Chapter11 局長の疑
| (二週間前) 「…加害者であり、公判中でありながら、一転被害者になってしまった19歳の少年。その少年を有力な後継者とみなしていたと思われる、少年の親が組長をつとめる暴力団は、現在のところ沈黙を守り、私どもの取材にも一切応じていません。 この暴力団は、このところ急速に勢力を拡大してきた新興のグループで、その躍進の過程で、さまざまなトラブルを起こしてきたと言われているだけに、敵対する勢力による犯行だと指摘する声もあります。そうだとすると、暴力団同士の大掛かりな抗争に発展するおそれもありますが、警察は、手口や犯行声明が酷似していることから、前の事例と同じ犯人による犯行だとの見方を強めており…」 ここで急に電波状態が悪くなった。 運転手はチャンネルボタンを押して、電波をのがすまいとする。このニュースを聞きたいらしい。どうにか音量を持ち直した。 「…幕末、江戸時代の末期には暗殺が横行しました。各藩、各地にさまざまな思想集団、武力集団が形成され、その中の過激派は天誅と称しては、反対派に対する武力攻撃をしかけた。 しかし現代と幕末を同一視するのは、飛躍しすぎです。幕末は幕府が統治能力を失い、時代の流れについていけなくなった。時代の変わり目で、国民の多くが、それを肌で感じることができた、カオスの時代でした。 多くの若者は次の時代の国の行く末を真剣に考え、熱意と志にあふれていました。むろんそうでない者もいましたが。過激な暴力はその熱意の発露のひとつの形とみることもできます。 今は、閉塞こそしているが、混沌の時代ではない。いまの若者は、平和でそこそこ平等に育まれたために、不足というものを実感したことがない。何があっても、政治や国家、体制というものに関心を向けることすら、少なくなっている。これはこれで、問題もあるのですが、そんな現代に、天誅などといって、容疑者をリンチにあわせても、これまた単なる犯罪でしかなく、天誅・幕末などと犯人がインターネット上で表現するのは、犯人の自己顕示欲に他ならないでしょう。 この事件に影響を受けて誘発されたという、二、三の事件、名前をかたった脅迫、イタズラなどは、この種の事件にからんで必ず登場する、姑息な便乗犯による仕業に違いありません…。 評論家の西川さんでした…」 ここでまた音量が下がる。 運転手は再びチャンネルボタンにさわり、電波をつかまえようとしているらしい。 局長はうるさいニュースにいらいらしてきた。聞きたくもない話が勝手に耳から入ってくるのは不快だった。 誰もかれもが、この自分を不快にさせまいと日ごろから気を使うのが当然のことなのに、たまに、自分の正体を(この私の価値というものを)知らない(知ったところで理解できまいが)輩が動かす、タクシーなどというやくざな乗り物に乗るとこのザマだ。江戸時代であれば家老クラスの、町民が顔さえおがめないような天上人の自分が、雲助がかつぐ籠もどきのタクシーに乗るとは、いまいましいかぎりの平成の御世だが、家老もお忍びのときはあるいはやむをえず雲助の籠に乗っていたかもしれない。 運転手の努力のかいあってか、たちまち音量は回復した。 「…当局をあざ笑うかのように不敵な声明文を発表する犯人の手がかりは、いまのところつかめていないもようです。社会を騒がせるのが目的の愉快犯か、猟奇的犯罪に執着する変質者か、正義を気どる狂信者か、いずれにせよ…」 「ラジオを消してくれないか」 局長は運転手の後頭部に向かって命じた。 不愉快なニュースだった。ワイドショーネタの三面記事など聞きたい気分ではなかった。 運転手は返事もせずにラジオを消した。つまり客に向かってお愛想のひとつもない。 こいつの態度もまた不愉快だ。 今の局長に不愉快のネタは尽きることがない。ただでさえ不愉快なのに、不愉快なニュースや不愉快な運転手が不愉快を上乗せしてくる。さっき不愉快な記者を振り切ったばかりというのに、だ。人目もはばからず、つけまわされ、張込まれることほど不愉快なことはない。あんなダニのような記者が堂々と昼日中歩きまわれるというのが、民主国家の大きな欠点だ。独裁国家であれば、たちまち秘密警察のえじきになっているものを。 国家的最高権力者に連なる自分が、こんな目にあっていいはずはない。いずれ、取材などというタカリを規制させる法案を党に本気で考えさせよう。 国家の最高権力者と同じ列に並ぶ、国を自在に左右することができる地位にいる〜以前はこう考えることさえためらいがあった。とてもそんな資格はないと自覚していたからだ。 指導者の本質は能力よりも決断力や責任感のはずなのだが、自分にはそんなものは全くない。