Chapter16 極右の影
| 耕下は少なからず圧倒される思いだった。この一等地にこれほどのビルを持っている。 このビルは丸ごとこいつの持ち物なのだろうか。きっとそうだろう。 さらに誇示するように、部屋全体が磨かれた重厚なマホガニー張りの壁だ。広い壁の中央に凝ったマホガニー材の装飾で縁どりされた大きな鏡もある。その上、部屋の主が肘をついている巨大な机も、コーヒーテーブルもマホガニー製だ。まるで英国の大臣執務室だった。 耕下はさも珍しそうに、田舎者のように傍若無人に、コーヒーテーブルの上の重々しい大理石の箱のフタをとった。中には太い長い葉巻が何本も、さも当然のことのようにおさまっていた。 「一本どうです、いや一本といわずいくら持っていってもいいよ。刑事さんの署のお友達にプレゼントにどうぞ。見たことはないでしょう、キューバ直送の最高級品だ。」 井上は穏やかな、しかし好意はカケラも感じられない口調で言った。 「キューバからそんなに簡単に輸入できるとはね。この葉巻、メーカーの名前もなけりゃ、刻印もない。」 耕下のささやかなあてこすりなどまったく相手にする様子もなく、井上は、机の上で両手を組み合わせて山型をつくり、その上にアゴをのせている。 豊かな長髪をオールバックになでつけた、健康的に日焼けしたスポーツマンのような、朝黒い顔の男だった。目だけは鋭く耕下を見すえている。金属のように鋭角的で、好みじゃないけど、二枚目といえるかもしれないと馬子は思った。薄い唇がなんとも酷薄な印象を与えている。 「このビルにこの部屋、右翼ってそんなに儲かるものなのかい?いったい何で金をかせいでいるんだね?」 「右翼とは古めかしい言い方だな。俺たちが行っているのは、企業間の運営をスムーズに運ばせる代理店行為だぜ。正確には政治経済団体だ。」 「じゃあなんで右翼の看板をあげ、自他共に右翼を標榜してるんだい?」 「看板はあげていない、あんたがたが勝手にそう認定しているだけだ。我々は一定の思想を持つ人間だ。思想に基づいて行動すれば、活動はスムーズに進む。企業ももっと思想を持つべきだ。」 「思想に基づいて株主総会で幅をきかせてるってわけか。金を稼ぐのも思想のひとつなんだろうな。ビルや車の税金はちゃんと納めてるかい?そのスーツにも税金はかかりそうだな。」 「あんたには生涯縁のない仕立てだろうな、刑事さん。金持ちのまわりを、犬のように地べたに鼻をつけて嗅ぎまわるだけの仕事ってのは、バカバカしくないかね」 「どんなにいい服を着ても、いい家に住んでも、腐った臭いですぐわかる」 「何だと?」 「ばあさんがよく言ってたよ、どんなに着飾って格好をつけても、どんないいところにいても、ヤクザ者は腐ったニオイがするから、すぐわかる。ニオイはけして消えないものだ。ニオイをさせてるやつは自分では気がつかない。普通の人は臭いニオイはきらいだ。だからお前もヤクザ者にだけはなるなってね。」 「俺たちはヤクザではない。」 「でもぷんぷんにおうな。あんたがたの、いきがって金品を身につけるさまは、自分をわかっていないだけに、成金よりもまだこっけいだよ。」 「何しに来たんだね、あんた?」 井上の言葉が少しいらだちを帯びてきた。 耕下は、井上の反応などはなから気にとめない様子で、問いかけさえ無視して、壁や天井を見やり、散歩でもするようにぶらぶら歩き出しながら言った。 「井上月昭という名前からすると、もしかして子孫にあたるんですか?」 「いや、俺の本名は昭という。まあ、日昭と同じだが。だからあやかって号にした。 先人の気概に敬意を表して、名前をまねた。もちろん月盟社という名前もそうです。」 井上は、耕下が意外にも近代史を知っていそうなので、いくらか気分をやわらげた。 しかし耕下はバカにしたような調子で言う。 「いまどき血盟団なんて知っている人もいないと思うけどね」 「知らなくてけっこう。俺がまねたのは名前だけだ。思想は全く違う。社会が違うし、もはやファシズムなぞ誰も見向きもしない。