| なぜ脳は神を創ったのか |
なぜ、脳は神を創ったのか? 脳機能学者・言語学者・分析哲学者 米地英夫 第1章 人はなぜ神を必要としたのか ○ 本物の神がいようといまいと、神が存在するという情報は脳が神を創っているということです。 ○ シャーマニズム(巫女や祈祷師の能力によって成り立つ信仰)は、自然崇拝、精霊崇拝というアニミズムをともなうケースがほとんどであると同時に、その基本を祖先崇拝(死んだ祖先が生きている者に影響を与える)においています。 ○ 生まれる前のこと、死んだ後のことという説明のつかない世界に対して、それを解き明かしてくれるはずの、完全情報としての神を求めるようになるわけです。 ○ 死の恐怖は、脳に刻まれている、根源的な恐怖です。死を恐れない生物はとっくの昔に絶滅しています。死後の世界に対するストーリーが一番上手な人が教祖として、人々に信仰の対象に据えられることになります。 ○ 巫女や祈祷師が示した超人的な能力は、完全情報ゆえの能力ではなく、人心を掌握する巧みな「技」だったというべきでしょう。 ○ 織田信長・徳川家康・宮本武蔵も、瞬間催眠に秀でた可能性は高いと思えます。 ○ 信仰心から国家が生まれた。キリスト教、イスラム教、仏教、バラモン教、道教、いずれも悪いことをすれば地獄へ落ちるという価値観を教えています。国家権力の源泉が民衆の信仰心だったことは間違いありません。 ○ 人間は、自分が特定の宗教を信じているかいないかにかかわらず、大変強い信仰心を持ち、その信仰心から生まれた権力と秩序によって社会を構築してきたということです。政治システム、経済システム、社会システムのすべては、人間の信仰心や宗教が大前提となって構築されてきたものです。 ○ 「神は存在するか」という問題について、科学はすでに「存在しない」という解を導いています。 ○ 教祖や巫女、祈祷師は人々を虜にします。そのワザをかけられた人間の大半は、神が存在するかしないかにかかわらず、神を信じるようになります。 ○ オリジナルの釈迦の縁起の思想は、葬式はやるな、あの世はない、神はいない、魂はないという具合に、無神論といえるものです。 ○ 553年にバチカンが、投票によって聖典から輪廻転生をはずすことを決めました。 第2章 宗教と統治力 ○ 霊を信じる現象を考えてみましょう。「おじいちゃんの霊があなたを守っているの。おじいちゃんだけでなくて、おじいちゃんのお父さんま、みんなあなたを守っているの。そして、死んだらあなたの霊もそうなるのよ。見えないけれど、みんな、あなたの傍にいるわ」霊の存在は、恐怖に怯える子供たちを安心させる場合などに語り継がれる内容です。 ○ プロテスタント(もとを正せばピユリタン、清教人)は、カトリックよりも厳しい戒律を持つ宗教です。 ○ ピユリタン革命につながる源流は、16世紀に起こったカルバンやルターによる宗教改革運動にさかのぼります。敗れたピユリタンはアメリカへ渡り、新天地で聖書の教えに則った理想を実現しようとするわけです。 ○ エノラゲィ(1945.8.6原子爆弾を投下したB29爆撃機)には、カトリックの幹部神父(元国連総会議長の要職)が乗っていた。大丈夫、君は天国にいける。神も祝福してくださる。 ○ 人間がこれまで経験した戦争はその本質を見極めれば、宗教的な覇権争いが横たわっています。 ○ 第二次世界大戦は、当時のアメリカから見れば、日本はキリスト教徒ではないという理由においても、やっつけるべき対象なのです。 ○ 肌の黒いインド人を見たヨーロッパに貿易商は「この黒い人は人間か?」とバチカンに尋ねました。「人間ではない」という返書がバチカンから送られてきました。 ○ キリスト教以外は人間ではなく奴隷だ、という当時のバチカンの判断が、ヨーロッパに莫大な富をもたらすのです。アメリカがナチスドイツに原爆を落とさなかった理由です。原爆は当時のアメリカ大統領がイエローモンキーに落としたのです。日本が落とされたのではありません。日本人に第二次世界大戦を起こした罪の意識が刷り込まれている。 ○ 本来人間には、進化の過程で人を殺すことが好きな遺伝子は淘汰されて残っていません。そもそも種は、殺すのも殺されるのも嫌だ、という情報が組み込まれているからこそ、すべての種が保存されているわけです。 ○ ところが、脳幹レベルの情報処理では殺すのも殺されるのも嫌であるのにもかかわらず、人間はその一線を超える理論をつくり、実際には超えています。 暴力団が、一年に一人ぐらい殺しておかないとなめられるから殺すという理論があります。 ○ 実は、宗教とは、何なに教という実態を持つものばかりしは限りません、「悪い奴は死に値する。だから殺せ」、あるいは「なめやがったから、殺せ」という、人間に本来、やってはいけないといて埋め込まれている一線を超えさせる理論を持つものは、すべてが宗教といわなければなりません。「なめると殺します教」や「おれの女をとりやがって教」「殺したら殺しますよ教」という宗教現象です。アメリカは「おれの利権に手を出しやがって教」です。 第3章 神は存在するのか? ○ バラモン教も道教も、儒教も釈迦を除くすべての東洋思想では、アートマン(自我)だけはどうしても実在するとされてきました。釈迦は、アートマンさえ空だという考えを推し進めた。 ○ 2008年にEUは、量子加速器の稼働を始め、近くヒックス粒子が見つかったら、人類はすべての素粒子をつくったことになり、宇宙をつくることに等しいことになります。 ○ 般若心経にある「色即是空 空即是色」は、すべての物事(色)は空によって成立しており、空こそが物事(色)であることを量子論がこの釈迦の思想を裏づけていると思います。 ○ この世のすべての現象は、可能性が高いか低いかの違いがあるものの、すべて確率によって決まるということです。 ○ たとえば世界の大宗教では、事故で子どもが死んだようなとき、シンプ牧師は決って「神の思し召し」といいます。しかし、その思し召しを神がいつ決めたのでしょうか。全知全能の神ならいつ決めても同じです。今決めたというのと宇宙をつくった136億年前に決めたという間に差はありません。子どもの死は136億年前に決めましたというのが、宗教のいう神の思し召しということになります。 量子論では、この世のことはすべて確率であり、結果はランダム性に左右されます。量子論の上ではすでに「神は死んでいる」ことになります。 ○ 宗教哲学者パトリック・グリムき、1991年にグリムの定理を発表し、神は存在しないと証明します。神と呼ぶ対象が存在すると主張するのはかまいません。しかし、ちゃんといますけど、完全ではありませんよといわなければなりません。 ○ 神の存在を感じるような神秘体験は、神がいるから実際に体験したのではなく、脳の情報処理が誤り、神の情報をつくってしまうことでもたらされます。 ○ 敬虔なキリスト教徒であったゲーテルは、不完全性定理の証明が神を否定することに大変悩み、ついに頭がおかしくなり、療養先の精神病院で餓死の最後を迎えました。 第4章 西洋のキリスト教と東洋の仏教 ○ バラモン教では、自分のアートマン(自我)は、生まれる前からあり、死んだ後にもあり永遠とされています。それゆえ、輪廻の概念が生まれてくるのです。 ○ ユダヤ教でいう神はキリスト教と同じエホバです。それは「私はある」という意味の言葉で、神にお父さんやお母さんはいないし、寿命もありません。 ○ 2500年前に釈迦は、「ブラスマン(宇宙の根本原理)はいない」と唱えました。 ○ バチカンの法皇は自分が人間であり部分情報であることを認めているのにもかかわらず、神は完全情報だと主張します。しかし、神でもない法皇に、なぜ神が神だと分かるのでしょうか。わかるはずはありません。 ○ 神を語る人間は全員、嘘をついています。麻原が最終解脱者だととうことを、最終解脱者でもない信者が分かるはずはありません。 ○ 神を必要とする理由のひとつは、部分情報である人間が完全情報に憧れることです。死を恐怖する人に対して「死んだら、その怖がっている君はいないんだよ」 「未来も幻想、過去も幻想」と釈迦は教えています。 ○ 釈迦は、「あの世はない」とか「霊魂はない」といったことを直接的に言及はしていません。そういうことにいっさい答えないのです。それを語ること自体がムダなことだ。「毒矢が飛んで刺さった時、いろいろ悩みますが、その前にやるべきことがあります。それは、まず、矢を抜きなさい、ということです。」 ○ お経を唱えることは意味がありません。自分の教えが誰にでも分かるように、生きた言葉で伝えなさいと釈迦は言いましたが、カースト上位の出身者だけの言葉であるサンスクリット語で伝えられています。また、釈迦が目指すところの悟りの世界ではなく、どのお経が優れているかを論争したり、単にお経をとなえる宗教に変わってしまいました。 ○ 釈迦はそもそもマントラを否定していました。訳のわからない呪文を唱えても何にもならないと釈迦は教えています。 ○ 仏教の基本である「空」を体感するという釈迦の教えである瞑想の部分がなくなってします。お経をマントラのように唱えることが修行になっています。 ○ 中国から日本に入ってきた仏教は、道教化された仏教と儒教がまじりあったものでした。位牌の概念は儒教や道教に固有のものです。 ○ 804年に最澄、空海が唐から学んだものは、道教化された仏教でした。 ○ オリジナルの正当な仏教を伝えているのはチベット仏教であり、スリランカなどにも伝わっている。 ○ 釈迦は、苦行がいかに無駄なことであるか、徹底的に語っているのです。釈迦のいう修行は瞑想です。 ○ 仏教では、娑婆のほかにあるのは、涅槃つまりあの世のこと、悟りの境地です。浄土教では、死んだ後に戒名をもらい仏弟子になって浄土に行くと、涅槃から派遣された阿弥陀如来が一緒に修行をしてくれます。 ○ 法然の称名念仏は、「南無阿弥陀仏」と口で仏さんの名前を唱えると、阿弥陀さんと縁ができ、阿弥陀さんが浄土で待っていてくれますよということです。 ○ イエス・キリストが、神の愛が人間に対して無条件だと教えたように、親鸞は、阿弥陀さんも無条件に受け入れることを教えました。だから、1000回唱えても、1回も唱えなくとも、結果に差はないとしたのです。 ○ 釈迦は、私たちが抱く恐怖心も、焦りも、興奮も歓喜も「空」であることを悟り、その悟りによって安らかな心を持ちなさいと教えました。 第5章 神・宗教から自由になる方法 ○ 餓死する人間が1人もいない世界、もう一つは機会の均等です。どのように生まれても、それぞれの人に平等に機会が与えられることが重要です。 ○ この世で唯一絶対の価値尺度はない。オリンピックでメダルを取っても、本当は誰の役にも立っていません。 |