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目次

 

 

 (はじめに)「山と私」

 

 

1)小法師尾根の遭難事件

 

2)2005/秋の珍事

 

 (3) 小学生ハイキングコース完全踏破 (伊豆 城山)

 

(4)小学校低学年向き遠足コース 完全踏破(奥多摩 日の出山080508)

 

(5)小学校高学年向き遠足コース 完全踏破(奥多摩 高水三山080515)

 

(6)中学校訓練コース(奥多摩 鷹巣山080522)

 

(7)新緑のシャワー(奥多摩 川乗山080601) 

 


 

 

はじめに「山と私」

 

 私が山に行き始めたのは、勤め人になってからです。

 

ずばり「おくて」です。

 

入社後2〜3年経ってから、勤め仲間と恐る恐る山に入り始めました。

 

その頃昭和40年代初めは、登山ブームの最中でした。

 

連休前夜の新宿駅中央本線下りホームなどは、足の踏み場も無いほどキスリングが並び、満員の車内では新聞紙をしいて先に寝た方が勝ちみたいな状態でした。 

 

その時代の主役は学生で、勤労者は脇役という感じでしょうか。

 

組合活動の延長みたいな勤労者グループもいましたから、両者の間には反目というか、対抗意識が確かにあったように思います。

 

遅れて始めた私は、大学山岳会やその出身者に、ひそかに劣等感をもっていました。

今考えると「こそこそと」山に向かったような気がします。

 

職場の仲間の中には、私のような劣等感の裏返しで、先鋭的な勤労者山岳会に入り、谷川の壁に通う人もいましたが、私はその度胸もなく、主にひとりで尾根歩きをしていました。

 

 

 

ところが、昭和47年9月奥秩父で間違って沢にはいり、戻れない状況のまま2日半迷ったことがあります。

もう駄目かと思い遺書まで書きましたが、偶然道を見つけ帰還しました。

 

この経験と、その後間もなく子供が生まれたこともあり、これから10年近く山から遠ざかりました。

 

 

再開は旧友S氏の誘いだったように思います。

お互いに地方勤務が長く、疎遠でしたがやっと、東京で再会できたからでしょう。

 

このころから、阿佐ヶ谷の「木風舎」橋谷さんに出会い、山の技術のこと、山道具のことを教えてもらうと共に、各地の山岳教室に通い、沢登りとか、岩登りの基本を勉強しました。

 

雪山に慣れるためスキーも始めました。

何しろ、40の手習いですから上達は遅かったものの、そこは回数でこなしました。

 

時代も大きく変わり、山はマイナー・スポーツになっていました。

 

電車も小屋もガラガラです。

特に学生は皆無になりました。

 

 

でも私の方は、山のスキルも上がり、トラウマ(s.47年の恐怖体験)も薄くなってきていましたから、本当によく山に行きました。

 

テントの中が最高の空間に思えたものです。

 

 

 

ところが、その後世間に100名山ブームがおきて、この20年ぐらいは中高年、特に女性を中心とした、「けたたまし登山」ならびに「ツアー登山」が山の本流になって来ました。

 

200名山,300名山までありますが、どこまでいけば気がすむのでしょうか。

 

深田先生も罪作りですね。

 

地下鉄スタンプ・ラリー、四国88箇所霊場めぐり等々、未完成だと気持ち悪いですものね。

 

 

 

しかし、山の雰囲気がどのように変わろうとも、山は行くたびに新しい発見を与えてくれます。

ですから、回数は減りましたが今でも月1回程度は登っています。(月2でないと筋肉痛になるのだけど)

 

若い頃はピークハンターでセカセカと登りました。

が、今はたとえ悪天候でも、それ自体を楽しめます。

余裕が出てくると山もまた、違う顔を見せてくれるものです。

 

これからは、一向に進歩しない花や木のうんちく、写生、鳥の声、俳句 などなどにも精を出しながら、ゆっくりと親しんでいこうと思っています。

 

最後に、私は記録をとったことが無いので、友人S氏の協力をえて、このページを充実していくつもりです。

 

 2006.01.06

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

1)小法師尾根の遭難事件

 

<前文>

 

この山行記録は私の40年ちかい山友達である、S氏が書いたものである。

 

小法師岳は銅山で有名な足尾山塊にあり、登られることの殆どない不遇な山である。

 

昨今の林道開発により、奥深いところまで車で入れるようになった為、袈裟丸山までは人がよく入る。

 

しかし、その先、皇海山(すかいさん)に至る道は一般道ではない。

 

 

この稜線上にある奥袈裟丸山の頂上を過ぎた鞍部から、東に分岐しているのが小法師尾根である。

 

この分岐からは、本当に道らしい道はない。

 

秋なら踏み跡も見つけられるかもしれないが、この時は「やぶ」の最盛期、ルートファインディングで苦労させられた。

 

 

昭文社の「山と高原地図」は網羅してないので、国土地理院2万5千分の1「袈裟丸山」「足尾」「上野花輪」「沢入」を使う。

 

三角点のあるピークを踏んで現在地を確認し、コンパスで次なる三角点の方角を確定ながら、慎重に進んでいく。

 

ほぼ順調に笹平にいたる。

 

 

笹平は野球場20面以上(たぶん)もある、広大な草原で身の丈の二倍ぐらいの笹で一面覆われている。

 

中に入ったら先が見えない。

 

広い草原の何処に立つかによって目指す方位が異なるので、ここでは、コンパスが使えない。

 

要するに現在地の確認が難しいのだ。

 

 

この草原を少し下り、登り返したところが、小法師岳という位置関係は確か。

 

ところが、どんよりとした視界の無い日だったため、すぐ隣にあるはずの小法師岳が見えない。

 

もし、目視できていたら、問題は何もなかったはずである。

 

 

この草原の何処を下ればよいのか、試行錯誤を繰り返し、笹の中を泳ぎに泳ぐ。

 

身の丈以上の笹薮の泳ぎは足を引きずっては前に進めないので、自分の足を高く、高く上げ、振り下ろさねば、笹が折れてくれない。

 

 

体力を極端に消耗する。

 

 

そしてついに見つけた赤いテープ。

 

この草原の周囲は潅木で縁取られており、その先はすべて急斜面で下っている。

 

人の下りられない崖もあれば、何とか下りられそうな場所もある。

 

その外縁の潅木にテープがまいてあった。

 

 

地獄に仏とはこのことか。

 

喜び勇んで、そこをどんどん下っていった。

 

  

でも、これが、間違いだった。

 

 

