梅原猛の授業  仏になう  

  梅原猛の授業 仏になろう 仏教とは仏になるここと見つけたり  朝日新聞社

1      十善戒

     不殺生(ふせっしょう)  人を殺してはいけない。

 重い殺生(人間を殺す)と軽い殺生がある。仏教が戦争に反対できなかったのは大問題です。仏教は徹底的に平和を重視する思想です。動物ばかりか植物の命も大事にしろというわけです。お釈迦様は植物は命ないものと考えましたから、菜食主義です。「いただきます」「ごちそうさま」といって、お魚の命をいただくのですよ。

     不偸盗(ふゆうとう)   盗みをしてはならない。

     不邪淫(ふじゃいん)   よこしまなセックスをしてはならない。

 以上の三つは、体や物に関する戒律で、刑罰に値する戒律です。      

     不妄語(ふもうご)    嘘をついてはいけない。

     不綺語(ふきご)     きらびやかな言葉を使ってはいけない。

             真実にそむいて巧みに飾り立てた言葉。狂言―

     不悪口(ふあっく)    人の悪口を言ってはいけない。

     不両舌(ふりょうぜつ)  二枚舌を使ってはいけない。

 上記四つは、口に関する戒律です。

     不慳貧(ふけんどん)   物惜しみしてはならない。

             物を惜しむ、けち。

     不瞋恚(ふしんい)    怒ってはいけない。

     不邪見(ふじゃけん)   よこしまな見解を抱いてはいけない。

             誤った考え、かどが立ち、するどく人を害する

 上記三つは、心に関する戒律です。

  キリスト教、ユダヤ教の共通の聖書である「旧約聖書」のモーゼの十戒

     あなたは、わたしをおいて他に神があってはならない。(エホバの神を信じなさい)

     あなたはいかなる像も造ってはならない。

     あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

     安息日を心に留め、これを聖別せよ。

     あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

     殺してはならない。(他の宗教を信じる人間をいっぱい殺している。イスラエルとバレスチナ

     姦淫してはならない。

     盗んではならない。

     隣人に関して偽証してはならない。

     隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

2      六波羅蜜

仏教にはこういうことをすべきだという積極的な道徳があります。

   ①布施 ② 持戒 ③ 忍辱 ④ 精進 ⑤ 禅定 ⑥ 智慧

   お釈迦様は、人間は愛慾(男女の愛欲、名誉欲、地位欲などの一切の欲望)にとらわれていると考えました。どうすればいいか。①戒め、持戒、②心を静める、心を集中する禅定、③人間が愛慾によって苦しみを起こすという世の中の理を知る、智慧の三つです。この三つは釈迦の説いた道徳です。

   布施は、ものを与えることです。財施の他に法施(教えを説いて施すこと)、無畏施(不案をなくしてあげることをほどこす)があります。お釈迦様の左手は「どうぞ」といって物を与えることを示している、右手は「大丈夫だよ。あなたの心配はなくなるよ」といっているのです。まさに布施の形なんです。道徳の基本はこの無条件の愛です。

この仏教精神を一番端的に表しているのが観音様です。誰にでも観音様になれる。観音様は、本来、性のないものですが、日本の観音様は女性的です。

 税金も一種の布施ではないかと思います。布施というのは自分がもらっている以上に与えなければいけない。もらっている以上のものを社会に返さなければいけない。

   次は精進についてお話します。自分の欲望を抑制して、自分の心を立派にして一生懸命やる。自立する心を養って努力を重ねることです。精進という徳を一番行っているのはイチローだと思います。

   もう一つ大乗仏教が重視するのは、忍辱です。誤解、非難、嫉妬、そういうはがかしめに耐えて、自分の道を貫く。忠臣蔵は、祇園で遊んで、敵を安心させて仇討ちをした。お釈迦様は死ぬまで、乞食、托鉢をしています。法然も親鸞も道元も、子供のときにお父さんお母さんを亡くした人です。どこかで辱めを受けて忍辱を身に着け、心のバネとして素晴らしい人生を送った。

   仏教道徳は不可能()故にすぱらしい

 釈迦はこの世は苦しみだと考えました。生老病死の苦、愛別離苦、怨憎会苦。

苦の原因の愛慾を減すためには、戒律を守れと。加えて精神を落ちつけよと説きます。(禅定)もう一つは世間渡りの智慧を磨けということです。そのためには、貧(とん、人間の底知れぬ欲望)、瞋(じん、怒り、嫉妬、憎悪)、痴(ち、無知)を抑制する。猿はボスが代わると前のボスの子供をみんな殺す。人間は人を殺す本能を持っているのでないか。これは尊い教えだけれども実現不可能な教えかもしれないと思う。でもこれを説かないと、世界は修羅の巷にならざるを得ない。だからこそ仏教は素晴らしい教えだと思っている。

3      四弘誓願(しぐせいがん)

   第一の「衆生無辺誓願度」

 衆生というのは、人間ばかりでなく、生きとし生けるもの全てを救おうとする願です。宮沢賢治は、童話をつくって人々を仏教に誘おうとした。だから賢治の童話は、生きとしいけるものは、どんなに殺し合っても、お互いに愛しあわなければいけないというものですね。「なめとこ山の熊」など教えの表れだと思います。

  その次が、「煩悩無数誓願断」(ぼんのうむしゅせいがんだん)

 煩悩を積極的な力とする。大乗仏教は、欲望をすべて滅ぼそうとするのは間違いだ、むしろ煩悩をプラスに生かさなければならないという立場ですね。心の中に煩悩があって煩悩無数ですが、それを積極的な力にする。それが大乗仏教の真髄です。

   その次は、「法門無尽誓願学」(ほうもんむじんせいがんがく)

 大乗仏教の経典は、この部屋がいっぱいになるだけあります。キリスト教の聖書は2つですね。知らないことはいっぱいある。まだいろいろなことを知りたい。

   最後が、「仏道無上誓願成」(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

 仏教というものはすばらしく無上なものです。殺生戒。それを犯さないと人間として生きていけない。虫も殺してはいけない。そうしたら人間生きていけない。それほど困難な教えでする。

4      仏し法と僧に帰依する「三帰依文」

   ブッダン サラナン ガッチャーミ(南無帰依仏)

   ダンマン サラナン ガッチャーマ(南無帰依法)

   サンガン サラナン ガッチャーミ(南無帰依僧)

