映画『コンクリート』問題を報じた記事

引用コンテンツのデザインこればっかですね<俺

スポーツ報知 2004428

「女子高生コンクリ殺人」映画公開中止

 5月29日から東京・銀座シネパトスで封切られる予定だった映画「コンクリート」(中村拓監督)が、急きょ公開中止になることが27日、分かった。

 「コンクリート」は1988年に東京・足立区で起きた十数人の少年グループが17歳の女子高生を41日間監禁、乱暴した末に殺害し、遺体をドラム缶にコンクリート詰めにした事件を題材にした作品。製作サイドによると、インターネット上でのひぼう、中傷や劇場への抗議、悪質な嫌がらせ電話などが相次いだため、公開中止を決めた。ビデオは予定通り6月に発売するという。関係者は「少年犯罪を社会問題として提起し、少年たちの未来に対して警鐘を鳴らすという意図が理解されず、このような状況になり残念」と話している。

 

中日新聞 2004428

女子高生 コンクリート詰め映画
嫌がらせ相次ぎ公開中止
 529日から東京・銀座シネパトスで公開予定の映画「コンクリート」(中村拓監督)が、公開中止になったことが27日、わかった。
 作品は、1988年埼玉県女子高生を少年グループが監禁・殺害し、遺体をコンクリート詰めにした事件を映画化し、凶悪少年犯罪の原点を浮き彫りにする目的で製作された。製作サイドによると、劇場に対する悪質な嫌がらせ、意見などが相次いだため、中止を決めたという。

 

毎日新聞 2004430

「コンクリート」に抗議相次ぎ、公開中止

29日から東京・銀座シネパトスで公開予定だった映画「コンクリート」が、公開への抗議が相次いだため中止となったことが、30日分かった。

映画は、渥美饒兒(じょうじ)さんのノンフィクション・ノベル「十七歳、悪の履歴書」を原作に、1989年に起きた女子高校生コンクリ詰め殺人事件を描いた。4月半ばに映画化を報じた記事がスポーツ紙に掲載された後、公開に抗議するファクスや手紙が相次ぎ、中止を決めた。製作会社のアムモは「作品を見る前からエロ、グロと思い込んだようだ。少年犯罪を社会問題として描く意図が伝わらず残念」と話している。6月のビデオ発売は中止しないという。

 

中日新聞 2004516

今一生 「ネット万華鏡 ”人のあいだ”新時代」 6祭りを煽るもの
 一九八九年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件を映画化したというふれこみの新作映画「コンクリート」(中村拓監督)の上映に対し、ネット内で反対運動が起こり、予定していた銀座の映画館が上映を取りやめる結果になった。
 この反対運動は「2ちゃんねる」という巨大BBSでホットな話題になっていたが上映反対の運動に加担したのは、名前も顔も明らかにしない「匿名の人々」で、書き込まれた内容は事実かどうかを客観的には判別できないものも少なくなかった。
 そんな折、僕の友人が関わっている八丁堀(東京都中央区)の映画館に「コンクリート」の製作者側から上映打診があり、映画館から上映許可について下見と意見を乞われた僕は、試写に足を運んだ。僕の目で見た『コンクリート』は、被害者の尊厳も加害者の尊厳も無視した暴力映画だった。
 暴力で他人を支配しようとした少年たちがなぜこのような気持ちに掻き立てられて
いったかについては語られず、被害者の人間性もまったく描かれていなかった。
『コンクリート』は、タイトル通り、モノとモノとのぶつかりあいとしての暴力表現一辺倒で、名前や命や愛や自尊心が被害者の側にも存在しないような描き方だった。
 すねたような男の声のヒップホップが流れるオープニングから空虚な魂が伝わってきて、後味の悪さを感じていたが、これと同質のものを僕は「2ちゃんねる」の書き込みに感じていた。端的に言えば、相手を思いやる魂が腐っているような印象を受けたのだ。 