これは多分、餅が瀬川に非常時等直接下りる時に、多分ハンターか林道作業員がつけたであろうテープで、小法師岳への印しではなかったのだ。

 

 

教訓:テープを過信するな。

 

 

 

前文の締めくくりとして、言い訳をしておきたい。

 

山で道に迷ったのは事実である。

 

しかし、1日遅れではあったが完全自力下山したのである。

 

 

山で予定どうりいかない事は、過去あり、ビバークした経験もある。

 

だったら、今回は何故遭難騒ぎとなったのか。

 

 

実は訳あって、予定日に帰ってこないことをSの勤務先に白状せねば納得してもらえぬ留守宅の事情があった。

 

事情を知った会社は、遭難と思い、あわてて捜索願を出すように家族に指示したことが今回の大騒ぎの直接の原因となったのだ。

 

 

でも山のことを知らない会社は責められないと思う。

 

 

日頃から、留守宅に3日までは動かずにいてくれ、と指示しておけば、こんなことにはなかったのだから。

 

 

SもIも若い頃から家族に山のことは話さず(心配するから)、隠密な行動をしてきたことが、今回の事件の背景にある。

 

 

もっといえば、我々の家庭のあり方にも多少問題を含んでいたように思う。

 

 

事件後、現地を再訪し迷惑をかけた関係者に、今一度お詫びをさせてもらったが、社会人としてあってはならないことで、深く反省している。

 

 

何か武勇伝みたいに思われる方がいるかもしれないが、そうではない。

 

 

何かの参考になればと思い、掲載するものである。(2005.12.23)

 

 


 

 

 

小 法 師 尾 根

平成十四年六月十五日(土)〜十七日(月)

                                       

 

                                                             S

 

 

【小丸山避難小屋】憧れの山小屋

 

天空遥かな青緑の頂が、次第に高度を下げて、視線の高さで緑の平原となった。梅雨空は悠々と広がり、立ち込めた靄が大河の如く流れている。

 

ツツジ平だ。一本立てよう!

 

濡れた帽子を取り、タオルで額から首筋の汗を拭った。

 

湿気を帯びた丸太のベンチにザックを降ろした。

 

肩から重圧が去り、地上の引力は消えうせた。

 

体がふわりと宙に浮く。

 

何処かで、晩生の鶯が鳴いた。ホーケキョケキョ・・・!

 

静かに流れる薄靄が、汗ばんだ体を静めてくれる。

 

紫煙は私の周りを漂い、やがて翠の風に同化した。

・・・   ・・・   ・・・

午前8時、東武鉄道久喜駅でI.さんと合流。

 

太田、相老で電車を乗り継ぎ、10時45分、わたらせ渓谷鉄道の「沢入駅」に到着。

 

折場登山口へは、2時間余りの林道(西山小中線)歩きだ。

 

其処には、十畳程の清潔な四阿が佇んでいた。

 

一服しながら身支度を整えた。

 

少々肩に堪えるザックを、掛け声をかけて担ぎ上げた。

 

登りに取り掛かり、もう40分程も来ただろうか。

 

傾斜が次第に緩んで、小笹の平原になった。

 

ツツジ平の休み場だ。

 

レンゲツツジの群生に、もう花は無く、緑の葉っぱが元気良く茂っていた。

 

あと一時間も行けば今日の宿泊地「小丸山避難小屋」に到着する。

 

久し振りの小屋泊まりに、荷は少々重量を感じるが、気持ちは踊り、足取りは軽やかだ。

 

小丸山のピーク(1682m)から10分も下ると、白樺林に緑の熊笹が広がる平坦地に、黄色い蒲鉾型の、小丸山避難小屋を見つけた。(鉄製 4畳ぐらいはある)

 

辺りが明るくなって、雨の心配は無さそうだ。

 

鹿の鳴き声が四方から木魂する。

 

この辺りは鹿の巣らしい。

 

登山道を一〇m程左に折れて、小屋の前に立った。

 

「お邪魔します。」一声掛けて、鉄の扉をゆっくりと開けた。

 

今日は、私達の貸し切りらしい。

 

ザックを収めて、鹿の糞に注意しながら、小屋から5分ほど下った処に在る水場へ向った。

 

夕闇の気配を感じて腕時計を見たら、間もなく5時になろうとしている。

 

水音もしない水場は、笹に囲まれた小さな谷筋にあった。

 

細い流れを手で受けて、一口飲んだ後、Iさんの持参した伸縮式ポリタンクに二日分の飲用水を集めた。

 

思いの外時間を要した。

 

宵闇の速さと競争で、獣道を避難小屋へと登り返した。

 

ザックを開いて、夕食と寝床の準備は整った。

 

先ずは、乾杯だ。お湯を沸かして、Iさんのウイスキーをお湯割にした。

 

五臓六腑に染み渡る。

 

緊縮していた五体の筋肉が緩んだ。

 

アルコールが今日の疲労感を溶かしてくれる。

 

就寝前の用足しに小屋を出た。

 

立ち込める夜気の冷たさが、目許の火照りに心地良い。

 

ヘッドランプの灯りに照らされて、鹿の目が幾つも光って見えた。

 

数秒後、その目は鳴き声と共に、笹薮の中に逃げて行った。

 

そして、鹿達は、その後も、警戒の叫びを何処からとなく時折発した。

 

寝床に入ってからも、小屋の間近に、鹿達の気配を感じた。

 

招かざる客が我が領地に無断侵入し、相当迷惑しているらしい。

 

今夜は、仲良くしようぜ。お休み。

 

 

 

【奥袈裟】迷路への分岐点

 

六月十六日(日)晴・3時50分起床。相変わらず、かん高い鹿の鳴声。

 

その合間に小鳥のさえずりが爽やかだ。

 

パンとトマトポタージュで手早く朝食を済ませる。

 

4時31分スタート。紅い朝陽が、白樺の梢から私達の背中を指して、急速に辺りは明るくなってきた。

 

今日の小法師尾根は、ルートファインディングが強いられる、少々難儀なコースである。

 

期待と不安が交互に胸を絞め付ける。

 

前袈裟を通過して八反張のコルに差し掛かった。

 

ここは、登山口の掲示板にあった「注意書」の通り、崩落が激しく、体が硬直するのを覚えた。

 

確保用の鎖が張ってあるが、柱が浮いて居て頼りにならない。

 

鎖には、バランスを取る程度に触れながら、20m程のコルを忍足で通過した。

 

私が先に行き、Iさんの来るのを待った。

 

彼が渡り終えて、私の鼓動はやっと尋常のリズムに戻りかけた。

 

