童話
「百日紅とロウバイの木」(06/01改訂版)
荻虫
<はじめに>
とある郊外の住宅地に、昔ながらのお屋敷がありました。
お屋敷の庭には大木が何本もあり、はみだした枝が道をトンネルのように丸く覆っていました。
それは、遠くから見るとまるで、こんもりとした林のようでした。
中には、おじいさんとおばあさんが二人だけで、住んでいました。
おじいさんはもう大分体が弱ってきたこともあり、一日ぼんやりと昼寝などして過ごしておりましたので、あまり外にでることはなく、めだたない人
でした。
反対に、おばあさんは町の世話役でしたから、ご近所とのお付き合いも多く、そこらあたりではちょっとした顔役でした。
それに、おばあさんはお茶の先生もしておりました。
ですから、生徒さんがいつも出入りしておりました。
そして、新春がくると、、その生徒たちは和服を着て、初釜にやって来ます。
その席には決まってロウバイが生けられました。
なぜロウバイかといいますと、庭に見事なロウバイの古木があったからです。
それは、早春になると、ほのかなやさしい香りをあたり一面に漂わせ、通りがかりの人も思わず「あっと」声を上げて感嘆してしまうほどすばらし
いものだったからです。
その日は、晴れ着をきたおねえさん達がぞろぞろと集まり、庭を散歩しながらロウバイの香りを楽しみます。
この時だけは、陰気なお屋敷が、花が咲いたような華やかさに包まれました。
そして、この家の春も永遠に続くかのようにみえたものです。
このように、お屋敷におけるロウバイの役割は大きかったのですが、ロウバイのお話だけでは、実は片手落ちなのです。
つぎに、百日紅(サルスベリ)のことも、少しお話しておきましょうね。
この木はお屋敷の池の方ではなく、手前の茶室のすぐそばに植えられています。
最初は小さかったようですが、どんどん成長し、今は枝が茶室の屋根全体を覆い、高さは二階建ての母屋の屋根と同じぐらいあります。
茶色のつるっとした曲がった細かい枝が網の目のように四方八方に大きく張り出しています。
そして、夏になるとそれに、紅い花が無数につきます。
百日紅というぐらいですから、花は3ヶ月ぐらい咲いては散り、咲いては散りを繰り返しますので、空が紅く染まるだけでなく、茶室の屋根も、前庭
も赤いじゅうたんをひいたようになります。
また、この百日紅は見事で美しいだけでなく、真夏のカンカン照りには絶好の日除けになり、冬は葉をすっかり落としますから茶室
にもよく陽が入る、優れものでもありました。
このように、夏の主役は百日紅で、冬の主役はロウバイというように、この二つの木は仲良く季節を分かち合って、お屋敷の庭を演出していたのです。
ところで、このお屋敷の隣には、最近会社勤めを辞めて毎日家でレコードばかり聴いているおじさんが住んでいました。
このおじさんの家の敷地は間口が狭く、もし火事などが起こると逃げ場を失うかもしれません。
その為、お屋敷との境界塀に木戸を作らせてもらい、いざというときお屋敷の庭に逃げ込めるようにしてありました。
いや、いざという時でなくても、例えば洗濯物を飛ばされたときなどにも、おじさんはこの木戸を使い自由にお屋敷の庭に出入りさせてもらってお
りました。
これからお話しすることは、このお屋敷の出来事を、隣に住んでいるこのおじさんが見たままに語ったもので、本当にあった話なのです。
(一)
それはそれは暑い夏の出来事でした。
百日紅がその夏もたくさんの紅い花をつけ、その日も金色の太陽と一日中にらめっこをしておりました。
隣のおじさんは、その日もクーラーのスイッチを入れず、そのかわり窓をいっぱいに開けて、わずかに入る都会の生ぬるい風で涼をとり、何とか
狂ったような暑さをやりすごしておりました。
どんなに暑い日でもクーラーを入れないなんて、ちょっと変わったおじさんですよね。
なんだか、これも修行だとか言ってましたが、修行してどうするのでしょうか。
それはさておき、その生ぬるい風ですが、その日は風にいつもとは違う何かおかしい匂いが混ざっていました。
