Chapter13 反逆の徒
| 足よ、局長。足の裏には身体全部の急所があるの。足を責められたらイチコロよ。 そのとおりだった。足を責められて、自分でも以外なほど簡単に参ってしまった。 もちろん知っていることに限られたが、ベッドの上でまりなに話でもするようにやすやすと話してしまったのだ。 道がまちがっているぞ、止めろと、身を乗り出して運転手に注意した瞬間、顔に衝撃を感じると、後部座席に吹っ飛んで、何もわからなくなった。アゴにいきなりパンチをくらったらしい。 身体をゆすられてむりやり気づかされたとき、まだアゴが痛かった。 思わずアゴをさすろうとしたが、手が動かない。 イスに〜わりと頑丈なイスに両手を後ろ手に縛られ、座らせられていた。 いまいる場所に見覚えはないが、タクシーの中でも、マンションのまりなの部屋でもないことは確かだ。暗闇だが、倉庫ののようなガランとした奥行きが感じられる。明かりは、彼のいるところに近い壁の上の方にある小さな窓の、破れたガラスの間からさしこむわずかな光線のみ。 自分の境遇に気づき、はじめて恐怖を感じた。議員や大臣、財界のお歴々が部下を引き連れ、親しそうに、あるいは畏敬を感じているそぶりでやってくる自分のオフィスとはあきらかに違う。富裕な商店の息子だった昔から今に至るまで、経験したことのない冷たさと、殺風景さと、孤独感。ホコリとカビの臭い。自分の地位では予想だにしたこともなかった牢獄のような空間に置き去りにされ、縛られているというだけで、震えるほど不安になった。 目が少し暗がりに慣れてきて、ここは使われていない倉庫か廃屋らしいということがわかってきたが、同時に目の前に四本の脚、二人の人間が立っているということに、あらためて気づいて、思わずうっと声をあげた。二人はずっと彼を見つづけていたのだ。 上方からさしこむ光はスポットライトのように、イスに縛りつけられている局長を照らし、前の二人の人物は、膝から下だけがスポットライトの中に突き出ている。二人とも膝から上はシルエットだった。一人は黒いスラックスに黒い靴、もう一人はジーンズにスニーカーだった。 「気がついたらしいな」 声にぎくりとなった。前にいるどちらかが話している。男の声だ。 「さっさと帰りたいだろう」 局長に向かって話しているのだ。 「帰りたいだろう、可愛い愛人のところへ」 声に抑揚がなく、感情もない。落ち着きはらったロボットのようなしゃべり。 「だったら話してもらおうか」 相手の自分を見下した言い方に反射的に腹が立ってきた。彼を見下せる人間など国内に存在しないはずだ。最高権力者でさえ彼には気を使うのだ。世の仕組みを知らないならず者め。 「君たちはいったい誰だ、何のためにこんなことをする、私は誰からも仕打ちを受ける覚えはない、すぐにこれをほどけ!」 不安や声の震えをさとられまいと、必死になって言った。 「これは拉致だ、誘拐だ、何のためだ!こんなことをしてただですむと思っているのか、私が誰だか知っているのか、君たちがしていることは大罪だぞ!」 自分に原因はなくとも、何か事件に巻き込まれれば、それだけでエリートにとってはとてつもないマイナス要因となる。まっさらだった自分にマイナスポイントをつけてくれたこの二人にただならぬ怒りを感じ、なおかつ自分の言葉が、得体の知れない二人を逆上させはしまいかとハラハラしながら、尊大さをよそおって言った。 しかし相手方は局長の抗議を、たたき売りの聞き慣れた口上をあしらうように聞き流して、落ち着いて続けた。 「聞いているのはこっちだぜ、答えてもらいたいね」 話しているのは黒ズボンのほうだ。 「だから何のことだ、何を言ってるんだ!」 相手の男はすこし間をおいて、効果をおしはかるように、局長がぎくりとすることをさりげなく言い出した。 「週刊誌の記事が事実だということは知っている。