気がつくと、掌に汗が滲んでいた。

 

前袈裟から、後袈裟、中袈裟、奥袈裟と三つのピークを超えると、小法師尾根への分岐点がある筈だ。

 

既に、ピークは三つ超えたのに、その分岐点に到着しない。

 

不安坊主が目を醒まし、少々鼓動が高鳴る。

 

小さなアップダウンの稜線は、辺り一面石楠花の林だ。

 

「花時には、さぞかし綺麗だろうな!」と、朽ち掛けた終りの一輪を見つけて、不安坊主をなだめる。

 

奥袈裟を確認出来ないまま、平らなコルに到着した。

 

ここが小法師尾根への分岐点だろうと、一服する事にして、ザックを笹原に降ろした。

 

ガイドブックには、分岐の標識は「なし」とあった。

 

何か手掛かりはないかな!と、辺りを探していたら、大きなシラビソの幹に、「小法師↑」と書いた白いトタン板が打ち付

けてあるのを見つけた。

 

ホッとして、倒木に腰を降ろして、もう一本立てた。

 

 

【笹ノ平へ】思案の笹原

 

此処からがルートファインディングの始まりである。

 

尾根の稜線を踏み外さないよう慎重に辿る。

 

笹に覆われた尾根筋には幾つもの獣道が走り、注意していても、時折、それに騙されて、支尾根に踏込んでは引き返す。

 

笹の中に座り込んでは、2万5千分の地図で確認を繰り返し、笹ノ平のピークと思われる高台に到着した。

 

其処から、右手に笹原、左手に雑木の稜線を、やや下り気味に200m〜300m進んだ処で道が途絶えた。

 

二人で相談し、先程のピークまで引き返した上で確認することにする。

 

ガイドブックには、「笹ノ平では南東方向に、笹の原を一気に突き切ると、やがて登山道が現れる」とある。

 

コンパスで見当をつけて、熊笹の原に飛び込んだ。

 

15分〜20分位下った所で登山道らしい踏跡に出た。

 

右、左に小法師岳への取り掛かり口を探すが、手掛かりは見つからない。

 

再度、先程のピークへ引き返すことにする。

 

背より高い熊笹を、全身で掻き分け攀じ登るには、予想外のエネルギーを費やした。

 

再度、南東方向目掛けて、熊笹の原に飛び込んだ。

 

前回と同じ所に出た。

 

登山道らしき踏跡を東に辿って、小法師岳への尾根筋らしき突端に行った。

 

先程は見つけられなかった「目印」を見つけた。

 

「有ったヨ〜」と、大声でIさんを呼んだ。

 

彼は、息を弾ませて駆け寄ってきた。

 

二人でそれを確認した。

 

立木に「赤いテープ」が巻き付いていた。

 

二人は、顔を見合わせてうなずき合った。

 

安堵感に顔面の筋肉が緩んだ。

 

 

【餅ガ瀬川】招かざる沢音

 

其処からの取り付きは、斜度60度もある急降下の尾根筋だった。(後に反省するところであるが、この程度の標高の尾根筋に、こんなに高度差がある所がある筈がないのであるが。)

 

下降40分が経過した。

 

小法師岳への登り返しが始まらなければならないのに、下る一方である。

 

おかしい?と思いながらも、前進を続けた。

 

高度を下る程に沢音が大きくなってきた。

 

地図を広げた。

 

小法師尾根コースなら、まだ沢音が聞こえる場所までは来ていない筈だ。

 

どうやら本コースを外れて、支尾根に迷い込んだらしい。倒木に腰を降ろして地図を開いた。

 

沢の音は、小法師尾根南方下の、餅ガ瀬川である事が判明した。

 

笹ノ平のピークより南東方に向かったつもりが、南方に寄り過ぎていたのだ。

 

ルートを東方に採り、小法師尾根の小法師岳方面へ迂回することにした。

 

何となく行けそうな気がした。

其処には、荒廃しているが、水平な作業道と判別できる山道が在った。

 

やがて、行く手は不明瞭になり、尚も進むと、笹や雑木、つる草の生い茂るトンネルとなった。

 

前進を断念。

 

作業道と思ったのは、どうやら獣道だったらしい。

 

先を歩いていた私は、立ち止って、後方のIさんに「引き返そう!」と告げた。

 

それから、「こっちだ〜!」と呼ぶ井上さんの声を頼りに、10数メートル引き返した。

 

二人の顔に、諦めと決断の色が浮かんだ。

 

時刻は、午後3時になろうとしていた。

 

日の長い季節ではあるが、山の宵闇は駆け足でやって来る。

 

一服している余裕はない。弾む呼吸もそのままに、急な登り返しに取り掛かった。

 

全神経を集中して、往路の足跡を慎重に選んだ。

 

今朝、4時半に出発してから、もう12時間が経過しようとしている。

 

今から、小丸山避難小屋まで引き返すには、時間的にも無理である。

 

また、夜道の行動は計り知れないリスクが伴う。

 

一方、体力も笹ノ平でのルートファインディングでかなり消耗している。

 

ビバーグが最善の策と総合的に判断した。ビバーグに適した場所を探しながら、一歩一歩稜線に向かって高度を上げた。

 

 

 

【ビバーグ】山の夜の光景

 

木立からの陽光が、何時の間にか差し込まなくなって、気温が低下し始めた。

 

日暮れ前に寝床を確保しなければならない。

 

活動モードを「前進」から「寝場所探索」に切換えて間もなく、大きなシラビソを見つけた。

 

その根元は、平らではないが、辛抱出来る程度の傾斜だ。

 

其処を今夜の寝場所に決めた。

 

大木には枝葉も十分茂っており、此処なら夜露はしのげそうだ。

 

夫々にビニールシートを敷いて、その上にシュラフを延べた。

 

私は、シュラフの足許部分を大きいゴミ袋で包んだ。これで、夜間の冷え込みも凌げるだろう。

 

Iさんは、荷を空けたザックで包んだ。寝床の出来上がりである。

 

餅ガ瀬川の谷間に、時折、鹿の鳴声が木魂する。

 

その合間に、それではない鳴声が聞き取れる。

 

「何だろう!」・・・分からない。

 

フクロウだろうか、ヨタカだろうか、それともムササビだろうか。

 

そんな想像をしている内に、先刻の登り道に、大きな黒っぽい糞が落ちていたの思い出した。

 

熊の糞に違いない。あんなに大きな奴をするのは熊以外に考えられない。

 

思えば、比較的新しい奴だった。

 

近くに居るのだろうか。

 