身に着けようと努力さえしなかった。むしろそんなものを避け続けるほうが地位にとどまる最良の方法だったのだ。 この国は、中国で百年も前に廃止された「科挙」の制度が現在でも残っている世界で唯一の国だ。一回のペーパーテストさえ通れば、つまり記憶力さえよければ、国の指導的立場の席が用意され、とりたてて何もしなくてもまわりが勝手に動いてくれる。頼みもしないのに大店のボンボンの扱いをしてくれ、若殿なみのもてなしをしてくれる。創造性も決断も指導力も必要ない。ゆるぎないピラミッドシステムが完全にできあがっていた。権力が自動的に集中し、能力のいかんにかかわらず機構の歯車が自動的に回る。わが身の保身だけを考えているだけでもことはすむのだ。さらに、有力な先輩、前の局長の娘と結婚したことで、ライバルさえも出し抜くことができた。 確かに以前は、自分の地位と能力のギャップにじくじたるものがあった。しかし、国が何年もこのシステムで動き(当初は効果を発揮した優れたシステムだったのだろう)、国民がそれを認めているとわかったとき、後ろめたさは消え、逆に、持てる権力をあやつることに快感を覚えるようになった。議員などは御用聞きでしかない… それでも心のどこかには、これは虚構の歯車であり、危機に対応できる能力はないのだという思いが残っていて、ときおり頭をもたげる。近頃の官邸や長官の動きを見るにつけ、思わぬところから馬脚が… あの、一部の記者どもはここをマークしてきている。やはりこれは用心しなくては…あの記者があちこち探りを入れ、しかもどこかで張っているために、まりなに逢いにくくなった。じつのところまりなに逢えないのが一番こたえる。 「東アジアを結ぶ不透明な線」「官邸内の不可解な思惑」「指標改その疑い」「これでは不況推進策」…経済面でのスキャンダルは、「政策の一環」「公にすると混乱を招く恐れのある国家機密」のよろいを着せて、どうにか切り抜けられるが、まりなのことがマスコミに知られると、一気に世間の、経済や政治に興味のない大衆どもの耳目を集めてしまい、ほかの事まで、まだ局長さえ知らないほかの事まで明るみに引きずり出されてくる恐れがあった。 以前なら黒塗りのセンチュリーをまりなのマンションに堂々と客船よろしく横付けしていたのに、みすぼらしいタクシーでこそこそと行かねばならないというのが、なんともいまいましかった。しかし手段はどうあれ、まりなに逢えると思うと胸が躍る。まりなのことを考えるだけで、ついえていた精力がよみがえってくる気がした。若者のように下半身が熱くなる。まりなはすべてがうまかった。自分から見れば孫のような若さで、まるで世間知らずのようなあどけなさなのに、技術は熟達したプロを思わせる水準だった。そのあとすぐに、続けざまに二度三度、四度とできるようにと、特異なマッサージをしてくれ、たちまち回復させてくれる。 「足よ、局長。足の裏にカラダ全部の急所があるの。足を責められたらイチコロよ。こうやって、ここを押すと…」 「おお、痛いよ、マリ、痛い…」 「でもほら、また元気になってきた」 まりなをよろこばせようと、今回は,新作だというヴィトンも用意した。 マンションが見えてきた。 今日こそ一週間ぶりにまりなの濃い吐息にひたろう。豪華な愛人は古来より権力者にのみ許される特権だ。選ばれた一部の階級のみが甘受できる当然のボーナスなのだ。 タクシーは中世の城のような堅牢なマンション(むろんまりなに買ってやったものだ)の正面まできた。身体全体がまりなの上にのしかかる準備の体勢に入る。 と、マンションは逃げるように横へ飛びのき、そのままぐんぐん後方へと遠ざかっていった。 「君、どこへ行くんだ、あのマンションでいいんだ、道を間違えてるぞ」 局長はあわてて運転手に言った。が、にぶい運転手はなかなか止めようとしない。 「すぐ引き返せ、いや、いい、ここで止めろ、降りて歩いていく、もういい、止めるんだ!」 運転手の帽子が乗ったブロンズ色と金色に染められた後頭部になかば叫びかけたが、運転手は振り返ろうとさえしない。 「おい、君!聞こえないのか!」 局長は運転席に身を乗り出しかげんに叫んだが、それと同時にタクシーはいきなりスピードをあげ、はずみで局長は後部座席に押し戻された。 怒り狂い、もう一度ちんぴら運転手を怒鳴りつけようと身を乗り出したとき、ルームミラーに目がいった。 ルームミラーからは底知れなく黒いサングラスが局長を見ていた。 |
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