  四弘誓願

   しゆじよう むへん せいがんど

   ぼーんのおおむーしゅー せーいがんだーん

   ほーうもんむーううじん せーいがーんんがーく

   ぶつどうむううじよう せーいがんんじょー

5      釈迦仏教について

  この世のものは必ず滅び、人は死ぬ

   ソクラテスは、死ぬ前に、魂の人の行くべきあの世に行くに違いない、昔の素晴らしい人に会えるかもしれない。最後は死後の世界を想像していたわけです。

  イエスは死ぬ前に神の国を説いた、死んだら3日後に復活して、またこの世界にやってくる。次にやってくるときは、この世は神の国になると言って死んでいった。

   人生は「苦」であることを悟る「苦諦」

インドのような暑い土地では、人生は苦であると実感されるのではないかもしれません。

   四諦というのは何かというと、四つの真理のことです。

   四苦というのは、どちらかというと暗い方面から見ている人生観ですね。

 怨憎会苦。会社でも怨霊がでないようにしないといけない。会社で不遇な人にも、時々は怨念を発散させることを考えなければならない。

   次に集諦。苦の原因が愛執にあることを知る真理です。

   それから滅諦。その愛執を滅ぼす真理です。

   もう一つは、道諦。愛執を減ぼす方法についての真理です。戒律を守り、徳を積み、ひれから瞑想ですね。お釈迦様も生きているうちは悩みがあったんじじゃなかったと思います。

   戦争こそ人類の最大の愛執

6      大乗仏教について

次に、三大経典についてお話します。

   大般若経~西遊記で有名な玄奘三蔵が新しく持ってきた般若経典を新たに訳したもので、般若の教えが全て含まれている。 空(すべてのものには、本質的には実態がないという考えかた)を説きます。空にも有にもとらわれない、欲望の肯定にも否定にもとらわれない、無を超えた「空」の自由を強調するものです。この般若経をつくったのが龍樹。法華経などを経典の漢訳をしたのが鳩摩羅什(くまらじゅう)

大乗仏教は人間の欲望を肯定するところがあります。そして欲望に左右されず、欲望否定にも左右されず、欲望から自由であるというのが大乗仏教の説です。般若の教えを要領よくまとめたのが「般若心経」という教典です。

  大般若経と並ぶ仏教の大きな経典が華厳経です。この思想の産物が東大寺の大仏です。あの大仏さんは、蘆舎那仏(るしゃなぶつ、大日如来ともいわれる)といって、もはや釈迦ではありません。宇宙の只中に存在する仏であるといってもいいかもしれません。どんな世界にも蘆舎那仏がやどり世界はすべてその調和した世界だというのが華厳の考え方と思います。ここから日蓮宗が生まれ、創価学会、立正佼成会という信興仏教が生まれた。法華経を根本経典とする日本天台宗を創設したのは最澄ですが、「すべての人間は仏性があり、いかなる人間も何度か生まれ変わるうちに必ず仏になれる」という説をとなえた。

仏教は等しく「仏になる」ことを目指している教えである。

     
     

   梅原猛の「歎異抄」入門                     PHP

1 わが国最も優れた宗教書、親鸞の純粋なる信仰を、直弟子唯円が大胆率直に記述した。

2 「歎異抄」わが心の恋人

    何が多くの人を魅了するのか~信仰の熱気にうたれ、しばしば生命の尊さを実感させ

られ、生きることへの勇気を取り戻したのである。

    明治に入り清沢満之が復興した偉大な功績~吉川英治の作品もある

    歎異抄は親鸞の教え間違ってとらえた人を嘆き、師の元の教えに戻そうととう願の書

    親鸞という人間、もうすっかり覚悟が決まっている、少しも動揺しない強烈な信仰心

    この書は、ますます日本人の精神の糧、世界人の精神の糧になるであろう

3 「専修念仏の道

    最澄は、桓武天皇の権力をバックに法華経をその中心経典として天台宗の根拠地を比叡

山につくり、ライバル空海は、嵯峨天皇の権力をバックに、大日経を根本経典として、真言宗を高野山につくった。平安仏教は、最澄、空海から始まる。

    奈良仏教は、仏になるのはごく限られていると考え、最澄はすべての人間は仏性を持つ

ており善行をつめば何度か生まれ変わる後に必ず仏になると説く。また、戒律を軽減化した。空海と最澄の違いは、空海は今この現実の世界で肉体を持った人間がそのまま仏になれるという「即身成仏」の教えを説いた。

    最澄の死後、天台宗の密教で一番重要な思想は、有名な「山川草木悉皆成仏」という言

葉で表現される。人間ばかりでなく、すべての生きとし生けもの、山や川のような無機物に至るまで仏になるという思想である。高野山は真言密教。

    末法思想と鎌倉仏教の誕生~今や末法の時代、いささかの躊躇も許されない、最も簡単

に真実の仏になりうると思われる道を選んだ。法然が念仏、日蓮が題目、道元が座禅をである。日蓮によれば、法然によってのこりの三分の一も浄土信者になり、すべて日本人は浄土信者になった。末世の凡夫には難しい行ではなく、もっぱら「南無阿弥陀仏」と口で踊する口踊念仏が最もふさわしいと主張した。法然は「口踊念仏」の先駆者。

4 法然、その弟子親鸞(1173年生まれ、母を亡くし9歳で慈円の弟子)、親鸞の弟子唯円

    親鸞は、聖徳太子の化身である救世観音の導きによって専念念仏の教えに踏み切り、法

然の門を叩いた。そして、宗教運動の先頭に立ち、法然のもっとも熱烈な弟子であった。

    再び六角堂に籠り、「夢告」により「女犯」の僧、肉食妻帯のお告げをいただいた。

    京都に生まれ、42歳で流罪先の越後から常陸へ、62歳で京都に帰る、90歳入滅

専修念仏は関東一円に広く及んだ。京に帰ってからは、隠遁者のようであった。

    唯円は親鸞の親戚縁者で面接の弟子といわれている。親鸞は実の息子が、父から特別な秘密の訪問を教わったなどといったので、息子と縁を切る。

    唯円は十数年の間絶え間なく租借し続けた親鸞体験を一冊の感動的な書物に集約した。

5 道徳の延長線上に宗教はない  法然から親鸞、親鸞から唯円に至る浄土信仰の根本

第一条     阿弥陀さまの不可思議きわまる願いに助けられてきっと極楽往生することがと信じ

て、念仏したという気がわれわれの心に芽生え始めるとき、そのときすぐに、かの阿弥陀仏は、この罪深いわれわれを、あの輝かしき無限の光の中に収め取り、しっかりとわれわれを離さないのであります。その時以来、われわれの心は信心の喜びいっぱいになり、われわれはそこから無限の信仰の利益を受けるものであります。