寒気のようなものが、首筋から背中をスーッと走った。

 

気休めであることは百も承知で、辺りに落ちている小枝を集めてバリケードを作った。

 

「藁にもすがる」とはこの事だろうか。

 

新しい靴下に履き替えて、シュラフに足許を差し込んだ。シラビソの根元に上半身を寄り掛けて、菓子パンを水で流し込んで夕食を済ませた。

 

一服しながら、迫り寄る夕闇に見を任せた。

 

紫煙は、目の前を漂って、暮行く木立の間を谷間へと流れて消えた。

 

「寝ようか!」と、Iさんに声を掛けて。

 

セーターの上から雨合羽を着込んだ。

 

手には軍手をはめて、シュラフに全身を潜らせた。

 

見上げる天空には、大中小の星達が、梢の先端で夏季とは思えない輝きを見せている。

 

今宵、雨は何とか大丈夫そうだ。

 

枕許に置いたヘッドランプと登山靴を、手探りで確かめてから目を閉じた。

 

爽やかな沢音を掻き乱すように、時折、獣たちの鳴声が夜空に木魂する。

 

夜風が足早に笹の葉を渡って行く。何処からとなく枯れ枝が落ちて、その小さな物音にビクッとする。

 

なかなか眠気がやって来ない。

 

眠れないが、目は閉じた。明日になったら、家族や職場の皆は大騒ぎをするだろう。

 

そんな様子が手に取るように想像できた。

 

警察や関係先にも捜索依頼をするだろう。そうすればヘリも飛ぶだろう。

 

私達には、「遭難」や「救助」の認識は全く無いのだが。(自分勝手な考え方だろうか。)ただ、予定の時刻に帰宅しないで、多くの皆に心配や迷惑を掛けたことは、十分認識している。

 

今後は、この様な事が発生しても、皆に心配や迷惑を掛けない方策を考えた上で山行計画を立てよう。

 

1、日程に余裕を持つ(一日ぐらい余分に休暇を)

2、登山届に持ち物を記載する(ビバーグ可能の旨)

3、家族にキャリアを認めてもらう(野営技量を信じて!)

4、登山届(写)を必ず自宅に置く

5、携帯電話を持参する

 

 

 

【爆音】未練の下山

 

六月十七日(月)晴。

 

眠れないと思いながらも、私は眠ったらしい。

 

時計を確認する為、シュラフから顔を出すと、もう夜明けが始まっていた。

 

白い残月が西の空に浮かんでいる。

 

雨の心配は無さそうだ、ホッ。

 

谷間の小鳥達も、朝の挨拶を交わしながら梢を飛び渡り、活動開始の準備運動を行っている。

 

小鳥達を驚かせない様、静かに上半身を起こして、冷えた翠の空気に深呼吸をした。

 

少々湿り気を持った一本に火を点けた。

 

「もう起きようか!」と、隣の蓑虫に声を掛けた。

 

Sさん!良く寝たな!」「俺、眠れなかったヨ!」とIさん。

 

彼は、寝付くのが私ほど上手ではない上に、私のアルミ箔シートの物音が、ガシャガシャとうるさくて、余計に眠れなかったとの事。(後日、音のしないシートに取り換えた。)

 

二人は、申し合わせた様に、手際よく寝床の片付けを開始。

 

身支度を整えてから、菓子パン半分ほどの朝食を摂った。

 

四時四六分、引き返しスタート。

 

こんな急坂を下ったのかと、見上げても稜線は見えない。

 

獣道に惑わせられるも、喘ぎ喘ぎ小一時間、餅ガ瀬川の沢音も次第に小さくなり、「迷いの笹ノ平」に登り着いた。

 

ザックを降ろして、呼吸を整える。

 

2万5千分地図で、稜線への方向性を確認。昨日の記憶を頼りに、熊笹の林を東方へ掻き分けて、20分余りで小法師尾根稜線に達した。

 

此処からは、尾根筋を踏み外さない様に辿れば、法師岳と奥袈裟のコルに到達できる。

 

其処まで行けば、もうコース取りに心配はいらない。

 

多少のアップダウンは有るが、明瞭な稜線歩きだ。

 

小法師尾根は笹に覆われ、幾筋もの獣道が縦横に走っている。

 

それらに騙されそうになっては立ち止り、二人して確認し合う。

 

空は、大シラビソなどの原生林に覆われて視界は無い。

 

登り道とは言え、標識の無い道程は、本当に厄介なものだ。

 

緊張感の傍らで、うんざりする疲労感も生れかけた頃、目の前が一層の急斜面に阻まれた。

 

慎重に来た筈なのに。

 

ルートを間違えたかな!と不安感が五体を包む。

 

そんな筈は無い!と自分を信じて、急登に取り掛かった。

 

鼓動がピークに達しそうになった頃、見上げる頭上が明るくなって、稜線が近いた事を知らされる。

 

後から来るIさんに、「見えたよ!」と知らせた。

 

コルでは、昨日休んだ倒木に腰掛け一休みとする。

 

緊張感と気温の上昇で、喉がカラカラだ。

 

ゴクゴクと飲みたいところだが水筒の分量はもう幾らも無い。

 

二人合わせて300t位だ。

 

小丸山避難小屋の水場までは、4〜5時間かかるだろう。

大切にしなくては。

 

食料や衣類は十分であったが、「水」の余裕が無くなった事は、今度の山行に於いて、大きな課題を見る事になった。

 

水不足と稜線に出た安堵感で、疲労の渡合を実感し掛けたが、早く下山して無事を知らせ、騒ぎの拡大を鎮めなくてはならない。

 

「行こう!」二人して、空元気を呼び起こして立ち上がった。

 

その時だ、かすかにヘリの爆音が聞こえた。「Iさん、ヘリだよ!」「やっぱり来たな!」と私が話し掛けた。

 

「違うよ!」とIさんに言われて、耳を澄ますと、天高く飛ぶ飛行機だった。

 

捜索ヘリでなかったことにホッとしたのも束の間だった。

 

それから1時間程が経過しただろうか。

 

奥袈裟を越えた辺りで、ヘリとはっきり解かる爆音が、足許の谷間から吹き上げてきた。

 

今度はIさんが「俺の名前、呼んだよ!」と言うので、息をころして耳を澄ましたが聞こえない。

 

「気のせいじゃない!」と、私は、そうでないことを祈った。

 

それから2〜3分後、今度は、はっきり聴き取れた。

 

『此方は、群馬県警です。Iさん、Iさん。Sさん、Sさん。あなた方を探しています。聞こえたら、合図をして下さい。』フルネームで呼びかけている。

 