何処かで植木に油粕でも撒いたような異臭です。
おじさんは二,三日たてば収まるだろうとたかをくくっておりましたが、それは収まるどころか日に日に強くなり、ついに窓も開けられないほどの悪臭になりました。
・・・・そこで初めて何処かで動物が死んでいるのに違いないと思いました。
まず自分の庭の中を探しましたが、すぐには見当たりません。
隣のお屋敷やご近所も覗いてみましたがそれらしいものも見えません。
そこでもう一度丹念に自分の家の庭を探してみてやっと、落ち葉の隙間に黒い毛らしいものを発見しました。
そこには半ば朽ちかけた猫の屍体がありました。
(二)
猫が死んでいたのは、実はこれが初めてではありません。三度目です。
最初は野良猫で椿の木下に埋めてやりました。
翌年の花はいつもより大きいように見えました。
次は飼い猫で首輪に電話番号がかいてありましたから、電話をして引き取りにきてもらいました。
来たのはまだ小さな女の子とその母親でした。
女の子は汚れて硬直した猫の亡き骸を、しっかりと胸に抱いて帰っていきました。
その後姿はとても切ないものでしたが、翌日今度はそのお兄ちゃんをつれて又やって来ました。
お兄ちゃんもどこで死んでいたのか見たいという話でした。
こんなことが続きましたからおじさんは猫の死に場所に選ばれる何かが我が家にはあるのだろうと、うすうす感じておりましたが今回の件でやっ
ぱりと思いました。
(三)
おじさんは猫を、住んでいたお屋敷のロウバイの木の下に埋葬してやりました。
ロウバイの木は夏はびっしりと下の方まで葉を茂らせます。
ですから、その下は薄暗く根も入り組んでいる為、穴を堀るのが一苦労でした。
何故ロウバイの木の下を選んだのかは、おじさん本人も良く分りませんでしたが、なぜかいやな屍体の臭が、逆にあの香しいロウバイの香りの
記憶を呼び覚ましたのかもしれませんね。
猫も生きているから猫であり、死ねば単なる腐敗物になります。
こんな時生きているということの尊さを感じますが、こんな汚い死がもし無ければきっと生きることの尊さも無いのだろうと、いろいろのことをおじ
さんは考えながらお線香を一本立ててやりました。
(四)
こんなことのあった、ずっと前の話をします。
野良猫のクロがある日、お屋敷にひょいと現れました。
そして二、三日庭をうろうろしていたかと思うと、突然縁の下でお産をしました。
春は名ばかりのまだ寒いある朝のことです。
ロウバイの木が薄黄色の花をつけ、澄んだ青空に輝いて見え、いい匂いがあたり一面に拡がっていました。
誰でも自分の家で猫にお産をされると育てずにはおれないものです。
おばあさんも床下にダンボールやボロ布を運び、毎日餌をあげてよく面倒をみてやりました。
子猫たちがヨチヨチ歩きを始めた頃、おばあさんは悩んだ末決心して兄弟猫を保健所につれていき、一匹だけ手許に残しました。
それはあごの下に横一本の真っ白い毛があって目立ったからです。
体の他の場所は親と同じように真っ黒です。
だから自然に名前は「月の輪」と名付けられました。
この頃から親子は家の中を自由に歩き回っておりましたが、クロは生来の野良猫でしたから決して自分からおばあさんの膝に乗ることはありま
せんでしたが、月の輪はいつもおばあさんの着物の裾を追っかけてはじゃれついたり、膝で居眠りをしました。
それはそれはかわいい子猫でした。
ところが夏になり、見事な百日紅が紅い花をいっぱいにつけ始めた頃、月の輪は何故か急に親のクロを家から追い出すようになりました。
こっそりクロが縁側に上がって来ようものなら、毛を逆立てて襲いかかるものですからクロは仕方なくあきらめ、いつの間にか縁の下が又我が家
となりました。
それでもおばあさんは庭に餌をせっせと運び月の輪と分け隔て無くかわいがりました。
若い頃ずいぶんと苦労した自分を野良猫のクロに見るような気持ちだったからかもしれませんね。
お屋敷の庭はおじさんちの庭と塀で隔てられてはいますが、塀の下側は三十センチ位空いているため猫たちには無いも同然です。