   それゆえ、この阿弥陀さまの本願を信ずるためには、他に善をなす必要は毛頭ありません。あなたがかってなしたであろう悪業や、いま現にこれからするであろう悪業をおそれる必要はありません。この阿弥陀さまの本願の願いを妨げる以上の悪はありませんから」

   阿弥陀仏はもともと、法蔵菩薩という、この世界に住んでいる人間であったが難行苦行して、その願が成就して阿弥陀になられた。五逆すなわち、人を殺したり、仏教を誹謗する罪を犯した人間以外は、「南無阿弥陀仏」と十回となれば極楽往生することができる。

   念仏しようとする心が起こったときには、既に人間は極楽往生できる

第二条     善人すら極楽往生へ行くことができる。まして悪人は、極楽往生へ行くのは当然で

はかいか、世間の人は逆のことをいいます。悪人ですら極楽へ行ける、善人は極楽にいけるのは当然ではないか。この説は、本願他力の教えの趣旨に反しています。自ら善を励み、自分のつくった善に誇って、阿弥陀さまにひたすらおすがりしようとする心に欠けていますので、そういう自力の心がある間は、自分の心を捨ててただ阿弥陀さまの名を呼べば救ってやろうとおっしゃつた、阿弥陀さまの救済の本来の対象ではないのであります。しかし、そういう人も自力の心を改めて、もっぱら他力すなわち阿弥陀さまのお力におすがりすれば、正真正銘の極楽浄土へ行くことができます。愚かな人間は知恵や徳の力で極楽へ往生できない。ただ口で「」南無阿弥陀仏」と誰でもできる易行の念仏のみによって極楽へ往生できる。阿弥陀の願は悪人成仏のためである。道徳の延長線上に宗教はない。

 第九条 念仏をしても、とびはねるような楽しいはずの極楽浄土にいこうという気がさっぱりおこりない。親鸞聖人は「実は私も、そういう疑問を感じた、唯円房もそうであったか」

  早く浄土へ行こうとする気がなく、病気でもすると死ぬのではないかと思い、遠い遠い昔から、生まれ変わり死に変わって流転してきた、この苦悩に満ちた故郷を捨てかねて、生まれたことのない安らかな浄土を恋しく思わない。この世の寿命尽きて、やっとあの世へ行くのが凡夫の常である。それは煩悩のせいである。そういう凡夫ゆえ、極楽往生は間違いない。急いでと浄土へ行きたいと思うのは、われわれの心に煩悩がないのかと、かえって都合が悪いと思われる。

  歓喜踊躍して極楽往生した様が、往生極楽伝に残されているが、このような行者の偽善を厳しく告発したのである。はやく浄土に行きたいと思うのは阿弥陀の本願に反する。

 第五条 親鸞は、なくなった父母の追善供養のための念仏を一度もやっていない。われわれが死んで極楽へいき、仏になったとき、今生の父母兄弟ばかりでなく、すべての生きとし生けるものを助けなければならない。まず仏になってから自分に最も縁の深い父母から救い出すことができると思っています。当時からよく読まれていた「般若心経」は、心の執着を捨て、無になれと、多くは亡くなった縁者の追悼供養のために読まれた。六道輪廻に沈んでいるかもしれない父母の霊をあの世からの苦悩から救済するためのものである。一切の生きとし生けるものはわれわれの父母兄弟である。

 第六条 阿弥陀さまの光明に照らされて、阿弥陀さまのおかげて念仏を申し上げているわけでありますけれども、そういう人を自分の弟子だというのは心が寒々とします。

6 弥陀を信じた親鸞の究極の境地

第三条     阿弥陀さまの衆生救済の願が真実であれば、「三部経」という教典でお釈迦様の説教

が間違っているはずがない。善導大師や法然聖人の言葉に偽りがありましょうか、親鸞の言うことは間違っていない。念仏を信じ、捨てよろしい、自分で決めることなのである。

 第十三条 阿弥陀さまの本願が不思議極まるものであり、悪を恐れないものは本願ぼこりと言って往生することはできない。悪いことをするのも前世からの業、因縁でしょう。網を引き、釣りで魚をとって世を渡る人、埜山に獣を追い、鳥を殺して命をつなぐ人々、商い田畑を耕す人々も同じ人間である。ふと何か暗い運命に左右されると、どんなことでも平気でするのが人間ではないかと親鸞聖人も言っている。仏のように煩悩をなくしたら、他力本願の願も必要なくなる。殺したいと思っても、殺すことができない業縁を持っていれば一人も殺されないし、殺したいと思わなくても業縁で千人も殺すことがある。善悪ははじめから定まっているものではなく、何らかの業縁による。 第十八条まである

 

 

     
     

   仏教  梅原猛の授業 朝日文庫

Ⅰ なぜ宗教が必要なのだろうか(第一時限)

  宗教を教えなかったら、道徳教育も十分ではない。科学は必ずしも人間や地球を豊かにしない。神がなければ、文明も道徳も存在しない。

2 すべての文明には宗教がある(第二時限)

  イギリスの歴史家トインビーの文明史観を受け継いだハンチントンは、世界には八つの文明~西欧(キリスト、ユダヤ)東欧(ロシア正教、マルクス主義)アラブ(イスラム、ヒンズー、中国(儒教)日本(神道と混合した仏教)など。

3 釈迦の人生と思想を考える(第三時限)

  紀元前5世紀ころに人類の精神的基盤ができた。釈迦、孔子、ギリシャ哲学のソクラテス、イエス・キリストの先駆をなす第二イザヤ

 ・釈迦~釈迦国の偉い人、ゴータマ、インドとネパールに挟まれた小さな国の王子35歳の時悟りを得た。西洋の聖者は殺され、釈迦は静かに死についたのが80歳。

 ・釈迦の思想を一言で言うと、四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)第一の真理は、生老病死、愛別離の苦であることをさとる。第二の真理は、苦の原因は、愛欲であることを悟ること。第三に自分の欲望をコントロールするのが滅諦。第四の真理が道諦、規則を守る、精神を集中する。仏教は自己管理の教え、欲望を抑え、欲望をコントロールできる人間になれば、自由になれる。全ての人に慈しみの心をささげる。宮沢賢治「皆にデクノボーと呼ばれ、褒められもせず,苦にもされず、そういう者に私はなりたい」

4 大乗仏教は山から町へ下りてきた(第四時限)

