Chapter2 会長の断
(三ヶ月前) 「申し訳ありませんでした。私の力不足で、ご期待にそうことができませんでした。」 男は、明るい外の日差しのせいでシルエットかげんになっている小柄な背中に、目で平伏しつつうつむきかげんに言った。 最上階、天井から床まで壁面がガラスのこの部屋は、空中に浮かんでいるようで、高いところが苦手な男にとっては、ここにいるだけで落ち着かなくなってくる。しかしこのガラスは見かけよりはるかに強力なはずだ。けして壊れない、何があっても中にあるものを保護する。この部屋そのものが世界一安全なポッドになっていることだろう。目の前の男が所有している技術力の一端は、それを可能にしているはずだ。 明るい午前の陽光に照らされた下界は、実際にはそうではないのだが、心が浮き立つような可能性に満ちて見える。抽象絵画的なビル群の屋根とちょうど半分くらいの視界で、日本的な松を中心とした森が広がり、その彼方にはまた幾何学的な高層ビルがかすんで見える。前衛的なものと古いものとのせめぎあい。勝つのはどちらだろう。目の前の人物は高みの見物をしているように見える。ここにいると世界の行く末を見守る神のような気分になるのかもしれない。 「いや、あなたのせいではない。あなたはじつによくやってこられた。」 その人物は、心からねぎらうように、しかし顔は外界の方に向けたまま言った。 「最新の世論調査の時点で、予測はできました。しかし、世論調査と現実とが寸分たがわず一致するというのは、考えてみればじつに不思議なことですな」 「すべては私の不徳と致すところです」 「いやいや、不徳は国民です。しかも国民はその自分の不徳に気づいているのだから、なおさら始末が悪い。こんなときのマスコミの決まり文句に、野党がだらしないからだ、というのがありますが、だらしないのは当のマスコミを含めた国民にほかなりません。国民のだらしなさが、決断と責任を回避する姿勢が、犯罪者をのさばらせる。 回復とは皮相的で、実際には根をはり、底なしに長引く不況、これはまさに犯罪です。しかし国民は口では不平を言いながら、いざ選挙となれば、その張本人を責めるどころか、望んで権力の地位につかせようとする。民主国家でひとつの政党がこれほど永く権力の座に居座っている例は他にないでしょう。 ひとえに、ひたすら変化を恐れ、同じことばかり続けようとする国民の家畜根性のたまものなのです。 このような家畜根性はいつこの国の国民に培われたのか。私は、江戸時代の三百年間に、国民の性根に染み付き、国民的性格となってしまって、ひとつの伝統として現代に受け継がれてきているじゃないかとさえ思うんです。 家康は、戦いのない、秩序ある社会を造るために全国を統一したと言われているが、それはすべて自分の一族の権勢の維持という原点に根ざしていた。支配者一族のためにすべての国民が奉仕する完全な国家的システムを作り上げた。国民は戦いのない社会と引き換えに、思考を忘れた家畜となったのです。 明治維新で江戸幕府を倒したのは国民ではない。別な権力者です。国民はやらなければならないと気づいていながら、黙って見ていた。家畜の臆病さでね。そして、何の疑いもなく、新しい政権に盲従していった。 大戦後、家康の役をしたのは、合衆国の一軍人です。時の官僚と政権政党はこの軍人の威をかり、すばやく自分たちの支配システム、一見すれば自由で民主的国家に見える、新たな江戸幕府を作りあげた。現在こそそれが見事に完成された姿だ、そうは思いませんか。地盤・鞄・看板という世襲議員がそれを象徴してますよ。」 これは前にも何度か聞かされたこの男の持論だ。 「一面真理ではありますが、いささか早急で、一方的でもありますね」 と反論するのはやめた。自分は今、申し開きに来た立場なのだ。 「江戸幕府同様の成り行きで、今の政権にも腐敗が進んだ。一部の権益側にばかり金が流れるシステムでは当然のことです。もともとのシステムがそうなっているから、財政改革などできるわけがない。せいぜい享保の改革やら、天保の改革やらの程度で、腐敗と財政悪化は底なしに進行する。国民も底なしに搾取され続ける。 『そもそもこの国には国家財政のバランスシートというものがない。