「やっぱり、来たな!」と二人は、顔を見合させてうなずいた。

 

そうと分かれば、無事で在る事を早く気付いてもらって、各方面にその旨連絡を取ってもらわなければならない。

 

そして、騒ぎを最小限に収めてもらわなくては、・・・。

 

二人は、ザックを降ろし、谷側に身を乗り出した。

 

そして、私は赤い雨合羽を、Iさんは青い雨合羽を、一斉に振ってみたが、一向に気付いてくれない。

 

ヘリは、餅ガ瀬川の谷間で低空飛行を繰り返し、上昇しないのだから、稜線に居る私達に気付かないのも、無理ないところではある。

 

半ば諦めて前進を始めたその時、ヘリが上昇した。

 

私達を発見したのだ!と思ったが、それは早計だった。

 

北方の皇海山方面へ飛んで行った。

 

今度は皇海山上空で旋回している。

 

あそこから、私達は見える筈も無い。

 

数キロは離れているだろう。

 

またもや諦めて、後袈裟まで来た時、へりは旋回を止めて、進路を此方に変えた。

 

この機を逃してはならない。

 

ザックを放り出して、露岩の高台に上った。

 

二人は大きな声で呼びながら、力の限り雨合羽を振った。

 

ヘリの姿と爆音が次第に大きくなって、すぐ其処までやって来た。

 

「稜線にて、二名発見。元気な様子」と、捜索本部と無線交信しているだろう。

 

期待を込めて推測しながら、一層力を込めて雨合羽を振った。

 

私は、「分かったみたいだよ!」と、隣で雨合羽を振るIさんに語り掛けた。

 

Iさんは、「群馬県警は、谷川岳を管轄しているので、捜索は上手だよ!」と応えた。

 

私はうなずいて、納得した。

 

二人の緊張した顔面が緩んだ。

 

次の瞬間である。

 

こんな事があって良いのだろうか。

 

ヘリは、法師岳上空で90度旋回、西方に進路を採り、皇海山裏の沼田方面へと消えて行った。

 

戻るかな?と期待を寄せたが、ついにその姿は現れなかった。

 

何故、私達の登山コースを、順番を追って捜索しないのだろう。

 

定石だと思うのだが。

 

私達が捜索ヘリに乗っていたら、先ず、登山届のコースを順に追ってみる。

 

次にその逆コースを辿ってみる。

 

それから、迷い込みそうな場所を選定し、優先順位を付けて、捜索範囲を拡大して行く方法を採るだろう。

 

四国八十八ヶ所巡礼に、「順打ち」と「逆打ち」と言う二つの方法がある。

 

前者は1番札所から八十八番札所へと順番に巡礼し、後者は、八十八番から一番へと前者の逆コースを辿るのである。

 

何故、二通りの巡礼方法が生れたのか?それは、次の様な事かららしい。

 

八十八ヶ所を弘法大師様は、順打ちで行脚している。

 

同じ方向に巡礼したのでは、お大師様のスピードに追いつけない場合、お大師様にお会い出来ない。

 

必ずお会い出来る方法はないものだろうか。

 

そこで考案されたのが「逆打ち」である。

 

お大師様と反対回りで巡礼を行えば、必ずお会い出来ると言うことだ。

 

捜索ヘリが、この方法を採用していたなら、早期に私達を発見出来ただろうに・・・。

 

自分の不始末を柵に上げ、来ない捜索ヘリに不満を抱いた。

 

 

【二人の警察官】小丸山避難小屋にて

 

 午後三時、晴れ、前袈裟頂上到着。申し合わせた様に、私達は腰を降ろした。

 

あと40分も下れば小丸山避難小屋に到着する。

其処には水場がある。

 

もう、水の心配は無い。

大切に残して置いた50t程の水を二人で一口づつ飲み干した。

 

それから、今後の対策を話し合った。

 

I「俺は、少々疲れた。今夜は小屋に泊まる。」

   「Sさんは、今日の内に下山して、関係方面と連絡

    してくれないか。」

「明日になると、捜索隊が組成される。そして本格的

     な捜索が開始され、事は大事になる。」

◇ ◇ ◇

通常、警察に捜索願が出されると、消防、地元の山岳会、猟友会や協力者に依頼をし、捜索隊が組成されます。

 

組成まで一日は要します。

 

それからすると、今日のところは、ヘリ捜索と情報収集。

 

明日は、人々による本格的捜索開始となります。

◇ ◇ ◇

 「なるべく一緒に下山しようよ!」

   

 「ま!小屋に着いてから、また考えよう!」

    

「折場登山口まで行けば、車も通るだろう、携帯電話を借りて、連絡するか、沢入駅まで乗せてもらおう。」

 

一口の水でこんなに元気が吹き返すとは?水の有り難さと大切さを、しみじみと覚えたところで下山開始。

 

三十分程下っただろうか。

 

疲労した膝に笑いが起きる頃、足許の梢越しに、小屋の黄色い屋根が見え隠れして来た。

 

「小屋だよ!」とIさんに告げた。

 

「水汲もう!」とIさんが応えた。

 

二人は、やや急ぎ足になった。

 

ザックが背中で揺れた。

 

急斜面の樹林帯が開けて、小笹の平坦地になった。

 

黄色い蒲鉾型小屋の全景と二人の男性が目の前に現れた。

 

一人は無線機を持って、辺りを窺っている様子。

 

もう一人は倒木に腰掛けて一服中。

 

無線機男の服装は、紺色で、警察の警備服にそっくりだ。

 

軽く会釈をしたら、その人も会釈を返した。

 

一瞬間を置いて、「警察の方ですか?」と、Iさんが問い掛けた。

 

「そうです。大間々署の者です。」との返答。

 

そうと分かって、「先程、ヘリで呼ばれたIとSです。」とIさんが申し出た。

 

警察官は、一寸不意を突かれた面持ちで、「あなた達ですか?」と、当事者である事を確認した。

 

そして、「怪我は?疲労は?具合の悪いところは?」と、口早に問い掛けてきた。

 

「この通り、全く大丈夫です。」と応えると、少々拍子抜けした様子で、「よかった、何よりです。」と、安堵の表情になった。

 

私達は、迷惑を掛けたお詫びを言うのもさて置き、「無事の知らせを取りたいのですが・・・!」と、無線連絡をお願いした。

 

「直ぐ取りますから、一寸一服していて下さい。」との、軽快な対応に、「お願いします。」と丁寧に頭を下げた。

 

