(てきちゅう)100映画  2012年版

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 緑・・洋画    黒・・邦画

5.0

4.5

4.0

22

サラの鍵

5

突然炎のごとく*

2

空気人形*

4

紀ノ川*

6

祇園の姉妹*

28

ハーヴェイ*

11

姉妹*

8

兄とその妹*

9

リアル・スティール

13

にごりえ*

33

切腹*

10

日本沈没*

14

ああ、結婚*

15

真実一路*

16

愛の亡霊*

50

グッド・ウイル・ハン・・・・・*

17

スケアークロウ*

21

恋愛小説家*

24

王将*

26

アビス*

71

好人好日*

27

失われた週末*

31

仇討*

36

わが母の記

37

ヘルプ

79

砂の女*

29

サクリファイス*

39

大鹿村騒動記*

40

ディア・ドクター*

42

石内尋常高等小学校*

 

 

32

ジョニーは戦場へ行った*

43

ペリカン文書*

48

クレオパトラ*

49

独立愚連隊*

 

 

34

アーティスト

52

シチリア!シチリア!*

55

武士の家計簿*

58

エネミー・オブ・アメリカ*

 

 

41

ミッドナイト・インパリ

59

ア・フュー・グッドメン*

61

ジェイン・オースティンの読・*

64

ル・コルビュジェの家

 

 

51

今度は愛妻家*

65

ダンケルク*

67

恋人たちの予感*

69

プーサン* 

 

 

62

嘆きのテレーズ*

73

時をかける少女*

74

みんなで一緒に暮らしたら

75

17歳の肖像*

 

 

63

家族*

77

赤線地帯*

78

さようならをもう一度*

80

先生のつうしんぼ*

 

 

70

転校生*

81

招かれざる客*

82

江分利満氏の優雅な生活*

 

 

 

 

72

桃さんのしあわせ

 

 

 

 

 

 

 

 

76

警察日記*

 

 

 

 

 

 

 

 

83

千利休 本覚坊遺文*

 

 

 

 

 

 

 

3.5

3.0

2.5〜

1

風にそよぐ草

3

愛のむきだし*

18

初恋*

 

 

 

 

7

暖流*

12

魂のジュリエッタ*

19

六ヶ所村ラプソディー*

 

 

 

 

20

突入せよ!「あさま山荘」*

23 

グランプリ* 

25

墨攻*

 

 

 

 

30

御用金*

35

アイランド*

38

ブラザース・グリム*

 

 

 

 

44

私は二歳*

45

サニー

46

はやぶさ*

 

 

 

 

47

千年の祈り*

53

バーン・アフター・リー・・・・*

54

どら平太*

 

 

 

 

56

弾丸を噛め*

57

居酒屋兆治*

60

優駿*

 

 

 

 

66

お早う*

68

ファンシイダンス*

 

 

 

 

 

 

 

No.83

千利休 本覚坊遺文 1989/107分 dvd 12.20

熊井 啓 監督   井上 靖 原作  

奥田瑛二(本格坊)、萬屋錦之介(織田有楽斎)、上條恒彦(山上宗二)、加藤剛(古田織部)、内藤武敏(東陽坊)、芦田伸介(秀吉)

同年に「利休」(勅使河原 宏 監督)も公開された。(本ページ2011年版No.82参照)

勅使河原の方が映像的には素晴らしいとおもうが、総合的にはは本作のほうが上とみた。

その理由は、禅の道に通じる厳しい茶の道を語ることによって、利休の人生観が浮き彫りになっているからである。

利休の人物像は多様でこれが正解というものはないかもしれないが、これはかなり説得力がある。

山崎の妙喜庵(待庵)で、利休宋易、山上宗二、古田織部 が茶の湯の議論をする場面がある。

宗二は言う「無はまだある、死となって初めて皆無となる」。

修行によって「無」の境地を得ても、まだ俗世間のしがらみの中にある。

「死」を目の前にして初めて、見えてくるものこそ本当の自分であり、社会の有体ではないか、という言わば「死をかけた茶人同盟」、と解釈できる。

茶人の進むべき寂しく厳しい一本の道は、横暴な権力者を死もって諌めることであったのだろう。

結果、利休も宗二も秀吉から切腹を命じられ、織部も家康から切腹を命じられた。

*

ファースト・シーンから雪深い洛北の山中、本覚坊の隠れ家である。

素足で草履を履き、雪の中で朝、顔を洗っている。

坊主だから当然だが、茶の道と禅の道をシンクロさせていることに、この作品の特徴があろう。

実は原作を前に読みかけたことがあるのだが、退屈で止めてしまった。

映像化されると、抽象化された概念が具体化され、新たな別の命を持つ。

だから、原作とは違うのかもしれない。

しかし多くの人が、戦国時代の茶というものが、国家を動かすほどの大事だったことにあらためて驚き、利休切腹の謎への興味を感じたのではないか。

ストイックな映画の中で、奥田の本覚坊の ぼ〜 とした明るくさえあるイメージが救いだった。

三船の利休は評価しない人もいるかも。

ヴェネチア映画祭、銀獅子賞受賞。

 

No.82

江分利満氏の優雅な生活 1963/102分 cs 12.18

岡本 喜八 監督    山口 瞳 原作(本作で直木賞)     井出 俊郎 脚色

小林 桂樹、新珠三千代、東野英治郎、矢内茂

植木等が「すーだら節」に続いて、1962年に「サラリーマンどんと節」を大ヒットさせた。

♪ サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ〜〜♪

日本は長らく国民の8割以上が農民だったが、朝鮮戦争や高度成長で工業化が進み、農村から都市へ人口が大移動した。

この過程でサラリーマンも急増してきた訳だが、60年代初頭 大卒は必ずしもまだ大多数ではなく、汗水たらして働いている農民や工員からすれば、非現業のホワイトカラー族がうらやましく思える時代でもあった。

これを茶化すみたいに「どんと節」がヒットした面があるが、山口瞳氏は「サラリーマンは決して気楽な家業ではないよ」と反論してみせたのが、時宜を得たのではないかと思われる。

*

これはサラリーマンの愚痴を書いているから、同業者の共感も得た。

あっちこちに遊びの為の借金をして息子に尻拭いをさせる父、喘息持ちの息子を抱える家庭、これを支える為、面白くも無い仕事を涙ぐましく続けている自身を、悲劇の主人公のように部分的にではあるが描いている。

でも、こんな状況は彼だけではなく、多くの人が何か問題を背負って生きているのだから、そんなに特殊でもないと思う。

さすがに恥ずかしくなったのか、酒癖の悪い自分の欠点も披露して、イーヴンにしようとしている気配もる。(あえて意地悪く見れば)

又、奥さんは明るく健気な人に書いてあるが、事実だろうが そうだったら何より幸せなはず。

男は愚痴をこぼしてはいけない・・・。

**

この映画は冒頭とラストのシーンが会社の屋上である。

サラリーマンがコーラスをしたり、バレーボールをしたり、ダンスをしている。(この集団ダンスの振り付けは素晴らしい、今見ても古臭くないから)

この両者の時間差に、直木賞受賞で生活に変化と余裕が出来た いちサラリーマン がいる訳だが、前後殆ど同じ場面だからやはり仕事は退屈でつまらないと言っているのだろう。

ラストとのラストで、炭鉱や製鉄所らしきカットが流れる。

監督は何故入れたのだろう。

汗水流す労働者とサラリーマン、どちらも大変と言っているのだろうか。

いやそうでなく、屋上で優雅に昼休みを過ごすサラリーマンを批判的に見たいのかもしれない。

よくは分からない。

***

サントリー広報部内の話だから、例のトリスおじさんの漫画を使ったり、残菊物語の語りでは上体がなく下駄と靴が絡んで演技したり、新機軸もある。

それが成功しているか否かは別にして、チャレンジ精神は監督の持ち味だろう。

飲んで説教したり、薀蓄を長々と語る上司は嫌だねー と思わせる迫真の小林桂樹の名演技だった。

 

No.81

招かれざる客 1967/108分 米 cs 1218

スタンリー・クレーマー 監督  ウイリアム・ローズ 脚本(アカデミー賞)

スペンサー・トレーシー、キャサリン・ヘップバーン(アカデミー主演女優賞)、シドニー・ポアチエ、キャサリン・ホートン

白人の娘が結婚相手の黒人を家に連れて来た。

この時代、州によっては法律で禁止されていたタブー。

娘の父親はリベラルな新聞社社長だったが、自分の事になると結婚反対。

黒人の父親も反対。

母親同士は認める。

意見の衝突を繰り返しながら、結局は父親も認めていく過程を映画化したもの。

室内劇で、セリフが命だが、これがなかなかの迫力で、脚本賞を獲得した。

*

社会派監督として活躍した人だが、時代的背景を考えると、勇気ある取り組みだったのだろう。

このような地道な運動の積み重ねがあって、今日の黒人の地位がある。

異国の話ではなく、国内にも肌の色、家柄、被差別、等々の偏見で人間を差別していないだろうか。

黒人の父親に息子が言う「貴方は自分を黒人と思っている。私は一個の人間と思っている」。

身体的劣等感で自分を縛り付けている多くの人にも参考にしたい台詞である。

 

No.80

先生のつうしんぼ 1977/90分 cs 1217

武田一成 監督、 宮川ひろ 原作

渡辺篤史、大橋伸了、キムラ政彦、早野重吉

日活児童映画シリーズの1作。海外で高い評価を得た。小学校4年生のクラス担当となった新米教師と生徒達の心温まる交流が素晴らしいタッチで描かれている。渡辺篤史の魅力がいっぱい。八王子の絹が生徒の郷土愛を育んでいく筋書き。

 

 

No.79

砂の女 1964/147分 モノクロ dvd 12.14

勅使河原 宏 監督   安部 公房 原作・脚本

岡田英次、岸田今日子、三井弘次

この映画を今回初めて観たが、もし若い頃に見ていても、今ほどには理解できなかっただろう。

若い頃、小説は読んだが、一言で言えば「解からない」印象だけが残っている。

映像化して初めて明らかに(間違えでも)されると言う作業を安部と勅使河原がしたと言う意味で、文芸作品の映画化の意義を感じる。

*

学校の先生が砂丘に昆虫採集に行き、村人に一夜の宿を紹介される。

その家は縄梯子で下りた砂の穴底にあり、這い上がることが出来ない、あり地獄だった。

そこには、女が一人住んでいる。

絶えず砂が降って来るので、家が埋まらないように穴の外に砂を搬出しなければいけない。

重労働だから男手が必要、だから村民が罠を仕掛けたのだ。

穴の上部に滑車があり、村人は砂を受け取るだけで、終わると縄を引き上げてしまう。

必要最低限の水と食料だけは下してくれる。

脱走を試みるが不可能を悟る。

男と女、セックス、妊娠、救急、女の入院、女が穴から居なくなると何故か村人は縄梯子を放置して去る。

地上に出た男は自由になるが、最近考案した毛細管現象を利用した水採集井戸の成功を村民に自慢したくて、再び穴に戻る。

**

この小説は明らかに何かを暗喩(メタファー)している。

それが幾とおりにも出来るから、読者によって姿を変える。

正解が分からないように、多面的に巧妙に作られている。

人間や、社会がくっきり割り切れないように。

例えば:

@ 肉欲の虜

A 抑圧者と被抑圧者

B 部落差別問題(蔑視対象という犠牲を求める村社会意識)

C 現代における自由の選択

D 労働とは何か

E 実存主義の影

***

砂丘の波紋や砂嵐、崩れ行く砂の塊、砂まみれの肌や汗、虫のアップ、砂と廃屋、村民の風体、すべてが異様、そして美しい。

前衛的な作風が、原作の抽象性とマッチした稀有の作品。

一見に値する。

 

No.78

さようならをもう一度 仏 1961/120分 cs 12.13

アナトール・ソトヴァク 監督    フランソワーズ・サガン 原作(aimez- vous Brahms)

イングリッド・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス

 

原作は1959年、サガン24歳の時の作品。

世界的ベストセラー作家としてその多くが映画化もされた。

大金も手にしたが、博打や麻薬などで身を持ち崩し、貧困の中で死んだ破滅的な性格だった。

本作のヒロインは40歳(46歳のバーグマンが演じている)。アラフォーの恋愛を24歳が書けるのか、という疑問でケチをつけたくなるのも年のせいか。

若い恋人(アンソニー・パーキンス)の年齢は25歳の設定。

年上の女性が好きになる青年は珍しくは無い。15歳の差などよくあること。

でも普通、長続きはしない。

女性の方が出産年齢を気にして前進をためらったり、男性の方が若い女性の魅力に負けるからだ。

**

ヒロインは自立した職業婦人であるが、若いツバメを持つ社会的蔑視を気にする古い道徳観念の持ち主(時代的には已むを得ない)だから、罪悪感が常にある。

これが逆に、感情を燃え上がらせて、挙句の果てに心中と言うことも考えられよう。

でも、この場合別にモンタンという年恰好も釣り合っている永年の恋人がいるので、彼の浮気癖さえ我慢すれば、落ち着いた生活に戻れる。

***

結果若い男をすて、元の鞘に収まるストーリーなのだが、これが普通の結末過ぎて、この小説は何なのだと問い質したくなる。

強いて言えば、年の差を気にしない代償が、浮気を我慢するような愛の乏しい生活なのだという、人生のアイロニーを描いたとも言えるが。

それにしても、そんな浮気男を心底愛するような女はそう居ないだろうし、居てもそう長く続かないだろうから、やはり変な結末ではないだろうか。

****見所:バーグマンが泣きながら車を飛ばす場面がある、運転席の前方の景色が涙で流れて落ちていく、観客も一緒に泣いているように計算されている、見事。

尚、ブラームスのSym.No.3第3楽章の切ない主題が印象的に使われている。

 

No.77

赤線地帯 1956/86分 cs 12.02

溝口 健二 監督(遺作)    芝木 好子 原作   成沢 昌茂 脚色    宮川 一夫 撮影    黛 敏郎 音楽

京 マチ子、若尾 文子、木暮 実千代、三益 愛子、進藤 英太郎、沢村 貞子

 「洲崎パラダイス 赤信号」(川島 雄三 監督、芝木 好子 原作)は 最も好きな映画の一つだが くしくも同年に同じ原作者の「洲崎物語」が巨匠溝口によって映画化された。 

これには昭和32年(1957年)に施行され翌年から適用された売春禁止法に国民的関心が高まっていたという時代的背景がある。

洲崎は吉原と違って、場末の感があったらしいが、溝口のこの映画では吉原に舞台が変えられているが、やはり安普請でただ汚いだけの街として作られている。

そして売春婦の悲惨で哀れな人生を冷静に描いているだけの、謂わばリアリズムに徹しているので、夢のない味気無い作品に見える。

芝木さんの作品は「隅田川慕情」を読む限り情感溢れるものだから、脚本の一部に使われただけと思われる。

それはさておき、出演者はすべて驚くほど現実感があり、存在感というか作り物の感が全く無い。

実在する売春婦をそのまんま実写したような影像には驚かされる。

要するに、女優の演技力を確かめる作品と言って良いと思う。

音楽も、音楽と言うよりも擬音に近い「お化け音」が当事者と言うより、第三者的な目線を表現して醒めた感じで、要するに他人事物語として「郭物語」を語る態度に、売春防止法賛成という政治的意図さえ感じるのは考えすぎだろうか。

郭に対する接し方からして、川島監督の方に好感が持てるが。

 

No.76

警察日記 1955/112分  bs 人情コメディー 12.01

久松 静児 監督

森繁 久弥、伊藤雄之助、杉村 春子、三国 連太郎、宍戸 錠、三島雅夫、二木 てるみ、十朱 久雄

TVで山本晋也監督で解説しており、「名画中の名画」と紹介していたが、なるほど良く出来た映画でびっくりした。

私は終戦直後の貧しさを知っているので、貧しさ故の悲劇を描いた作品にとても惹かれる。

「姉妹」「にあんちゃん」「泥の川」・・・・。

本作もその系譜だが、喜劇仕立てで又、別の面白さも加わって、一層楽しめた。

捨てた子の顔を一目見ようと母親が警察のジープの中から盗み見する場面は、お涙頂戴で評価が分かれるところだが、役所間の縄張り競争や警察が大臣にはペコペコして、農民には冷たい態度とかは風刺がきいているし、猪苗代湖畔の貧しくも人情豊かな風土が見事に語られていて、日本人が今日失ってしまった大切な何かを思い出させてくれる。

映画がだれない様に、消防自動車を電柱に衝突させ停電させ、ロウソクで宴会をする場面など、工夫も各所にある。

森繁久弥の演技はこの映画だけは嫌味が無い。

人情警官は今もあの地区にはいるのだろうか。

やはり、必見の名画であろう。

 

No.75

17歳の肖像 2009/100分 英 dvd ラブ・ストーリー 11.22

ロネ・シェル・フィグ 監督

キャリー・マリガン、ピ−ター・サースガード、ドミニク・クーパー

リン・バーバーという英国の記者の回顧録を映画化したらしい。

16歳の少女、高校でもトップクラスの才媛だが、タバコを吸っている。合法らしい。

超真面目な少女が、年上の男性の毒牙にかかり転落しそうになるが、踏みこたえて学業に戻ると言う、青春物語。

男性はゴールドマンというユダヤ人。

詐欺泥棒まがいのすれすれを泳ぐつわものドンファンだが、少女の前では紳士。

騙されてもおかしくない。

この作品の見所は、謹厳実直な家庭で育った少女が、音楽会やダンス、ナイトクラブ、カップルでのドライブ旅行などを経験して、勉強などしてもしょうがないと変わって行く様を追っかけていくところだろう。

だいたいの場合は、転落したままで人生を失うケースが多いだろうが、このケースでは温かく見守ってくれていた教師がたまたまいたから、復学できてオクスフォードに進学出来た。

本人の強い意志も必要だが、大人はこんな生徒を社会から追い出すのではなく、再チャレンジさせる度量も合わせ持たなければいけないことを、感じる。

こってりした肉スープの味で、日本映画では味わえないテイスト。

 

No.74

みんなで一緒に暮らしたら 2011/96分  仏・独 シネスイッチ銀座上映中 11.20

ステファン・ロブラン

ジェーン・フォンダ、ジェラルディン・チャップリン、ダニエル・グリュール

二夫婦と独身男性の仲良し計5人が老後を一つ屋根の下で暮らす物語。

年とったジェーン・フォンダはますます父親に似てきた。

老いても尚、魅力的な彼女をはじめ、5人とも驚くほど芸達者でびっくりする。

フランスの若い監督らしいが、老人のことを良く知っており、特に老人のセックス問題に切り込んでいくところなど、タブーを犯してまで真実に迫っていく態度は立派。

共同生活にはトラブルはつきものだが、介護老人ホームに行くよりはましな選択だと言っている。

連れ合いに先立たれた夫は、少しボケていることもあり、妻が死んだとは思えず、夕闇に「ジャンヌ、ジャンヌ・・・」と大声で付近を探しまわる。

残りの仲間も外に出て、「ジャンヌ、ジャンヌ・・・」と探す。

友情の素晴らしさを謳ったこのラストシーンにホロリとさせられる。

 

No.73

時をかける少女 1983/104分 dvd sf 11.17

 

大林 宣彦 監督  筒井 康隆 原作

原田知世、尾美としのり、高柳良一、岸部一徳、上原謙、根岸季衣

尾道三部作の一つ。

謎解き、スリラー風の展開で作られている。

愛のメルヘン度からいえば、その後リメークされたアニメ版の方が上かな。

それにしても、ラストのシーンは米国映画でいくつも真似して作られている。

国際的にも影響を与えた原作のアイデアに感服。(あちらの方が先かも?)