・新約聖書~イエスは神の子で、十字架にかけられたが、やがてまたやってきて、この世を神の国にする。マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の4つのイエスの伝記,使徒行伝、パウロの手紙(パウロがキリスト教をつくつたようなもの)、ヨハネの黙示録

・仏教の経典~釈迦の弟子たちの仏教を小乗、釈迦没500年に現れた龍樹たちの仏教を大乗といい、般若経があり、要約したのが般若心経。華厳経(東大寺の大仏)。天台宗の法華経、日蓮宗、創価学会、立正佼成会も法華経。浄土三部経(浄土宗、浄土真宗~親鸞)

・大乗仏教~自利利他という菩薩行、菩薩の代表は観音菩薩、人間を救うためにわざと仏にならず、菩薩にとどまっている。自分が勉強すれば父母が喜ぶ。京セラの稲森和夫は、利益は社会に還元する。

・般若心経のエッセンス~世の中のことは、すべて空であるから、こだわらない。こだわらない知恵が本当の知恵。イチローは、どんな球が来てもパット打てるように、心の状態をいつも空にしている。

・仏教の3つの原理~釈迦の教えは、まず人間は平等。知恵によって人間は自由にならなくてはならない。生きとし生けるものに対して憐みをもつ心。

5 生活に生きる仏教の道徳 八正道とか六波羅蜜(第五時限)

 ・八正道 正見~正い思想、正思惟~心が正い、正語~正い言葉、うそをつくと閻魔さんに舌を抜かれる、正直の徳、夏目漱石の坊ちゃん、人を喜ばす嘘、正業~正い行い、

 正命~きちんとした生活、正精進~努力、正念~きちんとした目的、正定~心の集中

・六波羅蜜 布施~恵み施す、持戒~道徳的規則の遵守、忍辱~辱め、を軽蔑に耐え忍ぶ、自殺したり犯罪を犯すのはが足りない、精進~人が見ていようが見ていまいがつこつと努力する、ゲーテ「天才とは、努力する才能である」、禅定~集中、ニュートンは、成績は中以下なのに人一倍集中力があった、智慧~知恵

・仏教にはいろいろな「願」がある

煩悩無数誓願断~一生煩悩との闘い、異姓と遊びたい、煩悩を絶つのではなく利用する

法門無人誓願学~ニュートン、自分のやったことは海辺の無数の貝殻の一つを拾った

仏道無上誓願成~仏になりたいとづっと持ち続けるのが仏教

衆生無辺誓願度~生きとし生けるものは皆苦しんでいるので救おう

6 討論、人生には宗教は必要か(第六時限)

 ・極楽へ行くためにだけ現在を生きるのは疑問

 ・宗教は人生の全てを決めてしまう?

 ・宗教が侵略や奪略の隠れ蓑になっている

 宗教を必要でないと思う人は、容易に自分の立場を変えず、この問題を自分の中で反芻していけば、思想的にとても強い人になれる。

7 日本は仏教国家になった 聖徳太子、行基、最澄(第七時限)

 ・仏教伝来は、欽明天皇の552年、東大寺大仏は200年たった752年

 ・聖徳太子~法律をもって日本を治める、律令制、17条憲法を創った。「和を以て貴しとなす」、「三経義疏」の一つ聖徳太子の仏教の中心である法華経の注釈書もつくる。蘇我一族ですが、蘇我の馬子と対立して一族25人皆殺しになった。聖徳太子のお寺が法隆寺、のちに最澄が受け継いで天台宗を建てる(本拠地が比叡山)。この中から鎌倉時代に日蓮宗がでてきた。法華経は日本仏教の中心部を貫いている。

 ・行基~下からの仏教布教者が行基。木の神と仏教が合体し、行基仏が出現した、神様はどこか異相をしている。伊勢神宮は20年に1回神様が宿る柱がくさるので新しい柱に取り換える、聖武天皇は、行基大僧正の力を借りて東大寺を建てた。大仏は鎌倉時代に再建され、以前し1.5倍。東大寺の仏教は、華厳。一木一草の中に仏が宿っているという教え。人間の成分は、地球と同じ、水素、酸素、炭素、…だから皆さんの中に世界が宿っている。

 ・最澄~「最も澄む」論争が得意、滋賀県の生まれ、渡来人の家系、19歳で比叡山延暦寺に籠り、法華経を中心とする天台宗を建て、桓武天皇の加護を受ける。蓮池の泥から清浄な華を咲かせる「法華」。法華仏教は、釈迦を本尊とする。

 麻原彰晃は、心から懺悔していないから救われないというのが法華経。坊さんの免許が東大寺だけだったのが、比叡山でもやれるようにした。(767~822)

8 空海(774~835)が密教(大日如来を中心仏とする)をもたらした(第八時限)

・空海~「果てしない空と海」のような人間になりたい。 真言密教

・如来~仏様、悟りを開いた人間。釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などで、悟りをひらいているので装飾具をつけていない。天然パーマ。如来様で装飾具をまとっているのは、大日如来だけ。現世肯定、感覚肯定が真言密教、中心仏が大日如来で、宇宙の中心の仏様。阿弥陀如来は、浄土宗の御本尊に多い。菩薩は如来の候補、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩など、明王は、如来や菩薩を守る仏で大変怖い顔をしている、不動明王(武士も貴族も厚く信仰していた)など、成田の不動さん天部という仏は四方を守る四天王、帝釈天など仏教以前のバラモン教の神様、その他大黒、弁天、福の神も天部。奈良の大仏も大日如来、空海は、金剛波羅蜜多菩薩ではないか、

・空海が始めた仏教を密教という。顕教というのは、真理があらわになっている仏教で、本当の真理は深く隠されている。それを明らかにするのを仏教を密教という。日本の仏像は、平安時代になってから、木彫仏になった。空海は四国の香川県、讃岐。20歳を少し越えたところで大学中退、空海は大秀才、遣唐使に従って中国で真言密教を学んだ(2年間、32歳)。嵯峨天皇と肝胆相照らす仲、都の東寺と高野山の二つの根拠地、密教は仏の集まりである曼荼羅というものを崇拝する。金剛界曼荼羅と腹臓界曼荼羅がある。曼荼羅は思想を図式的に表現している。曼荼羅の真ん中にいるのが大日如来、これが宇宙の本質、自分自身の中にも小宇宙がある。それを密ととうそうですが、密を人間は皆持っている。自分が目覚めれば大日如来と一体化できる。皆さんの成分は地球と同じ、皆さんが地球、虫にも草にも大日如来がいるのです。いろいろな欲望をあの恐ろしい不動さんが抑えつける。内の欲望にも勝つという明王。空海は雨をふらす天才であった。空海は自分が大日如来だと言った。

