![]() |
||
| 松読本 | 山口県教育委員会 |
松陰読本 山口県教育委員会 小学校高学年用 全国の小学生、父兄の活用を願う ○ 現在吉田松陰生誕 180年になります。 ○ 先生ほど至誠(人や仕事に対してきわめてまじめでまごころがこもっていること)をもって、人を愛し、国を愛して生き抜いた人はありません。 ○ 6歳で兵学の先生である吉田家を継ぎ、9歳で兵学教授見習として藩校へでて、11歳で殿様に兵学の講義をやりました。 ○ 松陰の書、歌 ・ 松陰は、死出の旅に出るとき、「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり」~ 誠(事実、真実のどうりのこと、うそでないこと)をもってとけば正しい考えのわからぬことはあるまいという意味のことを書いて弟子に渡した。 ・ 門人たちに「留魂録」と名づけた遺書を書き、その冒頭は「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」から始まります。国を思うわたしの気持ちは永遠 に残しておきたいという意味です。※新渡戸稲造の武士道とは「大和魂」~武士の道徳律が忠臣蔵や義経と弁慶で「忠義を貫く人間の誇り、義に篤く礼を重んじる人間の気高さ」を大衆化した。庶民は武士の道徳的高みまでに達することはできなかったが、「大和魂」という心が、日本人全体の民族精神を表わすようになった。武士道とは死ぬこ(死ぬ気でいれば)とと見つけたり ・ 評定所で死罪の申し渡しがあって、くぐり戸を出ると、声高らかに次の詩を吟じました。「吾今国の為に死す、死して君親に背かず。悠々たり天地の事、鏡照、明神あり。」 わたしはいま、国のために死ぬのである。死んでも君や親にさからったとは思わない。天地は永遠である。わたしのまごころも、この永遠の神が知っておられるから、少しも恥じることはない。 ○ 松陰の言葉 ・ 学問は学者になるためするものではないよ。人は学んだことを実行することが大切だ。 ・ 「孟子」の一節に「まちがいのあった君主をみ捨ててよそへ行き、高い位についた人 の話が書いてあまります。これを読んだ近所の吉田栄太郎が、 「命がけで主君を諌めなかった人がどうして偉い人になれるのですか」 と吉田松陰に聞きました。松陰は、非常に喜び、自分の志をつぐものを養成しておけば、いつかは自分の志は達成されると考えました。 ・ 勉強をするのは自分の立身出世のためにするというようなせまい考えではなく、日本の国をりっぱにすることと、毛利藩をよくするという考えを中心に教えました。 ・ 「松下陋村(ろうそん)なりと雖(いえ)ども誓って神国の幹(かん)ならん」~松本はさびしい、いなかの村であるが、ここから日本の国の柱となるような人がきっと出るのだという意味です。 ・ まごころ(いつわりのない本当のこころ)をこめてやればできないことはない。 ・ 何事をするにも、しっかりとした志を立てることが大事である。 ・ 学問をしたら、やり終わるまで強い心を持ってがんばりぬかねばならない。 ・ 塾の柱に「万巻の書を読むにあらざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるをえん。一己の労を軽ろんずるにあらざるよりは、いずくんぞ兆民の安きを致すをえん。」と竹に彫り込んでかけました。これは「勉強しなければりっぱな人になれない。少しの労もいとわないようでなくては、世のため人のためにつくす人にはなれない」と、勉強修行や、社会国家につくす心構えをしめしたものです。 ・ 頼朝が幕府を開いて六百年になるが、幕府や藩は天皇につくしてこなかった。だから、まず、藩主にこのことを反省させ、さらには幕府にもこの罪を知らせて天皇につくさせなければならない。必ずわたしの志を継ぎ周囲をふるいたたせる人物を後世に残す決意である。このわたしの誠は、いつかは必ずわかってもらえると信じている。 ○ 素読資料 ・ 天地には大徳あり、君父には師恩あり。徳にむくいるに心をもってし、恩をかえすに身をもってす。… ・ 世の人はよしあし事も云わばいえ 賊(しず)が誠は神ぞ知るらん ・ 今日よりぞ幼心を打ち捨てて 人となりにし道を踏めかし ・ 人の人たる所以は忠孝を本と為す ・ 士の道は義より大なるはなし。義は勇に因って行われ、勇は義によって長ず。 ※「義」とは「正しい道」である。義・勇・仁・礼の徳目を貫くのが「誠」である。 |
|
吉田松陰語録より 一 学問は学者になるためのものではない。人は学んだことを実行することが大切だ
二 勉強は立身出世のためにするという狭い考えではなく、日本の国を立派にするためにするのです
三 万巻の書を読むにあらざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるをえん。一己の 労を軽んずるにあらざるよりは、いずくんぞ兆民の安きを致すをえん 塾の柱に竹に彫り込んでかけてあります。勉強しなければ立派な人になれない。少しの労もいとわないようでなくては、世のためひとのためにつくす人にはなれないと、勉強修行や、社会国家につくす心構えをいっています。
四 至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり 松陰が死出の旅に出るとき弟子に渡した書の中の言葉です。「真実の道理をもってとけば、正しい考えの分からぬ ことはあるまい」という意味です。まごころをこめてやればできないことはない。何事をするにも志をたてることが大事です。
五 身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 「国を思うわたしの気持ちは永遠に残して置きたい」という意味です。
六 吾今国の為に死す、死して君親に背かず。悠々たるり天地のこと、鑑照、明神あり わたしのまごころも、この永遠の神が知っておられるから、少しも恥じることはない。
七 松下陋(ろう)村なりと雖(いえ)ども誓って神国の幹(かん)ならん 「松下はいなか村であるが、ここから日本の柱となる人がきっと出る」という意味です。
八 頼朝が幕府を開いて六百年になるが、幕府や藩は天皇につくしてこなかった
九 天地には大徳あり、君親には師恩あり。徳にむくいるに心をもってし、恩をかえすに身をもってす
十 今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて 人と成りにし道を踏めかし
※ 城下町「萩」は、江戸時代に毛利氏が萩城を築いてから260年にわたって栄えた城下町、幕末には吉田松陰、高杉晋作など の志士を輩出し「維新のふるさと」と呼ばれ、歴史の面影を色濃く留めた町並みの中に城跡、幕末志士の旧宅などの多くの史跡が残りっています。(山口県教育委員会資料参照) |