今見れば、CG未発達な為の処理が目障りに見えて、損している。

 

No.72

桃(タオ)さんのしあわせ 2011/119分 香港 文化村/ル・シネマ上映中  11.14

 

アン・ホイ 監督

アンディー・ラウ、ディニー・イップ、チン・ハイル

静かに地味に淡々と、人生の終末の過ごし方を語っている。

それでいて涙がこぼれてくる。

しみじみとした良い映画だった。

ベニチア映画祭で女優賞を貰ったディニー・イップの演技のせいもあるのだろう。

*

桃さんは梁家の4代に仕えるメイドである。

この女性の長年の「無償の愛」に応えようと、彼女が老いて倒れた時にアンディーが手を差し伸べる。

でも、彼女はあくまで被使用人の立場を忘れず遠慮がちに、自立を忘れない態度。

肉親の介護には色々な障害があると聞くが、この二人の距離感が素晴らしい介護関係をかたち作ったように思われる。

**

介護ホームの劣悪さも紹介され、入所患者のひどい症状も映され、決して甘い映画ではないだけに、介護する方、介護される方 の現実を自分の問題として、考えさせられる作品。

介護される人は、元気であった日常の親子関係が試される一面もある。

「無償の愛」は無力のように見えるが、結局は受けた側は捨てられず、縛られるという残酷な面を持つ。

親の介護をして、親が子の判別も出来ない状態で、苦悩している人がいる。

***

介護問題以外でも、「愛」は結局は残酷な一面を隠し持っているという、本作とは関係ないことが頭を掠めた。

****

脳死状態で薬を止めるか否かで悩み、病院でカップ・ラーメンをすするアンディーの顔が忘れられない。

 

No.71

好人好日 1961/88分 コメディー bs 11.08

渋谷 実 監督  脚本 松山善三 共同

笠 智衆、岩下志麻、淡島千景、川津祐介、乙羽信子、北林谷栄、三木のり平

 

成瀬、五所、小津などの大監督の助監督を勤めていたが、本作はテンポという点で小津に似ていると思った。(ロー・アングルもそうだが)

松竹蒲田風の代名詞的作風と言われ、コメディーを得意としたらしい。

私は本作で始めてお目にかかったが、その素晴らしさに驚かさせられた。

・この映画には悪人は誰も出てこない。文化勲章を盗んだ泥棒(のり平)でさえ、東京からはるばる奈良まで返しに来る。善人しか居ない社会は映画の中だけだろうが、嘗ての日本社会の良き香りがすることは確か。映画を観るほうでは安心しておられるし、何よりほのぼのと、ほっとさせられる。

・笠智衆がこんなに喜劇が上手いとは驚いた。好々爺か頑固な父親みたいな役しか出来ない人と思っていたが、本作では世界的な数学者だが変人と言われた人物を、実に滑稽に楽しく、嫌味なく演じており、何度となく苦笑させられる。監督が引き出した演技だろうが、この人の味がこの作品の味。爽やかで、素晴らしい。

・淡島との夫婦関係も微笑ましい。岩下との親子関係も理想的。見栄をすてて本質を見て暮らせば、それが回りには変わって見えるが、気にしなければそれが一番。実際の夫婦、親子関係はこんなに自然で爽やかではないだろうが、そんなことはどうでもよい。うらやましいのだ、そして近づこうとすればそれで良いではないか。

・明らかに岡潔をモデルにしていると思われるが、実際彼の影響をうけて成長した学者も多い。

・音楽、タイトル・バックも良い。

日本映画ならではの傑作とみた。

 

No.70

転校生 1982/112分 bs コメディー 11.02

 

大林 宣彦 監督   山中恒 原作「おれがあいつで、あいつがおれで」

尾美としのり、小林聡美、佐藤允、樹木希林、入り江若葉

尾道三部作のひとつ。

「時をかける少女」と同じ、ありえない設定が独特、漫画的だが切れを感じる。

体は女だが、心が男と入れ替わった少女の捨て身の演技が見もの(そと股で歩き、おっぱい丸出し、下腹部をまさぐり玉が無いと叫ぶなど、とても17歳の少女の演技とは思えない)

こんな新人を発掘した監督の慧眼に脱帽。

良く観れば、女役(尾美としのり)もかなり様になっている。

追い詰められた人生に悲観的な女性(男)を男性(女)が励まし続けるうちに互いの心が通い、ラストの別れのrunシーンがあとを引いいて心に強く残る。

汗臭い下駄箱の匂いとともに、過ぎ去った思春期への憧憬を呼び覚ましてくれる1作でもある。

文句なしに面白い。

 

No.69

プーサン 1953/98分 bs 社会風刺漫画 11.01

市川 崑 監督   横山 泰三 原作   和田 夏十 脚本

伊藤雄之助、越路吹雪、藤原鎌足、小林桂樹、八千草薫

コメディーとして見ると、期待外れか。

モチーフが深刻すぎて笑えないのだ(主人公が失業者、当時は多かった)。

皮肉っぽく無いから、ブラックコメディーとも違う。

敗戦後間もない独特の世相を茶化して、一コマ漫画で庶民の肩の荷を下そうという原作者の意図、それをストーリーに仕上げた脚本化の妙、ドタバタ以外の喜劇のスタイルを模索した監督、ニュース映画を多用した臨場感など作品のレベルは高いと思うが、かなり暗い。

 

No.68

 ファンシイダンス 1,989/101分 bs ラブ・コメディー

 

周防 正行 監督   岡本 玲子 原作(漫画)

本木雅弘、鈴木保奈美、大沢健

 

題名から想像もつかない内容でびっくりしたが、

禅寺における修行の実態や寺内部の暴露など、題材が特異なせいなのか、新鮮に感じた(23年前の作品だが)。

坊主姿をカッコイイと思ったり、所作が美しいと感じる目線に、女性らしさを感じる。

修行と性愛の葛藤など、古典文学の領域だから今更深入りしないで、儀式の最中に人前でキスをして「あるがまま!」と開き直るラストは、まさに劇画そのもので現代的。

単純でいい。

本木の初主演作品。

今と比べるとさすがに陰影が薄いが、独特の雰囲気を既に感じる。

周防監督の作品は、取り上げる題材がどれもユニークで、しかも面白く平易。

25年前の保奈美さんがカワイイ・・これも見所か。

 

No.67

恋人たちの予感 1989/96分 dvd ラブ・ストーリー 10.13

 

ロブ・ライナー 監督

メグ・ライアン、ビリー・クリスタル、キャリー・フィシャー

No.59と同監督、さすがに手馴れた一作。

・メグ・ライアンの可愛いっ子ぶりがウリ。

・セックス会話ばかりだが、いやみが無い(あけすけなセックス会話は米国映画特有か、少なくとも日本では作られていない)。

・NYのクリスマス風景、秋のセントトラル・パークなど絵が美しく、旅心をくすぐられる。

・古い映画の割には、古臭さが無い。

・フットボール会場でのウエーブの最中、男性二人が深刻な離婚ばなしをしている。波が来るたび会話の途中で立ち上がる様や、2×2のダブル電話コール場面など、お笑いネタがしゃれていて工夫されている。

・勿論ハッピーエンドだが、あからさま過ぎる二人は本当に上手くいくのだろうか???

 

No.66

お早う 1959/94分 ホーム・ドラマ bs 10.06

小津 安二郎 監督   野田 高悟 共同脚本

笠智衆、三宅邦子、佐田啓二、久我美子、杉村春子

時代の経過に耐え切れず、古臭くなっていることから、恐れ多くも凡作とみた。いいセリフ:大人だって「お早う」だの、「こんにちわ」だの、「天気がいい」だのって無駄口ばかり叩くじゃないか。・・・子供のセリフ。そう言えば大人の会話も殆ど無駄口ばかりで、本当のことは口に出来ないものだ。(暗に、お愛想は社会に生きる潤滑油だけど、そればかりでいいの?を暗示)

 

No.65

ダンケルク 1964/123分 仏 戦争映画 bs 12.10.04

アンリ・ベルヌイユ 監督  ジャン・ポール・ベルモント、 フランソワ・ペリエ、カトリーヌ・スパーク

第二次世界大戦中、最大の撤退作戦の舞台となったダンケルクで、取り残されたフランス兵たちの残酷な命の浪費を、反劇的に乾いたタッチで、さらさらと描いた一風変わった戦争映画。

この作品を観て、反戦とか民族意識とか極限状態における人間の心理とかという観点は感じず、突然死によって生が終わるという、納得しがたい現実を突きつけられ、生きることの意味が何処にあるのか? と観客に叩きつけている。

根底には、戦争を通して人生や社会を否定したペシミスティックな視点があるのだろう。

同監督の「ヘッド・ライト」も暗く夢が無かったなあ・・・・。

 

No.64

ル・コルビュジェの家 2009/130分 アルゼンチン 09.29 新宿K’cinema 上映中

ガストン・ドゥブラット、アリアノ・コーン 監督

ラファエル・スプレゲルブレド(レオナルド)、ダニエル・アラオス(ビクトル)、エイヘニア・アロンソ

コルビュジェの生涯とは全く関係ない映画。

ブエノスアイレスの近郊にあるラプラタという町に、南米で唯一のコルビュジェの邸宅建築物クルチェット邸がある。

その中で起きる、レオナルドと隣人ビクトルの諍いを描いた作品。

クルチェット邸はガラスをふんだんに使った装飾のない超近代的な住空間だが、階段の代わりに設けられた折曲がった緩いスロープの手すりが濃い茶色の木になっている。

これが無機質な空間のなかで、ひときわ温かい雰囲気をかもし出しているのが印象的。

古代ギリシャの回廊を思わせるテラスもなかなか素敵だ。

最大の特徴は大きな木を囲むように家が建てられていることで、人工的な室内と対比させ、自然を意識したつくりになっている。

*

隣人ビクトルは部屋に窓が無いので、壁に穴を空け窓を作り始める。

レオナルドは自分の部屋が丸見えになるので、これに抗議する。

止める止めないの諍いが何日も延々と続き、男同士は少しずつ立場を理解し譲歩案合意に至るが、レオナルドの奥さんが反対、振り出しに戻る。

対立した問題を解きほぐすことの難しさは我々の日常でよくあり、強引な方が勝って、おとなしい方が引っ込むのが常だが、力が均衡している場合糸口は見えない。

民事は裁判で決着することは少ない。

時間と費用もかかり得策ではない。

お互いに話し合えが国の基本。

この場合、頑なな方はレオナルドに見える(主人公だが)、ビクトルは柔軟でかつ、あの手この手で、人間関係を作っていこうと誠実。

相手に恵まれるか否かも決定的だ、人生は。

他人との対立を考えさせる深い、深いテーマ。

**

ラストをここで書くとこれから台無しなので止めるが、素晴らしい。

***

タイトル・バックからしてシャレている。

その他小道具、椅子も服装もすべて色々な新進芸術家が関与したらしく、センスに溢れている。

「瞳の奥の秘密」も凄かった、デフォルトの国アルゼンチン映画も侮れない。

 

No.63

家族 1970/107分 ホームドラマ bs 09.28

山田 洋二 監督

倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆、前田吟

製作中に大阪万博が開かれており、実際のロケ地にも使われている。

長崎の離島から北海道中標津の牧場まで一家が移動する日本縦断ロードムービー。

既に評価の固まった作品だが、改めて見ると40年間の街や世相の移り変わりが実感できて、記録映画の面白さがある。

山田監督は落語調の喜劇を得意としているため、どの作品も私には少し軽い感じをうけるが(藤沢作品も含め)、本作はかなりシビアーだから、こんな一面もあったのかと驚かされる (但し、ラストのラストは楽天的過ぎるが)。

それに、貧乏の描き方も本格的であるから、苦労人であることも判る。

貧乏故に長女と父親を旅の途中で死なせてしまうようなものだから、貧乏の悲惨さは良く出ていると思うが、当時は庶民は多くがまだ貧乏だったから、実はそんなに惨めではなかったような気がする。貧乏なりに身の丈に合った生活をしていたから、今考えると楽しくさえある。

長期の汽車賃を払って移住すること事態が身の程知らずな設定だという意味で、敢えてケチをつけるとすれば、作られた悲劇の感は否めないのでは。

 

No.62

嘆きのテレーズ 1952/107分 bs サスペンス 09.27

マルセル・カルネ 監督、エミール・ゾラ 原作

シモーニュ・シニョレ、ラフ・バローネ、ローラン・ルザッフル

「天井桟敷の人々」で世界にその名を知らしめた、フランス映画黄金時代の巨匠の一人。ゾラは「居酒屋」がルネ・クレマン監督によって1956年でも映画化されているので、夢も希望もない自然主義文学が、大戦後の荒んだ時代に受け入れられていたのだろう。今ではあまり顧みられないが。                                          名画の一つでコメントする余地もないが、今観ても後半のサスペンスは非常によく出来ており、シニュレの心理描写演技より、技巧的な脚本を評価したい。黒猫の目、物言わぬ義母の目がモノクロならではの強い印象を与えている。

でも正直、やっぱり希望のない映画は観るのがつらい。

 

No.61

ジェイン・オースティンの読書会  2007/105分 米 cs 09.27

ロビン・スウィコード 監督(SAYURIの脚本家)

キャシー・ベイカー、マリア・ベロ、エミリー・ブラント、ヒュー・ダンシー

「高慢と偏見」という映画を観ただけで、彼女の本はまだ読んだことがないが、読んでいれば、メンバーの会話の内容が意味深く感じられるのかもしれない。

オースティンの代表作は6編で、これをすべて読書会の題材にしている。

1800年前後のイギリスの田舎を舞台にし、当時の階級社会と結婚制度が女性の生き方にどのように影を落とすのか、たいした事件も無く淡々と地味に描いているらしい。

それでいて、漱石やモームも高く評価しているので、映画の題名にされても英語圏ではごく自然なことなのだろう。

*

この映画は題名とは異なり、オースティンは余り語られず、読書会のメンバーの恋愛 、夫婦生活 などごく日常的な話で出来上がっている。

読書会の6人は私生活で夫々悩みを抱えている。

中に一人だけ男性がいるが、彼が結局独身主義の女性メンバーと結ばれ、破局を迎えそうな二人の主婦も最後はよりを戻し、レスビアンは新しい恋人?を見つけ、まとめ役の老婦人も最後は異国人と再婚する。

要するに皆ハッピーエンドで終わるという、考えてみればごく平凡な映画なのだが、其処にいたるまでの危機一髪が上手に出来ているということだろう。

**

主婦が若い青年を好きになり約束のモーテルに行く時、信号のdont walkが踏みとどまれに見えUターンする場面があるが、オースティンも生涯独身で通した女性の例にもれず、非道徳な行いに対して許さない姿勢を、脚本家も斟酌したのだろうか。

会話の中では、男女交際イコールセックスみたいな割り切りもあり、儒教に毒されたわが国との違いに驚かされるが、とどのつまりは道徳的に収束させているので、観る者に安心感と爽快感を与えているのが、多分原作の良さにも通じているものと推測する。

***

ヒュー・ダンシー、恋に躊躇する青年の心情が溢れ、なかなか好感。

 

No.60

優駿 オラシオン 1988/128分 bs ホームドラマ 0922

杉田 成道 監督(TV北の国から のチーフディレクター、映画処女作)   宮本 輝 原作

斉藤由貴、緒形直人、吉岡秀隆、仲代達也、緒形拳、田中邦衛、加賀まりこ

オラシオンはスペイン語で「祈り」、駿馬の名前。

仔馬が成長してダービーに勝つまでの競走馬物語と、馬主一家に起きる色々な困難劇を、絡ませてシナリオが出来ている。

両面鏡のつくりに似ているが、馬の影がやや薄いので、これはやはりホームドラマと呼ぶべきだろう。

緒形親子が馬の顔を抱きしめたり、顔をすりすりしたりしている様は、本当の厩舎員みたに馬に馴れきっているのには驚いた。

事前準備に敬服。

それにしても、ダービーでトップでゴール板を駆け抜けて「良かった良かった」に何故しなかったのだろう。

進路妨害の審議が感動を醒ましてしまうと思うが。

さらに言えば、妾の子供には腎臓を提供しない父と言う設定も、しらける。

白銀の北海道牧場と緒形拳が印象深い。

 

No.59

ア・フュー・グッドメン 1992/137分 米 法廷ドラマ cs 0917

ロブ・ライナー 監督

トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン、デミ・ムーア、ケヴィン・ベーコン

名画「スタン バイ ミー」の監督である。

裁判映画であるがこれは米海軍内での裁判。

自衛隊にもあるかどうか知らないが、海軍内で起きた殺人事件などは海軍省の中にある裁判所で決着している(陪審員もいる)。

裁判官、弁護士、検事 が皆将校の軍服を着ているのが異様。

米海兵隊のしごきは漏れ伝えられているが、最前線ともいえるキューバのグアンタナモ基地には人道無視の性格異常下士官が君臨し、殺人に至るほどひどい様が暴かれている。

しごき派がアメリカ権力側の主流だから、人道派がこれを暴き、有罪にするするには多くの障害が待っている。

少数派の人道派家(フュー・グッドメン達)が犠牲者を出しながらも、雄雄しく立ち向かう姿に、まだ消えやらぬアメリカの若い希望を感ずる。

裁判映画に限らず、思惑とは逆に悪い方向にドンドン進むシナリオの胴体部分をデッドセンターと呼ぶが、本作ではそれが浅い為最後のどんでん返しの効果も薄く、感動的な話にしてはイマイチ感動しない。

しかし、ジャック・ニコルソンの憎まれ役が秀逸であり、権力に屈しない監督の姿勢にも敬服させられる一作。

 

No.58

エネミー・オブ・アメリカ   米 1998/132分  dvd 国家犯罪ドラマ 0916 

 

トニー・スコット 監督

ウイル・スミス、ジーン・ハックマン、ジョン・ヴォイト

国家機密機関が秘密裏に暗殺した証拠となる媒体が、偶然手に入り当局から命を狙われることになった弁護士。国家機関と戦うのは一人では手薄、元CIA技術者がハイテクを駆使し手伝う。

この映画は、個人情報が徹底的に収集される恐ろしさを描いている点で重要。私電話でも会話中、爆薬はじめテロに関係する言葉を発すると、機械が自動的に個人情報に書き込むということになっているが、既にそこまで来ているのだろうか。電話回線は怪しい人は筒抜けな事は想像できるが。既にGPSや街角カメラで行動は監視されているが、デジタル技術の進歩で精度がもっと上がれば、犯罪防止だけでなく、善人が誤って追跡され消される心配もある。自宅の火災感知器に隠しカメラがセットされれば、公も私もあったものではない。

J・オーエルの「1984」で提起された問題がハイテク技術の進展によって、より現実的な大問題になって来たということだろう。そろそろ歯止めが必要だろう。

 

No.57

居酒屋兆治 1983/125分 演歌物語  dvd 0915

降旗泰男 監督 山口 瞳 原作

高倉 健、大原麗子、加藤登紀子、田中邦衛、伊丹十三、平田満、小松政夫、ちあきなおみ、大滝秀治、佐藤慶、東野英治郎、池辺良、小林稔侍

演歌調にわざと作ってあるのだが、真面目さとおふざけのバランスを欠き、感動なし。

大原麗子が男を慕う女を演じているのだが、精神を病んだストーカーまがいの設定の為、自殺が可哀相に見えないのが最大の難点か。

それにしても豪華キャスト、今となっては多くの物故者出演が懐かしい作品。

 

No.56

弾丸を噛め 1975/133 米 西部劇 bs3 0914

リチャード・ブルックス 監督

ジーン・ハックマン、キャンディス・バーゲン、ジェームス・コバーン

今世紀初頭 馬による西部横断レースを描いた異色西部劇(インディアンや牛泥棒が出てこない)。

前半が予想の範囲内で、退屈。

どう収束させるのかと気を揉んでいたら、キャンディス・バーゲンには下心があったあたりから、持ち直すが長い割には盛り上がりや感動がイマイチと言うところ。

ただ耐久レースだから、最後は馬を愛する男が酷使する者を退け、勝者になる筋書きは秀逸だろう。

それにしても、ケンカが強くて、誰にも優しく、賢いという、出来すぎた主役像が実話話を台無しか?