俺は日蓮宗でもないし、国家主義者でもない。だから武力による国家改革など唱えたことは一度もない。だいいち、一人一殺なぞ効率が悪すぎると思いませんかね。」 井上はにやりと笑いながら馬子を見た。 耕下はさりげなく部屋の中を歩いて、マホガニーのドアを見たり、鏡をのぞきこんだりしているが、馬子は軽く腕組みをして、電柱のように突っ立ったまま、ばくぜんと井上のほうを見ている。はなからお互いを敵とみなして、険悪な雲行きの耕下と井上を前にしても、別にハラハラしたりしていない。度胸がすわった印象の馬子に、井上は意識せずに目がいった。パンツスーツにつつまれた馬子の長い脚を値踏みするような井上の視線に、馬子はいつもの無感動さで、抽象絵画でも見るような視線で答える。 井上はいささかしらけた思いで言った。 「いつも我々を気にかけてくれるのは公安三課じゃなかったかね。まさか地方の、どこっていったっけ、舞網署?どこにあるのか知らんが、地方の刑事さんが来るとは思わなかったね。」 「その公安三課に聞いて来たのさ。このところ月盟社は静かすぎる、何かたくらんでいるのかもしれないってね」 「何も企んでいないから静かなのさ」 「確かにこの三年間はやけにおとなしいじゃないか。大量の日本刀の不法所持であげられたのは三年前だったな」 「コレクションですよ、刑事さん。ただのコレクターだったのさ。今はもうやめてるよ。」 「コレクターだったなら日本刀に詳しいはずだな。それを使う人間にも詳しいんだろうな。あんた自身、剣道の心得があるそうだが」 「居合もやりますよ、刑事さん。刑事さんの足の配りを見ても、刑事さんが前に剣道をやっていたこともわかる。」 「なるほど、日本刀に詳しく、剣道の心得もある。そこでうかがいたい、このところ世間を騒がせている、刀剣を使った殺人犯に何か心当たりは?」 「やっぱりそれか。あの天誅団というやつか。ないね、まったく心当たりはない。」 「部下や門下生にきいても同じかな?」 「俺のまわりにそんな行動に走る奴がいるわけがない。俺は過激な暴力を奨励したりしない。」 「あんたの思想とやらをいちばんよく著わしているというのは、確か著書の『武士道にかえれ』だったな。武士道といえばファシズムより古くて過激じゃないかね。あらゆることが剣に帰結する。単純な奴なら、剣がすべてを解決すると思いかねない」 「じっくり本を読んでくれ、刑事さん。武士道は日本人が長い間かかって究めた人を律する道だ。永遠の行動規範となりうるものだ。」 「じいさんが言ってたよ、ずるい奴ほど理屈はもっともらしいってね」 「ようするに俺たちがあやしいと言いたいわけだな。天誅団から、月盟社のもとになった名前の血盟団を連想してるってわけだ。短絡的すぎないかね。俺たちは企業の代理人だ。利益は追求するが、一文にもならない殺しなどに興味はない。」 「武士道華やかな時代には、刀剣好きの中には、試し斬りのための辻斬りというのもあったそうだがな」 「嗅ぎまわる場所が違うと犬に教えるにはどうすればいいんだろう」 「ばあさんが言ってたよ、ダニは何をやってもダニでしかないってね。」 「犬は逆立ちしても犬でしかない。疑うには証拠がいるぜ。嗅ぎまわっても何も出てこない。つまり公安三課は、田舎お巡りを使ってゆさぶりをかけてきたってわけだな。もうけっこうだ、俺は朝から忙しいんだ」 井上はすっくと立ち上がって、耕下にむかった。 立ち上がると、井上は思っていたよりもはるかに背が高い。浅黒い金属的な顔とあいまって、見るからに強じんそうで、腕力が強そうだった。 つかつかと耕下の前へいき、かみつくような勢いでにらみつける。丸のみでもしそうに見下ろす、といったほうが正確かもしれない。ずんぐり小さく見える耕下も、負けずにぐっと井上を見上げる。 耕下から視線をそらさないまま、やにわに井上は左手をあげると、 「レイジ、客人がお帰りだ。お見送りしろ。」 と鏡に向かって合図した。 