知りたいのは誰がからんでいるかということだ。お前さんと何人かの部下だけじゃあるまい。どこまでつながっているのかを知りたい。」 局長の背中を冷や汗が流れた。事態は自分が思っているよりも切迫しているのかもしれない。 「何のことだかわからないな、週刊誌って何だ、何を言っているんだ」 相手は局長をより不安にさせるように話をはじめようとしない。たまらず局長は言った。 「そうか、あのゴロツキ記者が書いたデッチ上げ記事のことか、あれこそ言いがかりだ、まったくの嘘八百だ!」 相手は局長の返事をすっかり予想してでもいたかのように平然としている。 「そうか、わかったぞ、お前たちはあのヤクザ記者の仲間だな、どこか田舎の右翼の政治ゴロなんだな、私を脅してゆすりのネタでも聞き出そうとしているんだろう、おあいにくだな、話すことは何もない、私をなめるんじゃない、私にしゃべらせたいならもっと大物を連れてきてもらいたいね、チンピラに話すことはない。そうとも、誰がお前たちのような下っぱに。もう口はきかん、一言もしゃべらんぞ!」 しゃべっているうちに自分の言葉に勇気づけられ、得体の知れない誘拐犯にむかって開き直った。 「いや、お前さんはしゃべるさ、喜んでしゃべるとも」 黒ズボンは局長の反発にいらだつでもなく、同じ調子で平然と答えると、一歩下がってスポットライトの外に出た。 変わってジーンズのほうが前に出、局長の右足の上にかがみこんで何かしはじめた。 局長はこのとき、左足で思い切り蹴飛ばしてやればよかったと、あとで思った。そうすれば、あるいはひどい目にあわずにすみ、あるいは逃げられていたかもしれない。このときがチャンスだったのだ。(のちにもう一度同じチャンスがめぐってきたときはのがさなかったが) ジーンズのほうも男だった。体つきから若い男らしい。 顔が局長の右足の上におおいかぶさっているので、人相や表情は読みとれない。 明かりの中に浮かぶ茶色に染められた後頭部がやけに印象的だった。 この後頭部には見覚えがあった。 「君はタクシーの運転手だな…」 と言ったとき、右足が急に寒くなり、足の裏がひやりと冷たいものを踏んだ。それは、あちこち破れてところどころ下のコンクリートがむき出しになっているリノリウムの床だった。局長は靴と靴下を脱がされていたのだ。さらに右足が冷たくなり、局長はうっと声をあげた。裸の右足全体に今度は水をかけられたのだ。いや、水ではない、この鼻をつくつんとくるにおいは…アルコールだった。 「何をする気だ」 と聞き返す間もなく、右足にチクリと別な冷たさのものが触れ、同時に茶髪がその右手を上に振り上げたようだった。と、一瞬のうちに振り上げた右手を局長の足にむかって振り下ろす。 カーンという音がして、局長の右足にすさまじいい衝撃が走った。 「ぐわああああ」 反射的に意図せぬ悲鳴が局長の口からわきあがる。 茶髪は再び右手を振り上げ、振り下ろす。 カーン! 脳天を突き抜けるような、ものすごい痛み。局長の全身が弓なりにしなる。 「おおおおおお」 悲痛な悲鳴にもおかまいなく、茶髪はなおも右手を振り上げ、持ったハンマーで局長の右足を打ちすえるのをやめようとしない。 カーン! 飛び上がるほどの痛みだったが、局長は飛び上がれなかった。右足が床にすいついていたためだ。 右足の甲のほぼ中央に黒い点が見えていた。茶髪のハンマーはこの点を打ちすえていたのだ。いましも点のまわりには赤黒い血がふき出し、それが、打ちすえられるたびにあたりに飛び散る。茶髪は五寸釘で局長の右足を床に打ちつけていたのだ。 四度打ちすえ、右足が床を離れなくなったとき、茶髪はハンマーを振り下ろすのをやめた。 足が張り裂けそうな痛みが全身をかけめぐる。脂汗が滝のように流れ出し、全身がガタガタと震える。 