 

No.55

武士の家計簿 2010/129分 時代劇 cs 08.26

森田 芳光 監督    磯田 道史 原作

堺 雅人、仲間由起恵、松坂慶子、草笛光子、中村雅俊、西村雅彦、伊藤祐輝

代々、加賀藩の御算用者であった猪山家は、その技ゆえに明治維新後も重用され、海軍財政の切り盛りに活躍した。

この物語は今も同家に残る「勝手方入払簿」を手始めに、原作者が実証検証した史実を本にまとめたもので、ベストセラーともなった。

武士の沽券を守る為、借金が増えていく生活を立て直す為、家財を売り払い、見栄を捨て頑張る家族の姿を中心に、物語が大河ドラマ的に進行していく。

精神論が横行していた江戸時代に、「そろばん」を家訓としてきた同家は「そろばん馬鹿」と蔑まれたが、息子は維新後、大村益次郎に才能を見出され、国家基盤を担う会計専門家として、重要な役割を果たした(海軍主計大監)。

*

祖父が亡くなった時も、別室に篭り葬儀費用のソロバンをはじく父に、こんな時に何故ですかと詰め寄る幼い息子。

「ソロバン侍」だからと応える父。

家計簿を点検して、不足金を指摘され、誤って道にばら撒いてしまったことを白状する息子。

父は自分で解決しろと言うので、雨の振る中探しに行くが無い。

そこで、河原で人の落としたお金を拾い、つじつまを合わせたが、これが父に判り、乞食ではないからこれを元のところへ返して来いと諭す。

要するに、お金だけではなく儒教の人の道を同時に教える、厳しい父だあった。

ゼニカネだけの今の経営者に倫理観の欠如を指摘しているようではないか。

**

題名とは裏腹に、なかなかムーディーな映画である。

夕景の武家屋敷の簡素なたたずまいを写したカメラ、自制の効いた凛とした武士の立ち居振る舞も美しく、イメージソングも良い。

***

何より素晴らしいのは、堺雅人の演技。

冷静で静かな男を自然に演じて不足が無い。

はまり役だろう。

***

昨年暮れ監督は急逝した。

こんな映画を観ると、もっと作って欲しかったとつくづく思う。

合掌。

 

No.54

どら平太 2000/111分 時代劇 dvd 08.24

市川 崑 監督 、 山本周五郎 原作 、 「四騎の会」(黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹)共同脚本

役所広司、宇崎竜童、片岡鶴太郎、浅野ゆう子、大滝秀司、神山茂、加藤武、菅原文太、石倉三郎、石橋連司、尾藤イサオ、うじきつよし、江戸や猫八

監督、原作、脚本、俳優 共に超一級の作品だが、評価はイマイチだったようだ。

さらに、四騎の会の第1回脚本なのに、何故お蔵入りしたままだったのか、疑問が残る。

そこで、まず原作(町奉行日記)に当たってみたところ、個々セリフは原作に忠実だが、胴体部分の脚色が大きく少し違う印象を受けた。

原作では主人公は「型破りだが悪人も惚れ込む人間味溢れる男」、映画は「滅法腕の立つ一匹狼」。

その1:原作には大立ち回りが無いが、映画では座敷で一人で何十人も切りまくる超人的見せ場がある。(原作は悪人が男にほれて身を引くが、映画では腕ずくで屈服させている)

その2:藩財政の為とはいえ悪党と結託していた親友と最後に対決する場面、原作では友は静かに森に去っていくだけに止め、自刃を暗示させる終わり方になっているのに対し、映画は友の目の前で腹を切る。

その3:映画では、殿のお墨付き文書、悪親分3人との袖の下契約文書 などを偽造して重役達を黙らせているが、これは原作には無い。悪人さえ惚れ込む人格者という設定だからやりすぎか。

観客は大立ち回りを期待しているので、脚色は良いとしても、三親分の手勢多数を一人で成敗するのが如何にも不自然。そう思わせない為には駆け参じる援軍を用意しなければいけないが、その伏線が間に合わなかった。

原作では正義感の強い青年軍団と手打ちしているので、それを使っても良かったのだろうが、手打ち場面を割愛しているので使うわけにも行かなかったのだろう。

原作は友情を描いた側面があるので、親友との決別の場面ももっと映画でも余韻を残しても良かったと思う。

これは脚本よりも、竜童の演技が軽すぎたせいかも知れない。

*

何れにせよ、個性の強い4人が意見の一致をみなかったのだろう。意見が異なると妥協するが、それが全体としてバランスを欠いたままのお蔵入りか。

大衆娯楽時代劇路線に徹するのはこのスタッフでは無理。

**

「女にもて過ぎる色男剣士」・・役所広司は適役だったかどうかも検討の余地が残ると思うが。

 

No.53

バーン・アフター・リーディング 2008/93分 米 ブラック・コメディー dvd 08.20

イーサン・コーエン、ジュエル・コーエン 監督

ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコヴィッチ

題名は「読後焼却」。

CIAの機密文書らしきものを自宅のパソコンに入れておいたマルコヴィッチ。

妻は離婚の為弁護士を訪れて、有利な条件を探す為、指示により夫のパソコンをディスクにコピーするが、それを外で紛失。

それを拾ったブラビが金を脅し取ろうと画策するが殺される羽目に。

愛を信じている女とセックスしか頭に無い男のすれ違い劇、美容手術代の為に国家機密をロシアに売る女のエゴ、CIAが州の予算以上を使い放題で、非合法解決を常にしている異常さなどなど、この映画には人生や世界を全部否定し、滑稽な茶番劇だと決め込んでいる。

それが為、登場人物全員が夫々の不幸に向かってまっしぐらに突き進む。

殺され方もタランティーノばりに乾いて唐突、愛の掛け違いの滑稽さはウッディーー・アレンよりアクが強い。

*

ブラック・コメディーの範疇を超えている。

それが、ネチネチと進むからテンポが極めて悪い。

でも言っていることは真実だから、優れた脚本と言わざるを得ないが、ブラック・ユーモアでも気味悪さが残る独特の屈折感だ。

イーサン兄弟を評価しないと映画通ではないと言う声も聞こえそうだが、名作の呼び声高い「ノーカントリー」「ファーゴ」も観た後が何処か気味悪さを感じるのは私だけだろうか。

「バーバー」だけは何処か哀愁があって良かったが・・・。

まあ一言で言えば、難解な作家と言うことで、何回か同じものを観れば解かって来るのかも知れないけど。

でも、そんな気になれない映画であるのも事実。

 

No.52

シチリア! シチリア! 2009/151分 ファミリー・ドラマ  0801

ジョゼッペ・トルナトーレ 監督

フランチェスコ・シャンナ(ペッピーノ)、マルガリット・マデ(マンニーナ)、サルヴォ・フィカッラ(ニーノ)、リナ・サストリ

原題はBAARIA、監督の出身地の村名。

邦題からしコメディーを連想していたが、正統的大河ドラマ、力作であった。

浦島太郎路線で過去と未来を交差させてあることがラストで分かる仕掛けなので、それまで腑に落ちない気持ちが続くことや、やや永く無駄なカットもあるので、過去の作品と比べて評価が落ちる。

監督の半生記という触れ込みだが、「ニュー・シネマ・パラダイス」の方がそうで、本作は彼の父と母を主に描いていると思われる。ラスト近くに汽車で故郷を後にする長男が監督なのだろう。

 

 

No.51

今度は愛妻家 2009/131分 ラブ・ストーリー dvd 07.24

行定 勲 監督    中谷まゆみ 原作

豊川悦治、薬師丸ひろ子、水川あさみ、石橋蓮司、濱田岳

舞台劇の映画化。

妻が生きているうちはわがまま勝手な夫で、妻が幽霊になってからはじめて一途な愛を知るという、取り返しの付かない悲劇を描いた脚本である。

題名からして原作は後半がたっぷり描かれているものと思われるが、映画の方は簡単に描いている。

この方が余韻を残して、映画として成功していると思うが、題名とはそぐわなかったか。

*

幽霊映画と言うジャンルには怪奇物以外でも結構名画がある。

ベンダースの「ベルリン天使の詩」、主題歌で一世を風靡した「ゴースト」などなど。

中でも恋人を失い、そのショックの反動で、未だ生きていると錯覚し、幽霊と会話する姿の哀れさが涙を誘う類が良い。

邦画では最近「パーマネント野バラ」という佳作があった。

**

ペットが死んでもショックだから、妻を失った場合は錯乱の挙句、幽霊が出てくるのかもしれない(夫が死んだ場合、妻は短期間で立ち直れると聞くが)。

後追い自殺した高名な作家も居たので、あながちこんな話は嘘ではないのだろう。

でも、世の中には夫婦もいろいろな形態があるので、こんな映画を嘘と片付ける人もいるだろうが。

***

失ってみて初めて分かる「かけがえのなさ」は妻の死だけではない。

老人になってわかる「若さ」、病人になってわかる「健康」・・・・。

人生失うものの連続である。

いつまでも、幽霊に拘っていると、弟子まで彼の元を去る。

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時間だけが解決してくれる。

どんなに辛い状況でも、人は順応し成長していく、DNAは強い。

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仕事もしない浮気駄目男をひたむきに愛する女を薬師丸ひろ子が見事に演じ、豊川悦治が出鱈目夫と愛妻夫を又見事に演じきっている。

濱田もなかなかの熱演。

役者というのは本当に凄い。

 

No.50

グッド・ウイル・ハンティング/旅立ち  1997/127 米 青春ドラマ dvd 07.21

ガス・ヴァン・サント 監督

マット・デイモン、ロビン・ウイリアムズ、ベン・アルフレック、ステラン・スカルスガルド

惨い幼児体験が深層心理に食い込んでおり、成人になっても「暴力」で発散している主人公のウイル青年(マット・デイモン)。

警察とは縁が切れず、社会に背を向け、他人に嫌われるようなことばかりやっている。

心理学的には、愛された経験が無いから、他人に自分を意識させる為に、反抗的な態度をとるらしい。意識下では愛を求めている。

天涯孤独でスラムに住み、不良仲間4人とだけ何時もつるんで、ぶらぶらしている。

*

ところが、ウイルは数学の大天才なのだ。

バイト先のMIT構内の清掃作業中壁に貼ってあった、数学の難題を解いてしまう。

フィールズ賞を貰った教授にも解けない難題でも彼にとっては簡単だ。

誰が解いたか捜索が始まり、スラムに教授が尋ねて来るあたりから、話が本筋に入る。

**

教授は人類の未来を切り開くことが出来る大天才を研究に従事せるべく、まずまともな人間に戻す算段を始める。

何人もの分析医が彼を矯正しようと試みるが、すべて失敗。

最後に依頼したのが、彼の同窓生の精神科医ショーン(ロビン・ウイリアムズ)だった。

ショーン自信、妻を亡くして長いトンネルの中でもがいていた男だった。

***

ウイルは初めショーンを無視するが、亡妻をけなされたことから激しいケンカとなり、これがきっかけでお互い裸で向き合うようになる。

この二人の葛藤がこの映画の胴体部分。

ショーンも父に暴力を振るわれ、心に傷を負っている同類の人間だった。

****

「君は一人じゃない」、「一人じゃない」

「君は悪くない」「君は悪くない」

ショーンが同じ言葉を何度も繰り返えすうちに、ウイルは次第に自分を取り戻していく。

ショーンもウイルとの葛藤を通して、妻の幻影を振り払い、新たな門出を始めるべくインドへの旅に向かう。

*****

この作品で最も感激的なのは、親友の不良仲間との友情であろう。

ウイルが並外れた才能の持ち主であることはよく知っている。

だから、こんなスラム街に燻っている男でないことも知っている。

彼の楽しみは、毎日遊びの誘いに彼のドアーを叩くときに、中から応答が無く、彼がまともなシャバに羽ばたいて行った、という時を想像して歩く玄関前の数歩の瞬間というセリフが前半にある。

エンディングでそれが現実になり、親友の顔に喜びが表れ、観客も何度も繰り返されるドアーのノックの同シーンが最後の最後でに真実なったことに感情が爆発する。

******

心に傷を負ったひとは多い。

それを題材にした米国の映画も多く、精神科医の存在意義もわが国とは少し違う。

最近わが国でもドメスティック・バイオレンスが報道されるが、米国映画にはかなり前から多く登場している。

社会現象は米国の後追いが多いとも言われるので、これからわが国でもかなり問題化していく気がする。

親から子、子から孫、悪の連鎖とも言う、要注意である。

******

ロビン・ウイリアムズがいい。本作でアカデミー助演男優賞を獲得した。

 

No.49

独立愚連隊 1959/109分 戦争&西部劇 bs 07.19

岡本 喜八 監督

佐藤 允、中谷一郎、鶴田浩二、三船敏郎、雪村いずみ

アメリカ西部劇の主人公は拳銃の名人だったり、ケンカが滅法つよかったりのヒーローに決まっているが、この日本版西部劇では少しだらしない駄目男。代わりに頭脳ワークで悪を退治する。

両方とも共通な点は組織からはみ出した自由人と言う事だ。

この自由度がフアンの拠り所。

*

喜八監督の映画はどれも娯楽性を重視した独創的なものが多いが、本作は彼が助監督時代に書き上げていた脚本だから、遠慮が無い。

戦争の馬鹿馬鹿しさと、西部劇調の勧善懲悪を合体させ、謎解きのおもしろさも加えた、空前絶後の脚本である。

**

今の映画には登場してはまずい、従軍慰安婦が出てくる。

おまけに韓国なまりである。

映画の世界ではこの時代の方が自由度が高い、翌年続編が作られたが、いまでは決してリメークされない。

***

軍部や戦争の真実を暴き、チャカすことにより、現在でも国家権力に対する監視の目を緩めないという効果は期待できる。

この路線は支持したい。

****

中谷一郎:水戸黄門の「風車の弥七」で有名な役者だが、この映画でピカイチの演技を披露している。

 

No.48

クレオパトラ 1963/244分 米 歴史ドラマ dvd 07.18

ジョセフ・マンキ・ウイッツ 監督

エリザベス・テーラー(クレオパトラ)、レックス・ハリソン(シーザー)、リチャード・バートン(アントニウス)

TVの登場で映画が斜陽になり始めた頃、その影を振り払いように、空前絶後の大スペクタクル映画が作られた、しかも244分。今観ても、飛びぬけた物量作戦に度肝を抜かれる。

CGなど無かった時代に荒野を埋め尽くす大軍団はすべて日当を払った人間(エキストラ)、エジプトの豪華宮殿など装置はセットとは思えない精巧さ、さらにクレオパトラのファッショナブルな衣装の数々、特にスフインクスに乗ってローマに乗り込む時の「金張りのガウン」が凄い。アカデミー賞で撮影賞を獲得したが、こんな金のかかった作品は二度と作れないだろう。

内容的には、シーザー役に威厳が不足した感があったり、女王の恋物語的側面と歴史映画としてのバランスがどっちつかずだった為、感動が薄いなど問題があると思うが、カバーして有り余るテーラーの美しさがある。(撮影時30歳)。

 

No.47

千年の祈り 2007/83分 中国 ファミリー・ドラマ dvd 12.07.17

ウエイン・ワン 監督 イーユン・リー 原作

ヘンリー・オー(父)、フェイ・ユー(娘)

原作は処女作短編集とのこと。

映画もシンプルそのもので、時間の長さは別として短編映画と言っていいだろう。

文化大革命が引き起こした、家族崩壊の悲劇。

今になって真相が分かり、娘が父を許す下のは分かるが、先立った妻には釈明しなかったのだろうか。

この夫婦関係が何も語られないので、いまいち納得出来ない。

*

娘はセリフも少なく存在感薄いが、父親は出ずっぱりで、一人芝居。

なかなかの芸達者で人柄がにじみ出て、見事な老人役。

**

シンプルだが上質な作品で☆4.0に近い☆3.5と言い訳しておこう。

 

No.46

はやぶさ 2011/140分 dvd 12.07.01

堤 幸彦 監督

竹内結子、西田敏行、高嶋政宏、佐野史郎

小惑星探査衛星「はやぶさ」の打ち上げから帰還までの科学者の奮闘を映画化したもの。

感動的な成果だったので、何本か映画化されたうちの1本。

主役の竹内結子を除いては、ノンフィクションに近い脚本とのことだが、どこかドラマっぽく、しかも安っぽい感じがした。

理由の一つに科学映画としての専門知識の開示が少ない(殆ど無い)ことが挙げられよう。

迷走する「はやぶさ」の軌道修正の説明など簡単すぎて、何処が凄いのからよく分からない。

プラネタリュームで難しい専門家の説明を聞いても何となく理解出来て、科学技術の進歩に驚くものだが、この映画にはそれが無い。

多少は感激したが、小学生向けの域を出ない、残念。

 

No.45

サニー 永遠の仲間達 2011/124分 韓国 06.18 渋谷ル・シネマ他上映中

カン・ヒュンチョル 監督

ユ・ホジュン&シム・ウンギョン(ナミ役)、チン・ヒギョン&カン・ソラ(チュナ役)

80〜90年代の世界的ヒット・ソングが使われているので、大方の人には懐かしさがこみ上げてくるのではないか。

・フランス映画「ラ・ブーム」の主題歌「愛のファンタジー」 歌リチャード・サンダースン

・シンディー・ルーパー 「time after time」

・「サニー」ボニー・ヘブ(これは’66の曲だが、その後シナトラやジェームス・ブラウンなど多くの歌手によってカヴァーされ、'80年代にも多く聞かれていた・・映画題名の由来)

曲名は知らずとも、聞けば「ああ」と知っている曲なので、その意味では有名すぎて、照れくさい(ミイー・ハー過ぎて)感はあるが、これが韓国映画の真骨頂?