9 鎌倉は新しい時代の仏教(第九時限)法然と親鸞 浄土教はあの世が教えの中心

 ・鈴木大拙~日本の魂は鎌倉時代に目覚めた。浄土仏教が、法然と親鸞、もう一つが日蓮の仏教、鎌倉時代におこって、現在の創価学会、立正佼成会も日蓮の流れをくむ、それから禅、曹洞宗を開いたのが道元臨済宗を開いたのが栄西、

 ・法然~岡山出身、大変な秀才で、仏の勢至菩薩の生まれ変わりと言われた、15歳で両親が殺されたので立身出世の学問ではなく、悟りをひらく学問をした、宇治の平等院は、藤原頼道がお寺そのものを極楽浄土のように作ったが普通の人には寄付ができないので行けない、中国の書で、口で「南無阿弥陀仏」と言えばよろしいと言っているのを法然が見出した。貧乏人でも、アホでも凡夫往生ということです、女人成仏・悪人往生も可能、日本人全部が浄土宗の信者になった(日蓮が言った)、75歳で流罪、80歳没

 ・親鸞~戒律は必要ないということで、肉食妻帯に踏み切った、60歳をこえて都に帰り、「教行信証」を本にした。90歳没、一生無名だったが、ひ孫の覚如、蓮如によって今日の東本願寺、西本願寺のような大教団になった。弟子の唯円が「歎異抄」~善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」阿弥陀さまが救ってくださる

10 鎌倉は新しい仏教の時代 日蓮と禅

  日蓮の仏教~法華経を信ぜよ、法華経を信じないと蒙古がやってくるぞ、法華信仰に

帰らないと国は滅びる、安房の小湊の出身で漁師の息子、日本の仏教を始めたのは聖徳太子、最澄の仏教は法華経中心、人間は煩悩をもっていながら、美しい蓮のはなのように悟りの花をさかせることができる、これを日蓮は比叡山延暦寺で学んだ、南無阿弥陀仏ととなえる念仏にかわって、口で「南無妙法蓮華経」ととなえるお題目というものを信仰の中心においた。南無とは、心からの帰依。心から法華経という書物、経典の名前が仏になった、念仏の鉦より、太鼓をドンドンたたく、景気がよくて元気がでる。

日蓮は、この世で自分は仏になる。日蓮は鎌倉で首をはねられそうになったが、奇跡が起こって、流罪になった。日蓮正宗の流れを受ける宗教団体として創価学会はあり、公明党という政党を作っている。立正佼成会も日蓮の教えが主体。明治以降の文学者の中で、宮沢賢治が日蓮の思想影響を受けている。排他的で戦闘的な面と、生きとし生けるものと自分が共感するという面がある。京都の商人には元気よく社会活動する日蓮宗が多い。

  禅~仏教に中国で道教と結びついて独自の仏教を育てた、禅の教えは仏像に彫った仏

さんは本当は仏さんではない、仏は自分である、自分以外に仏はいない。寺院もいらない。座禅の精神は、瞑想によって釈迦と同じ人間になる。道元は、福井県に行って、永平寺を建てた。禅は修業が厳しい。道元は正法眼蔵を書いたが難解。

11 現代の仏教はどうなっているか(11時限)

  武士は大抵、四書五経という孔子を祖とする儒教と忠孝の思想を教え、庶民は、寺小

屋で仏教と読み書き算盤を学んだ。祇園祭は、歴代の怨霊になった皇族貴族のたたりを鎮めるために祇園社をつくってやっている。

 近代では文学者が宗教の精神を伝えている。仏教の影響を受けた作家として幸田露伴、夏目漱石(禅の悟り)、谷崎潤一郎(盲目物語)、川端康成、宮沢賢治(岩手県、質屋の息子「雨と修羅」という詩集、雨にもまけず、童話は風の又三郎、銀河鉄道の夜)、瀬戸内寂聴、キリスト教では遠藤周作。哲学者の元祖ソクラテスは死ぬ前に魂の不死を証明と魂が死後に素晴らしい国へいく証明をし、毒を飲んで死についた。

   無神論者であったが、たとえ幻想にしろ、あの世を仮想することによって文明を創造してきた人類の歴史を温かく見ようじゃないかという気持ちに変わってきた。

   遺伝子の不死は現代科学が明らかにした事実であるが、多くの宗教が説いた魂の不死なるものも、この遺伝子の不死という事実の多分に文学的な解釈ではなかろうか。遺伝子の不死から考えれば過去からの生命の歴史が入る。胎児が魚や爬虫類の格好をしているのは、個人の歴史の中に全生物の歴史が入っているからです。人間の現在の命の中に、永遠の過去と永遠の未来が入っている。生まれた川に帰って卵を産んで死ぬ鮭には、明らかに他利の精神がある。自利他利の精神を自ずから持っているこの尊い人生を精一杯生きようではないか。      柳田國男の先祖の話

     
     

   梅原猛の授業 仏になろう 仏教とは仏になるここと見つけたり  朝日新聞社

1      十善戒

     不殺生(ふせっしょう)  人を殺してはいけない。

 重い殺生(人間を殺す)と軽い殺生がある。仏教が戦争に反対できなかったのは大問題です。仏教は徹底的に平和を重視する思想です。動物ばかりか植物の命も大事にしろというわけです。お釈迦様は植物は命ないものと考えましたから、菜食主義です。「いただきます」「ごちそうさま」といって、お魚の命をいただくのですよ。

     不偸盗(ふゆうとう)   盗みをしてはならない。

     不邪淫(ふじゃいん)   よこしまなセックスをしてはならない。

 以上の三つは、体や物に関する戒律で、刑罰に値する戒律です。      

     不妄語(ふもうご)    嘘をついてはいけない。

     不綺語(ふきご)     きらびやかな言葉を使ってはいけない。

             真実にそむいて巧みに飾り立てた言葉。狂言―

     不悪口(ふあっく)    人の悪口を言ってはいけない。

     不両舌(ふりょうぜつ)  二枚舌を使ってはいけない。

 上記四つは、口に関する戒律です。

     不慳貧(ふけんどん)   物惜しみしてはならない。

             物を惜しむ、けち。

     不瞋恚(ふしんい)    怒ってはいけない。

     不邪見(ふじゃけん)   よこしまな見解を抱いてはいけない。

             誤った考え、かどが立ち、するどく人を害する

 上記三つは、心に関する戒律です。

  キリスト教、ユダヤ教の共通の聖書である「旧約聖書」のモーゼの十戒

     あなたは、わたしをおいて他に神があってはならない。(エホバの神を信じなさい)