上映反対運動の機運を作った呼びかけ人には、『コンクリート』を試写会あるいは製作段階で観た可能性がある。それならば、映画の内容をふまえてBBSで嫌悪を露わにするのもわかる。だが、彼ら以外の不特定多数の人間は、既に先に書き込まれた内容を鵜呑みにして事態のアウトラインを把握し、上映反対の騒ぎを面白がって事態を煽る書き込みを続けていた。彼らだってオフライン(日常生活)では、自分が観てない映画のことを顔も知らない誰かから教えられても「ふぅん」という冷めた関心しか示さないだろう。ところが、ネットで祭りのように熱く語られているニュースを発見すると、「踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら・・・」とばかりにヒマにまかせて煽り記事を書き込む輩も少なくないのだ。
 しかし、ネットでの上映反対が映画館の方針を変えたという物語は、そういうヒマな人たちの妄想にすぎない、と僕は思う。いくら上映料を製作者側からもらっても、良識的な一般の観客に歓迎される映画でなければ、映画館はイメージダウンのリスクを負う。それを負う監督と心中するような覚悟をして多くの人に見せたい傑作とは僕には思えない。今回のネット騒動は上映を断る口実を作りたい誰かの狂言の可能性もあるが、真相は藪の中。残ったのは、自分の目で確かめず、噂だけで非難を始めるの多さに対する恐怖だ。

 

映画秘宝20047月号

綾瀬市女子高生コンクリート詰め殺人事件の映画化『コンクリート』上映中止問題を追う

インターネット上で上映阻止運動が起こり、5月下旬からのレイト・ロードショーが急遽とりやめになってしまった映画『コンクリート』。1989年に東京都綾瀬市で起こった通称・女子高生コンクリ詰め殺人事件を映像化したことに反応した「2ちゃんねる」有志が起こしたアクションに正当性はあるのか?

文責・田野辺尚人(編集部)

 

『コンクリート』上映反対の主だった理由

1.   被害者の遺族への了解も無く、事件を映画化したのは問題ではないか?

2.   監督の中村拓は犯人と同じ歳で元暴走族という経歴を持つ。この題材を撮らせるにはあまりに不適ではないのか?

3.   被害者の女子高生を演じる小森未来は「新体操ヌード」を披露した“脱ぎ系”であり、また別名でAVに出演している。被害者は極めて酷い殺され方をしているというのに配慮は無かったのか?

4.   主演は『バトル・ロワイアル』や『青い春』に出演した高岡蒼祐。鬼畜のような振る舞いをした犯人を美化していないか?

5.   ノンフィクション・ノベル『十七歳、悪の履歴書』を原作としていながら、最終的に「この映画はフィクションです」と謳う曖昧な姿勢は、事件を金儲けの道具にしているとしか思えない。そんなことが許されるのか?

 

現在、インターネットに端を発した魔女狩りが日本の映画界に衝撃を与えている。今年の4月、BENTEN ENTERTAINMENTAMUMOによる「映画『コンクリート』製作委員会」が、1989年に綾瀬市で起こった女子高生コンクリ詰め殺人事件、(以下、綾瀬事件)の映画『コンクリート』(中村拓監督)を製作、529日より銀座シネパトスにてレイトショー公開すると発表した。それに巨大掲示板「2ちゃんねる」に集う一部の人間が反発、上映中止を求めた

 彼らは銀座シネパトスへの上映中止嘆願書を作成し(右ページ参照)、誰でもファックスを送れるようにサイトに貼り付けた。また製作者サイドには、映画の製作意図を問いただす質問状を送った。マスコミから各種人権団体までアドレス・リストが掲げられ、先に記した5つの問題点を根拠に、『コンクリート』の上映を中止すべきだと主張した。

 このネット上の動きに連動して、銀座シネパトスには無言電話上映中止のファックスが次々と送られてきた。当初は困惑していた劇場サイドではあったが、連日にわたる無言電話はスタッフの恐怖心を煽った。そして426日、銀座シネパトスは『コンクリート』の上映中止を決定する。

 綾瀬事件は、1989123日に発覚した少年犯罪史上に残る凶悪事件だ。この日、別件の強姦事件で逮捕された少年Aはじめ綾瀬市にたむろしていた不良グループに、取調官が「人殺しもしているんじゃないのか?」とカマをかけたところ、メンバーの1人が「殺しています」と白状、コンクリ詰めの女子高生の死体が発見された。彼らは前年の冬に彼女を誘拐、仲間の部屋に監禁して陵辱、暴行を繰り返し、14日、しに至らしめた。彼らは死体をドラム缶に入れコンクリを流し込み、反抗の隠滅を図った