*

韓国映画も多様でひとくくりで語れないが、面白くても外国映画のパクリ的な作品が多いのが気になる。

少なくとも使われている音楽は殆ど外国の名曲で、オリジナルは少ない。

反論もあろうが、みえみえすぎる。

韓国は歴史も文化も固有のものがあるのだから、西洋かぶれもこの辺で卒業してもらいたいと、余計なことだが、思っている。

**

本作も大変面白い出来だと思うが、sex&cityと同じアラフォーの題材を選んだ事や、遠い昔の仲間を探し歩く筋書きは過去何度も映画化されているので、新鮮味は無く、オリジナリティーに欠けていると言わざるを得ない。

オリジナリティーを無視する人は、熱烈な韓国映画フアンになれるだろうが、私は途中でしらけてしまう。

***

難しい事を忘れて、単純な娯楽映画として観れば、多分邦画より上かもしれない。

色々ケチもつけられるが、面白いということは確か。

食わず嫌いな人も、是否一度。

そして、私の意見が偏見かどうか教えて欲しい。

 

No.44

私は二歳 1963/88分 dvd 12.06.08

市川 崑 監督   松田道雄 原作   和田夏十 脚本

中村メイコ(あかちゃんの声)、船越英二、山本富士子、浦辺粂子、渡辺美佐子、京塚昌子

名画だが、住宅事情、家族事情が変わっってしまった今日、テーマが古ぼけて使えないと思う。山本富士子は良いが。

 

No.43

ペリカン文書 1993/141分 dvd クライム・サスペンス 12.06.06

アラン・J・パクラ 監督  ジョン・グリシャム 原作

ジュリア・ロバーツ、デンセル・ワシントン、サム・シェパード

グリシャムの大ヒットシリーズ。それぞれ映画化されたうちの一つ。自然なハラハラドキドキ度に好感。面白い。

 

No.42

石内尋常高等小学校 花は散れども 2008/118分 dvd 06.05

新藤 兼人 監督

柄本 明、豊川悦治、六平直政、大竹しのぶ、大杉 漣、川上麻衣子

先月100歳で亡くなった新藤監督の、遺作「一枚の葉書」と同じく、自伝的匂いの濃い作品。

年嵩がいくと誰しも、過ぎ去った過去を反芻したくなるものだが、特に幼少時が強く思い起こされるのは、人生がいよいよ終わりを迎える前兆かもしれない。

**

明治、大正の小学校と言えば、その時代に生きていなくても、何か特別のノスタルジーを感じるのは、私だけではないだろう。

木造だが西洋風なしゃれた校舎は真ん中に玄関があり、左右シンメトリックで均整がとれている。

広く白い校庭はサクラの木で囲まれ、絣を着た腕白小僧や少女が下駄を履いて校門をくぐる。

先生は絶対的権威で尊敬の対象であり、竹の根の部分で作ったムチで、黒板をピシピシ叩きながら生徒を鍛えている。

季節は秋。

生徒の中には、稲刈りの手伝いで疲れて授業中でも居眠りをしている者もいる。

音楽室からはハイカラなオルガンと合唱が聞こえ、半ズボンの体操着を着た生徒が校庭で運動会の準備をしている。

青い空に白い雲が浮かび、校庭にトンボの群れが飛ぶ。

***

大正12年、広島県石内村(現在は広島市の西の郊外佐伯区)の小学校で教鞭をとっていた市川先生とその生徒達の30年にわたる人生を、戦争の影と淡い恋物語をはさみながら、人が生きる意味を問い詰めた力作である。

市川先生は退官後、石内尋常高等小学校の隣に移住し、一日生徒の歓声を聞くのを楽しみにした。

教え子のことを片時も忘れず、死ぬまで教育者であり続けた。

脳梗塞で言語、下肢が不自由になっても、頭は生徒の事でいっぱいだった。

生徒をこよなく愛し、生徒も先生を慕った。

要するに、新藤監督の信条である、生きている限り生き抜く(仕事を続ける)、そんな一本線の人生のお手本だったらしい。

**

級長と副級長の間には淡い恋心が芽生えていたが、家の零落などで卒業後離れ離れになったまま30年が過ぎた。

30年ぶりのクラス会で再会し、焼けぼっくりに火が着き、男(豊川悦治)は東京から帰郷し彼女の経営する料亭で働く決心をするが、女(大竹しのぶ)は脚本家になる夢を捨ててはいけない、貴方の道はこれまでも、これからも一本の脚本家という道を歩むべきだと諭す。

これは、市川先生が身をもって示した一本道の人生訓そのものだった。

***

この作品は、あまり評価されてないようだが、その一つに喜劇調といううか、漫画調の演技が見られるからだろう。

丈の短い背広を着た柄本明の先生ぶりや六平直政の居眠り収入役、ピカドンで顔半分が焼けどになった大杉漣など、確かに漫画から抜け出したような人物設定だが、真面目なテーマだけに逆に肩がこらずに、これはこれで良かったのではないか。

美化しすぎるという声も聞こえてきそうだが、世の中には人生の師と仰げる人と出会えた人は、これが誇張ではないと理解できると思う。

***

六平直政って本当に素晴らしい役者だと思った一作でもあった。

 

No.41

ミッドナイト・イン・パリ 2011/94分 米 吉祥寺バウスシアター他公開中 06.04

ウディ・アレン 監督

オーウエン・ウイルソン(ギル)、レイチェル・マクアダムス(イネズ)、コリー・ストール(ヘミングウエイ)、マリオン・コティヤール(アドリアナ)、トム・ヒドルストン(T・S・フィッツジェラルド)、エイドリアン・ブロディ(ダリ)、キャシー・ベイツ(ガートルード・スタイン)

ウディ・アレンは好き嫌いを半ばする。

才人ではあるが、世の中を斜めからしか見ないひねくれ者で、どこか人間不信に満ちているのが気になる。

私も余り好きではないのだが、本作は例外。

彼のテーマとする男と女のセックスが主題でなく、ノスタルジーという普遍的価値観をメルヘンチックに描いているからだと思う。

*

夜の12時になると、旧式のシトロエンが裏通りに現れる。

乗って着いた先が1920年代のパリ。そうこの車はタイムマシンなのだ。

米国からパリに渡った芸術家を中心に描かれてはいるが、憧れの錚々たる芸術家が目の前にいる。

ヘミングウエイ、フィッツジェラルド、ピカソやダリ、ルイス・ブニュエル。

「ポリドール」というのは酒場の名前だったのだと初めて知った。

コクトー主催のパーティーで、ギルはアドリアナ(モジリアニの元情婦)をみそめ、彼の恋愛を縦軸に物語が進行する。

我々や世界の人が知っているパリ文化と言うのは、実は現代ではなくこの時代のものだから、確かに強烈な憧れを感じる。

これがこの映画の価値の多くをなしていると思う。

**

花のパリ20年代にもへそ曲がりがいる。

今の時代は駄目だ!やっぱりベル・エポックという呼ばれる世紀末の爛熟した時代に戻りたい!

そこで、さらに旧式なシトロエンが迎えに来る。

ムーランルージュのカンカン踊り、ロートレックが酒を飲んでいる。

なにやらゴーギャンが叫んでいる。

アドリアナはこの時代が良いと、此処に留まる決心をして、ギルの恋も破局する。

***

この時代の人も呟く、今の時代はつまらない、やはりルネッサンスが最高だ。

でももう遡ることはしない。

****

ノスタルジーは現代否定に過ぎない。

何時の時代も不足はある。

そうだ現代に戻ろう。

*****

コールポーターの古いレコードをかけている古道具屋の売り子と馴染みになり、新たな人生の展開が予感されて、エンドロール。

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タイムマシンに乗らなくても、年寄りは昔は良かったと言う。

過去は美化され変質して記憶に残るから。

過去の記憶の中に生きるより、現在を改革する方が実効がある。

「今を生きる」事の重要性を説いた作品でもある。

 

No.40

ディア・ドクター  2009/127分 dvd 05.20

西川 美和 監督

笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、八千草薫

偽医者事件は実際にあったが、これは監督の書き下ろし。

医者に成りすますというのは、詐欺師としてもかなり難しいと思う。

この映画でも鶴瓶の親は本物の医者だから、多分彼も医師を目指していたのだろうが、卒業に至らなかったか国家試験に合格しなかっただけで、知識や臨床体験はある程度備わっていたのだろう。

全くの素人にはとても無理な話だ。

資格がなくても患者の身になって誠意をつくせる人と、資格があっても人間的欠陥がある人と、どちらが社会的に有用なのだろうか。

資格は無くても、日々努力し、勉強を重ねる人ならば初期の対応ぐらい可能のような気もする。

***

この作品はまず医者の本当の資格とは何なのかを提起している。

さらに無医村問題は当たり前として、嘘がばれる前と後の村民の態度の豹変ぶりから、人間のいい加減さを提起し、親子関係の嘘までメスを入れるという間口の広い構え。

最後のドタバタは余計だと思うが、日本の村落を通して人間を描く一貫した監督の目線は健在だ。

鶴瓶さんは主役が初めてだが、肺に太い注射針を打つ場面など迫真の演技で不足無し。

 

No.39

大鹿村騒動記 2011/93分 0515

阪本 順治 監督

原田芳雄、大楠道代、岸部一徳、松たか子、三国連太郎、でんでん

南信の飯田市の東方、南アルプスの麓にある「日本一美しい村」の民族文化を紹介している。

村歌舞伎に夢中になっている村民そのものが貴重。

意外にも、衣装や装置なども本格的で、舞台場面も迫力ある画像となっている。

又、村には共同体意識がまだ色濃く残っており、他人も家族みたいな感覚が都会に住む者にとって、信じられないほど。

この映画には、この現代感覚との隔絶感みたいな失われた日本社会へのノスタルジーを描くことが基盤になっていると思う。

それが強かった分、脚本としてのまとまりに欠けているのは仕方が無いかもしれないが、ラストにオチがないのが最大の欠点ではないか。

脚本はエンディングから書け と言われるがそれまでの展開が素晴らしいだけに残念な一作。

原田芳雄の遺作で、病身を押しての製作だったようだが、微塵もそれを感じさせない演技に脱帽。

亡くなって、貴重な役者だったことを再確認させられた作品でもあった。

 

No.38

ブラザース・グリム 2005/117分 米 dvd ファンタジー 05010

テリー・ギリアム 監督

マット・デイモン、ヒース・レジャー、モニカ・ベルッチ

グリム兄弟はペテン師だったという設定。

魔女役を誰かにやらせ、それを彼らの魔力で退治して、村人から礼金を貰う。

有名人となり、或る村から魔女退治の新しい注文が来る。

これには、誰か黒幕が演出しているのではないかと睨み、調査に入る。

ところが、ミイラ取りがミイラになる例えどおり、今回は本当の魔女の仕業だった。

***

最初から、メルヘンの世界だけで処理すれば観衆は納得したものを、科学的考察を持ち込み夢を覚ました後、又夢の世界に戻れといっても首尾一貫しない。

失敗作だと思う。

陰湿な村の不潔さ、ドイツの森の異様さ、残酷さ、などなどホラーまがいの影像は健在。

好きな監督なのだが、老醜は趣味が悪い。

 

No.37

ヘルプ 2011/146分 米   05.07 吉祥寺バウスシアター他上映中

テイト・テイラー 監督

エマ・ストーン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー

ヘルプとは黒人のメイドさんをさす。

ミシシッピー州、ジャクソンヴィル。

1960年 人種差別の激しい米国南部では 黒人は不潔で臭い人間 いや動物に近い者として認識され 白人との食事の同席も許されず、トイレまで別だった。

にも拘らず、労働を厭う白人夫人は家事が苦手な為、これを黒人メイドに前面依存し、育児まで任せっきりだったのも少なくなかったらしい。

不在がちな実母より、日々愛情を注いでくれるやさしい黒人メイドを本当の母と思って育ったスキーター(主人公の女性ジャーナリスト)が 不当な待遇で搾取されているメイドの問題に目覚め、実態を本にまとめ出版にこぎつけるまでの苦労話が映画化されたもの。

出版するには、実話でなければ誰も読んではくれないし、その為には最低十数人のメイドから差別と虐待の実態を取材しなければ駄目と、編集長に言われ早速壁に突き当たる。

協力者は解雇され、リンチさえ受けかねない状況だから、だ。

色々な事件が重なり、エイビリーンという勇気あるメイドが協力してくれることになり、これが発端となり次第に多数のメイドが協力することになる。

***

この作品はデキシランド・ジャズはじめ音楽が効果的に使われているが、エンドロールで流れる曲の歌詞に作品のテーマが示されている。

「多くの人が戦い、敗れていく」

「でも私を見て頂戴、私は勝ったの」

・・・・。

弱者が不正な強者と戦う時、犠牲が付き物である。

それが怖くては事態は変わらない、勇気が必要だ。

人種差別だけでなく、他の多くの問題も 誰かが勇気をだして向き合わなければ 歴史は前進しないということを教えている。

自分は何もせず、ただ待っているばかりの小市民を痛切に批判している。

戦う姿は神々しい。

でも言うは易し、いつかはこの作者のように勝者になるのだろうが、それに至るまでは累々と屍を積み重ねばならない。

極めて重い、重いテーマを提示している。

***

結構長い映画であり、テンポも遅い気もするが、実話という説得力に押され、生きるべき道を示した一作である。

 

No.36

わが母の記 2011/118分 文芸作品 5.05 T・JOY大泉他上映中

原田 真人 監督   井上 靖 原作

役所広司、樹木希林、宮崎あおい、ミムラ、南果歩、キムラ緑子

この映画を観た人は、映画を離れて、親の自分に対する隠れた愛を思い、自分の親不孝ぶりに後悔してしまうことだろう。

ボケて息子が誰かさえ分からなくなった母親でも、息子への愛が燃え続けているという発見に、愕然とする息子。

でももう間に合わない。恨み続けた息子の罪は消せないのだ。

井上靖の自伝的母親物語である。

と同時に、靖の家庭内の親子関係を描いている。

家父長制の父親像が子供の自立を阻害し、溝が出来てしまう様も戦後の家族制度の変遷を表し興味深い。

宮崎あおい が瑞々しく、樹木希林のボケぶりは演技を超えている。

芸達者揃いである。

やや作りすぎの脚本で、カットにも無駄が無く隙が無さ過ぎるのが気にはなったが、最近流行らないが重要な親子問題を取り上げた慧眼を評価したい。

 

No.35

アイランド 2005/136分 米 sf dvd 04.22

マイケル・ベイ 監督           スティーヴン・ジャブロンスキー 音楽

ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン

主題歌が少し有名な他はさしたる取柄が無いか。

金持ちが病気になって、臓器移植が必要になった時の為に、自分のクローンを作っておくという怖い話。

でもこれも想像の範囲内でさしたる目新しさは無い。

カーチェイスなどの派手な逃走劇はさすがハリウッド映画だが。

人造人間製造装置や完璧に管理されたクローン人間の生活が 砂漠の中に作られた未来都市の中で秘密裏に進行していく影像は興味深いものがある。

今日、人間のクローンは禁止されているが、禁止されていると言うことはやりたい人が居るわけで、誰かが何時かはやるだろう。

新たなロックのかけ方も考えねばならない。

自己のアイデンティティーとは何か、生命とは何かという根源的な問題までは、勿論この映画は追求はしていない。

 

No.34

アーティスト  2011/101分 仏 モノクロ・サイレント  ラブストーリー  T・ジョイ大泉 他全国公開中

ミシェル・アザナヴシウス 監督

ジャン・デュジャルダン、ベニレス・ペジョ、ジョン・グッドマン、ジェームス・クロムエル

アカデミー、ゴールデン・グローブなどで作品賞を獲得した話題作。

3DやCG全盛の映画界に竿さして、モノクロ・サイレントを作ったアイデアに負う部分が多いとは思うが。

黒白画面もきれいで、セリフ(字幕)の簡潔さを補う音楽も抜群、タレント犬のアギーに至っては非の打ち所が無い(金の首輪賞獲得)。

長さといい、テンポといい、勿論ジャンの演技といい、完璧。

完成度の高い作品であることは間違いない。

個人的には、大恐慌前後のアメリカのクラシカルな服装や車、住居などにうっとりしてしまった。

現代に無い潤いみたいなものを感じる。

多分この作品の評価のなかにも、失ったものへのノスタルジーが含まれていることは確かだろう。

好きなカットとしては、サイレント映画のフィルムを彼女が眺めることにより、フラッシュバックしていくシーンや、傷心の彼が酒びたりで歩く街角にlonely cafeの看板がちらっと写されたりする何気ない場面。

細部に神経が届いている。

そのほか、場面場面でサイレント名画へのオマージュがあるらしい。

***

以上のようによく出来た作品ではあるが、筋書きは先が読め単純そのもの、又ベタ過ぎて、お涙頂戴もあるので、がっかりする人は多いと思う。

でもこれがサイレント映画たる所以で、見世物小屋の隣で上映される庶民の楽しみの一つと割り切ろう。

昨今、芸術作品でなければ映画でないという雰囲気だが、これも又気楽で楽しい。

楽しいことも映画館に行く理由の一つではないか。

そんなことを想起させる映画だった。

 

No.33

切腹 1962/108分 モノクロ dvd 時代劇 04.08

小林 正樹 監督    滝口 康彦 原作    橋本 忍 脚本    武満 徹 音楽   宮島 義雄 撮影

仲代 達也、石浜 朗、岩下 志麻、三国 連太郎

勧善懲悪ではないから爽快感の無い映画。

又、重く暗く、逃げ場の無い絶望感に満ちているが、その反作用として「本当に困った他人には優しく手を差し伸べるべきだ」 という人生訓を感じることができる。

**

仲代30歳の作品。

多くの名監督に起用され、いくつもの名作を残している日本を代表する名優だが、私は初期の本作が一番いいように思う。

仲代は映画と舞台が半々という活躍のせいで、舞台で求められるややオーバーな演技が映画でもみられ、「私は演技しています」という作りものの感を受けることがある。

特に目で表現しようとする余り、目に落ち着きが無いが、本作は目線が動かずやや焦点を外したような眼差しだから、安心して見られる。

**

数ある出演名作の中で、彼自身最高傑作に本作を挙げている。

脚本、音楽、カメラ など完璧だと言っている。

確かにこれほどのスタッフが揃っている作品も珍しいだろう。

私は中でも宮島のカメラに惹かれる。

モノクロによる強いコントラスト、射光や逆行のライティングによる深い影が作る対象物の立体感、どのカットも無駄が無く緊張感が漲っている。

装置、装飾も簡素ながら完璧で、カメラもそれを意識しているのだろう。

***

芸州 福島正則藩が取り潰しになり、武士12千人が失職、浪人となり生活に窮したのが物語の始まり。

徳川幕府は外様のみならず、譜代大名にも難癖をつけ取り潰し、これを見せしめとして、幕府への忠誠を強要した。

太平の世の官僚リストラの意味もあったのだろうが、解雇された武士は沽券にこだわり農民や商人への転職をしなかったので、傘張りや扇張りなどの内職で口に糊する悲惨な貧乏生活をしていた。