無線連絡を見守っている私達に、倒木に腰を降ろして居たもう一人の警察官が、「私は、駐在所の者です。」と、挨拶をしてから、「これ飲んで、休んで下さい。」とペットボトルと水筒を差し出してくれた。

 

しかし、自力下山を旨とする私達には、その行為に甘えることは許されない。

 

「いいえ、其処の水場で汲んで来ますから!」と、遠慮がちに、笹の原を水場へと駆け下りて行った。

 

ついてない時は、ついてないものだ。

 

水場には、水が一滴も出ていないではないか。

 

場所を間違えたのではと、暫し佇んで見たが、場所は間違いない。

 

取り出しの「塩化ビニール管」が出水口から外れているのでは?と、修復を試みるが、出水そのものが無くなっている。

 

昨日は有ったのに、一日でこうも変化するものだろうか。

 

自然界の営みに、計り知れない怖さを知る。

 

私達は、肩を落とし、警察官の待つ小丸山避難小屋まで戻った。

 

空のペットボトルを、重たそうにぶら提げて引き上げて来た二人を見て、精悍な警察官は、「これ飲んで下さい。」「遠慮しないで・・・・・」と、気の毒そうな面持ちになって、励ます様に再び差し出してくれた。

 

私達は、「有難う御座います。戴きます。」と、飛びついた。ゴクゴクと音をたてて、水は胃袋に流れ込んだ。

 

 

 

【捜索隊】大勢にびっくり

 

「私は、今日は、この小屋に泊まります。少々疲れていますので・・・」と、Iさんは小丸山避難小屋(泊)を希望したが、警察官は、何とか一緒に下山出来ないかと、同行を勧めた。

 

捜索と言う任務を負った立場からすれば、当事者の下山を持って、任務終了としたいところだろう。

 

倒木に腰掛けていた若手の警察官が先頭に立った。

 

此方のコースの方が楽だと言って、小丸山山腹のトラバースコースを選んだ。

 

山岳地図には表示の無いコースなので、聴いてみると、近年新設されたコースとのこと。

 

彼は、足許を登山靴で固め、小さなナップザックを背に軽快な足取りである。

 

私達にとっては、少々ハイペースに思われるスピードだが、ペースダウンを申し出る訳にも行かず着いて行く。

 

下山を開始して間もなく、無線交信が盛んに始まった。

 

私達が話した、今回の経緯や状況を本部に連絡しているらしい。

 

本部からの質問に対して、時々、私達に内容の確認も行った。

 

無線交信が一段落すると、「大丈夫ですか?荷物持ちましょうか?」と、気を遣ってくれた。

 

間もなく賽ノ河原に到着しようとする頃、再び無線交信が始まった。

 

今度は、捜索隊同士の交信らしい。

 

「後、どの位で賽ノ河原に到着しますか?」「十五分位!」。

 

賽ノ河原で、本隊が待機しているとのこと。

 

そして、今日は、組成も出来なかったので、参加できる人だけで、先ずはやってきた。

 

その中で、この二人が偵察隊として小屋まで足を伸ばしたと、説明してくれた。

 

次第に人声が大きくなって、賽ノ河原に到着した。

 

心臓が一瞬止まるほどの人影が大きく現れた。

 

私達の到着を見て、その人影から一機は大きなどよめきが起きた。

 

警察服の人、ハイキング姿の人、作業着姿の人、・・・5人、・・・10人・・・数えるのを止めた。

 

20人は居ただろう。

 

驚いている場合ではない。

 

「申し訳御座いません。ご心配をお掛けいたしました。」と、手当たり次第に挨拶をして回った。

 

数人の方から、パンや飲み物を勧められた。

 

私達は、その好意の差し入れを「いいです、いいです」と、とっさに断ってしまった。

 

「あの時は、気持ち良く受け取るべきだよな!」と、後になって、Iさんと話したが、これが後の祭と言う奴である。

 

本当に申し訳ない事をしてしまったものだ。

 

「それでは、これより下山を開始します。」隊長の号令で、全員が折場登山口に向けて出発した。

 

私達は、最後尾に着いた。

 

午後5時40分、折場登山口到着。

 

捜索参加者約40名、大間々警察、駐在所、東村役場、広域消防本部、消防分団の各方々。

 

パトカー、消防車他、数台の車両。

 

大捜索隊が勢ぞろいしていた。

 

賽ノ河原にも増して、本格的な驚きに襲われる。

 

その光景に、暫し呆然と立ち停まる。

 

ここでも、手当たり次第に挨拶をして回った。

 

勿論、誰が各署の長であるかなど知る由もない。

 

やがて、捜索隊も解散されて、登山口広場に山間の静けさが戻り、夕日は西の稜線から姿を消した。

 

林道脇の湧き水で、渇いた咽喉を癒し、顔面の結晶した塩を洗い流した。

 

「駅まで送りますから、どうぞ。」初対面の若い警察官が、パトカーのドアを開けて、待っていてくれた。

 

「有難う御座います。助かります。」私達は、大きく息を吐いて乗り込んだ。

 

午後6時、わたらせ渓谷鉄道「沢入」駅到着。

 

警察官は、私達の前に姿勢良く立って、「警察官として、一言、言わせて下さい。」と切り出した。

 

「登山歴もあり、それなりの職位にも在られ、私よりも遥か先輩に対して、僭越に思いますが、以後、今回を思い起こし、安全登山を心掛けて下さい。」

 

「また、登山の友達にも、安全登山を勧めてくださるよう、指導をお願いします。」

 

「それでは、お気をつけて、お帰り下さい。」

 

「失礼します。」

 

私達も、姿勢を正して御礼と反省を述べた。

 

「今後、二度とお世話にならない様、十分反省します。」

 

「有難うございました。」

小さなパトカーは、谷合の道に小さく消えて行った。

 

 

 

あとがき

 

私は、登山計画書を自宅に置いて行かなかった。

 

従って、行き先不明。

 

捜索依頼先確定出来ず。

 

娘の夏子は、私の日頃の習性から、机の上に手掛かりがあるだろうと推測した。

 

探したところ、Iさんからのメールのプリントアウトとガイドブックを発見した。

 

行き先判明。

 

捜索に係る関係方面へ連絡可能となる。

 

 

夏子メモ〕

平成十四年六月十七日(月)