 この事件は日本中を戦慄させる残酷なものだったが、犯人達は逮捕当時いずれも未成年だったので、そのプライバシーは少年法によって保護された。反抗に憤り、実名報道をした週刊誌はバッシングにあった。その後も多発する少年犯罪や、後の少年法改正のきっかけとなる論議も呼んだ。そして犯行グループは主犯のAを残して刑期を終え出所したことも、その犯した罪の重さを考えれば軽すぎるのではないかと「2ちゃんねる」の「少年犯罪板」をはじめ、インターネットの世界では延々と語り継がれてきた。

遺族の心の傷がまだ癒えていない悲惨な事件を、元暴走族の肩書きを持つ若手監督が、AV女優に犠牲者の高校生を演じさせて、5で撮り上げた」『コンクリート』に対して、善意の2ちゃんねる有志たちは立ち上がった。映画の公式HPや原作者のサイトにも抗議し、これを一時閉鎖に追い込む。こうした動きに対応して、上映反対サイトの掲示板に中村監督が発言を出す。そこで彼はこの映画に取り組む上での自分の考えを述べた上で、「遺族への配慮が欠けたことは反省している」「この作品は今現在の東京を背景にして描いた」「エロ描写が多いという意見に対して、実際に(ネットなどの)文面で書かれているものに比べるとないに等しい」といったことを釈明した。

『コンクリート』上映中止騒動は魔女狩りとなった。「犯罪被害者の気持ちを踏みにじる映画は許せない」という正義の旗の元に集った人々が、ミニシアターやまだ実績の乏しい新人監督を吊るし上げたのである。上映阻止運動には顔がない。代表者もいないし、スローガンもない。「個人が勝手にお願いいているだけだ」と言う。誰も責任を背負おうとはせず、匿名のままで正義を遂行するのである。匿名の正義ほど気分がいいものはないだろう。その結果がシネパトスの業務をストップさせた大量の無言電話だ。

 だが、最大の問題は、彼らが『コンクリート』を観ずに、テーマだけを挙げつらい弾圧したことだ

 

THE REVIEW OF CONCRETE

実際に観てみた『コンクリート』の問題点

 本誌編集子(ママ)は『コンクリート』の最初の試写を見ることができた。そこで以下に作品レビューをする。

 率直に書けば、問題作ではない。よくある監禁モノに綾瀬事件のフレーバーが加わっただけのジャンル映画だ。たとえば主犯の少年A(高岡蒼祐)が住む部屋の描写。結婚を迫る彼女(三船美佳)が彼の部屋に入ると壁に「レッドシャーク」と描かれたチームフラッグが飾られている。“烈怒斜悪”とか根性入れたフラッグを作るだろ、元暴走族なら、と思った。それほど『コンクリートは不良性感度に欠けている。数ある綾瀬事件に関する本の中で、『十七歳、悪の履歴書』が原作に選ばれたのは、犯人グループの生い立ちや実際の行動を主軸に書かれていたためだろう。主犯のAが柔道部で苛めにあい、高校中退後はヤクザにこき使われ(映画では露天商だったが、実際には花屋)、さらに仲間と下部組織を作って人さらいや窃盗に流れ、遂には殺人事件を起こすまでを描いている。

『コンクリート』はこの原作をモデルにした「フィクション」になっている。舞台も1989年の綾瀬市ではなく、現在の東京に変更された(ロケは高田馬場から永福町まで脈絡なく行われた。実際に事件が起こった綾瀬市でロケをすることは、この作品の規模とテーマからすると無理だろう)。エンドロールには「俺たちが街を歩けば皆が避ける」といったような内容のB−BOYラップが流される。主犯Aが犠牲者の女子高生(小森未来)の持つ携帯電話(事件当時は普及していなかった)を奪い取るという描写も盛り込まれている。

『コンクリート』のクライマックスはやはり部屋の中での監禁・陵辱シーンになるが、これはドラマの後半になって描かれる。それまでは顔見知りになったヤクザに「コンクリ漬けにして沈めるぞ」と脅され、婚約者から「結婚資金が足りない」とせっつかれるAの狼狽ばかりが延々と描かれる。