浪人はわが子が死にかかっいるのに、医者に診せる金が無い。

1日中走り回るが万策尽きて、最後の手段として、已む無く井伊藩家老の門前で切腹狂言をする。

家老は 「武士なら本当に切腹しろ」と無理やり腹を切らせる。

その刀は竹光だったのに。

それが、赤備えの井伊藩の勇猛さを示したとして、武士道の鏡として評判が上がったが、その実態は思いやりの無い残虐性そのもの。

***

武士道を批判している。

刀に縛られる浪人。

勇猛な家風という武家の名声だけの為に非人間的な行為をする家老。

ご政道は本音と建前、いつも弱者は切り捨てられて、悪がはびこる。

武士道は本来、正しい人の道を指し示すものなのに・・・。

***

この仕打ちに対する親の仇打ちも凄いが、所詮は犬死。

この立ち回り場面だけでも、大変な力作だが、それだけに疲れる映画だ。

ストレスが溜まるが、非の打ち所が無い。

こんな傑作もあるのだ。

 

No.32

ジョニーは戦場に行った 1971/112分 戦争映画 dvd 04.06

ダルトン・トランポ 監督

ティモシー・ボトムス(ジヨー)、キャシー・フィールズ(カリーン)、ジェイソン・ロバーズ(父)

1971年カンヌでグランプリを獲得。

反戦映画であると同時に、医療のなすべきことは何かを 問い質してもいる。

*

「貴方は 意識ある肉塊を想像出来ますか?」

第一次世界大戦、ジョーは米国から海を渡り欧州へ参戦。

近くで爆弾が炸裂し重傷。

四肢完全麻痺、喋れず、目も見えず、排泄も出来ず、食事もチューブから、唯の肉塊になってしまった。

実験の為に生かされている哀れな人間。

いや、周りの人には人間であるという認識がまるで無い。意識が無いと思われているから。

**

処が、実は彼は僅かに視覚、聴覚が残っていた。

皮膚感覚もある。

暗い部屋に閉じ込められているが、看護婦が時々カーテンを開けて陽の光を入れると、うれしい。

頭の中で考えることも、想像することも、過去を思い出すことも出来る。頭の中は正常なのだ。

***

他の医療関係者とは少し変わった看護婦が登場して、もしかして彼の意識は正常ではないかと、とんでもない仮説を立てる。

頭だけ左右に振る彼を観察し、モールス信号ではないかと思い、専門家を呼んで確かめると、「此処から出して下さい」。

その看護婦は彼の胸に字を書く、彼は頭を振って応える。

****

障害を持った人を見ると、可哀想だと思い同情するのが普通だが、本当は彼の気持ちや意識など丸で分かってはいない。

恥ずかしながら、この映画で初めて悩んでいる患者の側に少し立てたように思う。

意識はあるけど、何も叶えられない辛さって想像を絶する。

「殺してください」・・・

医師は無視して、部屋に閉じ込めカーテンを引いて外部と遮断する。

殺してもくれない。

これが現実。

***

この作品は遠い昔の話ではない。

現実に明日、我々に起こってくるかもしれない、世間と患者との問題でもある。

 

No.31

仇討 1964/103分 bs 時代劇 04.02

今井 正 監督  橋本 忍 脚本  中村錦之介、田村高廣、丹波哲郎、進藤英太郎、小沢昭一

仇討ちに名を借りた、公開処刑。

脚本がさすが。

ラストから書き始めたのだろう、印象が強烈。

脇坂藩の失態隠しの犠牲になる正義漢を錦之介が熱演。

死に直面して、武士の沽券なんて捨てた動揺ぶりがリアル過ぎて評価が分かれるかも(主人公がかっこよくない)。

 

No.30

御用金 1969/123分 bs 時代劇 0401

五社 英雄 監督  仲代達也、中村錦之介、丹波哲郎

佐渡金山から金塊を江戸に運ぶのに下関経由の海路であった事が意外。

又、シケで難破したと思わせる海賊行為があったことも新発見。

ただそれだけの娯楽大作であった。

 

No.29

サクリファイス 1986/149分 dvd swe.仏 03.30

アンドレイ・タルコフスキー 監督

エルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッド、アラン・エドワール

タルコフスキーはロシア人だが、52歳の時にイタリアへ亡命し、本作を製作した後、帰らぬ人となる。

1986年、ベルリンの壁が崩れる3年前の事である。

享年54歳。

大の日本びいきとして知られ、黒澤や武満らと親交が深かった。

本作でも、ファーストシーンで枯れかかった日本の木(上記の写真)を植えたり、ラストで羽織を着た主人公が捕獲を逃げ回ったり、主人公と息子の前世は日本人だったなどというセリフもある。

***

彼は、幾分統制色が薄らいだ旧ソ連後期に育ったが、検閲に対する怒りをもち続けた反体制作家である。

しかし、本作は自由な海外で作られたにも拘らず、相変わらず真意を隠した「象徴映画」のスタイルをとっている。

彼の一見難解と思われる「象徴映画」が独特の詩的雰囲気をかもし出しているのは、このソ連の検閲と無関係ではないだろう。

彼はそれで国際的な大監督になったのだから、歴史のアイロニーは面白い。

未だに信奉者が世界におり、彼の哲学論、国家論、文明論、芸術論、宗教論 など 深遠なタルコフスキー論が交わされている。

それはそれとして、彼は類希な鋭い感性を持った「詩人」としてみることも可能だと思う。

「影像詩人」という別称も与えられている所以である。

***

核:

核戦争が勃発する。片田舎の一軒家でもガラスが割れ、牛乳瓶が棚から落ちて暗い部屋に真っ白な液体が広がる。

電話や電気が消えて、世界の終焉を予告させる。

我々は昨年福島原発の大事故で放射能の恐ろしさを知った。

核反応の制御は事故後も不可能だと言う事も知った。

ある国の核発射は報復発射をよび、止まることを止めない。

地球最後の時。

その時貴方ならどうするか?

「神様」に祈るかも。

明日「末期がん」と診断されても同じだ。

逃げる手段が無い時は誰でもそうする。

***

謎:

この映画でも神様に祈り、犠牲を払うものの、何と元の世界に戻る事が出来る。

神の力である。

かつては監督も無神論者のはず、私もこんな話は馬鹿げていると思う。

戻るはずはない。

こんな話に何故したか、これが最大の疑問。

***

冒頭の木は希望らしい。

毎日少年が水をやる。

枯れた木も芽を出し、花をつける日を信じて。

「目的を持った行為は必ず効果を生む」

「毎日同じ時間に、繰り返す行為は世界を変えずにはいない」

***

「はじめに言葉ありきって、何のことパパ」

が最後のセリフ。

言葉を否定し行為を肯定しているような流れから、逆流してくる感情。

ますます謎めく。

***

科学中心の現代文明を否定し、自然回帰を目指し、その延長に日本文化があるらしい。

科学文明が武器を産み、人類を苦しめる。

文明を捨てろ!

でもそう簡単に科学を捨てられない。

不可能とさえ思える。

だから、重い重いサクリファイスなのかもしれない。

こう考えると意外と単純な人にも見える。

***

美しい景色を美しく撮るのではない、荒涼とした、あるいは空疎な、泥、よどんだ水、塵あくた、など本来美しくないものを美しく撮っている。

それでいて、画面は緊張しており、テンポも影像も独特、余韻が残る語り口。

一度見てフアンになる人の気持ちがわかるが。

私には解決の糸口が見えなかった。

 

No.28

ハーヴェイ 1950/104分 米 モノクロ bs 03.23

ヘンリー・コスター 監督

ジェームス・スチュアート、ジョセフィン・ハル、ペギー・ダウ

pooka(プーカ)・・・古代ケルト神話に出てくる大きな動物の形をした妖精。 人に取り憑くらしい。

日本にも古くから「座敷わらし」など妖怪が人間の暮らしの中に生きていた。

子供にだけ見えるものもあり、正直な人間だけ見えるものもある。

世の東西を問わず、昔の人の想像力は豊か。

***

Harveyは1.9mの兎の形をしたpookaと何時も一緒。

自分の帽子の他に、耳を通す二つの穴の空いた帽子を何時も携えている。

生きつけの酒場でも、マティニーを二つ何時も注文する。

彼には実在するが、他の人には見えない。

他の人も「人の心を取り戻した瞬間」だけは見えるらしい。

pookaと話すHarveyは頭のおかしい人と思われ、姪もそれが原因で嫁にいけない。

でも彼は無類の御人好し、純粋無垢そのもの。

精神病院に入れられそうになるが、狂っているのは正常な人間のほうではないか、ということに気が付いた姉は、考えを改めて連れ戻す。

****

単純な筋書きの寓話にも拘らず、とてもハートウォーミングで、やさしくなれる独特の作品。

多分、汚れきった社会の中で、汚れの無い純真な魂の輝きが悲しいほど美しく見え、観る者の心を浄化してくれからだろ。

並の素材で極上の一皿を作ってくれる料理人のように、この映画を作った人々の心と技に敬意を表したい。

ピュリッツアー賞を貰った舞台劇の映画化らしいが大ヒットし、その後TVでもリメークされたらしい。

スピルバーグがリメークすると言ううわさもある。

***

演技人もアカデミー助演女優賞を獲得するなどしたが、他のバイプレーヤーも秀逸。

1.9mの長身、J・スチュワートの物腰の柔らかい仕草がぴったりして素晴らしい、もうこんな俳優さんは出ないのだろう。

最高の俳優さんの一人。

 

No.27

失われた週末 1945/101分 米 bs  03.21

ビリー・ワイルダー 監督  チャールズ・ブランケット 原作

レイ・ミランド、ジェーン・ワイマン、フィリップ・テリー

「アパートの鍵貸します」ではジャック・レモンがバーで自棄酒のマティニーを飲む場面がある。

飲んだ数だけ爪楊枝に刺したオリーブがカウンターに並ぶ。

この作品はそれを予告するように、バーテンダーが開店前の準備に、オリーブに楊枝を刺している。

15年の空白。

***

ほぼ神様に近い大監督。

本作のようにアルコール依存症という深刻なテーマでも、どこかコミカルな匂いがして、余裕綽綽で軽妙なテンポ。

けっしてバタバタと慌てない。

すべて計算ずくだ。

***

黄金コンビの脚本で、アル中脱却をどんな方法でするのかなと思って、興味深く見ていたが少し肩透かしか。

だが、さすが古い映画だがまったく普通に見られる隙のない作品。

 

No.26

アビス(完全版) 1993(初編1989年)/171分 米 bs アドベンチャー 03.20

ジェームス・キャメロン 監督

エド・ハリス、メアリー・エリザベス・マストラントニオ、マイケル・ビーン

監督は「ターミネーター」、「エイリアン2」、「タイタニック」、「アバター」など、大ヒットを連発する映画界のホームラン王である。

奇抜な発想、優れたCG、SFX技術、スペクタクル的要素と音響効果に加え、自然志向という現代批判が世に受け入れられる理由と考えられる。

映画だから表現できるものばかりで、その意味では映画の申し子と言えよう。

***

この完全版には100mぐらいの津波が登場する。

東日本大震災の18年前。

この映画を見ていたら恐ろしくて早く逃げたかもしれない。

核と津波をテーマにしているのも先見の明ありか。

今だから臨場感が格別である。

***

キャメロン先生は大学で海洋学を学んだそうだが、海の持つ神秘性に惹かれたのだろうか、それが水を操る突拍子も無いエイリアンの発想と無関係では無いように思われる。

それにしても、水中や狭い潜水艇の中ばかりで、大変な撮影だった事だろう(あまりCGは使われていない)。

下らないと思っても最後まで画面に釘付けになる魅力ある映画である。

 

No.25

墨攻 2009/133分 中・韓・香・日 bs 2012.03.19

ジェイコブ・チャン 監督  日本のコミックの映画化

アンディー・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウエン

 

No.24

王将 1948/94分 bs 2012.03.18

伊藤 大輔 監督  北条 秀司 原作

坂東 妻三郎、水戸 光子、三條 美紀、滝沢 修

エンディングのクライマックスが秀逸。

関根八段の名人位襲名披露宴に駆けつけた三吉は、祝い口上の途中お春臨終の知らせを受ける。

すっかり動?した三吉は、主賓そっちのけで電話器に絶叫し続け、念仏まで繰り返す。

坂妻のこのあたり憚らない慌てぶりに、夫婦の愛の深さがにじみ出て。一番の見せ場。

それにしても、洋画では電話の使い方に凝ったのが多いが、本作もぶら下がった受話器のカットがいい。

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昨今名優と呼ばれている俳優も、演技していると言う感じがして鼻につくことがあるが、この坂妻はまったく坂田三吉になりきっており、自然に見られる。

坂妻の得意領域ということもあろうが凄い。

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お涙頂戴にも見ようによっては見えるかも知れないが、クライマックスで泣かせるという日本映画の正当性を再確認させられた一作だった。

当時余り評価されなかったらしいが、再評価してしかるべき作品だと思う。

 

No.23

グランプリ 1966/180分 米 bs モーターサイクル・ドラマ

ジョン・フランケン・ハイマー 監督  ジェームス・ガーナー、イヴ・モンタン、三船 敏郎、エヴァ・マリ・セント

撮影技術的には、55年前ということを考えれば、レベルが高いのだろう。

現在は、カーレース撮影にはオンボードカメラといって、車体に極めて小さなビデオ撮影機を載せれば、いくらでも臨場感のある場面が撮れるし、又CGとか3Dとかでも迫力が出せる時代になった。

この映画のレース場面は今見ても余り遜色が無いので、相当苦労したと思われる。

FIレーサーの後ろに付いて行って、手持ちで撮影して、後で早回し編集したのか、16mmフィルム撮影機をマシンに括りつけて回しぱなしにして、使える箇所だけ使ったのか、とにかく地を這うような低いポジションが長く続くので、たいしたものだ。

***

長い作品である。

理由は主役が3人居るから。

3人のレーサーの仕事と恋を、何時死ぬかもしれないという刹那感の中で、三者三様の性格の違いを描き分けた。

これはきっちりと浮き彫りにされ、レースの面白さとは又別の人生悲話物語が出来上がっている。

精神的に一番バランスが良く、事故の確率が低いと見られているイヴ・モンタンが、レース中に前車から飛んできたフェンダーに衝突し、事故死するのも皮肉だ。

でも其処に至るまで、謎めいたセリフが度々あるので、観客は事故で彼が死ぬことを予想できるのは、敢えてそうしたのだろうが、意外性を持たせるの方法でも良かったのではと思った。

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三船敏郎が本田宗一郎を演じている。

存在感抜群である。

今やフェラーリよりホンダだが、当時は後進メーカーだったことが分かる。

当時は、F1レースの花形レーサーは世界的なヒーローだった。

現在は、レースはガソリンを浪費するのでエコではないと叩かれ、観客も集まらなくなり、メーカーの撤退が相次いでいる。

映画も作られていない。

でも生きること、走ることが表裏一体となったレーサーの壮絶な人生はどこか人をひきつけてやまないことは事実だろう。

現時点で評価して☆3.5だが、当時評価すれば☆4.0以上は間違いない作品。

 

No.22

サラの鍵  2010/111分 仏 戦争ドラマ 2012.03.07 ヒューマントラスト渋谷上映中 

 

ジル・バケ=ブランネフレ 監督    タチアナ・ド・ロネ 原作

クリスティン・スコット・トーマス(ジュリア)、メリュジーヌ・マヤンス(サラ)、ニーレル・アレストリング(ジュール)

1942年6月、ナチ占領下のパリで起きた「ヴェルディヴ事件」、を調査する女性ジャーナリストが明らかにしていく驚くべき真相と、それにまつわる人々の深い思いとやさしさが、現代と過去とのフラッシュバック影像を通して、困難を乗り越えて尚、命をつむいでいく人間の素晴らしさを静かに謳いあげた感動作。

ドイツでなくフランスの警察がユダヤ系フランス人を強制収容所に何万人も送ったという暗い歴史はフランスの汚点だから、今まであまり光が与えられる事は無かった。

サラの生涯も闇から闇へ葬られそうだった。でも事実を正しく認識することの他、人類が再生する道が無いことをジュリア(主役の女性ジャーナリスト)は信じ、仕事と家庭の両立という狭間の中で、最後まで諦めず信念を貫いた。この映画はサラが主人公ではなく、人の生き方として一つの典型を提示したジュリアの映画ではないか。

最も重い言葉:

現代の雑誌社内での会話/「隣家のユダヤ人が連行されるとき、もし君ならどうする?」

「そうだな、ただ窓から見ているだけかな、イラク戦争をTVで見ているように」

他人の不幸が自分の不幸に思えない現代人の不幸。

君は歴史の第三者だけで良いのか。

狭い選択肢の中でも君に出来ることが或る筈だ・・例えば・・・

***

この映画が優れているのは、サラを第三者として見過ごさなかった人々を描いている点だ。

危険をおかして守った看守、農夫夫妻、義父の送金、サラの夫の献身・・・。

この人間の温かさが人間の救いになっていることは間違いない。

人を殺すのも人間だが、救うのも人間なのだ。

***

シビアーな場面がほっとする場面に切り替わる落差のバランスも絶妙。

カメラも秀逸。

そして何よりラストシーン・・・・。

 

No.21

恋愛小説家 1997/138分 米 bs ラブストーリー

ジェームス・L・ブルックス 監督   ジャック・ニコルソン、ヘレン・ハント、グレッグ・キニア

1998年アカデミー賞で、主演男優賞、主演女優賞 を獲得した作品。

ヘレン・ハントはTVでは一級の女優だったらしいが、本作品で映画の世界でも広く知られるようになった。

1963年生まれだから34才の時の作品。

スリムで首が長く、目尻が少し下がって、笑うとかわいい美人。

外見だけでなく演技も本格派で、本作でもヌードを披露したり、スッピンで喚き散らしたり、泣き叫んだり、スケールが大きい。

***

片や、ニコルソンは憎まれ口しかきかず、誰一人として味方のない偏屈オヤジ、さらに強迫神経症という、極めて特異な役柄を、持ち味そのまんまの「地」で演技して、強烈な印象を与えている。

普通なら相手役が彼に食われてバランスを欠き、シナリオの意図が崩れてしまうところだった。

その意味でハントの健闘を高く評価したい。

***

素直に「愛している」といえない男が、こねくり回して変な事を口にしてしまう場面などに表れているように、セリフが凝りに凝って常識的な受け答えをすべて避けているようである。

このひねくれたセリフ作りが本作のもう一つの存在価値。

セリフだけではない。

設定も変なものばかり。

キニアはゲイの画家で襲われギブス巻きの演技で終始。そして破産。ハントは喘息の息子持ちで苦労して、ヒーローは敷石の継ぎ目を跨げない精神病。

ハントが「普通の男が欲しいの」と言えば、母親が「普通の人なんてこの世に居ないのよ」と切り返す。

異常が正常、正常が異常の真実。

隣の猫が廊下にオシッコをしただけで、猫をダスト・シューターに放り込むような冷酷な男が、最後は無骨ながら優しくなり、人助けをするまでになる落差の凄さが映画を面白く見られる所以かも知れない。色々な面でよく出来た映画だ。

