い出来だったと思います。

 

暴力シーンがあるため、キョンジャの可愛さとイムジン川の哀愁をおびたメロディーが際立っています。

 

クライマックスの三つの話がシンクロする盛り上がりは特筆に値するでしょう。

 

でも例えば、棺おけが家に入らないので戸口を壊す場面がありますが、大げさすぎませんか。

 

被差別地域の劣悪な住環境だけを言いたいのであればあれほど時間をかけたシーンにすることも無いと思うし、ギターを叩き壊し鴨

 

川に投げ捨てる場面も、音楽を通して在日との壁を乗り越えたつもりでいたところ結局拒否されたことに対する失望と怒りと解釈で

 

きるが、流れからして唐突すぎて、すんなり入って来ない。

 

多くの人は何故突然、命より大切なギターを叩き壊すのかがすんなり理解出来なかったと思う。

 無駄な場面をそぎ落とし、すべての場面を後の展開の伏線にすれば完成度が上がってくるのにと思い残念です。

 

もっとも荒っぽさが取れれば迫力も無くな

 

るのかもしれないですが

   


 

B故郷の香り 2005.02.21

 

「周五郎の世界」

 

自分とは不釣合いの高嶺の花を好きになり、気付かれないように、無骨ながら命がけで愛する男性のパターンがありますよね。

 

たとえばノートルダムのせむし男、無法松の一生の主人公のように。

 

でもこれらの主人公は醜さや荒っぽさという欠点をカバーして有り余る誠実さがあって、愛は結実しないが感動を与える話になっていると思います。

 

この映画は基本的に同じパターンなのだけど、香川の誠実さを表現している場面が少なく、頭が弱く粗野な面の場面が多すぎたので、最後の場面がやや唐突に現れる感がします。

 

これは演技が悪いのではなく監督の計算違いだと思います。

 

最後の意外な展開を新鮮に見せる為前半にその要素を抑え過ぎたために起こった失敗と言えましょう。

 

でも語りたかったことは、愚直でひたすらな愛ですから、まさに周五郎そのものです。

 

この映画に感動された方山本周五郎をお読みになると、同じ感動をおぼえることでしょうね。

 

でもこの映画、雨と水に多くを語らせていますね。秀作です。

 


Aトニー滝谷 2000.02.15

 

「人はやはり孤独な存在」

と改めて考えさせられ、やり場の無い寂しさに胸をふさがれ劇場を後にしました。

 

カラー映画ではあるが殆どモノトーンに近い色調、無駄を排した能舞台のような簡素な装置、動きに意味を持たせず断片的なスライドを何枚か重ねたような散文的な映像、音楽、二人の二役、それらのものがみんな孤独を語っている。

 

巻頭のナレーションが聞き取りにくかったのが残念。

 

 


@火火(ひび)  2005.02.11

 

「抗がん剤はこんなに苦しいのか」

 

骨髄バンクへのドナー登録推進の要素が前に出すぎた感がしました。芸術とは目的に直結しすぎると北朝鮮の映画のようになるのではないのでしょうか