 そこから自棄になったAとその仲間たちは拉致した女子高生を顔が変形するほど殴り、足に火をつけて燃やし、腹に鉄アレイを落とす。こうした残酷ショーになるとカメラが遠慮がちな位置から撮っているため、迫力もなければ、おぞましさも伝わってこない。要は演出の腰が引けているのだ(なにしろ被害者を誘拐するシーンでは後ろでボーッと様子を見ている通行人まで画面に映り込んでいる!)。

 この映画は安い。そして無神経だ。しかし、だからといって上映を中止するほど問題があるとは言えないだろう

 

IT HAS BEGUN WITH “NEWS STATION

抗議の根拠は『ニュース・ステーション』

 綾瀬事件の映像化は『コンクリート』が最初ではない。『オールナイトロング』の松村克弥監督による『女子高生コンクリート詰め殺人事件』が1995年にビデオ安売り王からセル作品として発表されている。これは遺族側の要請から回収され、現在では観ることは難しい。松村監督は「事件に忠実に撮影したが、遺族側への配慮からカットした拷問シーンもあった」と騙っている(本誌25号)。また時期前後して、『コンクリート美少女』など、綾瀬事件にヒントを得たAVが何本か作られている。
 しかし、今回の『コンクリート』上映中止運動の理由の要となっている「遺族への配慮」論の根幹を成すのは、今はなき『ニュース・ステーション』が2000年に放映した綾瀬事件のその後を追う「女子高生コンクリート詰め殺人 12年目の証言」だ。これはすでに出所した犯人にインタビューするという内容だったが、遺族側は放映しないことをテレビ朝日に要請。これに対してキャスターの久米宏は「少年法改正問題も含め、あえて放映した」と釈明し、批判が殺到した。その多くは「のうのうと社会復帰した犯人の姿を映しやがって、被害者の親御さんの気持ちになれ!」という趣旨だった。
 だが、この久米の態度は間違ってはいない。殺人事件の報道は被害者や遺族を傷つけざるをえない。ましてや映画化となれば、嫌な光景の再現も含まれる。その中で松村監督は表現者のモラルとして可能な限りの配慮をしたことは評価されるべきだ。

許されないテーマ、などというものはない!
当たり前だろ!そんなこと!

 石井輝男は『地獄』(99年)で宮崎勤事件オウム真理教事件をテーマに扱った理由をこう語った。「あれらの犯罪に対して、国家はいつまでも裁判ばかりやって結論を出さない。それで『こいつら死んだら地獄行きだろう』と思って、自分なりに裁きを下したのね
 石井輝男の考えを聞いた協力者達の多くは怖れをなして現場を逃げ出したが、これはこれで、誰も否定することのできない石井輝男の意思だ。石井輝男の頭の中を、「犠牲者の遺族に不謹慎だ」と断罪する権利は誰にもない
 同じことは『コンクリート』にも言える。中村監督は掲示板に発表した釈明の中で「自分がこの事件を描いていいものか悩んだが、すでに出所した者もいる犯人たちを許せない気持ちもあり、この作品で彼らが忘れようとしている記憶を呼び起こしてやろうと思った」旨の記述をしている。
 結果として異なるのは、『地獄』では起こらなかった抗議運動(オウム真理教がまだシャバで活動していることも含めて、石井輝男の方がリスキーだ)が『コンクリート』では起き、劇場での上映が中止されてしまったことだ。
 銀座シネパトスが油断したのは、映倫がR15指定を出したことで『コンクリート』を上映する権利が保障されたと思っていたことだ(鉄筋注:『コンクリート』は映倫審査を受けていません)映倫は国家や巨大な圧力団体から映画表現を保護するために設立された団体だ。しかし、無言電話や名前を書く欄のない嘆願書といった匿名の抗議にレイテリングは通用しなかった。これは日本映画史に記録されるべき問題なのだ。
『コンクリート』は確かに凡作かもしれない。だが、どんな凡作であろうと作られる権利はある。そして作られた以上は上映される権利もある。監督の過去も、主演女優の過去も一切関係ない。それを問題にする人の態度にはAVと聞いただけで眉をひそめるPTA的感性が透けて見える。
 映画も含めて、表現は時に人を不快にし、傷つけもする。だがそれをすべて否定してしまったら、対話ですら成立しなくなってしまう。特殊漫画家大統領の根元敬は清水おさむ『美しい人生』の解説で「表現者として、敢えて失敗作を描いたり、人を不快にさせたりする作品を作らなくてはならないときがある。そこを通過しなくては、表現者として成長はない」という旨の発言をしている。表現は、時としてあえてタブーに触れるテーマを扱うこともある。だがそれは否定されたり圧殺されるべき行為ではない。
 ネットの中で渦巻いていた実行犯への悪意は映画『コンクリート』に向けられた。正義の名の元に私刑を執行する群衆の恐怖を、フリッツ・ラングやヒッチコックはたびたび描いてきたのではなかったか。それをファシズムというのである。
 