     あなたはいかなる像も造ってはならない。

     あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

     安息日を心に留め、これを聖別せよ。

     あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

     殺してはならない。(他の宗教を信じる人間をいっぱい殺している。イスラエルとバレスチナ)

     姦淫してはならない。

     盗んではならない。

     隣人に関して偽証してはならない。

     隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

2      六波羅蜜

仏教にはこういうことをすべきだという積極的な道徳があります。

   ①布施 ② 持戒 ③ 忍辱 ④ 精進 ⑤ 禅定 ⑥ 智慧

   お釈迦様は、人間は愛慾(男女の愛欲、名誉欲、地位欲などの一切の欲望)にとらわれていると考えました。どうすればいいか。①戒め、持戒、②心を静める、心を集中する禅定、③人間が愛慾によって苦しみを起こすという世の中の理を知る、智慧の三つです。この三つは釈迦の説いた道徳です。

   布施は、ものを与えることです。財施の他に法施(教えを説いて施すこと)、無畏施(不案をなくしてあげることをほどこす)があります。お釈迦様の左手は「どうぞ」といって物を与えることを示している、右手は「大丈夫だよ。あなたの心配はなくなるよ」といっているのです。まさに布施の形なんです。道徳の基本はこの無条件の愛です。

この仏教精神を一番端的に表しているのが観音様です。誰にでも観音様になれる。観音様は、本来、性のないものですが、日本の観音様は女性的です。

 税金も一種の布施ではないかと思います。布施というのは自分がもらっている以上に与えなければいけない。もらっている以上のものを社会に返さなければいけない。

   次は精進についてお話します。自分の欲望を抑制して、自分の心を立派にして一生懸命やる。自立する心を養って努力を重ねることです。精進という徳を一番行っているのはイチローだと思います。

  もう一つ大乗仏教が重視するのは、忍辱です。誤解、非難、嫉妬、そういうはがかしめに耐えて、自分の道を貫く。忠臣蔵は、祇園で遊んで、敵を安心させて仇討ちをした。お釈迦様は死ぬまで、乞食、托鉢をしています。法然も親鸞も道元も、子供のときにお父さんお母さんを亡くした人です。どこかで辱めを受けて忍辱を身に着け、心のバネとして素晴らしい人生を送った。

   仏教道徳は不可能()故にすぱらしい

 釈迦はこの世は苦しみだと考えました。生老病死の苦、愛別離苦、怨憎会苦。

苦の原因の愛慾を減すためには、戒律を守れと。加えて精神を落ちつけよと説きます。(禅定)もう一つは世間渡りの智慧を磨けということです。そのためには、貧(とん、人間の底知れぬ欲望)、瞋(じん、怒り、嫉妬、憎悪)、痴(ち、無知)を抑制する。猿はボスが代わると前のボスの子供をみんな殺す。人間は人を殺す本能を持っているのでないか。これは尊い教えだけれども実現不可能な教えかもしれないと思う。でもこれを説かないと、世界は修羅の巷にならざるを得ない。だからこそ仏教は素晴らしい教えだと思っている。

3      四弘誓願(しぐせいがん)

   第一の「衆生無辺誓願度」

 衆生というのは、人間ばかりでなく、生きとし生けるもの全てを救おうとする願です。宮沢賢治は、童話をつくって人々を仏教に誘おうとした。だから賢治の童話は、生きとしいけるものは、どんなに殺し合っても、お互いに愛しあわなければいけないというものですね。「なめとこ山の熊」など教えの表れだと思います。

   その次が、「煩悩無数誓願断」(ぼんのうむしゅせいがんだん)

 煩悩を積極的な力とする。大乗仏教は、欲望をすべて滅ぼそうとするのは間違いだ、むしろ煩悩をプラスに生かさなければならないという立場ですね。心の中に煩悩があって煩悩無数ですが、それを積極的な力にする。それが大乗仏教の真髄です。

   その次は、「法門無尽誓願学」(ほうもんむじんせいがんがく)

 大乗仏教の経典は、この部屋がいっぱいになるだけあります。キリスト教の聖書は2つですね。知らないことはいっぱいある。まだいろいろなことを知りたい。

   最後が、「仏道無上誓願成」(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

 仏教というものはすばらしく無上なものです。殺生戒。それを犯さないと人間として生きていけない。虫も殺してはいけない。そうしたら人間生きていけない。それほど困難な教えでする。

4      仏し法と僧に帰依する「三帰依文」

   ブッダン サラナン ガッチャーミ(南無帰依仏)

   ダンマン サラナン ガッチャーマ(南無帰依法)

   サンガン サラナン ガッチャーミ(南無帰依僧)

  四弘誓願

   しゆじよう むへん せいがんど

   ぼーんのおおむーしゅー せーいがんだーん

   ほーうもんむーううじん せーいがーんんがーく

   ぶつどうむううじよう せーいがんんじょー

5      釈迦仏教について

   この世のものは必ず滅び、人は死ぬ

  ソクラテスは、死ぬ前に、魂の人の行くべきあの世に行くに違いない、昔の素晴らしい人に会えるかもしれない。最後は死後の世界を想像していたわけです。

   イエスは死ぬ前に神の国を説いた、死んだら3日後に復活して、またこの世界にやってくる。次にやってくるときは、この世は神の国になると言って死んでいった。

   人生は「苦」であることを悟る「苦諦」

インドのような暑い土地では、人生は苦であると実感されるのではないかもしれません。

   四諦というのは何かというと、四つの真理のことです。

   四苦というのは、どちらかというと暗い方面から見ている人生観ですね。

 怨憎会苦。会社でも怨霊がでないようにしないといけない。会社で不遇な人にも、時々は怨念を発散させることを考えなければならない。

   次に集諦。苦の原因が愛執にあることを知る真理です。

   それから滅諦。その愛執を滅ぼす真理です。

   もう一つは、道諦。愛執を減ぼす方法についての真理です。戒律を守り、徳を積み、ひれから瞑想ですね。お釈迦様も生きているうちは悩みがあったんじじゃなかったと思います。