「痛い、痛い…なんて…なんてことをする…」 局長は蚊のなくような弱々しい声でうめいた。両目から涙があふれ、鼻水が、だらしなくあいた口から出るよだれとまじりあった。思いもかけぬ事態で受けたショックと、経験したことのない痛み、それに虐待される屈辱もまじって、局長は子供のように泣いていた。 「あんたがキリスト教の信者なら、あるいは主と同じ痛みを分かち合えたことに感謝するかもしれないが、実際の身の痛みとは耐え難いものだろう。どうだ、話す気になったか?」 痛みで朦朧となった意識の中に、黒ズボンの声が響いてきた。 「なんなら、さらにキリストに近づけてやろうか」 その恐ろしい意味を理解して、局長はどうにか首を横に振ることができた。 「いや、この人は話しますよ、もう十分でしょう、早いとこ手当てをしましょう」 はじめて聞く茶髪の若者らしい声だった。 局長を痛めつけた本人のくせに、なぜか同情的で申し訳なさそうに聞こえた。 一人が脅し、一人がなだめる、ヤクザがよく使う手だとわかっていたが、今の局長にはそんなことはどうでもよかった。痛みで頭がおかしくなりそうだったのだ。 茶髪はヤットコのようなものを取り出し、それで血まみれの釘の頭をつかむと、局長の右足をつらぬいて、床のリノリウムを突き抜け、コンクリートに刺さっていた五寸釘をすばやく引く抜いた。これもまた痛い。局長は再び短い悲鳴をあげた。茶髪はムダのない動作で再び消毒液らしい液体をふりかけ、ガーゼと包帯で簡単な血止めらしい手当てをしたのち、 「化膿止めと感染症止め、痛み止め」 と言って、慣れた手つきで局長の腕に二本の注射をした。 痛みがしびれに変わって、しだいに右足の感覚がなくなっていったとき、おもむろに黒ズボンがうながし、局長は話しはじめた。だいたい黒ズボンの推測したとおりだと。 どこまでかかわっているんだ? 私以下、局内の直属の部下二人。彼らはみんな口が堅いし、真相が明るみに出ると、ただならぬ騒ぎになることを自覚している。 あんたの上はどうだ? 事務次官とそれに…ことは我々の独断によることではない。じつは長官から直々に内々の指示があって続けていたことだ。例の金融ビッグバンが失敗に帰することが確実となったころから。 長官より上はどこまでからんでいる? 長官より上のことは私は知らない。知らないほうが万一のときにも都合がいいだろうと思っていたので、知ろうとしなかった。だが…たぶん一番上までつながっているだろう。党の一部には以前から、今は緊急時、国のため、と称して、このようなやり方をとることをとなえている者がいた。 うながされるまま抜け殻のようになって答えていた局長は、受けた衝撃が痛みとともに薄れていくにつれて、思考も正常にもどり、しだいに腹が立ってきた。 この見ず知らずのノラ犬のような連中は、こともあろうにこの私を脅かした。 絶大な権力をふるうことのできる私を、国の財政を左右する力を持つ私を、無法に監禁し、脅迫し、傷害を与えたのだ。これは国家に対する反逆に等しい。私のような地位にある者に対する、卑劣で残忍な暴力は、それだけで万死に値する。こいつらには、償いをさせなければならない。痛めつけられたとはいえ、極秘事項をもらした自分のうかつさより、こいつらの危険性のほうがはるかに問題なのだ。こいつらは、わずかな金のために秘密を悪用するだろう。白昼堂々要人を誘拐する大胆さ、凶暴さは並でない。 この連中は知らなくてもいいことを知った。できるだけ早く口をふさがなくては。国のために。公安を使ってもいい。どんな手を使っても、どこから手を回しても、この二人の奸賊の息の根を止めなくてはならない。 そのためには、まずここから逃げ出すことだ。参ったふりをしてすきをうかがうのだ。 |
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