いたる処 我がもの顔で自由に両家の庭を出入りしました。
クロのお気に入りの場所はおじさんちの殆ど使われていないエアコン室外機の上でした。
天気の良い冬の日などは決まってそこで昼寝をしました。
中庭なので風が当たらなかったので日向ぼっこには適した場所だったからです。
腕白ざかりの月の輪はやはりおじさんちのマテバ椎に登りキジバトが作った巣から卵を落とすような悪さもしました。
相変わらず冬になるとロウバイがかぐわしい匂いを風で運び、夏になると百日紅が紅い花で天を覆って、そんなふうに季節が何回か巡っていき
ました。
(五)
でもある年、その年は春が遅く、二月の半ば頃になっても寒かったので、庭のロウバイがまだ満開で、あたり一面にことのほか良い匂いをふり
まいておりました。
そんなある日クロが庭から突然姿を消したのです。
前にもそんなことが何度かあったのでおばあさんはしばらくじっと帰りを待っておりましたが今度は帰って来ません。
おばあさんは心配になり近所を探し始めました。
近くの公園や川沿いの散歩道で「クロ、クロ」と呼びかけましたが、見つけられず、あの気丈なおばあさんも、この時だけは本当に落ち込んでしま
い、それは可哀想なほどでした。
そのうち、おばあさんの声や姿を見かけなくなったので、クロが見つかったのかなと近所のひとは噂しておりましたが、それはそうではなくおば
あさんは持病の心臓病が悪化して入院してしまったのでした。
入院はクロの失踪事件と本当は関係ないかもしれませんが、別居中の長男は多分それがきっかけだったのだろうと、後でしみじみ話しておりま
した。
遅い春がようやく目を覚まし、もうすぐ桜もほころび始めようという三月の終わりに、おばあさんはとうとう入院先の病院で息をひきとりました。
とても急なことだったので、後にひとり残されたおじいさんは、生きる気力を失い寝込んでしまい、長男の家に引き取られて行きました。
そして広い屋敷にはついに月の輪だけが残されました。
(六)
でも長男は一週間に一度猫に餌を運んでくれましたから、月の輪は餓死することはありませんでした。
この家には猫専用の玄関がありましたから、そこから上がりさえすれば、餌にありつけたのです。
でも猫の月の輪にはどうして家に誰も居なくなったのか理解できなかったのでしょう。
時々おじさんちの敷き石に座り、ちょうどレコード盤に印刷してある犬のように首を斜めにかしげ、両手を揃えて不思議そうな顔をしました。
静まりかえった人の居ない庭で、
「パタッ、パタッ」
と猫玄関が開いたり閉まったりする音がするのは不気味でもあり、又いっそう哀しさを誘うものでもありました。
月の輪はおばあさんの膝でかわいがってもらったことや、クロと庭で遊んだ楽しい思い出がきっと忘れられず家を離れられないのでしょうか。
でも、そんな月の輪の一人暮らしもそう長くは続きませんでした。
誰もいなくなっても庭の花は季節を忘れません。
空も見えないほど百日紅の花がいっぱいに咲いたその年の夏に、今度は月の輪も家から姿を消したのです。
それは餌をやりにきていた長男が少しも餌が減っていないことで分かったことなのですが、おばあさんの居ない今となっては誰も探しにいく人も
居ませんでした。
猫玄関の「パタッ パタッ」という音ももう聞くことができず、お屋敷は本当の空き家になってしまいました。
(七)
猫の一匹もいなくなり、本当の空き家になってしまってから間もなく、このお話の最初に書いたように、猫の屍体が発見されたのです。
電話をうけた長男がやってきて、お宅の庭で死んだのは三週間前から居なくなった月の輪だろうと言って、猫玄関を閉めて、餌もねずみに食
べられないようにブリキ缶にふたをして帰っていきました。
ところが、しばらくしたらどこからか不思議なことに「黒猫」が現れたのです。
ちょうど秋のお彼岸の頃でした。おじさんが見ておりますと、猫玄関の前で「開けろ開けろ」と「にゃあ、にゃあ」何度も鳴いているではありませんか。
これはもしかして死んだはずの月の輪じゃないかと思いましたが、もともと外見はクロの方が幾分太っているくらいで、月の輪の白い毛も抱かな