   戦争こそ人類の最大の愛執

6      大乗仏教について

次に、三大経典についてお話します。

   大般若経~西遊記で有名な玄奘三蔵が新しく持ってきた般若経典を新たに訳したもので、般若の教えが全て含まれている。 空(すべてのものには、本質的には実態がないという考えかた)を説きます。空にも有にもとらわれない、欲望の肯定にも否定にもとらわれない、無を超えた「空」の自由を強調するものです。この般若経をつくったのが龍樹。法華経などを経典の漢訳をしたのが鳩摩羅什(くまらじゅう)

大乗仏教は人間の欲望を肯定するところがあります。そして欲望に左右されず、欲望否定にも左右されず、欲望から自由であるというのが大乗仏教の説です。般若の教えを要領よくまとめたのが「般若心経」という教典です。

   大般若経と並ぶ仏教の大きな経典が華厳経です。この思想の産物が東大寺の大仏です。あの大仏さんは、蘆舎那仏(るしゃなぶつ、大日如来ともいわれる)といって、もはや釈迦ではありません。宇宙の只中に存在する仏であるといってもいいかもしれません。どんな世界にも蘆舎那仏がやどり世界はすべてその調和した世界だというのが華厳の考え方と思います。ここから日蓮宗が生まれ、創価学会、立正佼成会という信興仏教が生まれた。法華経を根本経典とする日本天台宗を創設したのは最澄ですが、「すべての人間は仏性があり、いかなる人間も何度か生まれ変わるうちに必ず仏になれる」という説をとなえた。

仏教は等しく「仏になる」ことを目指している教えである。

     
     

   「塔」 梅原 猛    (寺院・神社建立の理由)

1      古事記、日本書紀

・古事紀は712年、日本書紀は720年に作られたとされる。国家神としてアマテラスを国家の中枢に置こうとする藤原不比等の執拗な意志によってつくられた。

・神道的イデオロギーの書が古事記であり、伊勢神宮を皇室の祖先をまつる国家の大社としたのである。

・オオクニヌシノミコトをはじめとする国つ神たちを出雲地方に流したのである。

・藤原不比等が、古事記、日本書紀成立せしめた。藤原氏の氏族神とされるタケミカズチ、フッヌシの神話があり、神話そのものが天皇家より藤原氏にとって有利に出来上がっている。

・記紀の中心的神話は出雲神話であるが、結局スサノオノミコトの追放と、オオクニヌシノミコトの自殺の話である。

・日本書紀においては、聖徳太子がイエス・キリストのごとく厩で生まれ、釈迦のごとく衆人の慟哭の中に死ぬ。聖徳太子はすでに一人の仏であり、このことは国家的歴史書としては奇妙なことである。不比等が仏教側の人を自分の味方にするかどうかという一点に絞ってつくったのではないか。

2      法隆寺(現存する最古の寺院、誰が建てたのか日本書紀には書いていない)

・聖徳太子(574~622 49)によって、飛鳥時代に建てられた寺と言われているが、太子の遺徳を忍ぶ寺でなく、無惨に殺された太子一族の怨霊の閉じ込めと鎮魂の場所である。

・金堂内に三つの本尊、釈迦如来、右に薬師如来、左に阿弥陀如来。

・法隆寺の塔の北面は、聖徳太子の死に対する号泣の様子と考える。塔の中には地獄を作らざるを得なかった。

・夢殿、聖徳太子の死霊を閉じ込める場所ではなかったか。救世観音の手に舎利瓶を持ち、光背は猛烈な火災模様である。この観音は、火にかこまれて、舎利瓶をささげているのである。金堂内も全て光背は火災である。法隆寺自体が地獄の火災の中にある寺なのである。この地獄の終焉を願っているのである。救世観音の頭の天辺には釘がささっている。これは残酷で奇怪なことである。法隆寺が聖霊鎮魂の寺だからである。聖霊とは怨霊のことである。聖武天皇をはじめとする藤原氏の血をひく皇室の人々の恐怖の深さを示していると思われる。(藤原四兄弟の死を何かのたたりではないかと考えた)怨霊を鍵をかけ釘を打って動きがとれないようにしたのではないか。仏像には足もついていない。これに白布を巻いて、厨子の中に閉じ込めておき、誰にも知らせない秘仏とした。

3      西方の塔と東方の塔

・仏教の塔は、第一に釈迦の墳墓の標として建てられたものである。アショカ大王の塔は仏教の偉大さを表わすとともに、インド統一の意志と征服意志の偉大さを、権力表示の意味を持つ。塔の土台の下には釈迦の骨、舎利が収められている。

                   -1-

・アレキサンダーの塔には生への意志はあっても、死への配慮は欠けている。

・釈迦は、死の前のソクラテスのように魂の不死を証明したり、イエス・キリストのように死後の復活を予言しようとしなかった。釈迦は自然に帰るように静かに安らかに死の懐に帰った。その釈迦を記念して塔が建てられた。

・イタリアの塔は、キリスト教の無限上昇の生の理想とともに、美の調和を乱す建物を建築の中に取り入れなかった。

4      出雲大社の謎

・古事紀、日本書紀によれば、垂仁天皇( )の御代に大和から伊勢の地に移され、出雲大社は、それより遥か前の大国主命の国譲りの時に建てられたとされる。

・大国主命は天孫族の要求に屈服し平和的な政権の授受が行われる。大国主命は、引退の代償として立派な宮殿の建設を要求するのである。(733年に作られた出雲風土紀も同じ記述)

・山崇拝、木崇拝、岩崇拝のわれわれ祖先は神社を見なかった。山そのものが神体なのである。 ※仏教公伝は538

・仏教が寺院をつくるのを見て、神道もまた神社つくりだしたのではないか。

・出雲大社は記紀とともに着手された。出雲大社がはなはだ古い時代に建てられたという神話はほとんど成立不可能である。

・記紀の編纂が着手され、日本神話を製作するとともに出雲大社の建設がはじめられ、720年前後に完成したのではないか。

5      四天王寺の造営(593)

・古い神と新しい神()の戦いは、新しい神の仏が勝利し、その記念碑が飛鳥の都の空に高くそびえる塔(飛鳥寺)、新しい墓の権威で、蘇我馬子は新しい政治を行おうとしたのである。この戦いに聖徳太子(574~622)も参加した。終わりを迎える物部氏の一族の血がにじんでいる難波に、仏教を護持する四人の王(邪鬼をふみつける)を祀る四天王寺を建てた。四天王寺は仏教迫害の報復だったのである。馬子は崇俊天皇を暗殺させる。