***

ハワード・ヒューズの生涯を描いた「アヴィエーター」の強迫神経症が印象が強いが、こちらの方が先だった。

本作は面白おかしく茶化しているが、軽症の人は実社会にも結構居て、笑い話ではないのだが。

 

No.20

突入せよ!「あさま山荘」事件 2002/133分 dvd 12.0227

原田 真人 監督  佐々 淳行 原作

役所広司、宇崎竜童、伊武雅刀

警視庁と長野県警の主導権争いが激しく指揮系統が混乱。

お偉方も自分の面子に拘ってばかりいる。

警察庁の上の了解を得る手続き、同僚を説得する手間、会議、マスコミ対策など、事件解決以外に多くの力がそそがれ、事件がそっちのけ。

犯人逮捕劇というより、警察混乱物語に、唖然。

 

No.19

六ヶ所村ラプソディー 2006/119分   cs ドキュメンタリー  12.02.24

鎌仲 ひとみ 監督

1993年から青森県六ヶ所村で使用済核燃料再処理工場の建設が始まった。

現在はほぼ完成して既に試験運転中である。

これを運営しているのが電力各社の共同出資会社、日本原燃(株)である。

計画発表時から、誘致をめぐる意見が激しく対立していたが、結局は仕事とお金という生活手段を提供した原燃側に飲み込まれた。

今や地域は丸ごと原燃依存の状態。

それでも尚反対運動を続けている極めて少数の人たちへのインタビューを通して、処理場の問題点をいくつか提示しているのがこのドキュメンタリー。

***

このページは一旦映画を離れて、原発についての情報を整理してみた。

まず、基礎知識/原燃は何をするところか。

1.ウラン濃縮(輸入したウラン原料から原発に使えるレベルまで濃縮する)

2.使用済み核燃料からプリトニウムとウラン、及び化合物等を分離し、一部燃料として再利用する(核燃サイクル)

3.高レベル廃棄物の一時保管(英国、フランスでプルトニウムを取り出した後、金属製キャスクで送り返されてくる)

4.低レベル廃棄物の埋設

5.MOX(プルトニュームとウランを混ぜた燃料)の製造(上記2の関連)

6.核物質の運搬

***

原子力発電はトイレのついてないマンションと言われる。

廃棄物の処理方法が確立しないまま、核燃料を使い続けた結果、日本の有するPu(プルトニウム)は既に46トンに達している(国内10t、海外36t. 2010/09公表数字)

Puは自然界には若干しか存在しない物質で、殆どがウランの核分裂で人工的に生成される。

Puにもいろいろな同位体があり、その一部が核兵器に転用できるだけだが、他のものも自己核分裂を始めたり露出すると極めて強い放射能を放つなど、制御が難しい物質。

半減期も24,000年(Pu239の場合)で、地上最悪の物質(語源どおり)であることに誰も疑問を挟まない。

こんな危険なPuがテロの標的にされると地球規模の影響を受けるので、国際的にも厳重な管理下におかれている。

保管されているわが国の再処理工場、加工工場、発電所のセキュリティーは大丈夫だろうか?

米国など銃を構えた警備体制と比較し、問題無しとしないが。

***

このまま増え続けるPuを放置出来ないと言う事で、考え出されたのが「核燃サイクル」。

これはPuを直接燃料として使おうという高速増殖炉計画。

Puが又新たなPuを生みだすという夢見たいなもの。

エネルギー資源に乏しい日本にとっては願っても無いアイデアだった。

ところが、既に「常陽」更に「もんじゅ」で長年試運転しているが、故障続きで現状休止状態。

ナトリュームの制御が難しいらしい。

もし大事故が起こればその影響は通常原発の比ではないので、既に外国では諦めて、旗を下さないのはわが国だけになった。

さらに、福島の事故で「安全神話」が崩れた今日、先の見通しは全くたっていない。

政府、科学者が「安全」と言っても実は根拠が浅く、人間のやることには限界があることを学習してしまった。

残されたPuの費消方法としてはウランとの混焼(MOX)がある。

海外委託分のPuをMOX化して再輸入し、既に一部の通常原発で試験的に使われ始めている。

これからの柱になっていくだろう。

このプルサーマルとよばれる発電は、炉の温度が更に高いので劣化も早く、管理がより複雑になる。

もし福島のような事故が起きたら、Puだから近づけず手遅れの可能性もあることも、頭においておく必要があろう。

***

話は飛ぶが、Pu2kg程度で長崎と同じ原爆が作られる今日、全世界にあるPuの総量の脅威は尋常ではない。

(スプーン一杯で2000万人死ぬと言う説明が映画ではなされているが/未確認)

Puは主に、国家や軍により現在厳重管理されている。

が、地震等の天災、機器劣化故障、テロ、政府転覆などの人災により、管理不能になるリスクは長期的には低くないと思われる。

この脅威からすれば、昨今のユーロ危機とか円高とか国民の耳目を集めている諸問題が小さな心配に見えてくるから不思議だ。

巨大なリスクほど忘れたいのが人間のさがだろうが、余りにも危険が実感されていないのは、不思議だ。

人類が生き延びるか否かの大問題であるのに。

他人ごとでは済まされない。

一人ひとりが無い頭でも、考え抜かなければいけない。

***

悲しいことに、原発や処理場は過疎対策になっている。

地元には産業がないので、関連が唯一の就職先で、自治体交付金も多い。

住民はこれがなければ生きて行けないのが現実。

継続稼動が住民の総意。

その気持ちも分かる。

ただし、英国の処理工場は事故を起こし、閉鎖することになった。

世界ではフランスと日本だけとなる。

今朝の委員会答申では、Puを取り出すことは止めて、使用済み燃料をそのまま地下に埋設する案が示されている。

いずれにせよ、放射能の総量は変わらないのだが、再処理工程上のリスクは無くなる。

あるいは、六ヶ所村の再処理工程も消えるかもしれない。

***

それでも尚、如何にして安全に高レベル使用済核燃料を地下に保管するかという大問題が残る。

地殻がもろいわが国で、何万年という単位で管理し続けることは至難の技だが、作ってしまった以上叡智を絞ってやるしか道は無い。

まず、これ以上は増やさないという努力から始めなければいけないのは当然だろう。

***

脱原発を目指すことは、地震以後ほぼ国民のコンセンサスになっているが、簡単ではない。

各国でしのぎを削り始めた「再生可能エネルギー」開発はわが国の場合やや不利。

風量、日照時間が十分ではなく、水力も開発されつくしている。

節電を徹底しても、日本は工場立地だから、原子力は簡単には捨てられまい。

が、その比重はかなり低く押さえられる可能性は残されている。

省エネ・蓄電、夜間電力利用などの科学技術の更なる進歩、良いことではないが円高による工場の海外移転の加速などが、急速に進展している。

意外と早い時期にそんな時代が来る可能性はある。。

希望を失わずとりあえず、庶民としては徹底した節電に励み、不自由な生活を良しとする生活態度の転換が求められよう。

ぬくぬくと電力を消費して、リスクだけを避けようとしても無理な話である。

***

この映画で尤も感心したのは、反対運動をしている農民が「反対か賛成しかないのよね。中立というのは計画が進むことを認める事と同じよ。心の中では反対だったのに、と言って自己弁解を用意しているだけで、外からみれば推進派と変わらないの」

どうだろう、国民の大多数が中立で、自己弁護に使っている便利な立場のような気がするが。

貴方はどちら?

 

No.18

初恋 2006/114分 dvd ラブストーリー 12.02.20

塙 幸成 監督    中原みすず 原作    塙 幸成・市川はるみ・鴨川哲郎 脚本

宮崎あおい、小出恵介、宮崎将

この映画は1968年の「3億円事件」をテーマにしている。

事件はその後、小説、漫画、音楽、映画などの分野でも繰り返し題材とされた。

何しろ、興味をそそられる完全犯罪である。

「3億円」と言う金額は、1968〜2007の消費者物価指数は3.5倍だから今でいう10億円である。

当時としては目をむく金額の他に、容疑者の何人かが自殺などで死亡したりして、「謎」めいた事件の性格を深めていったので、国民の関心は非常に高かった。

物証は多かったが捜査の初動ミス等、警察側の落ち度もいろいろ指弾された。

又誤認逮捕を含め、捜査方法に行き過ぎがあったということも、問題視された。

又、銀行の警備防犯体制なども、これから以後強化された。

かように、この事件は警察と銀行をひっくり返すほどの歴史的大事件だった。

***

中原「みすずという原作者は覆面である。

小説の主人公(主演/宮崎あおい)と同姓同名。

要するに、真犯人の告白書と言うことになっている。

宮崎あおい さんは原作者と会って「彼女が真犯人だと確信した」とインタビューで応えている。

原作は稚拙な文章で、素人っぽいらしいから、プロ作家の売文でないとしたら、あるいはという気もしないではない。

でも、映画を見る限り多くの疑問があるので、原作者が真犯人ではなく、素人がアイデアだけで売らんが為の小説を書いたと思えるが ?

***

・実際の犯行には2台の盗まれたカローラが使われた。

日本信託銀行のセドリックを第一現場で乗っ取り、弟2現場で濃紺のカローラに現金を積み替え、次に第3現場で緑色のカローラに積み替えてた。

処が映画では、1台の白のカローラで処理している。(私にはカローラでなくコロナに見えたが)

・犯行後他人の空き別荘に押し入り、二人でラーメンなど作って食べている。

犯人が素手で指紋を残す危険を犯す訳は無い。

・犯行後、みすずさんは東大にうかり、本郷のアパートに暮らす。

このアパートは共犯者の東大生・岸が1年ほど前から借りてあったものだが、家主は契約者が男で実際に住んでいるのが女の場合、不思議と思うだろうに。

この線からでなくとも、みすずさんは親元を離れアパートの一人暮らしをしているわけだから、敷金だとか家賃などの援助なくしてアパートに暮らす娘を不思議と思うだろうから、この線で足が着く可能性は高い。

無免許の女子高校生という、容疑者リストに絶対上がらない設定をしたアイデアだけは認める。

・それにしても、事前に路上で運転練習をしたことになっているが、犯行に使われたシロバイは重い350ccのヤマハ(当時のシロバイはすべてホンダ製だが)をか弱い無免許の女子高校生が乗りこなすなど考えられないし、事件当日は雨で ぬかるみに車輪が嵌り脱出する場面など、男でもかなり難しいのに非力な女性がやり遂げるのも少し無理がありはしないか。

この女性は男並の体格をしたバイク・マニアだったのだと言うのなら、免許ぐらい取っていただろうと反論したくなる。(16歳から可能だった)

・男装の警官だったら、その後の聞き取りで銀行員など目撃者から、少しおかしかった位の話は出てきて来そうな気もするし、やはりこの線も怪しいと思う。

***

この映画は作り物のクライム・サスペンスとしてみても多くの問題点を有するが、ラブストーリーとして見ればいい作品だ。

脚色の力によるものと思われるが、兄の隠れた妹思いとか、岸の自己犠牲とか、抑制的な愛の表現しか出来ない不器用な男達が良く描かれていると思う。

 

No.17

スケアークロウ 1973/113分 米 友情物語 dvd 12.02.17

シェリー・シャッツバーグ 監督

ジーン・ハックマン、アル・パチーノ、ドロシー・トリスタン

荒野をさすらい歩き、やっと辿りついた着いた小さな町のカフェ。

知り合ったばかりの二人がカウンターに並んで粗末な朝食を食べている。

図体のでかい男の方が呟く。

「俺は本当に下らない男なんだ

人を信用しないし 誰も愛したことも無い

ただケンカだけは負けたことが無い」

この男はマックス(ジーン・ハックマン)、刑務所から出てきたばかりでいつも喧嘩ごし、自分が抑えられない。

もう一人はライオン(アル・パシーノ)、小柄で人を笑わすことが好きな理性派。

5年間船に乗っており、これから妻の居るデトロイトに向かう。

ひとときも子供へのプkレゼントである電気スタンドを手放さない。

この二人が色々な事件を通して、親友になっていくロード・ムーヴィー。

******

若くして両親を亡くしたり生き別れなどで、その後ほぼ自分一人の才覚で生き抜かなければいけない人生とはどんなものだろうか。

まず、身を守る為に絶えず他人を警戒しなければいけないから、他人を信用しない習慣がついてしまう。

信用しないから愛せない、愛さなければ愛してもらえない。

親に十分に愛されなかった人間はなお更である,愛し方が分からない。

しらずしらずの内に、自分にバリヤーを張っている。

でも、世間と離れては生きていけない事も知っているから、何とか係わり合いを持とうと努力する。

それは往々にして、陳腐な行動をとる。

マックスの場合「ケンカ」。

ライオンの場合は「他人を笑わせる」こと。

***

このような男達は見かけは、ヤクザっぽかったり、ピエロっぽかったりしているが、実は「孤独で淋しくてたまらない」のだ。

だから「愛」に理想を描いている。

何時か誰かに愛されたい、そして愛する人の為に犠牲になっても良いとさえ、思っている。

***

では、マックスやライオンは特別な人達だろうか。

歴史を遡れば、大勢の親族に囲まれ周囲の愛の中で育った時代が去り、現代は核家族となり、隣はなにをする人ぞの「個の時代」になった。

結果、現代人は皆孤独の影を宿し、他人との距離のとり方に苦慮しているように見える。

若い頃は「お金」とか「地位」とかに夢中になり走ってきても、晩年になってふと「愛」の無い自分に気付く。

人は人から存在を認められて初めて喜びを感じる動物らしい。

***

こんな可哀そうな二人に、ついに神様は信頼できる友達を見つけてやった。

無骨で不器用な愛の表現だが、相手のために必死だ。

これが何よりほっとする、誰にでも人生には救いが用意されていものらしい。

***

マックスはピッツバーグで洗車業を始めるのが夢、周到に計画し、その為に刑務所で働いたお金を全部ピッツバーグの銀行に貯金してある。

いよいよデトロイトまでたどり着き、もう一歩と言うところでライオンを悲劇が襲う。

マックスが毎晩枕にしていた靴の裏には10ドル紙幣が隠してあった。

カウンターで靴を脱ぎ、デトロイトからピッツバーグまでの汽車賃「往復」27ドルを払うマックス・・・・・。

粗野な男の珠玉のような友情が、いっぺんに表出し言葉を失うラストの美しさ。

全体的に地味だが、ハックマンの抜群の役作りもあい俟ち、名画とよぶに相応しい作品だった。

 

No.16

愛の亡霊 1978/108分 cs ラブストーリー 02.13

大島 渚 監督    製作 A・ドーマン(仏)  原作 中村糸子 音楽 武満徹

吉行和子、田村高廣、藤竜也、小山明子、川谷拓三

「愛のコリーダ」に次ぐフランス資本の映画。

タイトルこそフランス語だが、芝居は日本語なので邦画に分類した。

アイデア溢れるシャープな影像で、写真的にも面白い。

幽霊などおどろおどろしい日本古代の情念の闇世界を描くべく、ロウソクで照らしたような陰影の深い写真が多く魅力的。

これが立体感とか空気感を出して素晴らしい。(暗すぎてTVでは少し見ずらいが)

***

全体的感想としては、ストーリーもテンポも何処か古代の「絵物語」を想起させる。

映画はもともと現実感や臨場感で観客を引っ張るものだが、この作品は逆で、初めから筋の分かった展開である歌舞伎や浄瑠璃芝居に似て、ハラハラしないで余裕を持って観られる。

それは何故だろうか?

舞台はコマ送りの早回しや、自由な場所の移動が出来ない為、ある一定のリズムでしか話が進展しない。

一言で言えば、音楽的盛り上がりが求められる映画としての特性がこの映画には少ないと思う?

舞台を観るように安定したリズムは客観性を補佐するという意味があるが、高揚感を求められる時はマイナスに働く。

大島監督の映画は「絞首刑」が記憶に残る。

映画の作り方が新しいと感じたから忘れられない。

しかし、この映画は新しい匂いは少しするだけで、基本的に泉鏡花の世界の焼き直しで やや期待はずれ。

さらに、主人公に感情移入するということも無く、第三者の目で客観的に描いているから、二人が刑死しても観客は哀れと思わない設定。

題名とは裏腹に、醒めた映画であることは間違いない。

***

吉行和子一世一代の熱演。

一人芝居の感すらある。

田舎弁と性愛の取り合わせも自然。

 

No.15

真実一路 1954/139分 モノクロ bs 文芸作品 02.11

川島雄三 監督    山本有三 原作   桂木洋子、多々良純、淡島千景、水村国臣、山村聡、佐田啓二、須賀不二男

川島監督は文芸作品として、水上勉「雁の寺」、山本周五郎「青べか物語」などの傑作をものにした。

文芸作品は難しいとよく言われるが、川島は原作とは一味違う影像でしか語れない雰囲気を作り出し、成功している数少ない一人だろう。

「雁の寺」の若尾文子の怪しい魅力など、私が原作で想像したより凄い。

***

でも本作は、原作の良さを表現できているものの、それ以上のものでなかったのではないか。

だから、原作を読んでない人には十分その役割を果たしているが、新鮮味を期待した人には未充足感は残ったと思う。

何しろ、「幕末太陽伝」や「洲崎パラダイス、赤信号」という極め付きの傑作を撮った監督であるから、誰しも相当期待して観るから尚更である。

(尤も彼の傑作の数々は、その後移籍した日活以降だから、本作は本格作品の嚆矢的位置づけに過ぎないのだが)

***

まず、山本有三という作家との折り合いが問題である。

有三は道徳的、克己的人物像をくっきり描くが、雄三は反道徳的なはみ出し人物を描くのが身上だから、得意分野が違う。

その2として、原作は大河ドラマ的で主人公が誰かが分からないほど多様な話が展開されるが、映画は時間芸術だから一点に向かって上昇し収束するというリズムが求められる。

大金をかけた大河ドラマなら又別の味も出せようが、その意味で本作は散漫で長く、少し退屈かもしれない。

***

本作の主な登場人物は以下のようである。

・淡島千景演じる女性は母親になるより女としての幸せを求める「自己に真実」な人。・・・・愛に殉じる自由な女性。

・対照的にスポンサーの恩義に報いるべく、好かれていない事を知りながら、相手を救う気持ちで他人の子を宿した女性と結婚をする山村聡演じる父親は、愛より倫理こそが「人のとるべき真実」の道だと思う。・・・・真実を重視し事実を隠して生きる不自由な男。