〈九時〉  

○勤務先常務宛て電話 「休暇届」

○会社折り返し電話あり、仕方なく 「事情を話す」

I奥様より電話 「十時頃まで様子を見る事にする」

〈十時〉

○東村役場 企画観光課宛て電話 「事情を話す」

  рO277・97・2888

・入山届を見に行ってくれるとのこと

・昨日、今日と天候は、悪くないとのこと

・小法師尾根で道を間違えたら、銀山平に出る可能性

もあるとのこと

・国民宿舎「かじか荘」の電話番号を教えてもらう

・足尾町役場にも連絡した方がいいとのこと

○「かじか荘」宛て電話

・「昨日の宿泊者に、S、Iは居ないとのこと」

・「もし、二人が来たら、家に電話入れるように頼んだ」

○足尾町役場宛て電話

〈十一時〉

I奥様宛て電話

・「役場へ連絡した旨伝える」

・「警察へは、役場から折り返し電話が来てからにする」

○東村役場・赤尾さんより電話

・「一応、警察に届けておいた方がよいとのこと」

〈十一時三十分〉

○足尾警察署宛て電話

・「大間々警察署にも電話した方がよいとのこと」

○大間々警察署宛て電話

〈十二時二十分〉

I奥様より電話

「東村役場より電話が入ったとのこと」

・折場登山口に入山カードがあった

・車が何台か止まっていた

・何人かが入山している模様

・原向は、足尾町の地域

・足尾警察が東村役場へ地図を取りに来るとのこと

〈十二時三十分〉

○大間々警察署より電話(携帯に)

・陸と空から捜索とのこと

・特徴を聞かれるが覚えてない旨

(赤い合羽?グレーのズボン?)

〈十二時五〇分〉

○尾警察署より電話

・ガイドブックのFAXを要請される

〈十五時十五分〉

○大間々察署より電話

・五分から足尾警察署員、消防団、大間々警察署

のヘリコブター、大間々警察署員、消防団、らが捜索

してくれているとのこと

 ・未だ手掛かりなし

 

〈十六時〉

I奥様より電話

「大間々警察署より電話があった旨」

・土曜日に折場登山口で、お父さんらしき二人組に会った人が居るとのこと

・でも、その二人組は、皇海山まで行けたら行って見ようと、言っていたとのこと

・ヘリコブターは、袈裟丸山山頂から半径6qを探した

・燃料切れで、今は戻っているとのこと

〈十六時十分〉

○大間々警察署より電話

「無事発見されたとのこと」「小屋に居た」

 

東村役場 産業??課 赤尾さん 0277・97・2888

足尾町役場 0288・93・3111

足尾警察署 地域課 きみじまさん 0288・93・0110

                       FAXも同じ

大間々警察署 生活課 0277・72・0110

          地域課長 おぐちさん

国民宿舎かじか荘 0288・93・3420

 

 

 

 

 


2)2005/秋の珍事

 

 

 11/1快晴。秦野駅8:18発ヤビツ峠行きバス。

午前中これ一本。乗り損なうと手前の蓑毛から1時間歩かねばならない。だから、ウンコを我慢してバス停に走る走る。

 

驚いたことに既にそこは老人のすごい列が出来ているではないか。

毎度のことながら自分を見ているみたいで、ああいやだ。バス1台では足らず臨時追加1台。

 

大勢で山登りは予想してなかったのでウンザリ。

 

ところがギッチョン、ヤビツに着いたら表尾根に向かう連中はごく少数派。

殆どが右手の大山へ。

 

少数派も岳の台経由は俺一人。おいおい情けないぞ老人諸君、たった70分のアルバイトより20分のアスファルト道を選ぶとは。

 

ここで俄然優越感がみなぎってきた。ついでに、した腹も漲ってきて、放出。

 

山なれた人はスコップとトイぺ、消毒液のセットを何時も持ち歩いているのさ。

 

見上げる空の青さが心地よい。・・・字数の関係で中間省略。

 

日の入りは16:40、大倉まであと1:00のところで日没。

 

夜行性の熊対策で鈴を出しライトを付けて、夜道を楽しんでいたら、前に誰か歩いているではないかご婦人二人、うち一人はあしを引きずって超スローペース。

 

ライトも持っておらず、おさとさわ一の道行場面よろしく、手を引いて泣き出さんばかりの形相だ。

 

この時期、月もこの時間出ていない。

場所によっては真の闇、初めての道は馬鹿尾根といえども不安がいっぱいだろう。

 

ここであったが100年目。

 

何とか二人を下まで下ろしてひと安堵。

 

でも今日は他人のためになれて良かったな。そんな秋の一日でした。

 

 


 

 

                  3)小学生ハイキングコース完全踏破

 

城山(じょうやま)。クライマーのゲレンデもあるが、左にハイキングコースがある。

  

毎年山仲間と忘年山行をしております。

 

@安上がり A日帰り B温泉付き が条件です。でも長年やっておりますと、もう完全に候補地難の状態。

 

そこへ、メンバーの一人がまともな山行ができない体調、との条件が重なり、即、@を無視。

 

@のしばりを無くせばぐんぐん行動範囲がひろがります。

新幹線に乗って三島。伊豆急で大仁へ。

 

城山(写真参照)〜葛城山を経て伊豆長岡に下りる。

小学生ハイキングコースを完全踏破。

 

葛城山頂上展望台から見る、富士山と駿河湾は銭湯のタイル絵のよう。

 

同行した仲間のお嬢さん(NY在住)、日本てキレイネ。

 

下山した麓はなんと、みかん畑。盗み食いしたかどうかは、貴方のご判断にお任せいたします。

 

長岡温泉郷 華の湯 800円 単純泉なれど、温まり「しもやけ」、軽快。

 

帰りは中学生のころから、何度も通った「丹那トンネル」が懐かしく東海道線で小田原へ出る。

 

トンネルで昔のことを思い出していたら、先程のお酒が効いてきてたちまち爆睡。思いでも酒には負けることが分る。

 

小田原からは小田急で帰るが、これまた爆睡。

 

やたら、電車に乗った1日だったなあ。

 

 


 

(4)小学校低学年向け遠足コース完全踏破 <奥多摩> 御岳山〜日の出山〜つるつる温泉・2008.05.08

 

日の出山からつるつる温泉に下る道は「みつばつつじ」が多く見られた

今年は雪山もスキーも行かず、春先はいつもの事だが花粉症で山に近づけない。

足も相当鈍っているので、計画的に足慣らしをしなくては、と思いまず小学生低学年になってみた。

青梅線「御岳」駅からバスでケーブル下まで。いつもはここから歩いて上がるが、御岳山詣での老若男女と一緒にケーブルを決め込む(以前は問題視していたが、人間簡単に堕落できるということか)。

 