い限り見えませんから区別がはっきりしませんでした。
でも猫玄関を知っているからどちらかに違いありません。
誰も居ない家の前で鳴いても中から開けてくれる人はいません、可哀想にと思っておりましたら、何とそのうち猫玄関に体当たりを何回か試み、
ついに自力で開けてしまったではありませんか。
何という逞しさでしょう。おじさんは拍手喝さいしてやりたい気持ちでした。
お腹が空いていたのでしょう、家の中でブリキ缶に爪をかりかり立てる音がしましたので、何とかならないものかと思っておりましたところ、偶然に
もちょうどそこに長男が現れました。
お彼岸ですから仏様にお線香を上げに来たようでした。何という幸運に恵まれた猫でしょうか。
あとで、長男に訊きにいきましたら、帰って来ていたのは月の輪だったそうです。
彼が言うにはお彼岸だから、おばあさんに会いに戻ってきたのではないかなどといっておりましたが、でも猫にはそんなこと分かるはずはありません。
でも帰った時がお彼岸でなかったら、月の輪は餌にありつけなかったことだけは事実です。
一方、クロはきっと長い野良生活で病気か何かになり、死に場所を求めて帰ってきたものの、お屋敷には誰もいないので、ひなたぼっこをして馴
染んでいたおじさんちを、終焉の場所に選んだということでしょう。
おばあさんが生きていたら、きっと犬猫病院に連れて行き、死ななくてすんだかもしれませんよね。
運のなかったクロ、運に恵まれいた月の輪、生死の境にはいつも「運」が隠れているのですね。
おばあさんとクロの死、でも悪いことはこれで終わりではありませんでした。
お彼岸もおわり、朝晩はめっきり涼しくなってきた頃、今度は長男の家で療養中だったおじいさんが、脳溢血で急死してしまったのです。
おばあさんが亡くなってから丁度半年後のことでした。
クロの失踪事件のあった頃は、夫婦で出かけることもあったのに何とはかない人の命でしょうか。
(八)
おばあさんとおじいさんはそれまでは平凡で退屈な毎日を長年すごしておりましたが、その年のロウバイの花が、百日紅の花にとって代わる
あっという間に、いきなり激しく大きく変わりました。
いや変わるというより、清算された、と言ったほうが適切かもしれません。
人生悪くなる時というのはいつもこんなに急なものなのでしょうか。
そうすると、退屈な日常ほど貴重なものに思えてきますね。
何事も移ろい変わっていくものなのですから。
(九)
ここの町内は駅前の白山さまをお祀りしています。
今年も秋祭りが行われ、空き家となったお屋敷の前にも、元気な子供みこしが通っていきます。
ドーンドーン・カッカッカ、
ジャラジャラ・ゴロゴロ、
ワーイワーイ
子供たちの目がイキイキと踊っています。
おみこしを担がない子も、わけもなく、ぐるぐる周りを駆け回って、きゃーきゃー歓声をあげています。
そんな一団が、お屋敷のまえの「トンネル」を過ぎて、向こうの明るい道へ抜けていきます。
そして、お屋敷は又静かになりました。
やがて木枯らしがやってきて百日紅とロウバイは葉をすっかり落します。
でもお正月を少し過ぎた頃、何事も無かったようにロウバイは薄黄色の花をいっぱいにつけ、上品なその匂いをあたり一面に漂わせることでしょう。
そして夏になれば、百日紅も変わらぬ見事な赤で空を染めることでしょうね。
<おわりに>
さて、月の輪はこれからどうなっていくのでしょうか。
おじさんにも分かりません。
でも、家猫ながら気が強く、運をもちあわせた猫ですから、きっと一人前の「野良猫」に「変身」して力強く、立派に生き抜くような気がします。
そして、クロがそうしたように床下で子どもを産んで、最後はおじさんちで息を引き取っって欲しいと思っています。
でも猫の十歳は人間の五六歳にあたるといいますから、月の輪の正確な年は知りませんが、そろそろ子どもは無理かもしれませんね。
何事もうまくいくとは限りませんから、仕方ありませんか。
でも「がんばれ!月の輪」 おじさんが応援しているぞ。
(完)
050927