・母親を知らない少年が母を恋しく思う心、母が現れるとなつかず反抗したり、居なくなると不良っぽくなったり、悪友との相克など。・・・不幸な少年の生い立ち記

・桂木洋子演じる姉は、実は水商売の母が客との間に出来た子供で、父の子ではないことを知りショックを受け、又それが原因で縁談を破棄される。

それでも尚、弟と自堕落な母の面倒をけなげにみる。・・・男に頼らない現代的な芯の強い女性。

この4人が夫々等分に描かれている。

多分4人を別々に描けば4本の映画が出来るだろう。

それほど夫々のテーマが重いので、個別に絞って掘り下げた方が映画としてドラマティックになっただろうとは思う。

***

でも、話が飛び散らないように、さすが工夫はしてある。

多々良 純 演じる母の兄貴の役だ。

このシラノ張りの黒マント姿の画家が、複雑な家庭の揉め事を、解きほぐし前に進める「狂言回し」の役で常時登場する。

これが長い映画をまとまった形式に整えている事は確かで、演技的にも彼が一番光っていると思う。

彼の存在感こそこの映画の価値と言え、この映画が欠点を有しながらも今日尚上映される理由だと思う。

***

昭和6年の設定で撮影が29年。

原作にある自宅から神田往復が20銭の場所は何処だろう。

舞台は今で言う23区内だと思うが、撮影場所は畑や小川が拡がる相当の田舎なので、あるいは地方を使った可能性もある。

それにしても、この作品はカメラが殆ど外に出ないで、室内ばかり。

かろうじて、三浦半島の長者ヶ崎や伊香保らしい温泉地が撮影されているが、他の戸外は瞬間的カットがあるだけ。

これが松竹のホームドラマの伝統なのかもしれないが、余りにも戸外撮影が少ないのは私には偏っているように見えた。

 

No.14

ああ結婚 1964/102分 伊 dvd 02.10

ヴィットリオ・デ・シーカ 監督

ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、アルド・ブリージ

国民性を単純化して考えてはいけないだろうが、映画に登場する人物像から敢えて「イタリヤ人気質」を単純化してみると、次のようになるのではないか。

性に暗さがなく、性欲を隠さない。

喜怒哀楽をそのまんま表に出しても恥ずかしいと思わない。

他人の目を意識して生きるより、自分の心に従う方が正しいと思っている。

だからといって、エゴイストではない。隣人愛、郷土愛も強く、時におせっかいが過ぎたりもするから。

見様によっては子供社会のように、天真爛漫にも見える。

恵まれた暖かい風土がそうさせたのかも知れないが、フランス映画や日本映画に登場する屈折した人々と大きく違う。

**

同監督の名画「ひまわり」も、セックス漬けの新婚生活から始まる。

本編はもっと進んで、売春宿に通うスケベオヤジから始まる。

売春婦は汚れていると言う先入観が強いが、実は心は純情で真剣に客を愛したりするものなのだという見識がいい。

娼婦ソフィア・ローレンはセクシーで暗さはまるでない。

スタイルが良く、色々な服装で楽しませる。

太陽のようなはじける若さ。

***

それもつかの間、中年になりスッピンで衰えた容貌で登場。

これからが見もの・・・・。

イタリア映画が生んだ世界的カリスマ、マストロヤンニとローレンの競演。

監督も世界的巨匠デシーカ。

面白くないわけが無い。

題名からそこそこの映画として今まで観なかったが拾い物だった。

おせっかいな管理人親子がイタリヤ人特有のキャラクターを軽妙に演じ、存在感大。

 

No.13

にごりえ 1953/125分 モノクロ 文芸作品 bs

今井 正 監督   樋口一葉 原作  淡島千景、久我美子、丹阿彌谷津子

「十三夜」「大晦日」「にごりえ」の一葉短編3本をオムニバス映画にまとめたもの。 

原作よりリアリズム色が強く、明治時代の下層階級の悲哀が大きく浮き彫りにされている。

 

No.12

魂のジュリエッタ 1964/138分 伊・仏 dvd 02.03

フェデリコ・フェリーニ 監督

ジュリエッタ・マシーナ、サンドラ・ミーロ、マリオ・ビュー

初めてのカラー作品。

イマジネーションによる詩的な世界はカラーによってより幻想的になって楽しい。

が、服装や室内装飾に派手な赤が多く使われており、色彩バランスに落ち着きが無いと思うが如何だろうか。

更にモノクロなら目立たなかっただろうが、男優の厚化粧がリアルに映し出されて不自然な感じは否めない。

***

一般論として「人生は幻」と言われるが、彼も現実と非現実が交差する不思議な影像を得意とする影像作家。

この映画では、一部過去の繰り返しもあるが、森のエレベターなど新しいのも登場してイリュージョンが相変わらず面白い。

そもそも、彼にとって後半生の映画とは何だったのだろう。

彼の想像力に刺激され観衆も又自身の夢を見る、そのことを計算して100人100様の作品が出来ていく、そんな新しい世界を狙っていたのかもしれない。

***

この世のことは全て、脳の中で考えられている。

現実も頭がそう思っているから現実なのであって、錯覚や誤認の場合と、何も変わらない。

現実と空想とはもともと境目がはっきりしないものだろう。

特に過去の記憶は変えられて現実に存在する。

この映画でも、幼児体験で学芸会で火炙りにされる子役が頭巾の列とともに、繰り返し表現されている。

この劇中劇は宗教劇のようだから、カソリックの教えがどこか監督自身の喉に刺さった骨みたいに、意外と彼を苦しめているのかもしれない。

要するに幻想の源泉に過去の記憶が存在する。

***

米国映画「NINE」と言う作品では、フェリーニの創作意欲は女性から得られるとしている。

少なくとも、女性遍歴を重ね妻ジュリエッタを泣かせたことは事実らしい。

でも彼は、ジュリエッタの純粋無垢さが新しい発想の原点だと言って尊重し、終生離さなかった。

一時彼女が去った時はまったく映画が作れなかったほど頼りにしていたらしい。

このような身勝手な亭主も、ジュリエッタは結局許し、支えた立派な女性として、高く評価されている。

この映画も、8・1/2の続編として、二人の夫婦関係を描いたものだが、浮気男に反発して彼女も浮気しそうになるのを抑えて、夫を待つけなげ過ぎる姿を尊敬の念を持って描ききっているジュリエッタ賛歌の作品。

立派な妻に対する許しを乞うのが目的のひとつだったことは確かだろう。

 

No.11

姉妹 1955/95分 bs ホームドラマ 01.27

家城 巳代治(いえき みよじ) 監督、   家城・新藤兼人 脚本

野添ひとみ、中原ひとみ、内藤武敏、望月優子、河野秋武、多々良純

今月一番の映画だった

昭和30年、日本は戦後の混乱期を過ぎたが、まだ貧しい時代。

信州の山奥に水力発電所がある。

父は其処に勤める技師で、娘二人は親元を離れ町(多分松本)の叔母(望月優子)の家から、学校に通っている。

姉妹の下には弟達が3人おり、生活は苦しいが皆仲が良く、ほほえましい家庭。

村も平和だったが、ある日発電所が人員整理を発表、同僚3人が首を切られた。

組合も団結して戦ったが敗北。

丁度その頃、高校に通う妹娘(中原ひとみ15歳)の修学旅行の時期だった。

父は、仲間が失職しているのに、娘を修学旅行にやるわけにはいかないと言う。

娘は同僚の修学旅行列車を見送り、田舎の実家に帰る。

娘は訳が分からないが何となく理解し、風呂場で父の背中をせっせとと流す。

山間の部落の静かな夕刻に、捉えどころの無い寂しさが漂い、貧しさとはどういう事なのか、善良な人々なのに誰がそうさせるのか、という無言の問いかけが迫ってくる。

そう、この映画は表向きは姉妹愛だが、よく見ると反資本の精神で貫かれている。

**

昭和30年といえば、農業従事者が大半で、多くの民が段々畑を営々と耕し、細々と生計を維持していた時代。

結婚は口減らしと同意義語で、子供を養子に出すことも珍しくなかった。

やっとのことで中学を卒業すると、食い扶持を求めて田舎から集団就職の列車が都会に向かい、徐々に農業は衰退し、村は寂れていった。

農村では農民以外の働き口は少なく、高齢者の首切りは即生活の終焉を意味し、この映画でも自殺者が出る始末。

**

そこで、失業率を調べてみると現在は5%前後だが、昭和30年の川崎市では意外と1%未満。

工業化の過程だから、都会では人手不足、農村部は過剰というアンバランスが存在したのだろう。

では都会の労働者豊かだったかと言うと、そうではなく農村から絶えず安い労働力が供給去れた為に賃金は低く、エネルギー転換など産業構造の転換もあり、各地で労働争議も起きていた。

このような時代背景があってこの作品は作られた。

監督自身松竹労組の委員長として活躍したため、レッドパージされた経験もあったからだ。

堅実な姉、奔放で純粋な妹の対比

この二人は対照的な性格ながら仲がよく、姉(野添ひとみ)は妹の尻拭いをしてやっている、賢明な女性。

姉は高校を卒業すると、家の経状態を心配し進学を諦めて家に帰る。

彼女は発電所に勤める若い男(内藤武敏)と恋仲だったが、親のことを思い経済的に恵まれてはいるが好きでもない町の銀行員の方を選ぶ。

純粋な妹はこれが許せず、恋人に詰め寄るが彼は毎月親元に送金せねばならず、彼女を幸せには出来ないからこれで良いのだと言う。

「俺の嫁には百姓女がいいのさ」のセリフに、好きでも結婚できない社会の矛盾が浮き彫りにされ悲しい。

***

山間の谷を縫う長い道を、花嫁を乗せたバスが遠くに小さくなって行く。

峠から見送る妹の手が激しく振られ、「幸せにね!」と絶叫して終わる。

***

中原ひとみ 当時15歳 彼女はこの作品で認められたらしいが、人物設定がぴったりしていたのだろう、実に素晴らしい。

明るく、人気者で、素直で純粋で混じりけが無く、苦労を苦労と思わない天使爛漫な女の子だが、計画性が無く向こう見ずで毎月のお小遣いもすぐ使い果たし、姉に借りたりしている。

饅頭屋のツケを払う為に、夏休みアイスキャンデー売りのアルバイトをしている場面など、とてもかわいい。

仲の良い姉妹は観ていて気持ちが良い

この作品は貧しさを描いているのだが、爽やかで悲壮感が無い。

いや貧しさが逆に、兄弟愛や親子愛によって際立ち、美しくさえ見える。

現代余り見られない家庭だからからか、何かほっとさせられる作品であることを追記しておこう。

 

No.10

日本沈没 1973/140分 dvd 01.27

森谷 司郎 監督 、 小松左京 原作 、 橋本 忍 脚本

藤岡弘、いしだ あゆみ、小林圭樹、滝田祐介、二谷英明、丹波哲郎、島田正吾

 

阪神淡路大震災の22年前の映画だが、高速道路の橋桁が外れ落下する様は、あの惨事のニュース映画のようである。

大震災の時、総理は初動が遅れ世間の非難を浴びたため、その後災害時の最高責任者を総理にし、自衛隊出動も迅速に出来るように制度に改めた。

が、この映画では既に、丹波哲郎演じる総理が最初から陣頭指揮に立って指令を出し、避難民を皇居内に入ることまで許可している。知事では出来ないのだ。

映画の方が先にいっている。

***

作者は構想を練る段階で、地震学者から知識を得たと思うが、映画の前半はウエゲナーの大陸移動説によるプレートの移動メカニズムがかなり、専門的に語られている。

この部分を観るだけで勉強になる。

太平洋プレートがユーラシアプレートにぶっつかる場所が日本列島。

太平洋プレートがすっかり下方に滑り込めば、日本列島はつっかい棒を失い海の下に沈む、という予測である。

事実、去年の東日本大震災でも、沿岸部で地盤沈下が起こり海岸べりの水田が水に浸かったままである。

あれと同じ現象。

***

だからこの映画は、いっぺんに沈没するように書かれて入るが、実際は何万年単位で進行する現象を、カメラ早回しで撮ったものと理解すれば、空想物語ではなく科学物語となりうる性格のものだろう。

***

人は漠然と危機意識を持っても、まさかすぐ来ないと思っているから、後手に回り被害が大きくなる。

その意味で、昨今の地震多発状況を鑑み、古くても一見の価値ある作品だと高く評価する。

また、学者の態度にも警鐘を鳴らしている。

参考にすべきだ。

 

No.9

リアル・スティール 2011/128分 米 sf 吉祥寺オデヨン他公開中

ショーン・レヴィー 監督(「ナイト・ミュ−ジアム」)

ヒュー・ジャックマン、ダコタ・ゴヨ、エヴァンジェリン・リリー

 

映画はどちらに向かうのだろう

格闘技ロボットが活躍する2020年のSF。

CGをふんだんに使い、高度な音響システムを駆使して、ドリームワークスがスピルバーグらしい、ほろりとさせられる大衆娯楽映画を作った。

映画の作り方も色々ある。

対極にあるのが、今年の最初に観たアラン・レネの「風にそよぐ草」。

何気ないカットが緊密に組み合わされて、まるで精密機械のように、考え抜かれて作られている。

でも観客は半プロで無い限りその仕掛けに気付かないで、感動したか否か、面白かったか否かで判断するから、結果として監督の意図が伝わらず独りよがりと思われる。

監督と観客の騙しあいみたいなところがあり、かなり構えてみなければいけないから、疲れる。

 

それに反して、本作のような娯楽映画は、気楽に息抜きとして映画館に入るから、さぞ人がいっぱいと思いきや、木曜日am11開始 7〜8名。

全国上映だから累積数は多いだろうが、岩波ホールが単館上映ながら満員であったことを考えると、どちらが勝ちと簡単には言えまい。

CGと大音響で観客を驚かせるSFも、当初は確かに「ターミネーター」シリーズなど出色の面白さがあったが、既に出尽くした感は否めず、ホラーものも食傷気味、カンフーもサムライも長続きしなかった。

ハリウッドもネタ不足で曲がり角だ。

「チャンプ」を彷彿とさせる

泣ける映画のベスト・テンに間違いなく「チャンプ」は入る。

試合後の控え室のシーンを思い出すだけで、目がうるうるしてくる。

本作も、駄目父と息子の話である。

何十匹目かのドジョウと分かっていながら、泣けてくる。

単純明快すぎるのも気にはなるが、このテーマに文句を言える人は居まい。

11歳の少年はとてもかわいいし、ジャックマンとリリーも好印象。

お薦めする。

 

No.8

兄とその妹 1939/104分 モノクロ bs ファミリー・ドラマ 01.25

島津 保次郎 監督  佐分利 信、三宅邦子、桑野通子、上原 謙、笠 智衆

松竹ホームドラマの元祖的監督らしい。

73年前のドラマだが、現在tvに流しても余りおかしくないほど、現代的なのはどうしてだろう。

サラリーマン社会における同僚の妬みに嫌気がさし、退社して新しい人生を切り開くのも、今と変わらないテーマだし、父親の上役の持ってきた娘の縁談に悩む娘心も不変のテーマだからかもしれない。

また、テンポが速いのも現代的だ。

家庭円満でありながら、進歩的な娘と子供を束縛しない父親という、新しい理想型を提示したのも保守的な世相に一石を投じたことだろう。

若い佐分利信もなかなか良い。

貨物機みたいな小型旅客機で、粗末な滑走路から満州に飛び立つ家族の後姿は、カサブランカに似ていると思ったが、何とこの作品の方が3年も前だった。

大空に飛び立ってエンディングと言う設定は、何か希望を感じて好きだな〜。

 

No.7

暖流 1957/94分 bs ラブストーリー 01.24

増村 保造 監督、   原作 岸田国士、 根上淳、左 幸子、野添ひとみ、船越英二

左 幸子の役は現代風に言えば女性のストーカー。

異常な片思いで男が逃げ切れず、最後は捕まるという、へんな筋書き。

原作を読んでないので、脚色度合いが分からないが映画を見る限り、この自己主張の塊のような女性像だけが浮き上がって、全体の流れと融和していないので不自然にみえた。

監督は目立たず騒がずのフラットな日本社会に一石を投じる為、スーパーヒーローや個性的なはみ出し人間を作り出したのかもしれないが、ストーカーは愛の表現とは思えない。

病院内抗争や改革など、そのほかは大変面白く出来ており楽しめるが、左幸子演じる女性が取って付けた人形に見えた。

 

No.6

祇園の姉妹 1936/69分 モノクロ bs ファミリー・ドラマ 2012.01.23

溝口 健二 監督

山田五十鈴、梅村蓉子、久野和子、大蔵文男、進藤英太郎

名監督と名優

昭和11年の溝口作品。

妹を演じた山田五十鈴は18歳。

「祇園の姉妹」と「浪花悲歌」の2本で、溝口、山田を世間が認めた。

後に溝口は「雨月物語」でベニチア映画祭最高賞、山田は文化勲章、と夫々道を極めた。

二人が本作で出合わなければ、その後の人生は共になかったろうから、運命的作品といえよう。

リアリズムとカメラ

溝口は人間の汚さを抉り出す監督である。

妹オモチャは芸子。

彼女は、芸子業を金が目当てと割り切っている。

そのため嘘も平気でついて、男は女の「情」演出に騙されて、金を巻き上げられる。

外では、金で愛を買えると思う亭主族も間抜け。

当時の男中心世界に反発し、男への仕返しをする、ウーマンリブ的新しい女性像が妹。

姉はそこまで割り切れず、情に流され、男の面倒もみたりする、普通の芸子。

共に幸せとは無縁。

**

古いフィルムではっきりしないが、街の描写は祇園の細く暗い路地ばかりで、あとは屋内の暗い光の下での室内描写。

全体的に暗く、明るさが無い。姉妹の住む世界が穴倉のように、世間と一線を画している空間なのだろう。

路地から表通りを垣間見るカメラワークは小津など多くがその後真似をした。

会話場面も室内の小道具など部屋内部を広角で多く写し、人物を点景として捉えている。

その為、顔のクローズアップが余りなく、顔の表情で演技する現代の映画作りと感じが違う。

ある意味演劇的なのだろう(歌舞伎を座席から見ている感じか)。

山田五十鈴の映画

スリップ姿の着替え場面など、芸子の舞台裏を写すのは当時珍しかったのではないか、おかげでペチャパイがバレテしまったが。

若いけどその体当たり演技に、彼女の根性を垣間見た。

ヅラを被った彼女も堂々とした年増にみえるし、洋服の彼女もカワイく、喧嘩ごしのセリフも、甘えたセリフもそれぞれ多彩に演じ分けた。

おかげで、姉役がすっかりかすんで可愛そう。

日本社会の「世間」の変化

姉は世間から後ろ指を指されないように生きることが衿持。

でも、世間は批判するだけで、その為に本人が不幸になっても尻拭いはしてくれない。

妹が姉に「何で世間体に拘るのか」と反発するセリフがある。

当時としては鋭い指摘。

事実、明らかに現代は世間体より、自分を基本的に大切に考えるようになった。(束縛されてはいるが)

 

No.5

突然炎のごとく 1961/107分 dvd ラブ・ストーリー 01.15

フランソワー・トリュフォー 監督、   アンリ=ピエール・ロシェ 原作

ジャンヌ・モロー、オスカー・ウエルナー、アンリ・セール

ヌーベルバーグといえばゴダールとトリュフォー。

ゴダールは映画作りの常識を無視して撮る前衛手法がウリ。

トリュフォーはテーマの切り口の斬新さで、度肝を抜いた。

トリュフォーは最初のうちはヌーベルだったが後半は変わったから、ゴダールと仲たがいしてしまった。

本作はトリュフォーの初期の作品でデビュー作「大人は判ってくれない」に次ぐ話題作。

パサついた乾燥したタッチがゴダールに似ていると思う。(逆かも)