 

AERA 6月14日号

2ちゃんバッシングで一度は上映中止「コンクリート」への封圧


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年前の少年犯罪を題材にした映画が、劇場への抗議の嵐で、一度は上映中止に追い込まれた。あおったのは、2ちゃんねる。これほど騒ぎになったのはなぜか。

 

<上映を決めたからには抗議や脅かしがあっても上映中止という“自主規制”をするつもりはありません>

東京・渋谷のシアター「アップリンク・ファクトリー」の主催者は61日、自社のホームページで宣言した。こんな「決意表明」のもとで上映されることになったのが映画「コンクリート」だ。東京仇四区で1989年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件を題材にしたもので、ことの経緯はこうだ。

 

矛先はレンタル屋へも

映画は当初、5月末に銀座の映画館「銀座シネパトス」で公開が決まっていた。だが4月中旬にそれが報道されると、直後からネット掲示板の2ちゃんねるで「不愉快」「不謹慎」などの意見が飛び交い、監督や製作会社、劇場への批判や中傷が次々と書き込まれた。

「外野が軽々しく取り上げていい事件じゃないんだよ!遺族の心情考えろ」

「(被害者役に)AV女優使うのは被害者に失礼なんじゃないか?」

ネット上にとどまらず、「直接行動」もあおった。劇場などに電話やファクスによる多数の抗議が寄せられた。「劇場に火をつける」「スクリーンをナイフで切り裂く」といった脅迫めいた内容もあった。ほとんどが匿名で、上映中止を求めるファクスに記された「署名」には、実在しない住所の名前もあったという。

1週間後、銀座シネパトス側は上映を取りやめたいと、製作者側に伝えた。

「トラブルが起きてはいけないので……」(銀座シネパトス)

それでも、抗議運動は沈静化しなかった。「ビデオとDVDは予定通り6月に発売する」との報道から、今度は大手のレンタルチェーン店などにメールを出し、商品の入荷取りやめを働きかける書き込みも続いた。

 

背景には「被害者」感情も

実際にあった犯罪をモデルに作られた映画は、連続幼女誘拐殺人事件を取り上げた「地獄」(99年)など、数多い。今回だけ、これほど騒ぎになったのはなぜか。

「あまりにも凄惨な事件で、強い嫌悪感を持っている人が多い」と、事件の特殊性をあげるのが、映画評論家の前田有一さんだ。16歳から18歳の少年たちが集団で女子高生を誘拐、監禁し、40日間にわたって暴行を続けて、死なせた事件。当時、メディアは実名や写真を掲載し、原因が被害者側にもあったとする報道もあるなど、昨今、世論の高まりを見せている「犯罪被害者の人権問題」や「遺族の感情」が問われる契機にもなった。

今回の件では遺族からの抗議を受けてはいないものの、そうした背景が、2ちゃんねるなどでの上映反対行動に重なっている面があるのは間違いない。

映画は、渥美饒兒さんのノンフィクションノベル『17歳、悪の履歴書』が原作。だが、映画の公式サイトで被害者役の下着姿の写真が使われるなど、宣伝にセンセーショナルな演出があったのも確かで、「製作サイドが事件の重みを見誤り、宣伝の仕方などに色気が見えたことが反感を買った」と前出の前田さんは言う。

一方で、こうした形での封じ込めに、イラク人質問題などでもあったバッシングと共通する不気味さがあるのも事実。試写会を見た映画評論家の服部弘一郎さんは、上映反対派の「エログロだろう」といった推測は外れていると感じた。

「見る前から中身を勝手に推測し、映画作品を抹殺することを正義だと考える風潮はいかがなものか」

 ネット上の「匿名言論」は、もはや侮れない「力」を持ち始めている。

編集部 杉山麻里子