・聖徳太子鎮魂の第一の寺であったが、その地位も法隆寺にうばわれた。

6      聖徳太子(蘇我氏の孫を妃としている。推古天皇も蘇我氏の血縁、66249歳で死んだ)

60417条憲法制定。思想家として聖徳太子以上の人を日本の歴史において見たことがない。憲法の言葉に人間洞察の言葉がある。人間は嫉妬する動物である。けれども嫉妬はみにくい。嫉妬をやめよ。人皆心あり。心各々執るところ有り。人間はすべて平等であるが、嫉妬や、我慾や怒りの動物である。これを自覚して仏性に目覚めよ。

・現実の人間は悪であり、自己の中にも悪なる人間もが、仏教によって改善できる。

605、斑鳩(いかるが)に蘇我氏との対立をさけるために移住した。その後、643、皇位争いから、馬子の孫の入鹿によって斑鳩寺(法隆寺)が焼かれる。入鹿と後の孝徳天皇の合作である。聖徳太子の子、山背大兄王(やましろおおえのおう)は妃や王子とともに25

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人が自殺したり殺された日本古代史最大の残虐事件。聖徳太子一族は全滅した。入鹿をおだて影で彩っていたのが天才政治家藤原鎌足である。

・母も不義の子を産んでいる。

・太子は、良き政治家であるにはあまりにも優徳でありすぎる。

7      藤原鎌足(~669)、不比等(659~722)

・鎌足は一人の天才的な革命家である。大化の改新(645、中大兄王子・鎌足らが入鹿を暗殺し、新組織の詔が出された。)を支えた血の粛清。

・任申(じんしん)の乱(672、天智が死んで皇位継承争いがおき、天皇の子、大友王子は自害、弟、大海人王子は翌年即位)701大宝律令。722、藤原不比等、元明帝が死に、737、藤原四兄弟が相次いで死んだ(天然痘)。元正帝(715~724)は、母、元明帝及び藤原の一周忌を記念して法隆寺に多額の寄付をしたと思われる。たたりが恐ろしかったのではと思う。

・天智天皇のお古を頂戴して、一対感を知らしめた。天智は次々に彼の権力にとって不安である人間を殺していった。鎌足も共犯者である。

・男子の子は2人しかいなかった。定慧は孝徳の子、不比等は天智の子という噂がある。

8      薬師寺の塔

・有美、安定、繊細、流麗、この塔ほど多くの人に感嘆された塔はない。日本が世界に誇る塔であろう。塔を支えるのは一本の柱である。本尊は薬師如来である。現世利益の仏が本尊になるとき、釈迦の骨を祀る塔は中心から遠ざからねばならない。

・この寺は、680、白鳳時代に時の皇后、後の持統天皇の御病気平癒のため発願されたのである。天武、持統両帝を祀っている。

・薬師寺は生の寺であり、法隆寺は死の寺である。

・薬師寺は当時国家第一の寺になった。

9      東大寺(建立発願は743753開眼供養)

・奈良のビルシャナ仏は、日本におけるもっとも巨大で豪華な大仏である。良識によれば律令国家権力誇示の寺であさった。東大寺と名乗ったのは747である。元は金鐘寺と言って基皇子の菩提をともらう寺であった。この基皇子は不比等の旧邸で生まれた。

・すべてのブッダを統一する、永遠にして不変、唯一なるブツダを必要とした。

・中つ国を統治する最初の神は、一方においてアマテラス、すなわち天の血をもつとともに一方においてタカミムスビすなわち皇の血をもつもののみが資格がある。天の血と皇の血を受けた人間のみをこの国の支配者にしようとする意志こそ日本の歴史全体を貫く、支配者の強い意志であった。

・一歳で基皇子が死に藤原四兄弟が相次いで死んだ。聖武帝及び光明皇后によって建てられ、国家とともに彼ら一族を保護する絶対の仏であった。

※伊勢神宮の外宮の遷宮(690)と伊勢神宮の国家大神昇格は、天武天皇より、持統天

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皇の意志が強く働いているのではないかと思う。藤原宮遷都の決定は692である。持統天皇は、皇位を孫を皇位につけるため、2人の皇子を殺している。このときがアマテラスの誕生ではなかったか。なぜ皇室の祖先は女性でなければならないのか。

※ 日本の神話は、やはり天孫降臨神話が中心であろう。アマテラスオオミカミが、孫ニニギノミコトに、この国はお前の国だ、だからお前がこの国を統治せよといって、日本の国を与える神話である。やはり、伊勢の大神は女神である必要がある。大神が男であると、皇位継承者は複数になってしまう。女神であれば皇位継承者は軽皇子とその子孫に限られる。

※ 古事紀ができたのは712、元明天皇の御代であるが、その書はひそかに元明帝にささげられた秘書である。藤原氏は日本国家の基礎をつくるとともに、自家の繁栄の基礎をもつくった。

・神社は20年ごとに建物を建て替える。

10   興福寺(715)

・奈良遷都において天才政治家藤原不比等の意志で外京に巨大な寺院を作った。

・平城京を一望のうちに眺めることができる台地で京内随一の勝地を選んでいる。

・蘇我氏の誅滅という大きな歴史的役割を演じた藤原氏の氏寺である。

・四天王思想から、興福寺もその一つになった。寺は二つは天皇家、二つは藤原氏と対等になった。福を興すのである。

・警備の名のもとに私兵をおくことができる。

11   奈良遷都と仏教

・当時の世界文明の中心である長安の都を範とし、むしろ長安よりも整然としているかもしれない。

・入鹿殺害は、32歳の鎌足と20歳の中大兄皇子(後の天智天皇)の革命コンビがやった

蘇我を滅ぼすさない限り帝位は彼にまわってこない。女帝と入鹿は肉体関係があった。

12   広隆寺のなぞ

・京都の広隆寺も聖徳太子ゆかりの寺である。有名なのはあの思索の姿の弥勒菩薩。

・京都におけるもう一つの法隆寺である。

・寺院は神社と深い関係があって、境内に二つの神社(アマテラスをまつる神社とダビデをまつる神社、キリスト教の異端と言われている。7世紀後半にキリスト思想が入ってきているかもしれない。)がある。

・景教は、妻帯がゆるされ、頭は剃る(内に邪念がないように)が髭(世間的な義務を果たす)を伸ばす。

・聖徳太子伝の根本思想は太子及び一族の復活、昇天の思想ではないのか。聖徳太子はヒゲをはやしている。ヒゲは舎利瓶に入れられ、分身のように祀られている。

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