全員がグルであれば政府が財政内容をごまかすことなど、いくらでも可能です。フタを開けてみたら国民の預金は全部パーになっていたということもありえます。それに薄々気づいていながら、国民は全く行動を起こそうとしません』 明治維新が、ひとつのこの国のパターンを示してくれました。武力でなければ政権は変わらないということです。今の世の中を変えるのは傭兵なのかもしれない…」 聞いている男は居心地が悪かった。ようするに、自分はことの不始末を非難されているのだ。 「私どもは次へ向けて努力を続けます。同盟内部でも私に対しての責任論が日を追って高まってきているこのごろですが、とにかくやり直しです。今後とも支援をよろしくお願いします。」 ようやく今日やってきた目的を言うことができた。 小柄な男は、この日はじめて振り返って、来訪者に顔を向けた。目尻のしわはにこやかだが、目そのものは全く笑わないまま、口調を少しソフトにすると、評決のように言った。 「もちろんです。『次』はあなたがた、あなたがたしかいない。それは決まっている。国民がそうはっきりと気づくのも時間の問題です。しかし…早いに越したことはない。 私どもの部門のひとつに、金ばかりかかる、小さな、非公式の部門ですが、<予知・予測>というものがあります。私どもと社会・世界との関わりを将来にわたって展望する部署なのですが、そこからくる最近のデータも事態が楽観できないことを告げている。できる限りの努力をお願いします。 それに、私は私なりに、いろいろな方面から力を尽くしてみます。あなたがたのお役にたてるように、そして私どもの…」 「会長、会津です。少しだけよろしいでしょうか」 どこからか声が聞こえた。インターホンなのだろうが、部屋の中で本人が話しかけているように鮮明だ。この会社は最新のテクノロジーに満ちている。 「ああ、会津君か、ヤマさんとのお話はいま終わったところだ。例の件かね」 会長はくつろいでデスクに腰を下ろし、空中に向かって話しかける。 「そうです。‥近藤君に現場を仕切ってもらうことにしました。」 「近藤というと、以前アフリカ部局の調査部にいた…」 「そうです、自分の判断で独立して仕事のできる男です。あのときも本部とはほとんど連絡をとることなく、耳目を集めることなく、あれだけの仕事を終わらせました。」 「確かに…。彼は前歴もちょっと変わっていたね」 「はい、だからこそうってつけと思いまして。仕事をこなすのに躊躇しません。予算を伝えたところ…」 「会津君、もういい、その方向で始めてくれ。もはや私に報告する必要はない。私は知らないほうがいいだろう。今後この件に関しての報告はいっさい無用だ。結果は自然とわかるだろうから」 「失礼します」 会津の声はぶっきらぼうともいえる唐突さで切れた。 「ヤマさん、失礼しました。仕事の話でしてね」 内輪の仕事の話にしては、むしろその内容を聞かせようとでもするかのように堂々と話しておいてから、あらためて目の前の相手に気づいたかのように軽くわびた。 「お忙しそうですので、私はこれで…」 「これから本部ですか」 「ええ、今や恒例ともなりました、針のむしろに長時間座るという荒行です。私を引きずり下ろして八つ裂きにしようという同志たちとの語らいは、回を重ねるごとに、私の人間性を深めてくれるような気がしますよ。」 「この上、あなたにまで辞められたら、私どもにとっても想定外の事態になってしまう。ここはなんとしても踏ん張ってください。 まったく…国民を腹の底から罵倒してやりたい。何度自分自身でチャンスを潰したら気がつくんだとね。 …まあ、しかし、国民は動かずとも世界は動いている、世の中の流れている。しばらくは成り行きを見守ってください。」 会長は親しげに背中を叩きながらドアまで見送った。 男の行く先には、党大会での、いきり立つ反主流派派によるつるし上げと、全党員による嵐のような非難が待ち構えていた。空しい虚勢がどこまでつうじるだろうか。しばらくは成り行きはよくなりそうにない。 |
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