すこぶる良い天気、新緑が一番輝く季節、途中何枚も「緑」を撮ったが緑一色の写真は「絵」になってくれない。

目でしか楽しめない一つかもしれない。

御岳から日の出山の山道に面白い道標を見つけた。

ブログに写真を貼ったが「右日の出道、五日市、八王子、横浜を経て、欧米方面」。横浜から欧米を連想するのが普通ではない。

頂上付近はやや遅い「石楠花」が沢山咲いている。昔は無かったので植えたのだろう。頂上付近一帯が公園地として、きれいに整備されて一新。

 

大東京が一望できる極めて見晴らしの良い山頂902m(山には視界の開けていない山頂も沢山あるのですよ)を後に、一路つるつる温泉へ2時間(コースタイムは1:30だが無理)の下り。

(ご参考:上養沢への道は崩落箇所あり要注意との表示あり)

 

つるつる温泉は、その名前のように温泉に入ると肌がつるつるしてくるので、「美人湯」と呼ばれている。

日の出町営の近代温泉センターで快適だが、土日は混むらしい。(定休日は火曜)

 ご参考:つるつる温泉

 

余談:10年ぐらい前にあった「ロン・ヤス饅頭」はもう売っていない。

 


(5)小学校高学年向き遠足コース 完全踏破(青梅線御岳駅〜惣岳山〜岩茸石山〜高水山〜軍畑いくさばた080515)

つつじもつぼみが風情あり?

今週は高学年向きである。このコースは奥多摩入門の代表的なもので、行程も4時間程度のものだが、急登あり沢ありと結構飽きさせない良いコースである。

皇太子殿下ご夫妻も歩かれたので、道は完全に整備されている。

高度は順に756.793,759M と似たようなものだが、岩茸頂上が棒の折や川乗方面の眺めがよいのでここで弁当を使うと良い。

体力的にもっと楽をしたい向きには逆コースが良いだろう。

登り口、下り口ともにJRの駅でバスの時間を気にしなくて良いのも気楽で良い。

今回発見した面白いものをご披露しておきたい。

岩茸石山頂上に案内表示板があるが、それが外れて留めてあったボルト用の穴が柱に残っている。その直径2cm位の穴を覗くと、そこに丁度棒の折山が見える。レンズは無いのだが、望遠鏡で眺めたようにきれいに見えから不思議だ。

補修の人が偶然見つけたのだろう、肝心の表示板はその下に打ち付けられ、穴をわざわざ残してマジックで「棒の折山」と落書き調に書いてあった。

 


 

(6)中学校訓練コース(奥多摩 鷹ノ巣山080522) 水根沢林道〜鷹ノ巣山〜峰谷

「鷹ノ巣山」頂上より左はカヤノキ尾根

足慣らしも今週は3回目なので奥多摩の盟主(1736M)に登った。

行動時間7時間あまりだから、それなりのコースである。

日原からが一般的だが、平日バスの奥多摩駅8:10を乗り過ごすと次は10:10まで来ないので、たいていはバス便の良い奥多摩湖畔の水根から登ることになる。

水根からは六石山経由と直登コースと二つあるが、共にかなりの急登なので下りに使う人はいるが登りは珍しい。

今回も登りはただの一人も会わなかった。しかし沢沿いで変化が多い道なので楽しいのだ。

 

石尾根にはかなりの人が歩いているが、その他の尾根筋にはめったに人を見かけない。

どこも道はしっかりしているので、もっと歩かれても良いと思うのだが。

多くの人が歩く道は安全だが、スリルが無い。

奥多摩のように、標識がしっかりしている山ではなおさらである。

 

鷹ノ巣山はもう数え切れないぐらい登っているのだが、峰谷(みねだに)に下ったのは今回が初めてである。

この浅間尾根も素晴らしかった(三つ葉つつじが見ごろであった)。

カヤノキ尾根と双璧ではないか。

誰にも会わず初めての道なので、心細くなることもあるが、これが又良いのだ。

 

この道が使われない理由は、バスが平日は朝、昼、夜の3便のみ。休日は2便と少ないバス便のせいと、最後の林道歩きが結構あることだろう。

ただ、山間に点在する小さな小さな部落もまだ残っており、懐かしい風景に出会えるし、又峰谷は巨木の里としても知られており、一度は歩きたい道である。(奥多摩湖から車で入れる)

 


 

(7)新緑のシャワー(奥多摩 川乗山080601)川乗橋〜百尋の滝〜川乗山〜赤杭尾根(あかぐなおね)〜古里(こり)

「百尋の滝」前日雨だったので水量が多い

東日原へのバスは平日は少なく、休日が多い。

鍾乳洞見学の為だろう。

この日は日曜日なので、立川駅で「ホリデー快速 おくたま号」に乗り変えて奥多摩に向かった。

休日は電車もず〜と座れないし、バスも1台で乗り切れずに都合3台に増発される。

川乗り橋では20〜30人ぐらい下りただろうか、久しぶりの賑やか登山である。

しばらくアスファルトの林道を進むが、眼下の清流と滴るような新緑が「煩悩」に苛まれた身をそっくり抱いてくれる。

思えばこの山も何回目だろう。友と来たときには入り組んだ作業道に迷い込み、踊平に出て大変なアルバイトを強いられたこともあった。

もっと若い時は、合わない鋲打ち靴で足に大きな豆を作りながら、あの頂上直下の急登をあえいで登ったこともあったっけ。

そして4〜5年まえの1月には深い雪の中、一人で心細いラッセルをしたこともあった。

ここだけでなく、奥多摩の山は秋から冬が良い。

落ち葉をがさごそさせて歩む楽しさや、頂上からの眺めがすばらしい。

この時期、空気は既に水蒸気を含み、今日のような快晴でも遠く雲取、飛竜はぼんやりしている。

 

賑やかな頂上でコンビニおむすびをひとつ食べた。

おむすびは決まっている。

1日2ケ。おかかと梅。

午前中に1ケたべてしまったから、もうザックには「蒸しパン」しかない。

パンは大体、手付かずで家に持って帰ることが多いのだが。

 

2〜30人いた賑やかなハイカーは殆どが、鳩ノ巣に下山する。

私は、1時間ほど長いけど静かな尾根歩きを堪能できる赤杭尾根を下ることが多い。

今日この尾根で人を見かけたのは、登ってくる人、と追い越した人の二人だけ。

どうして、皆は定番しか歩かないのだろう。

 

今日は7時間歩いた。

古里駅は無人だがきれいになった。

駅舎にツバメが巣を作って何羽も飛び交っている。

南の島に戻るまで皆さんご迷惑でしょうが我慢してください、との張り紙が貼ってあった。