鏡のとなりにあった、マホガニー製のぶ厚い重そうなドアがさっと開き、四人の男たちが流れるように出てくると、たちまち井上、耕下、馬子を四方から取り囲んだ。 耕下は、この井上の部下の急襲を、たかってくるハエでも見つめるように平然と見ていたが、居住まいを正すように一歩下がって、馬子を自分の背の陰に隠すようにするのを忘れなかった。 思ったとおりだった。あの鏡はマジックミラーになっていて、この部屋のどこかにマイクが仕込んである。となりの部屋にはいつも部下が待機していて、合図ひとつで、親玉に狼ぜきを働く不心得者をつまみ出すというわけだ。 四人の部下たちは、好んで井上をまねているのか、井上がそうしろと命じているのか、こっけいなほど井上にそっくりな格好をしていた。井上と同じくらい仕立てのいいスーツに、シワひとつないシャツ、きっちりしめられたブランドもののネクタイも、身についた豪華さは高級ホストクラブなみだが、全員の目が冷たく、全く表情がない。 三人が長髪をオールバックになでつけていたが、五人目の男がドアから出てきて、井上をガードするようにその横に立ったとき、耕下も馬子もオヤと思い、顔を見合わせるところだった。 部下たちはいずれも井上より年下のようだったが、この男はひときわ若い。井上より少し背が低く見える、スーツ姿もほっそりした若者だった。色白の卵型の顔はなにやらアイドルめいて、二枚目といえるほどだったが、軽く縮れたその髪は、茶色に染められていたのだ。 耕下は榊をつれてこなかったことを悔やんだ。榊であれば、ニセ鑑識係の茶髪の男をその目で見ている。馬子もまた、榊の証言をもとに作られた似顔絵に、目の前の若者の顔をダブらせようとしていた。もしかしたらこれは手がかりか… 「わかった」 耕下は、茶髪の若者をしげしげと観察しながら言った。 「きょうのところは引き揚げるよ、どうやらお忙しいようだしな。でも念のためにアリバイを聞かせてはもらえませんかね?」 「何のアリバイを?」 井上が抑揚のない声で答える。 「もちろん天誅団を名乗る犯人が、事件を起こしたときの、あんたがたのアリバイさ…」 このとき、部屋の空気の流れを断ち切るように、似つかわしくない音楽が鳴り響いた。 馬子はすばやくジャケットの内側に片手を入れ、小さな携帯を取り出すと、チャキンと軽快な音をあげさせて開き、そのままくるりと一同に背を向けるて、あたりをはばかるように話しはじめた。若い女の、いかなる状況にも左右されることのない、誰に気を回すでもないいつもの行動に、男たちの動きは一瞬空白になる。 と、馬子の驚いた声がひときわ、緊迫しかかった空間に大きく響いた。 「…えっ…また、またですか?!………わかりました、はい、ちょっと待ってください……警部補にです」 いちだんと険しい表情になって、耕下にずいと携帯を差し出した。 戦意をあらわにしかけている右翼団体の構成員たちに取り囲まれているという状態も、心落ち着くものではないが、電話の内容もまた心休まるものではなさそうだ。 携帯を耳にあてた耕下も、声がたちまち大きくなる。 「…なに、また斬られただと!?……いつ?……どこでだ!……うーん……関連ねえ……とにかくただちにそちらへむかう…」 耕下と馬子の様子を注意深くうかがっていた井上は、どこかに笑いを含んだ、余裕のある調子で言った。 「どうやら、そちらもお忙しいらしいな。察するにまた事件だな。誰かが日本刀か何かで斬られたってわけだ。さっきアリバイとか言ったな。いまのどこかの事件に関してはアリバイがあるかもな。あんたたちが証人だ。事件があったとき、俺はあんたたちと話をしていたんだからな。」 「現場に行ってみなきゃ、犯行時間はわからん」 「見当違いだって言ってるだろう。こうしてるまにもホンボシはもっと何かやらかすぜ。」 「あんたたちもきっと何かやらかす。きっとまた会うぞ。」 |
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