本作が映画界や社会に及ぼした影響は少なくなかったらしいから、エポックメーキングな作品。

***

ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは魅力的だが、自己中心的で、わがまま、奔放、移り気で、瞬間的な愛にしか生きられない女性。

男が捕まえても、逃げていく謎の女。

実際のモデルは別にいたらしいが、原作者がマリー・ローランサンの愛人だったこともあり、イメージでは彼女と言われている。

ローランサンといえば堀口大学の訳詞で有名なアポリネールの「ミラボー橋」が思い出される。

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ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる

私は思い出す 悩みのあとには 楽しみが来るという

日が暮れて 鐘が鳴り 月日は流れ 私は残る

・・・・・

・・・・・

日が去り月が行き 過ぎた昔の恋は 再びは帰らない

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

日が暮れて 鐘が鳴り

月日は流れ 私は残る

---

シャンソンではイヴェット・ジロー他が歌っているが、わたしは金子由香利のcdしか持ってないので、時々聞いているが、語りの部分でいつも胸がチクンとさせられる、何という名訳。

**

この映画の原題は「ジュールとジム」、ジュールがアポリネールにもみえるが、ローランサンはその後ドイツ人と結婚しており、映画ではジュールがドイツ人の設定になっているから、ジムがアポリネールなのだろう。

ジュールはカトリーヌが何人愛人を持って勝手な生活をしても、夫としての愛は揺るがない。

彼女のすべての行為を許す、与える一方の絶対的な愛。

報われない悲しい愛。

彼女を親友ジムに譲ってでも、傍に居たい。

逆に、カトリーヌは奪う愛、去っていたジムが許せず、車で川にダイビングして無理心中。(実際にはアポリネールはスペイン風邪で死んでいるが)

全部の女性では無いだろうが、女性の多くにカトリーヌ的部分が隠れている為、男は時に「女がわからない」と言う、のかもしれない。

****

ここまで書くと、ロマンチックな恋愛物語を想像しがちだが、映画は反対に超ドライなタッチでつくられているから、展開がすべて唐突に進み、そこでの感情の介在を否定しているように見える。

紙芝居で1枚1枚めくっていくような、セリフであまり説明せずに、パサパサと「愛」というテーマをハサミで切り刻んで、心を物として処理していくような乾いたラブストーリーではないか。

その意味で従来の恋愛映画と一線を画す作品には違いない。

****

それにしても、カトリーヌのような女性の場合、無理心中の被害者にはなり得ると思うが、加害者になることがあるのだろうか。

理解に苦しむところだが、以下のように考えることも可能かも。

映画の始めの方に、3人で散歩の途中、男二人が話しこんでいると、彼女が突然川に飛び込む場面がある。男達の自分への注意を戻すためだろう。

このことからして、彼女は自己顕示欲の強い人で、ジムが他の人と結婚したことで逆に火がつき、「突然、炎のごとく」衝動的な行動をとる感情的な性格が出てしまった。

いや、死んでしまうのだから、いざとなったら自制が勝るはずだが・・・。

やはり女性はよく分からない。

***

「男は愛している」と言った

女は「待って」と言った

女は抱いてと言おうとした

男は「うるさい」と言った   (冒頭のナレーション)

 

No.4

紀ノ川 1966/172分 bs 大河ドラマ 01.1.13

中村 登 監督   有吉佐和子 原作  武満 徹 音楽

司 葉子、岩下志麻、田村高廣、丹波哲郎、沢村貞子、東山千栄子

製作されたのは昭和41年だが、時代設定は明治32年。

舞台は和歌山県紀ノ川沿いの二つの村である。

場所を地図で確認してみた。

紀ノ川の河口が和歌山市である。

この河口を10kmぐらい遡ると 「六十谷」(むそた)という場所がある。最寄り駅はJR阪和線六十谷。

さらにそこから35km遡ると、「九度山」(くどやま) という場所がある。最寄り駅はJR和歌山線中飯降(なかいぶり)。

****

明治32年には鉄道も敷設されてないので、九度山から六十谷に行くには川下りが一番便利だった。

九度山の名家の娘と、六十谷の若い村長の結婚式からこの物語は始まる。

何しろ、両家とも由緒ある家系で資産家だから、婚礼儀式が半端でない。

特に珍しいのは、今は消え去った「嫁入り船」の風習。

九度山の川原に紅白の幕を回し、村人と昼食を共にした花嫁が、新婦側披露宴出席者と共に、5艘に分乗して川を下るのだ。

この船には鮮やかな緋毛氈が敷かれ、酒樽や長持ちも積まれ、花嫁は漆塗りの豪勢な輿に乗っている。(興し入れ)

紋つき提灯が高くつるされ、船は優雅に川面を滑っていく。

昼、九度山を出発した船は、提灯の灯が水面に映る頃、ようやく大勢の歓迎人が提灯で待ち構える六十谷の岸辺に着く。

ここから、真谷(まだに)家まで、土手を長い提灯行列が続き・・・。

時代考証が大変だったらしいが、婚礼儀式の美しい様が再現され、このシーンだけでこの作品の価値の過半を占めたと言っても良いと思う。

それに、武満の音楽(鉦の音)が幽玄に響き、趣のある川下りがセリフ無しで淡々と描かれていく。

屈指のファーストシーンだと思う。

****

話は変わり司馬遼太郎風になるが、ここで明治という時代を少し振り返ってみよう。

この映画で、東山千栄子演じる九度山の紀山家の当主(主人公 花/司葉子 の祖母)が登場するが、「あのドストエフスキーのいるロシアと戦争をするんかいな」というセリフを語っている。いくら格式高く教養を備えているとはいえ紀州の片田舎のおばあさんが である。まさかのセリフにびっくり。

でも、有吉佐和子は調べつくして書いたはずだから、この程度の知識を持っている人は田舎にも居たのだろう。

明治32年に翻訳本を読んでいたということは、翻訳する人が居たということである。

そこで気になり、調べてみたが、鎖国日本が開国し明治を開いてたった5年後にもう、政府は外国語学校(旧外語)をつくり、英、仏、独、清、露の5学科をつくり、通訳養成を始めている。

多くの外人を招聘したが、日本語のわからない先生に必死についていった当時の学生もすごい。

西洋の汽車、機械、造船、兵器、建築 などの技術、裁判や議会などの制度、それらの導入の為には膨大な翻訳作業があっただろうが、あっと言う間に外国語を習得し、実務に生かしたその努力の凄さに全く敬服させられる。

とにかく、明治19年には二葉亭四迷がツルゲーネフを翻訳しているぐらいだから、32年に女学校に行っていた孫娘を通して、ドストエフスキーの翻訳本が九度山にもあって不思議ではないのだ。

日本人の知的水準は既に江戸時代の寺小屋教育や武家教育から相当培われ、現代人が考えている以上に高かったのだろう。上流階級では特に。

だから吸収力も凄かったと思われる。

又、知的水準が備わっていたからこそ、その後の西洋文明の怒涛のような来襲に腰砕けせずに、「追いつける」という自信を持てたのだと思う。

政治家や官吏の多くが士族出身で、武士道という精神的誇りがあったことも、プラスに働いたかもしれない。

今日、大学生でさえドストエフスキーを読んでいる人は少ない。

これは一面的な話だが、知的水準はこの100年間で後退してしまったのではないか。

****

有吉は花とその子/文緒の二人の女性が、明治から太平洋戦争という激動をどのように乗り越えて生きたかを描き、結局は「家」の為 己が身を灯明の芯として犠牲にしてきた母と、自己に目覚め新しい権利意識に目覚めた娘を対比させ、女の幸せとは何かを示唆している。

母は永年の忍従を振り払うように、蔵を開け家宝を全部オークションにかけ、「家」の呪縛から自由になろうとする。

長男はとっくに「家」から飛び出し、田舎に帰る意思は無いが、文緒とその娘の女系がどうやら新しい時代の「家」が続けられる予感めいた展開で終わる。

何時の時代も、家は女性が守るものらしい。

****

田村高廣が兄で丹波哲郎が弟。

この作品では圧倒的に丹波が良い。

秘めた兄嫁への思いがせつない。

****

3時間の豪華大作。

司が32歳。嫁入りから老い果てるまでの熱演も見もの。

明治の女性は凛としていた。

 

No.3

愛のむきだし 2008/237分 dvd ラブストーリー 2012.01.06

園 子温 監督・脚本

西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、渡部篤郎、玄覚悠子

 

インディーズ時代の高い評価に続きメジャーでも、本作や「冷たい熱帯魚」、公開中の「ヒミズ」で注目を浴びている気鋭の監督である。

若手かと思っていたが、既に50歳だから晩生の方だろう。

コミック劇画風

新しい風の匂いを期待して、初めて園監督作品に触れた。

確かに今までに無かった映画かもしれない。

いや映画と言うより、コミック劇画を動画にそのまんました感じだ。

例えばデジカメを紐につけて回しスカートの中を撮ったりする様々な盗撮技術は架空なものだろうし、度々登場する勃起場面も漫画っぽい。

聖俗混淆

母の面影とマリア像とかもお涙調の大衆演劇調だし、主人公達が喧嘩にやたら強いのも大衆受けを狙っているようにみえる。

でも、次に上げたようにかなり捨てがたい長所もあるので、多分大衆演劇団がチェーホフを演じているのではなく、新劇が一本刀土俵入りを演じているのだろう。

演技力はレベル上

満島ひかりも表情が多彩で、AAAの西島隆弘の真面目さ、純情さにも好感が持てた。

玄覚悠子はもっと色情狂いテイストが欲しかった気がするが、全員かなりしっかりした演技で本作の品位を保っていると言えよう。

アクション場面も凄い

満島、西島、安藤の立ち回りにスピードがあり、集団での喧嘩や殴り込み場面の刀の残忍な使い方など、アクション映画としても素晴らしい。

この監督はアクション向きかもしれない。

テーマは斬新だがモチーフ(核心)は黴くさい

盗撮集団の存在とか、カソリックの懺悔強要とか、新興宗教の洗脳とか、題材が奇抜でしかもある程度の深さもある。

だから、長尺ものにも拘わらず最後まで観させるのは立派。

でも、言いたい事の核心は、身近に居ながら自分を本当に愛してくれていた人に気付かず、相手が自分の為に廃人になって初めて目が覚めるというパターンは、昔から繰り返し語られてきたので、今更気鋭の監督にあらためて教えてもらう必要も無い。

だからラエンディングで安っぽい通俗映画に転落してしまった。

クラシックの名曲を使うのは如何か?

韓国映画によくあるが、クラシックの有名な曲を臆面もなく使い、その固まったイメージを強要するのは、極めてチープな印象を与える。

多くの観衆がまだ知らない曲を使って、それが有名になったた例は過去多く、それは許されると思う。

例えばベルイマンの「サラバンド」はバッハの無伴奏チェロ組曲弟5番を知らしめたし、ビスコンティーの「ベニスに死す」ではマーラーの交響曲5番第4楽章を有名にした。

だが、既に有名な曲を使うのはいけない。しらけてしまう。

 

No.2

空気人形 2009/116分  dvd ラブ・ストーリー 2012.01.05

是枝裕和 監督 脚本 、 業田良家 原作(短編コミック) 、リー・ビンビン 撮影監督(台湾)

ペ・ドゥナ(韓国)、ARATA、板尾創路

 

監督

カンヌの主演男優賞で話題をさらった「誰も知らない」、数々の賞に輝いた「歩いても歩いても」の監督の作品。

劇的なドラマより、平凡でちょっと寂しげな日常を、淡々と描きながら、それでいて何か温かい独特の作風を持った人。

川の手の風物

老人とベンチで喋ったのは中央区湊公園らしい。

コンクリートの高い土手越しに大川端リバーシティーが見える。

此処をはじめ、月島など隅田川下流の埋立地が撮影舞台となった。

高級高層マンションが立ち並ぶ一方で、狭小住宅やアパートなど安普請住居が混在している場所だ。

最早下町風情など無いと言うのが、正直なところ。

新旧、貧富が混在する奇妙な訳のわからない土地柄だからこそ、ゴミ捨て場に等身大の人形が捨ててあっても逆に違和感が無いのだろう。

台湾人は下町叙情なんてまるで意識なしに、パサパサに乾いた孤独の佃煮みたいな町としてこの地域を撮った。

これが映画の雰囲気を作っている。

空気人形は誰かの代役である

ダッチワイフは代替品。

男の性欲のはけ口に使われるだけ。

彼女が心を持った時、代替できないものは何?と気付かされる。

私で無ければならない理由を恋人に尋ねる。

***

夫婦関係でも友達関係でも自分でなければという特別なものがあるのか。

夫は妻に、性欲処理と家事労働という機能を求めるだけなら、機能を満足させる代役は他にもいるだろうし、場合によっては精巧な機械でも事足りる。

自分のアイデンティティーて何処にあるのだろう。

人と空気人形は何処が違うのか?・・・・自己の尊厳とは、・・・。

空気人形は純粋

まっさらだから、素直で、人間を区別せずに接し、疑わない、だれにでも優しい。

店長が望めば股でも開く。

出来立ての人形には善悪も判らず、食欲も性欲も所有欲も生存欲も無い。

心が宿っても中身が空気だから、純粋。

人間も生まれたときはそうだったので、この人形の悲しさを体感出来るのかもしれない。

生きることはつらいことか。

人形も恋をして人並みの苦しみを知る

ARATA演ずる恋人が秀逸。

彼の部屋にあった前の恋人の写真。

やっぱり代替品なのかしら。

でも彼と居ると幸せだ。

彼は言う、おれも空気人形みたいなものだ。

この一言が、ラストの悲劇を生んでしまう。

凄い結末。

生は自分だけでは完結しないものらしい

この映画の登場人物はすべて孤独である。

でも元高校代用教員の独居老人(高橋昌也)がベンチで人形に詩を読んで聞かせる。

花はオシベとメシベが揃ろっても完全ではない、虫や風が来て仲立ちしてくれて種を作ることが出来る。

命は欠如を抱き生まれ、それを他者から満たしてもらうのだ。

世界は多分他者の贈与、補われている事など意識せず、時には疎ましく思えることも許される、そんな緩やかに世界が出来ているのは何故?

知らないところでも、他人と自分は関りあって生きている。私は誰かの風、誰かはわたしの風。

恐れるな と。

フェリーニへのオマージュか

彼女はルーツを求めて、秋葉の人形製作会社を訪ねる。

使用済み人形は出荷時と顔の表情が皆違うと、オダギリ・ジョーが言う。

・・・

人形の誕生祝をしてくれている。登場人物全員で。

バースデー・ケーキのロウソクを吹き消そうとしている、幸せそうな自分。

とてもハッピー。

皆が大団円の輪の中で、歌を歌ってくれている

・・・

でもこれは夢だった。

彼女は自分で補修してあった空気の穴を破り、ゴミ捨て場に横になっていた。

その時街にはタンポポの無数の綿毛が、ふわふわと舞い降りていた。

 

No.1

風にそよぐ草 2009/104分 仏 ラブストーリー 岩波ホール他 上映中 2012.01.06

アラン・レネ 監督 、  クリスチャン・ガイイ 原作

サビーヌ・アゼア(マルグリット)、、アンドレ・デュソリエ(ジョルジュ)、アンヌ・コンシニ(スザンヌ)、エマニュエル・ドラヴォス(ジョセファ)

悲恋物語だが胸を打たない

夜の格納庫が映し出され、ムーディーな音楽が流れ、スピッツ・ファイヤーが現れる。

何か胸がざわついたのはこのシーンだけ。

S/Fに乗るのかと思ったら、3人はセスナ機で空に向かう。

S/Fは単座機だから仕方ないのだが、整備士5人との人生お別れのキス演出の為だけにしては、でしゃばり過ぎだと思う。

尤も、現役で空を飛べるのはヨーロッパには無いそうだから、あれは飛べない模型だったのだろう。

***

何故仏映画で英国の飛行機でなければいけないのか、何故重要な冒頭が「靴屋」なのか、何故マルグリットはいつも同じ黒の服装を着ているのか、・・・・。

この作品は部分的にはかなり凝っていることが分かるが(下記参照)、他不明点が私には多すぎて、中盤の中だるみのスローテンポと共に、気になって集中出来なかった。

さらに言えば、ジョルジュの半ボケ老人ぶりも異常で感情移入出来ず、最初は拒否していたマルグリットが急転して追っかけに転じる理由も説明されておらず、要するに二人の愛が昇華する前段階がはっきりしない為、クロージングの必然性に難があり、観客に「死」が悲しく映らない。

いや、死んだのも判らないように作っているから、一層胸を打たない。

湧き上がる情熱の鼓動、恋の持つ自己破壊の力、など巨匠も恋の外観は描けても、最早中身が描けず、茶化すしかないのかもしれない。

同じ老人監督でもベルイマンの遺作や新藤兼人の最近作に比べると、平板と言わざるをえない。

「去年マリエンバードで」は印象度という意味で、私には最右翼の作品であった為に、正直がっかり。残念で仕方ない。

もう一発かますらしいので、次回に期待しよう。

 

キャスティングに大いに問題がある

男優デュソリエは実年齢63歳だが老けており70歳以上に見える。

コンシニは46歳だがとても若くみえるので、夫婦として不釣合い、私は最初、長女と間違えてしまった。

さらに下の男の子が高校生の設定だから、親子の年齢が離れすぎており、家族一同の食事場面で、家族関係の整理がつかなかった。

それに、アップに耐えない皺だらけの不美人アゼア(62歳)に恋をするなんて、不自然である(勝手だが)。もう少し美形が欲しかったなあ。

監督の贔屓で主演に仲間内の二人を使ったのだろうが、89歳からみると同じような老人に見えるかもしれないが、老け方も色々あるのだ。

警官役はなかなか良かったが。

 

技巧的な点は認める

@ 映画が二度終わる

1度目のfinは ハッピーエンドのハリウッドスタイル・・・20世紀フォックスのMGMが流れる。

2度目のFINは フランス式に悲劇で終わる。

A 「空」のテーマ

ジョルジュは飛行機マニアである。腕時計、観る映画、ペンキの色 等多くは「空」への憧れを意味している。

拾った財布に異常な関心を抱いたのも飛行機免許が発端だった。

彼の人生は、夫婦関係を含め余り楽しいものではなかったのだろう。

それが空への憧れを持続させたが、その望みが現実のものになった時、彼は居場所を失った。

B 「猫にならなければ猫の餌は食べられないのか」

最後の言葉で、鑑賞者を謎解きの迷路に誘い、悩ませるのはなかなか。

勝手な解釈が許されるが、未決は気持ちが悪い。

私は冗談で災厄のケースを考えた//落ちた飛行機の先にあった家の女の子の言葉だから、野原に多分肉片も散らばって、それを猫が漁っていた。

人間も恋愛も所詮その程度のものさ、雑草のように!!かな?

シニカルなレネならそれもアリ?

この考えは変わるかも知れないが、今日のところはこの線にしておこう。